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空色の国 22




 眼下に広がる人工の灯りの群れを、快斗は窓に額を押し付けるようにして眺めていた。
 ここからの眺めはとても良い。
 ぽつりぽつりと灯る光は平和の印だ。
 人々が日々を平穏に暮らしている、証。

 ここに、自分は、戦争の業火を灯そうとしているのだと改めて思う。

 それはとても愚かな行為だ。
 争いの絶えない暮らしの中、それでも儚い命たちは懸命に生きようとしているのに。

「…親父…」

 ふと、自分の手を見る。
 平和を紡ぎ出すと言われた偉大な父のそれととてもよく似ている手だ。
 けれどこの手は今、血を好む刃を掴んでいる。
 もうあの人の顔を思い出すはできなかった。
 大きくて優しくて大好きだったあの暖かい手に抱き締められていた遠い記憶でさえ、思い出せない。
 ただ夢に見るのは血塗られた記憶だけ。

 快斗は何もない空間をぎゅっと握り込んだ。
 空気はただただ冷たいばかりでなんの暖かみもない。
 そして、思う。
 ついこの間までこの手の中にあった、何よりも大切な温もりのことを。
 あまりに大切すぎて自分から手放してしまった、快斗が唯一欲しいと願った、温もり。

「…、ち…っ」

 吐息に混じる声に意味はない。
 名前を呼ぶことすらも禁じたのは決して彼をこの戦に巻き込まないためだ。
 傷付くことを省みない彼は、きっと惜しげもなくその命を懸けてしまうだろう。
 それだけは、絶対に阻止するのだ。

 たとえ自分がこの戦で死のうとも。



「…大佐? 黒羽大佐、聞いてらっしゃいますか?」

 高木中尉に軽く肩を叩かれ、そこで漸く快斗は振り返った。
 珍しくもぼーっとしていたらしい大佐に首を傾げつつ、中尉は自らの任務を果たすべく再び口を開いた。

「以上が、たった今本部から入ってきた連絡です」
「…すまない、もう一度言ってもらえるか」

 快斗は内心で、思ったよりも平静でいられない自分に舌打ちした。
 今日の快斗はずっと心ここに有らずと言った様子だ。
 新一と離れて暮らすことは快斗にとってもかなりの負担なのだ。
 快斗の思考は新一のことでいっぱいで、他のことにまで回す余裕がなくなっている。
 新一を見る度に本能と理性が葛藤してばかりいるというのに、それでも快斗はその姿を追ってしまう。

 けれど今日に限って朝から新一の姿が見あたらないのだ。
 いつもなら決して欠くことのない早朝会議にも今朝は顔を出していない。
 新一が顔を出したからと言って声をかけるわけでもなければ以前のように行動を共にするつもりもないのだが、姿が見えないだけで快斗は一喜一憂してしまう。
 そんな自分はかなり滑稽だろうとは思う。
 だが側にいるだけでもその心の有りようは随分と違うのだ。

 けれどそうも言っておれず、聞き逃してしまった本部からの連絡とやらを聞かなければならないと、快斗は表面上は無表情で中尉に先を話すよう促したのだが……

「本日より工藤少佐が転属されるそうです」

 快斗の周りを包む空気がほんの僅かに、下がる。
 誰にもわからないほどの微かな変化。

「…工藤少佐が、何だって?」

 快斗の変化に気付かない中尉は、淡々として口調で連絡事項を報告する。

「何でも総帥命令で、今度の作戦の本部の部隊指揮官に工藤少佐が任命されたらしいです」
「…聞いて、ない」
「昨晩遅くに緊急連絡が入ったようでして、少佐はそのまま本部に向かわれたと当直の者が言っておりました」

 激しい動揺を悟られないよう、快斗は握った拳に力を込めた。

 考えなかったわけではない。
 少佐ほどの実力を持つ者を国境警備に回し、ただ国内の警備の強化に用いることに納得しない者もいるだろう、と。
 けれどまさか、本部の総帥から命が下るとは。

(いや、違うだろ…? わかってたはずだ、そんなことは最初から!)

