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空色の国 10




 両手で頭を抱え膝から崩れ落ちるようにして蹲る様子はまるでスローモーションのように見えた。
 条件反射のように駆け出した足は新一へと向かい、差し出した両腕が倒れ込む寸前で受け止める。

「少佐、どうした!」

 しっかりと抱き留めた腕の中で新一は体を丸くして震えていた。
 その様子はまるで――あの発作のようで。
 直感的にそう感じた快斗はできる限りの力でぎゅっと新一を抱き締めた。
 新一がこちらへ戻ってこれるよう、意識をもうひとりの彼に奪われてしまわないように……

 砂埃が激しく舞い上がり、地を這うような怒号もおさまらないなか、そこだけは妙に静かな空間だった。
 その様子をぼうっと見つめていたコゴロウは、なぜか近寄りがたいものを感じていた。
 今動けば確実に殺せる。
 けれど、なぜか体を動かすことができない。

「少佐、大丈夫か? 発作なんだなっ?」
「だ、めだ…っ」
「しっかりしろ、工藤少佐!」
「だめだだめだだめだ…っ!」

 新一の口から悲痛の叫びが吐き出される度に快斗は胸を抉られるような思いがした。
 何もできない。
 彼を鎮めることができるのは自分だけなのに。
 それなのに、何も、できない…!

「…新一ィ!」

 俺はここにいるから。
 すぐ側でお前を抱き締めてるから。
 だから、わけのわからない奴に意識を渡したりするな…!

 ふ、と。
 強張っていた新一の体から、緊張の糸が切れるように力が抜けた。
 ぐったりと快斗に体を預けるようにしてもたれ掛かる新一。

「しんいち…?」
「…ぁ…ぃ、と…?」

 まさか気を失ったのではと危惧した快斗だったが、かなり弱々しいが新一本人の言葉を聞けて安堵した。
 新一を抱き直し、新一の頭をぎゅっと自分の胸に寄せてやる。
 ゆるゆると伸ばされる新一の指が腕にかけられるのを、心底嬉しいと思った。
 新一を引き留めることができた、と。

「大丈夫? おさまった…?」
「快、斗…、かぃ…と…」

 けれど、譫言のように名前を繰り返し呼ぶ新一にハッとした。
 様子がおかしい。
 まだ完全に発作の波が去ったわけではないのか。

「…新一?」
「ぃと…、さむ…ぃ…」
「新一っ!」

 カタカタと小刻みに肩を震わせる新一。
 もうずっと発作は起こっていなかったのに、新一にそれとは気付かれないようにずっと気にかけていたのに。
 自分が側にいることで抑制できているのかと、思っていたのに。
 実際はそうではないのだと思い知らされた気がした。

 快斗は新一を大事そうに抱き締めたまま立ち上がると、片手で彼を支え、高らかに指笛を吹いた。
 収まる気配の見えない喧騒の中、直接鼓膜を刺激するような不思議な音が響き渡る。
 と、入り乱れる人並みを飛び越えて、純白の毛並みが美しい一頭の馬が現われた。
 快斗の目前まで駆けつけた馬は、蒼いサファイアのような瞳を瞬かせながら主人に深く頭を垂れる。
 快斗は新一を抱えたまま短いかけ声とともに馬に飛び乗った。
 馬に跨らせられた新一はぐったりと背中を快斗に預け、首も快斗の肩口に力なく預けている。
 快斗は左手を新一の腰にまわして支え、右手には白の剣を構えると、手綱を口に銜えて馬を蹴立てた。
 紫紺の輝きを放つ瞳が、激しく燃えている。

(早く新一を休ませてやるんだ…!)

 必死で自分と戦ってる新一を、安全な場所まで運ぶこと。
 今の自分には、きっとそんなことしかできないから。

 馬はコゴロウに向かって駆け出した。
 道を塞ぐように立ちはだかるモヴェールの戦士を、快斗は右手だけの剣裁きで斬りつけ、ほぼ一撃で沈めていく。
 白いはずの剣は朱に染まった。
 ガッ、と蹄が砂を蹴散らし、二人を乗せた馬はコゴロウの眼前へと躍り出る。

『ク…ッ!』

 怒濤の攻撃を剣一本で支えるコゴロウは、これまでの攻撃とは比べ物にならない衝撃を感じていた。
 まさに、防ぐのがやっと。
 それすら気を抜けば一瞬で吹き飛んでしまいそうな勢いだ。
 十数回目の攻撃をやっとの思いで払った時、すでにコゴロウの手は痺れきっていた。
 怒気を孕んだ紫紺の瞳は衰えることを知らないかのようで、コゴロウの恐怖心を煽る。
 その力は、まさに鬼才と呼ばれるに相応しく。

