隠恋慕
share your fate 3
ざわざわと聞こえてくる野次馬たちの声は意識の外へと放り出し、新一は眼下に横たわるビニールシートをそっと捲った。
そこには無惨にも腹部を切り裂かれ眉間に風穴の空いた少女の遺体があった。
既に息の絶えた無機質な瞳が胡乱げに空を見上げている。
そこに瞳が存在したことにどこかで安堵しつつ、新一は背後に佇む目暮を振り返った。
「……三人目、ですね」
「……ああ」
少女ばかりを狙った連続殺人の被害者もこれで三人目となった。
あまりの証拠の少なさに音を上げた警視庁が探偵の要請を願ったのが二人目の時で、三人目の被害者が発見されたとの通報を受けた警視庁は直ぐさま新一にも連絡を入れた。
そして今、野次馬を規制する黄色いテープのこちら側、まだ検死に回していない遺体を確認したところだった。
「相変わらず証拠は何もない」
これではどうやって捜査を進めればいいのかと、目暮は既に疲れ切った顔をしていた。
連続殺人も三人も被害者を出してしまえば世間の風辺りも随分と厳しくなる。
つい二日前に記者会見にて警告を出したところだと言うのに、若者の一人歩きの完全な規制はできていないのだ。
たとえどんなに近場で殺人が起きようと、テレビ越しに流れる事件はあくまで自分と切り離された次元でのできごとだと勘違いしている者が多い。
これでは新たな犠牲者が出るのは時間の問題だ。早々に何か解決策を立てねばならない。
けれど新一は目暮に向き直ると。
「強いて言うならこの証拠のなさこそが証拠ですよ」
「……なに?」
「黒星の資料を読ませて貰いました。彼は臓器密売に関しては相当のプロです。被害者の拉致から不要となった遺体の廃棄まで、まるで痕跡を残さない。
ですから今度の連続殺人での痕跡のなさこそが、犯人が黒星であるという証拠です」
資料は二十年も前に送られてきた古いものだ。
その時点で黒星の手に掛かったと思われる遺体が既に二十。
とは言え犯行が立証されていないものも当然あるだろうし、この二十年の間の犯行を入れれば……被害者の数はおびただしいものだろう。
それだけの犯罪を一度も逮捕されることなく続けてきたのだ。
いくら優秀な日本警察だとて気合いを入れてかからなければ迷宮入りで終わってしまう。
それだけはどうしても避けなければと、新一と目暮は今後の捜査をどう運んでいくべきか思考し始めたのだが……
「――警部! 遺体の口内にこんなものが……っ」
遺体を調べていた検察官のひとりに呼ばれ目暮が直ぐさまそちらへと向かい、新一も後へ続いた。
「何が見つかったんだ?」
「はい。何のものかは調べてみないと判らないんですが、多分大型犬あたりの……」
「――……牙?」
怪訝そうに眉を寄せる目暮の後ろで新一が僅かに目を瞠った。
* * *
「……犬の牙、ね」
少女の口内から出てきたのはシベリアン・ハスキーの犬歯だった。
遺体が発見されてから数時間後に保健所へハスキー犬の死骸があると連絡があり、その犬歯が抜き取られていたと判明したのでまず間違いない。
どうして三人目の被害者にそんなものが入れられたのか、警察は判らないと首を傾げるばかりだが……
あれから既に日も暮れ自宅へと帰り着いた新一は直ぐに白牙と快斗にこのことを話した。
新一には心当たりがありすぎたのだ。
「間違いなく、犯人は黒星だ」
「ああ。しかも奴の狙いはどうやら俺らしい」
