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黒い花嫁 1


 特別に事件の要請を受けたわけでもなく、日本警察の救世主こと工藤新一は警視庁を訪れていた。
 いつも自分が呼び出されるのは難事件や急な事件の時ばかりな所為か、今日の警視庁は随分静かだな、と思う。慌ただしく駆け回る警察の姿を見慣れている新一にとってはなんだか新鮮だ。すれ違う婦警や見たこともない顔の警官にも挨拶され、ひとつひとつに笑顔をサービスしながら新一も返事をする。
 用事もなく足を向けたのは良いけど、これからどうしたものか。
 そんなことを考えていると、前方に見知った顔を見つけた。
 のんびり歩いている姿は、まるで一課の刑事とは思えないほど大人しそうな青年。新一はたまになぜ彼は警察官になったのだろうかと思うことがあるが、それは彼の内にも市民を守り犯罪を防ぎたいという感情があるからだろう。
 歩いてきたのは高木刑事だった。

「こんにちは、高木刑事」
「え? あれ、工藤君! どうしてここに? もしかして呼び出しかい?」
「いえ、今日はそうじゃないんです。ただ用事もなかったので、何かお手伝いするようなことでもあればと思って…」

 そうだったのか、と安心したように高木は笑う。なんたって、彼がこうしてのんびり歩いていたのも、何の事件もなく手持ちぶさただったからだ。それなのに日本警察の救世主が警視庁にいるということは、自分の知らない間に何か事件があったのか、と思ってしまったのだ。

「最近は大した事件もなくてね。全く嬉しい限りなんだけど。僕なんかも結構暇しちゃってるくらいなんだ」
「そうですか、良かった。それじゃあ僕は帰りますから、目暮警部に宜しく言っておいてくれますか?」
「うん、わざわざ有り難う、工藤君」

 申し訳なさそうに謝る相手に、勝手に来たのは自分なのだからと苦笑しながら新一は踵を返した。
 平和が一番。当たり前だ。やることがないからと言って来る場所じゃなかったなと、新一はまた自分に苦笑した。
 あくまで自分は一般人なのだから、ここは軽々しく訪れていい場所ではないのだ。今となっては警視庁内に顔見知りも増えたし、顔も知らない知り合いも増えた。高校生が警視庁をうろついてるのも妙な構図だけれど、ここの人々にしてみればもう見慣れてしまった光景なのだ。
 途中に設置されている自販機が目に入って、そういえば喉が渇いていたことを思い出した。
 どうにも自分は人間的な欲求に疎いらしく、こういう基本的な欲求さえ忘れてしまう。たとえば食事とか睡眠とか。相変わらず空っぽな冷蔵庫を見たら隣人や幼馴染みが煩いだろうなと苦笑を零しながら自販機にコインを投げ入れ、新一はアイスコーヒーのボタンを押した。

 コツコツと聞こえてくる足音が不意に後ろまで来たので、新一は自販機を譲ろうと一歩後ろへ下がった。
 アイスコーヒーをコクンと飲み下しながら、ほとんど職業病のようなもので、自販機で同じくアイスコーヒーを選択した人物を無意識のうちに観察した。
 後ろ姿しか見えないけれど、背は180センチを越している。新一も170センチはあるものの180センチなんて到底叶わないので、ちょっと悔しくなった。
 薄い茶色の髪は光を弾いて、たまに茶色以上に明るく見える。後ろ姿だけでもそうとわかるほど身長に見合った均整の取れた体つき。黒色の上等なスーツを着込んでいるところを見ると、出勤用のスーツというよりは、まるでどこか余所へ出掛けるために着飾っているという感じだ。
 全体的に若い印象を持ったその人物がカップを取り出して振り向いた時、新一は思わずぽかんと見つめてしまった。若いとかいう問題じゃなく、相手は自分と同い年ほどのまだ少年だったのだ。相手の少年も新一に驚いたのか、同じくぽかんとした目で見つめ返している。
 どうしてこんなところに少年が、しかもスーツ姿で立っているのだろう……

「君…、工藤新一君、ですか?」

 口を開いたのは相手が先だった。
 新一は彼が自分の名前を知っていたことにちょっと驚いて、けれど今更驚くことでもないなと考え直した。なんたって腐っても工藤新一だ。新聞にもいっぱい載ったし(少し後悔)、名前だけならもっと広まった。
 まあ、開口一番にこちらの名前を言い当てるということは、少なからず相手は新一のことを知っているらしい。

