隠恋慕
空色の国 14
太陽が沈み、空には月が輝きだした。
月を黄色と形容する人もいるけれど、月はどこまでも白い存在だとキッドは思う。
だからこそ、キッドは好んで白を纏うのだ。
月は太陽の影の存在。
太陽は光り輝く我らが王。
月のように影の存在として王を守る。
それが己に与えられた使命だと思っていた。
未だ目を覚まさない人。
言葉を交わしたこともない。
だがこれが自分の使命――存在理由なのだと、信じた。
全てを投げ捨ててでも自分は彼を守るのだ、と。
なのに。
「…間違い、だったのでしょうか」
王はもうひとりいた。
いつ目覚めるかもわからない王と、人間の中で暮らしているが紛れもない本物の王と。
キッドはこれからもコナンひとりを守り続けるだろう。
たとえ新一がモヴェールの〝光〟になろうと、キッドにとっての〝光〟はコナンでしかない。
けれどコナンが王でないなら、キッドの存在理由はなくなってしまうのだ。
そうなればキッドはコナンの側にいることもできなくなってしまう。
「何が、間違いだって?」
誰もいないはずだった。
白の砦の最上部、キッドはここから月を眺めるのが好きでよくここに来た。
けれど複雑な造りをしたこの塔を知り尽くしているエリでも知らない道を通ってきたのだ。
自分以外にこの場所を知っている者はいないはず。
驚いて振り向けば、そこには黒い影が立っていた。
『新一! 起きたのですか?』
「ああ、心配かけて悪かった」
新一がここに来てから、五日。
砦に案内し、彼の双子の兄弟であるコナンに会わせた時に倒れて以来ずっと眠り続けていたというのに、倒れていたのが嘘のように元気に立っている。
と、そこでキッドは違和感に気付いた。
『新一、貴方…その髪…』
「ん? ああ、ちょっと伸びちまってよ」
『伸びたってまさか…』
髪は力の象徴である。
長ければ長いほど力が宿ると言われている。
昨日までは短かった新一の髪は、今は膝にかかろうかと言うほどに長い。
それが何を意味するのか、気付かないはずはなかったが、キッドが何かを言う前に新一が口を開いた。
「お前に会わせたい奴がいるんだ」
『私に、ですか?』
ここはモヴェールの領地、しかも〝光〟の砦だ。
新一の知り合いなどいるはずもない。
だと言うのに何を言っているのだと、キッドは首を傾げた。
と、新一は暗い入り口から月明かりの元へと歩み出す。
その後ろに従うようにして現われた白い影に、キッドはこれ以上ないほど瞳を見開いた。
白い白い、どこまでも光り輝くような白を纏った、自分が最も見慣れた人。
『あ、なたは…』
彼が動いているのを、瞳が開いているのを見るのは初めてだった。
彼は長い黒髪を惜しげもなく揺らし、キッドへと歩み寄る。
初めて見た瞳はどこまでも蒼く、吸い込まれそうな錯覚を起こした。
片眼鏡のない今、キッドにはその瞳が輝いているのかわからなかったが――確信する。
間違いなどではなく、やはりこの人を守るため自分はここに存在したのだ、と。
『初めまして、キッド。…いつも、見てたぜ』
コナンは口端をにっと持ち上げると、挑発するような笑みを浮かべた。
物言わぬ氷でしかなかったコナンの側に、いつでもいてくれた人。
返ってこないとわかっていながら、それでもキッドは色々なことを語りかけてくれた。
コナンもまた届かないとわかっていても幾度となく返事を返した。
暴走しかけた新一を止めたのがキッドと瓜二つの顔をした快斗であったから、コナンは押し留まることができたのだ。
『名前、呼んでくんねーの? いつもみたいに』
『…コナ、ン…、コナンっ!』