白い牙。それはまさしく白牙を示すものだ。言うなれば黒星から白牙への“挑戦状”だろうか。
二日前に白牙から聞かされたばかりの話によれば白牙と黒星は因縁の仲だ。
どこかから白牙が現在日本にいるという情報が漏れていたとしたら黒星が手を出してくるのも頷ける。
白牙は心底嫌そうに、はぁぁと深い溜息を吐いた。
「……どうするんだ?」
顔いっぱいに「心配です」と書かれた新一に問われ、白牙は考え込むように腕を組んでソファへ深く背を預ける。
白牙はもともと有能な殺し屋だ。その世界で生き抜いてきた実力があるし、そう簡単に死ぬはずがないとは新一も判っている。
それでも心配になるのは偏に八年前の白牙の失踪が原因なのだ。
八年前、誰かの護衛に行くと言ったきり姿を消した白牙のことを新一はずっと気に懸けていた。
新一も馬鹿ではない。
白牙が何の理由もなしに姿を消したのではなく、姿を消さざるを得ない――もっと言うなら動くことのできない状況に陥ったのだろうと見当はついている。
彼ほどの男をそこまで追いつめた相手が誰であるかも。
だが白牙はどれほどの危険だろうとひとりで乗り込む男だ。
それが判っているから新一も思わず心配になってしまうのだが……
「とにかく、黒星と接触を図る」
やはりどこまでも単独行動を好む孤高の虎に、新一は苛立たしげに舌打ちした。
「馬鹿言うな。黒星のバックにはお前のもといた組織がいるんだろ? そんな危険なことさせるかよ」
「確かにまだ繋がってるとは思うがな。日本には日本の組織がいる。奴らもおいそれと手は出せないだろうから組織の援助はないと見て良いはずだ」
「……たとえ組織の援助がなかったとしても、危険に変わりないだろ」
「そうだな。だからお前は大人しくしてろ」
激昂を抑える新一に白牙はしれっと言い放つ。
拳を握って堪えていた新一だが、さすがに今の言葉は堪えきれなかった。
勢いよくソファから立ち上がるとテーブルに乗り上げ、白牙の胸ぐらを掴んだ。
「危ないのは俺じゃねぇ、お前だろ!? 狙われてんのはお前なんだから、お前こそ――」
「ああ、だから俺が行くんだ。お前には関係ない」
白牙が新一の手を掴む。軽く掴まれただけだというのに、その手は信じられないほど痛かった。
思わず小さく声を上げると、白牙は新一を放り出してそのまま工藤邸を出て行ってしまう。
新一は痺れる手をもう片方の手で覆いながらギリと唇を噛みしめた。
行き場を失った怒りがぐるぐると目の奧で駆けめぐり、視界が蒼く染まりそうになるのを必死で堪える。
――悔しい。
白牙の前ではまるで無力だ。
白牙は新一などまるで赤子同然に捻り潰せてしまう。
確かに力では少しも敵わない。
新一など居たって邪魔になるだけだろう。
それをまざまざと見せつけられた気がして、新一は静かに俯く自分の頭を快斗が抱き寄せたことにも気付けなかった。
快斗の肩口に額を押付けるような体勢で新一は小さく言う。
「……悔しい」
「……うん」
「俺、……こんなに、弱い」
「……うん」
「あいつはいっつも助けてくれるのに、……俺は何もできねぇ」
「そんなことないよ。新一はいつも俺たちを助けてくれてる」
快斗に頭を預けたまま否定するように新一が首を横に振った。
「白牙は強いからね。力では助けられないよ。そんなの、俺だって無理。だけどそれ以外のとこで、新一は俺たちの救いになってるんだぜ?