「そうですが…あなたは警官ですか?」
「いえ、僕も君と同じ探偵です」

 探偵、と言われて新一はすぐにピンと来た。二課にも自分と同じように高校生探偵がいるのだ。なぜスーツを来てるのかわからないけれど、とりあえず目の前の彼は警官ではなく、噂の倫敦帰りの高校生探偵らしい。

「白馬探偵ですね」
「さすが工藤君、よくご存知で」
「僕もあなたの噂は聞いてたので…」
「僕の噂ですか? 光栄ですね」

 そう言ってにっこり笑った少年、白馬探は、嫌味なほど紳士然としていて、しかもそれがはまっているのだからさすがだ。倫敦帰りは伊達じゃないらしい。新一も口をついて出る言葉は大概気障がかってはいるけれど、彼のように物腰まで紳士的に振る舞えるわけではない。
 白馬は顔ももちろん整っているが、印象的なのはやはり新一と同じく強い意志を秘めた目だった。一見穏やかな紳士のように見えて、その奧には熱い探求心を秘めている。紛れもなく彼は〝探偵〟だった。
 彼のどこか鼻にかかりそうな口調も、なぜか自然と抵抗もなく受け入れることができた。それは新一が白馬の探偵としての能力の高さを一瞬にして察することができたからなのかも知れない。或いは新一の尊敬するホームズの性質を、彼の中にも見出したからなのかも知れない。

「今日はどうかされたんですか? キッドの予告ってわけではなさそうですけど」
「確かにこの格好で現場に向かうのは間抜けですね」

 そう言って苦笑した彼に新一は親近感のようなものを感じた。丁寧とした態度の影に隠れた年相応の少年らしい笑いに好感を持った。

「実は父に呼び出されまして。父の古くからの知り合いの祝辞に付き合わされることになってるんです」
「白馬警視総監のですか。だからスーツ姿でこんなところにいるんですね」
「ええ、そろそろ約束の時間なんですが…」

 まだ来ないようです、と言って白馬は肩を竦める。白馬警視総監はプライベートでは案外時間にルーズなのだ。まあ総監というだけあって仕事がプライベートに割り込んでしまうのも仕方がないだろう。
 新一と白馬は総監が来るまでの間、時間潰しにと話すことにした。

「以前から一度、君にはお会いしたいと思っていたんですよ」
「僕に?」
「僕のことは倫敦にいたから知らないでしょうが、帰国した時には君はすでにこちらの有名人でしたからね。同じ高校生探偵として君と話してみたかったんです」

 日本警察の救世主。そこまで言われる人物とは一体どんな人なのだろうか。同じ探偵、同じ高校生として、好奇心の塊とも言える探偵がどうしてこれに興味を持たずにいられようか。
 日本でこそ知名度が低いが、白馬も倫敦ではかなり名の知られた名探偵だったのだ。新一に対し明確な興味、そして僅かな競争心を持ったことは否定できなかった。
 けれど実際に新一と会って話をしてみて、想像とはだいぶ違ったので驚いた。
 平成のホームズ、名探偵、救世主……
 どれもこれも大層な肩書きばかりだ。当然、そんな風に騒がれれば、舞い上がってしまいたくなるのが人間というものだ。だから白馬は己の肩書きを鼻にかけるようなとまでは言わなくとも、自己顕示欲や自尊心の強い人物を想像していた。
 ところが、会ってみてまず最初に驚かされたのがその容姿だ。クラスメートであり、怪盗キッドではないかと睨んでいる黒羽快斗にそっくりなのだ。声を聞けばこれもまた似ている。偶然にしても怪盗と探偵という全く対極な二人がそっくりだなんて、冗談にしても質が悪い。
 けれどよくよく見てみれば、どこがそんなに似ていると感じたのだろうと思ってしまうほど、工藤新一とは彼よりもずっと繊細な人物だった。
 まず、自分とは比べ者にならないほどに華奢だ。ブレザーを羽織ってなお、すらりとした体のライン。肌なんて真っ白で、真っ直ぐに伸びた黒髪がどこか頼りなく見えてしまう。
 けれどそれを裏切るように、自信に満ちた蒼い瞳が激しい強さを含んで見つめてくるのだ。
 彼を男だと知りながら、形容するなら綺麗という言葉以外に当てはめられない。
 そして話してみて、彼は自分の想像していたような浅はかな人物ではないと思い知った。
 会話の端々に見える、理性的で落ち着いた様子。そうかと思えばふと子供のような仕草も見せる。
 巧く言えないが、ひと言で言うならまるで何年も人の裏側を見てきた大人が子供らしさをなくさないために戯れているような、そんな感じなのだ。思わず彼は本当に自分と同い年なのかと疑いたくなる。
 そして、次から次へと出てくる単語や引用は、知識が豊富でなければ決して口にできないものばかりだ。
 探偵は推理ができなければ勤まらない。つまり探偵とはその推理を導くための頭脳、知識の量によって優劣が決まるのだ。
 彼は紛れもない名探偵だ。こうして自分と肩を並べ、自分の推理に鋭い解釈を返してくれる。白馬にとって新一は初めて自分の全てをぶつけても潰されずに押し返してくれる存在だった。
 会って数分。話した言葉もまだいくらとない。けれど、白馬は工藤新一という存在を何の抵抗もなく受け入れてしまった。
 そしてそれは新一にしても同じだった。