 新一の入隊当初、ある噂が流れていた。
 工藤新一を少尉として入隊させるため総督や元帥がわざわざ出向いた、と。
 もしそれが本当なら、その時に総帥ですらも動いていたとしても何ら不思議はなかった。
 否、或いは国王ですら動いていたかも知れない。
 だとすれば新一と面識のある、新一の実力をよく知る者が上にいてもおかしくない。
 その彼を国内警備に用いると知れば、本部が彼の力を欲しがったとしても何もおかしいことはないのだ。

(甘かった…!)

 このままでは新一は何の躊躇いもなく戦の最前線へと出て行くだろう。
 そうなれば、或いは……

「…沢口中佐に、後の指揮は任せると、伝えてくれるか」
「え?」

 首を傾げ聞き返す中尉を、快斗は殺気すら混じる双眸で見据えた。
 そして吐き捨てるように怒鳴る。

「俺はこのまま本部に向かう! 後の指揮は沢口に、好きなように出せと言っておけ!」

 普段の快斗とは思えない様子に驚き立ちすくむ中尉には目もくれず、快斗は言うなり踵を返して走り出した。
 そのあまりの慌て振りと形相にすれ違う者が皆何事かと振り返るが、気にしている余裕はなかった。
 急がなければ、もしかしたらもう手の届かない場所に行ってしまいそうで。
 躊躇いなく戦地に向かうだろう彼は、傷付くことを厭わない。
 血を流すことを、厭わない。
 戦場で脆くも消えていく命を前に心で血を流し、身体で血を流し……

 そんなのは耐えられなかった。

「お前まで死んじまったら、俺、もう…!」

 せめてこの命の続く限りは愛する人の命をこの地に繋ぎ止めておきたい。
 それは身勝手だと知りながら、それでも快斗はこの想いを貫き通すと決めたのだから。

 乗り慣れた愛馬の背に素早く跨ると、すぐさま本部へと向かい駆け出した。





「無事、命を頂けたようだね」

 背後から近づく気配が知れたものだとわかっていたため、新一は気にする風もなく椅子に腰掛けていた。
 案の定の相手からの声に苦笑を零しながら振り返る。
 不適な笑みを浮かべた父親に肩をすくめることで新一は肯定を示した。

「まさか本部に転属命令が出るとは思わなかったけどな」
「まあこの場合、これが一番妥当なんではないかな」

 前線に立つことを良しとしない大佐の下では新一の動ける範囲は随分と狭くなる。
 確実に前線に立つことができ、かつ自分の思うように動くならこれが一番いい方法だろう。

「そうだな…」

 新一はふと瞳を伏せ、離れてしまった、置いてきてしまった人のことを想う。
 毅然とした仮面の裏ではあんなにも涙もろく、何よりも自分を求めてくれた人。
 その人から離れてしまうことはとても抵抗があったけれど。

「…あいつ、死ぬ気だろ」

 優作からはただ無言が返されるばかりだが、それは否定ではなく肯定なのだ。

「俺はあいつに、やめろなんて、言えない」

 たとえ私怨のためだろうと、それを誓い真っ直ぐに生きてきた彼を否定することはできない。
 なぜなら新一は彼のその全てを愛したのだから。

「でも、死なせたくも、ない」

 風に煽られる炎のように、新一の心は危うく揺らめく。
 肘掛けに肘をつき組んだ手に額を押し付けながら、新一はまるで懺悔をするように呟いていた。
 その言葉に答えを欲していないと知っている優作も、ただ無言でその懺悔を聞いている。

「やめろとは言えない。でも、俺はあいつを死なせたくないんだ」

 炎が急に揺らめきを止める。
 強固なガラスが風を塞き止める。
 意志という名の、ガラスが。

 新一の心もまたもう決まっているのだ。

「あいつを死なせないために、あいつと同じ場所で、俺は戦う。そしてできるなら、二人で生きて還ってやる」

 それができないなら、その時は二人で――
 その先は言葉にせずとも痛いほどよくわかる。

 優作は新一を見つめながら、まるで神の悪戯のようだと思った。
 新一と快斗が出会ったこと、新一がモヴェールの王、ユキコの子供であったこと、快斗がこのタイミングで真実を見つけてしまったこと。
 そして、起ろうとしている戦争。
 まるで彼ら二人を弄ぶかのように廻る運命。