『ずっと話したかった。何より、冷たい氷ん中じゃなくて――』
この暖かい腕の中に、入ってしまいたかった。
伸ばされる腕に抗うことなく、コナンは引かれるままにキッドの腕の中へと包まれる。
背中にキッドの腕の力強さを感じながら、コナンもキッドの背中にそっと腕を回した。
『目覚めてくれて良かった…間違いじゃなくて、本当に良かった…!』
キッドの掠れた声が、震えながら呟く。
コナンは全身に喜びを感じながら、絶対の戒めを吐いた。
『間違いだって離してやんねーよ。お前は一生俺のもんだ』
『…構いません』
貴方が間違いなら、私は歓んで間違いを選びましょう。
心底嬉しそうに微笑んだコナンを眺め、新一はやれやれと溜息を吐く。
母が命をかけて守った、双子の弟。
どういう運命か、その側には自分の命より大事な人と同じ顔をした人がいる。
随分と我侭な弟ではあるけれど、キッドが側にいてくれるなら多分大丈夫だろう。
コナンはこれからモヴェールを導く〝光〟の王として君臨する。
その傍らにはキッドが立つ。
そこに自分の存在はないけれど、その方がモヴェールにとって良いに違いない。
新一は微笑みながら、その場を後にした。
『おや…新一は?』
暫くしてキッドは漸く新一の姿がないことに気付いた。
普段の彼ならば決して有り得ない失態だったが、コナンが目覚めた衝撃が大きかったのだ。
仕方ないだろう。
コナンは苦笑して、キッドの腕におさまりながらアメジストの瞳を見上げた。
『側にいたい奴のもとに戻っただけさ。そっとしておいてやろうぜ?』
『…それもそうですね』
彼には随分と迷惑をかけてしまった。
……まだまだ彼には、おそらく最も辛いかも知れない災難が訪れるかも知れないけれど。
(貴方のために、彼が選択を間違わないことを祈りますよ)
キッドはコナンをもう一度だけ強く抱き締めると、自分と同じぐらいコナンのことを心配しているだろう現王のもとへと向かった。
自動式の扉を手で強引に押し開き、服部はずかずかと足を踏み入れるなり声を荒げて言った。
「どないなっとんねん、ドクター!」
怒鳴らなくても聞こえる位置に座っていた志保は迷惑そうに眉を寄せ、溜息をつきながら振り向いた。
回転椅子がくるりとまわって服部と向き合う。
血相を変えた服部と違い、志保はごく落ち着いていた。
その様子を見た服部は志保はまだ知らないのだと再び声を荒げた。
「工藤の奴、どこ行きよったんや! この五日間ずっと、」
「怒鳴らなくても聞こえるわ。良いから少し落ち着きなさい」
言葉と同時に睨まれ背中に寒気を感じた服部は、漸く平静を取り戻す。
自らを落ち着かせるために一度深く呼吸をした。
「工藤がどこに行ったんか、ドクターは知っとるか?」
新一が姿を消してから、五日。
何の言葉もなく突然新一がいなくなってから、すでに五日が経っていた。
毎日定時に新一と稽古をつけることにしている平次は、E区に新一の姿がないことにすぐに気付いた。
次の日も次の日も、何の連絡もなく現われもしない新一。
そして五日目の今日、とうとう痺れを切らした服部は黒羽大佐に謁見を申し出たのだ、が。
理由の説明もなく一方的に拒否された。
或いは大佐ならば知っているかと思っての申し出だったというのに。
自分の話にただじっと耳を傾けている志保を、服部はちらりと横目で見つめた。
新一の行方は志保も知らないはずだというのに、少しも顔色を変えない。
もしかしたら行方を知っているのかとも思ったが、それでも話を真剣に聞いているのは、やはり知らないからなのだろう。
だが、どちらかと言うと志保の表情は……
(行方はわからんけど心当たりはある、てとこやろか?)