俺もあいつも犯罪者だけど、それを望んでるわけじゃない。でも、それを忘れそうになる時がある。周りが暗すぎて、自分の中の光さえ見えなくなることがある。
そんな時救ってくれるのが新一だ。新一が、俺たちの中にある光を教えてくれる。
お前に俺たちがどれだけ救われてるか判るか……?」
後頭部に優しくおかれた手に慰めるように撫でられ、新一は握った拳に更に力を込めた。
不覚にも目の奧が熱くなるのが判る。それを何としてでもこぼすまいと、強く強く目を瞑った。
甘えてる自覚はある。
けれど、快斗にも甘やかしている自覚はあるはずだから。
「――でも俺は、そんなことだけじゃなくて、……力になりたいっ」
今だけは、己の無力さに立ち竦んでいる自分を奮い立たせてくれる言葉が欲しかった。
「うん。判ってる。一緒に頑張ろうぜ」
その力強い肯定の言葉に顔を上げれば快斗が満面の笑みを浮かべている。
普段なら白牙と一緒になって新一を危険から遠ざけようとする快斗が、こうして背中を押してくれている。
危険より何より快斗は新一の気持ちを優先してくれているのだと知り、新一は苦笑を浮かべた。
そうだ。ひとりでは敵わない。
それでも快斗とふたりなら、爆弾とまではいかないまでもライフルほどには強力な武器となれるだろう。
だから――
「ああ。白牙の度肝を抜いてやる」
愉しげに、悪戯げに。
子供のような笑みを浮かべる探偵と怪盗がいた。
* * *
黒星は組織にいた時から何かと突っかかってくる男だった。
一度は彼の命を狙ったことのある白牙であるからそれは仕方ないと思っていたのだが、どうやら理由はそれだけではないらしい。
白牙はたったの十四歳ほどで成人と見紛うほどの強靱な肉体を持っていた。対して黒星は四十を越えた今でもまるで少年のように小柄な体躯をしていた。
屈強な体、優秀な頭脳への嫉妬と羨望。
ひどく理不尽なものではあるが、それは人間の誰もが持っている感情だ。
それゆえにことある毎に突っかかられていた白牙であるから、黒星の印象はもちろん“最悪”である。
黒星自身の危険度は判らないが、とにかくこちらからわざわざ接触したい相手ではないことだけは確かだ。
それでも白牙は今、昼の顔である七瀬啓吾の仮面を捨てて夜の支配者の姿で歩いている。
――生憎、その宝石にも関わるかも知れないぞ。
電話の向こうであの男が言っていた台詞がずっと脳裏から消えないのだ。
黒星は白牙を憎んでいる。白牙の苦しむことならいくらでも嬉々として仕掛けてくる。
白牙が新一を大事にすればするほど、黒星にとって新一は白牙を苦しめるための恰好の材料となるのだ。
それが何よりも怖い。
出掛けのあの態度は最悪だったと白牙もよく判っている。
忠誠を誓った優作の息子、そして最愛の女性と同じ強さの瞳を持った新一。
それだけでなく、白牙にとって新一は掛け替えのない存在なのだ。
その新一を意図して傷付けた。
普段から新一は自身の非力さを歯痒く感じている。
それをあえて見せつけるようにしたのだから、怒って悪態を吐く反面で傷付いているに違いない。
だが、たとえどれほどに傷付けようとも。
(お前に殺されるぐらいなら、俺はいくらでも冷徹になれるぜ――)
「――黒星」
背後に感じた鋭い殺気に、白牙は振り返ろうともせずに声を掛けた。
相手も既に気配を察知されていたことなど判っているとでも言うように低い笑い声をもらす。
「久しぶりだな、白牙」
「……」
「何だ。土産が気に入らなかったか?」
クツクツと笑う男の言う土産とは、牙を銜えさせられていた少女の遺体のことでも言っているのか。
あんなものに喜べる人間が果たしてどれほどいるというのか。
「俺に何の用だ」
もともと白牙には黒星と話すつもりなどなく、さっさと本題に入った。
黒星がどうして白牙の居場所を知っているのか、どうして白牙を呼び出すのか、そして日本へ来た目的がなんなのか。それだけを聞き出せれば後は用はない。