 それでもそれが息子の見つけた道だと言うなら決して否定したりしないと、優作はただ笑う。
 そして、たとえ神を敵にまわそうと、息子の命をやりはしない、と。
 その目に剣呑な光を湛えながら強く思う。

 そう、もうすでに手は打ってあるのだから。

 慌ただしく駆けてくる足音を聞きながら、優作はニィ、と口元だけに笑みを浮かべる。
 だが騒々しさに新一が顔を上げたときにはすでにそれは消えていた。

「工藤少佐、いらっしゃいますかっ?」

 勢い任せに扉を押し開けて駆け込んできたのは本部直属の大尉だった。
 新一をこの部屋へと案内したのが彼だ。

「どうしたのかな?」

 新一の直ぐ側に佇んでいた優作におっとりと声をかけられ、大尉は少し落ち着きを取り戻しながら実は、と切り出す。

「十二支部が大変なんです! 今、手の空いている大佐や准将が応戦してるんですが、全くの劣勢でして…!」
「待ってくれ、応戦とはどういうことだ?」
「急にオールの軍勢が攻めてきたんです!」

 オールと聞きぴくりと新一が反応する。
 以前に一度だけ剣を交えたことのある総督はかなりの手練れだった。
 新一は素早く立ち上がり、椅子の横に立てかけてあった剣を腰にかけた。

「それで俺に向かえと?」
「はい、あの、来たばかりで申し訳ないんですが、どうしてもあの鈴下に敵う者がいなくてっ」
「構わない。…鈴下とは?」

 向かいながら話そうと促され、大尉は急ぎ足で向かいながら会話を進める。
 優作は無表情でその背中を見送った。
 慌ただしく遠ざかっていく二人を背に、ぱたりと扉を閉める。

「…舞台はととのえてやった。あとはお前が巧く演じなさい」

 この戦いを切り抜けるための策は用意した。
 生きてこの先の未来を共に歩みたいというなら――狡猾に巧みに、生き抜いてみなさい。



「鈴下はオールの国境警備軍に属する総督なんです」
「警備軍? 総督は普通本部に属するはずだろう?」
「それが、どうも彼女はオール国王の愛娘らしくて…」

 彼女の強い要望もあって本部から遠く離れた国境警備軍に所属しているのだ、と説明する大尉。
 新一は驚き、隣を馬で駆ける男に向き直った。

「彼女ということは女性? しかも王女だと?」

 今まで新一が属していた十四支部はシエルと隣接していたため、オールの情報について新一は疎かった。

「女性ながらにかなりの実力です。本部の総督、陣にも並ぶと言われていますし…」

 新一の脳裏を銀髪の男が掠める。
 怪我をして熱が出ていたとは言え、ぎりぎりの状態で何とか引き分けることしかできなかった相手だ。
 とても本気を出しているとは思えなかった。
 その男と同等の実力を持つという総督、しかも国王の娘とくれば迂闊に手を出せない。
 新一だとて勝てるかどうか。

「…それで彼女が攻めてきた理由は?」
「それが、さっぱりなんです」

 鈴下は何を要求するわけでもなく、ただ数人の部下を連れて戦いを仕掛けてきた。
 下手に強いためこちらは全く歯が立たないのだが、彼女には戦いを止める気配が全くないのだ。
 そうこうしているうちにこちらの軍勢はどんどん力を削がれ、悪くすれば捕えられる者すらいる。

「…捕虜がいるのか」
「はい。ほとんどの者は投降してしまいました」

 それでも退く気配のない鈴下。
 黙り込んだ新一の頭脳が忙しなく働く。

 おそらく鈴下はただ敵対国に攻撃を仕掛けに来たわけではないだろう。
 攻撃以外の目的、或いは攻撃することによって目的を遂げようとしているのか。
 そしてそれは表立って要求できない、またはしたくないこと。
 どちらにしろ厄介だ。
 何の目的があってそんな戦いを仕掛けてきたのか全くわからない、が。

(たとえ相手が強敵でも、負けるわけにはいかない)

 生きて還ると決めたのだから、まだ戦争も始まってもいない今、無駄死にするわけにはいかないのだ。

 快斗を守ると、決めたのだから。


 やがて、戦地に凛と佇む長身の美しい女戦士の姿が視界に入った。



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