「そういえば、中森警部から聞いたんですが」
「中森警部ですか?」

 新一はなんだろうと首を傾げた。
 自分は一課の、中森警部は二課の専任だ。中森警部とは面識はあるがそれほど接触があるわけではない。

「この間、君はキッドから直接予告状を頂いたそうですね?」

 その途端、新一は目の前がぐらりと傾いたような気がした。
 今更になって現場に行かなければ良かった、と思ったところでどうしようもない。自宅に届いた予告状に挑発されてのこのこ出向き、更にはどこぞの殺し屋に拉致されただなんて、いったい誰に言えるというのか。これは新一のささやかな意地だった。

「…直接じゃないですよ。ポストに入ってたんです」
「ですが、こんなケースは初めてでしょう? 予告先でも警視庁でもなく、君のところに届けられただなんて」
「…そうですね…」

 お願いだからこれ以上踏み込まないでくれと、新一は真剣に願った。
 怪盗キッドに横抱きにされて、監禁先から救い出されましたなんて死んでも言えない。

「君は、怪盗キッドと何か特別な関わりがあるんですか?」

 何気なく聞かれたその言葉に、新一の理性はふっとんでしまった。

「――冗談! あんなのと関わりなんかあるはずないだろ!」

 あんな、人をからかって楽しむことしか頭にないような奴と〝特別な関わり〟なんてものがあってたまるか!
 たまらず腰掛けていたベンチから立ち上がり声を荒げて怒鳴った新一に、白馬は目を丸くした。当然である。なにせ新一は今までどでかい猫を二、三匹かぶっていたのだから。普段の彼の口の悪さと態度のでかさはお隣の科学者二人の保証付きだ。
 けれど新一は驚く白馬もおかまいなしに続けた。同い年の男相手にいつまでも猫をかぶっていたところで何の意味があるのか。

「大体〝特別な関わり〟ってなんだ? あんないけすかない奴、できれば二度と関わりたくねえっ」

 もちろん白馬は何か含むところがあって尋ねたわけではなかった。まあ何か情報が手に入るかも知れないとは思ったが、別に探偵である新一を疑って尋ねたわけではない。それなのに、突然怒りだしてしまった新一に白馬の方が慌ててしまった。

「あ、その、別にそういう意味じゃ…」

 白馬がしどろもどろに言葉を紡いでいると、新一はその間になんとか落ち着きを取り戻した。
 とは言え、今更また猫をかぶれる気はなかった。猫はどでかいだけあって結構肩が凝るのだ。

「…なら、どういうつもりなんだ」
「その、キッドに予告状を送りつけられるなんて、奴が挑発しているということでしょう? つまり、彼は君のことを敵として認めているということなのかと…」
「認めてるかどうかは知らねえけど、確実に遊んでるな。というか楽しんでやがる」