『…い、一時撤退だ! 全員退けぇ!』

 コゴロウは叫ぶなり、一切の攻撃をやめて後退した。
 その声を合図にモヴェールの戦士が一斉に踵を返す。
 てっきり追ってくると思っていたヴェルトの大佐は、しかし追おうとはせずに、

「ヴェルト軍も撤退! 負傷者を連れて直ちに門扉を封鎖せよ!」

 そう叫んで、自らも大門へと向かって駆けだした。
 純白の名馬は砂漠の砂を苦ともせず駆け抜け、早々に大門をくぐった快斗はその場の全指揮権を中佐に預けて、新一を腕に大佐室へと向かった。



「黒羽大佐、待って下さい!」

 快斗が大佐の私室の前まで来たとき、背後から突然声がかかった。
 聞き覚えのある声に振り向けば、そこには先ほどの一等兵――服部が立っていた。
 呼気が乱れているところを見ると、大急ぎで二人についてきたらしい。
 快斗は返事をするのも億劫に視線を投げた。

「工藤をどないするつもりですか!」

 服部は尋ねるというよりは怒鳴っていた。
 けれど快斗は少しも気に留めた様子はなく、ただ鬱陶しげに睨み付ける。
 この男が新一と知り合いらしいことは知っていたが、どういう繋がりなのかまでは快斗の知ったことではない。
 たとえ知っていたとしても、今は構っている暇などないのだ。

「お前には関係ない」
「なッ! ちょ、ちょお!」

 ろくに返事もせずにそのまま歩き出した快斗の肩に乱暴に手をかけ、服部は引き留めた。

「なんやねん、それ! 返答によっちゃ大佐と言えど許さんで!」

 その発言は充分不敬罪に値するものだったが、服部にとってそんなことはどうでも良かった。
 新一をどうこうするつもりなら、たとえ相手が国王だろうと、たとえ自分が裁かれようと、服部は楯突くことを厭わないだろう。
 それほどまでに新一は大事な友人であり、またそこを見込まれて優作に護衛を仰せつかっているのだ。
 けれど諸々の事情を知らない快斗は、ただ服部の態度にカッと血が昇った。
 快斗にとっても部下の無礼な態度など小事に過ぎなかったが、何より大事な新一に関わることだから、引き留める服部は邪魔者以外のなにものでもなかった。
 掴まれた手をばっと振り払い、殺気を隠そうともせずに言い放つ。

「邪魔をするな。発作を起こしてるんだ」
「な…! そ、それやったらドクターんとこ連れて行くべきやろ!」
「この発作を鎮められるのは俺だけだ」
「なんでアンタが…っ」

 時間は一秒でも惜しいと言うのに、服部もなかなか譲ろうとしない。
 もともと冷静でもなかった快斗は次第に苛立ちを募らせる。
 けれど、服部の食らいつくような尋問を遮ったのは新一の声だった。

「…ぃ、と…」

 ひどく弱々しくはあったが、その呟きを快斗も服部も聞き逃さなかった。
 意識を失いかけていた新一は、二人の遣り取りを聞いてゆっくりとした動作で腕を上げると――仮面を取った。

「…服部。へーき、だから…」
「工藤! お前、仮面取って…!」
「良いんだ…快斗は、知ってるから…」

「――新一っ!」

 快斗は新一を抱き締めた。
 寒さのためか、新一は青白い顔をしている。
 それでも、発作を起こしても、なんとかその意識を保ち続けてくれたことに感謝して。
 新一の胸元に顔を押しつけるようにして、快斗は強く新一を抱き締めた。
 新一も、まるで今にも泣き出しそうな快斗の様子に愛しげに微笑んで、力の入らない腕をそっと背中にまわした。

「しんいち、…んいちっ!」
「快斗。だいぶ収まったから…サンキュな…」
「俺、役に立たなくて…っ」
「そんなことねぇ。お前がずっと抱き締めててくれたから…その、…暖かかった、から」
「…ぃち…」

 新一はまだ顔を上げようとしない快斗の髪に軽く口付けて。
 その様子を呆然と立ち尽くしたまま見つめていた服部に力なく笑いかけた。

「服部も、心配かけた。もう平気だからさ…」
「せやけど工藤…発作て…?」
「あぁ…快斗がいれば、問題ない」

 と、突然二人の会話を遮るようにがばっと顔を上げた快斗は、さらうように新一を横抱きにした。
 普段なら蹴りのひとつでも見舞ってしまうところだが、少し赤くなったその目元を見て、新一は苦笑するだけにとどめた。
 多分、自分のために泣いてくれただろう快斗が、愛しかったから。