服部の視線に気付いた志保が顔を上げる。
それは相変わらずの無表情だったが、その瞳の中に一瞬哀しげな色が浮かぶのを見逃さなかった。
新一には及ばずとも服部も物事を観る力を持っているのだ。
「…心当たり、あるみたいやな」
「…」
志保は悔しげに唇を噛み、珍しくも形相を変える。
「…言えないわ」
「ドクター!」
暫くの沈黙の後ぽつりとこぼした志保の呟きに、服部は食らいつくように声を荒げた。
その声量にも動じた様子のない志保は、けれど悔しげに顔を歪めたまま。
服部はどうしようもなく、けれど聞かずにはいられなくて、志保の肩を掴むと射抜くような視線で問い詰めた。
「言ってや、ドクター。あいつのこと、俺には知る権利あると思う」
「駄目よ、言えないわ…私にだってわからないんだもの」
そう、まだはっきりそうだとわかっているわけではない。
これはあくまでも仮定だ。
けれど、新一を何よりも大事にしている服部がそれで納得するはずがなかった。
それがただの仮定であったとしても、聞かずにはいられなかった。
服部には〝もしかしたら〟という可能性すら考えつかないのだから。
けれど服部が更に言い募ろうとした時、背後で自動扉が開く音がした。
誰かが室内に入ってきたのだ。
服部はそのまま話を続けるわけにもいかず、言いかけた言葉を呑み込んで誰だとばかりに振り返る。
そして驚きに目を瞠ったのだった。
「黒羽大佐!」
現われたのは、黒の軍服の上にマントをひっかけた姿の、この十四支部の最高指揮官こと黒羽大佐。
服部は絶句した後、すぐさま矛先を快斗に向けた。
「大佐、なぜ謁見を拒否されたんですか?」
「…会っても話すわけにはいかなかったからだ」
「!」
つまり。
服部が何を聞きたいのかを理解した上で、更に言うなら、今一番知りたい新一の行方すらも知っているということ。
「…どこですか」
「話せないと、言った」
「どこや!」
吠えるように服部は怒鳴る。
けれど今にも掴みかかろうと動いた服部の頬を、志保がぱちんと叩いた。
しんとした沈黙が降り、志保の涼やかな声が言った。
「落ち着きなさい」
確かに、冷静さを掻いていた。
力尽くで脅してみたところでどうこうなる相手ではない。
服部は素直に引き下がった。
「…すまん」
「いいえ、叩いて悪かったわ」
叩かれた頬にそっと触れて、俯いてしまった服部に志保は苦笑する。
彼が何のためにここまで必死になっているのか、志保だとてよくわかっているのだ。
わかっているから怒ることもできない。
何の情報もなければ、おそらく志保も服部と大して変わらない行動を取っていただろう。
そんな、自分と似ている服部を見ているのはもどかしかった。
けれどそれよりも今、聞かなくてはならないのは。
「黒羽君…これはどういうことなのかしら」
志保の手が伸び、快斗の左肩から胸にかけて覆っていたマントをするりと奪う。
現われた黒の軍服にはあるはずの紋章がなく、ないはずの刺繍が胸にあった。
それは、志保の最も慕う人が好んで付けた刺繍だったから、すぐにわかった。
その軍服が誰のものであるのか。
「なっ、それは工藤の…!」
「どういうことなのか説明してくれない?」
なぜ工藤君の軍服を貴方が着ているのかを。
冷たい硬質な輝きを秘めた瞳が、ひたと快斗を見つめてくる。
服部も同様に快斗を睨み付けていた。
快斗はそれまで取り繕っていた顔をふと改め〝大佐〟の気配を潜めると、それまでとは全く違った〝快斗〟の気配を纏った。
たった一瞬にして別人のように変化した快斗に、志保と服部は密かに息を呑む。
たったそれだけのことが凡人と天才の差なのだ。
目の前の少年のような男が最高指揮官であるという、充分な根拠であった。
「…新一と交換したんだよ」
快斗は静かに言った。
その、言いようのない表情。
どこまでも優しく柔らかい、けれど見ているだけで胸の苦しくなるような笑顔。
その切なげに歪む顔を見て、志保は心臓を掴まれたような息苦しさを感じた。
ただ理由を知っているというだけで当然のように責められた快斗が、何よりも新一を大事にしているという事実を思い出す。
慈しむように包み込み、子供のようにがむしゃらに求めて。
工藤新一という人がいなければ呼吸もできないほどに想っている彼が――
平気なはずが、ないのに。
「これは新一が頑張れるように、俺が頑張れるようにって交換したんだ」
…じゃなきゃ、寒くて寂しくて、死んじゃうよ。
何も言わずに出て行ってしまったから、不安で不安で仕方がないけど。
どこで何をしているのか、それすらわからないから追いかけることもできなくて。
けれど、と黙ってしまった志保と服部に、快斗は改めて向き直る。
真剣な眼差しで、きっぱりと言った。
「新一の忘れていた記憶、知ってたら教えて欲しい」
それはきっと新一のいる場所へと続いてるから。
だから、聞く。
彼を待つのではなく、追いかけるために。
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