 悔しさを隠そうともせずに柳眉を寄せる新一は、先ほどとは打ってかわって子供のようだと白馬は感じた。
 けれど、なぜかこういった彼も憎めないのだ。確かに驚きはしたけれどどこか壁のようなものがなくなった感じがした。
 名探偵と言われていても工藤新一は高校生で、年相応に怒ったり悔しがったりする。そんな当たり前のことに今更気付いて、逆に新一への興味が一段と強くなったくらいだ。

「工藤君…それが地ですか?」
「そうだよ。想像と違ってがっかりしたか」
「いえ、逆に興味が沸きますよ。先ほどよりずっと工藤新一らしい気がします」

 そう言われ、今度は新一が驚いたように目を瞬いた。
 新一に近寄ってくる者は大抵先入観で猫をかぶっている時の新一を想像してくるのだ。そのぐらいは幼馴染みや彼女の親友の遠慮のない助言のおかげで、鈍い新一も自覚している。それなのにこの男は、目の前で豹変と言ってもいいほど態度を変えた自分を、工藤新一らしいと言うのだ。
 新一は驚いて、なんだかおかしくなって笑った。…そう言ってくれたことが嬉しかったのかも知れない。
 白馬は新一の笑顔を見て、やはり子供のようだと思った。さっきまで怒っていたくせに、今は嬉しそうに、なんだか照れたように笑っている。その様子を白馬は思わず息を呑むようにして魅入った。
 子供のように笑う新一は、黒羽快斗とやはり似ている。

「おまえ、初対面の奴に向かって〝らしい〟ってのは変だぜ?」
「でも僕の中の探偵の勘がそう言ってるんです」
「…いい勘してるよ。さすがに倫敦帰りの名探偵だな」

 そう言ってはにかむ新一はどうやら機嫌も治ったようで、白馬も一安心だ。
 そうこうするうちに時間がすぎて、長い廊下を誰かが走ってくる靴音が響いてきた。高校生探偵ふたりはすぐにそれが誰であるか思い当たり、そこで会話を打ち切った。

「遅くなってすまん、探!」
「いいですよ、父さん」
「予定より書類整理に手間取ってな――おや? 君は工藤君じゃないか」
「お久し振りです、警視総監」

 元気だったかい、と言いながら肩を軽く叩かれて、新一は笑顔で頷いた。
 またすっかり猫をかぶっている新一に白馬は小さく苦笑をもらす。まあ相手が警視総監であれば新一でなくとも猫をかぶりたくなるだろう。
 それからふと、白馬はなんとなくその場の思いつきで言った。

「工藤君、良かったら君も一緒に如何ですか?」
「え?」
「もし時間があるようでしたら、僕に付き合ってくれると嬉しいのですが。スーツなどは良ろしければこちらで用意します」

 あまりに唐突な誘いに、新一はどう返事をしたものかと首を傾げた。
 大体その祝辞とやらは総監の知り合いの人のであって、新一には全く関係がない。そもそも本人の了承がなければ出るも出ないもないのではないのか。
 けれど白馬親子は至って呑気に話を進めるのだった。

「ああ、それは良い! 探もひとりだとつまらないだろうし、工藤君が来てくれると有り難い」
「そうでしょう? ほら、父も構わないと言ってくれてますし、どうです?」

 新一は頭を抱えた。
 そりゃあ父親の許可も必要だろうが、それよりもその知り合いの方に確認を取らなくていいのだろうか。

「…無関係の僕が行くのはどうかと思いますが」
「いや、気にせんでいいよ。彼は大らかな人だし、なにより君はあの工藤新一なのだから、誰も嫌な顔ひとつしないだろう」
「はあ…」

 そんな適当なことでいいのだろうか。確かに有名人かもしれないが、人様の祝辞で目立ってどうするというのか。
 主役は俺じゃないぞと、新一はもうひととおり頭を抱えるが、

「…お願いします」

 囁くようにぼそっとそう言った白馬が苦笑いを浮かべていて、新一は仕方ないなと溜息を吐いた。
 おそらくひとりでつまらないというのは本当なのだろう。なんたって祝辞の相手は白馬総監の知り合いであって、当然集まるのはその年齢の者達ばかりなのだろうから。

「わかりました、僕で宜しければ付き合います。スーツもお借りします」

 結局、新一は白馬の苦笑に負けて了承するのだった。



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