もうほとんど使うことのなくなった愛用の銃に手を掛ける。
必要に迫られた時以外はもう使わないとあの瞳に誓ったけれど、今をその時と言わずしていつを言うのか。
黒星は新一を脅かす存在だ――白牙を恨むがゆえに。
だからこそこんな場面は見られたくないと、穢れない魂を傷付けてまで来たのだ。
けれどこちらが銃を構えていると気付いているはずなのに黒星は少しも動じることなく言った。
「別にお前に用があるわけじゃない。ちょっと仕事で日本に来ただけだ」
「まだ人の腑で金稼ぎしてるのか」
「ああ。これは金になる。どこにでも居るもんだろ? 自分さえ良ければ他人の死なんかどうでも良いという輩は」
「ああ、確かに――ここにもいたな」
視線鋭くそう言えば、黒星は何が愉しいのかまたクツクツと笑みをこぼす。
「相変わらず憎たらしい男だ。仕事のついでにちょっかいをかけてみただけなんだが……」
パシュッ、という音と共に頬に痛みが走る。
白牙の頬を薄皮一枚剥いで鉛玉が飛び去った。
つ…と流れ出す血を拭いもせず、白牙はそれでも振り返らずにただじっと前方を見つめる。
「やはりボスの命令通り、ここで殺してやろうか」
その言葉に初めて白牙は動きを見せた。
ほんの少し、指がぴくりと動いた。ただそれだけだ。
だが黒星はそれで満足したのか、いつの間にか手にしていた銃を懐へとしまいながら言った。
「ボスがお前が日本にいることを教えてくれたよ。笑いながら『息子をよろしく』だとさ。愛されてるな、白牙」
息子という言葉に寒気が走るのを白牙はどうしようもなかった。
ボスは確かに白牙のことをそう呼んだ。そして殊更愛しそうに――拷問という名の愛情を注いだ。
あの日々は白牙にとってただの恐怖でしかない。
白牙が唯一畏怖する存在が、ボスだった。
ボスはこの黒星などとは比べようもないほどに残忍な男だ。
白牙から美煌を奪ったのは、白牙に美煌を殺させたのは、他でもないあの男だ。
――知られてはいけない。
白牙はぐっと奥歯を噛み締めると、銃を握る手に力を込めた。
黒星に知られてはいけない。黒星に知れればいずれボスにも知れてしまう。
ボスに知れれば、あの男は嬉々として奪いに来る。
或いは、美煌の時のように白牙に奪わせるのか――新一の命を。
「……残念だな。伝言を頼みたいが、それは無理そうだ」
「へぇ、どうして?」
「お前はここで死ぬからだ」
言うが早いか白牙は振り返り様に銃を撃ち放つが、弾丸は黒星を掠りもしなかった。
黒星は白牙の動きを当然予想していて既に闘争態勢に入っていた。
更に追い打ちを掛けようとする白牙に言う。
「俺はお前を侮らない。正面からぶつかって敵うはずがないだろう。お前を殺してやりたいのはやまやまなんだが、まだ時期が早い」
無数のバイク音とともにそこら中から人がばらばらと現れる。
おそらく日本で黒星ら雇われたならず者だろうが、如何せん人数が問題だ。多すぎる。
白牙にとっては大したことのない数だが、黒星だけを正確に狙って殺すのが難しくなった。
黒星は白牙が殺しを厭うことも知っているのだろうか。
「せいぜい苦しませてやろう、白牙」
「……クッ」
暗闇に姿の見えなくなる黒星の後を追おうとするが、やはり彼もプロ、直ぐさま見失ってしまう。
わらわらと前に出てきた小物たちを軽く伸していきながら白牙は焦っていた。
黒星はきっと見つける。
白牙の昼の顔である七瀬啓吾の存在を。
そうすれば七瀬が頻繁に顔を出す工藤邸がマークされるのも時間の問題だ。
新一や快斗が狙われる可能性が高い。
白牙か工藤邸へ戻ることは危険だ。
しかしだからと言ってこのまま彼らのもとほ離れれば今度は守れなくなる。
どうしたら良いのか。
どうするべきなのか。
心臓が嫌な鼓動を撃つ。
(どうする? どうしたら良い? ……優作!)
やがて血反吐を吐く人間の塊を背に、白牙はどこへ向かうべきか答えを出せないままでいた。
BACK * TOP * NEXT