「指揮権は沢口に預けてきたから、今日はもうこのまま引き籠もる」
「は…? なに言って、」
「新一も今日はもう動いちゃ駄目だからな!」

 拗ねたような目で睨まれて、相当心配かけてしまった自覚のある新一は、あまり文句を言うわけにもいかず。

「…わぁったよ。でも、明日はシゴト出るからな」

 そう言うと快斗は嬉しそうににっこりと笑った。
 ひどく我侭で、だけどたまらなく可愛い、大きな犬をもらったみたいだなと新一は苦笑した。

 新一の了承を得た快斗はさっさと大佐室へと歩き出す。
 呆気にとられている服部など放置して、パタリとドアを閉めてしまった。
 残された服部は、なんやねんな…と呟くしかなかった。

 今まで随分と長い間工藤新一という人の隣にいたけれど、あんなに柔らかく微笑む顔など見たことがないし、あんなに他人に優しくする新一も見たことがなかった。
 新一が優しい人間であることは知っているが、仮面が顔を覆うようにその心も新一は覆ってしまっているのだ。
 それに国民にも軍人にも人望が厚く、絶対の信頼を置かれる黒羽大佐のあんな態度を見たのも初めてだった。
 いつも最前線に立って無駄のない指揮をし、軍勢を見事操る様は見惚れずにはいられないほど凛々しくて。
 その彼が、あんなに動揺したりまして泣く姿など、服部は想像もできなかった。

 けれどおそらく新一は知っているのだ、彼の多くの表情や感情を。
 二人の間には服部には入り込めない空気が流れていた。
 その様子があまりに自然で、口を挟む余地すらなくて……

「アカン、さっぱりわからんで…!」

 二人がどういう関係なのか、服部にはさっぱりわからなかった。
 どう見ても大佐と少佐というだけの間柄ではない。
 何より、服部と志保と父親以外には決して素顔を晒そうとしなかった新一が、自らそれを許している相手。
 己の知らぬ間に。

 そこまで考えて、服部はあることに気付いた。
 ……二人して大佐の私室に消えていったことに。

(な、なんでや? 工藤には少佐室があるやないか)

 服部は、新一が心配で大佐室の前を離れることができなかった。



 部屋に入って、新一を横たえて。
 隣に腰掛けて、快斗は新一の髪を優しく優しく撫でる。
 それから長い睫毛の下から覗いてる蒼い瞳を見つめ、そっと囁いた。

「ホントにもう大丈夫…?」
「あー…実はまだちょっと…」
「えっ」
「だからさ。その、…もうちょっと、あの…」

 口ごもりながら次第に朱に染まっていく新一の頬を見て、快斗は何を言いたいのかを察した。
 まだ寒いんだ、と。
 恥ずかしがり屋の新一には「抱き締めていてくれ」の一言も、言うのに抵抗があるのだろう。
 快斗はにっこりと笑った。

「良いよ。新一が寒くなくなるまで、ずっと抱き締めててあげる…」

 徐に顔を寄せ、そっと唇を重ねて、愛おしむようにその甘い唇を啄んだ。
 長い口付けの後、快斗が漸く顔を離した頃には、新一の瞳は熱に潤んでいた。
 ひどい緊張状態から急に安心したからだろうか、快斗は自分の体の中に燻る熱を感じて苦笑する。

「ね、新一。抱き締めてるから…抱いても良い?」
「!」

 一瞬にして新一の頬が染まり上がる。
 けれどもう熱を抑えることはできなくて、快斗は愛しさと、ほんの少しの熱情を込めて深いキスをした。
 呼吸が苦しくなるといけないからと、時々離れては呼吸を送り込む。
 そうして、新一の中の熱も刺激するように……

「ん、ぃと…」
「…良い?」
「――ん」

 最後はいつも断り切れない新一は、照れながらも承諾してくれるのだった。
 快斗は感謝の気持ちを込めてぎゅうっと抱き締めると、ちょっと待っててねと残して、一旦部屋を出て行ってしまった。



「いても良いけどね。絶叫したって知らないよ?」

 唐突に降ってきた声に、服部は吃驚して思わず身構えてしまった。
 見ればいつの間に出てきたのか、そこには大佐が立っていた。

「な、なにがや?」
「だから。いても良いけど、卒倒したって俺は知らないからね。何か叫ばれたって途中でやめたりしないから」
「はぁ? だから何の話を…」
「俺としては消えてもらいたいんだけどね。声ですら、他人に聞かせるのは勿体ないから」

 快斗は言うだけ言うと、じゃ、と片手をあげて再び部屋に戻ってしまった。
 わけがわからずに佇む服部は、けれどその数分後には二人の関係を嫌でも知ることとなった。

 室内から聞こえてくるわけのわからん声に、必死にドアを叩いたけれど。
 宣言通り何の反応もなく、これ以上聞いていると次に新一の顔をまともに見ることができそうにないと判断し、ふらつきながらも仕事へと戻っていった。



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