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空色の国 33




「天地蒼に呑まれし時、導灯現わりて現世を救わん」

 世界を呑み込んだ、目が眩むほどに明るい蒼を窓の外に眺めながら優作が呟いた。
 その不思議に響く言葉を聞き、近くにいた男が問いかける。

「古の言霊か?」
「いいえ、確かに言霊でもありますが、たんなる言い伝えですよ」
「言い伝えか…」

 遙か遠い古の時、混沌の闇に支配された世界を救った蒼い光。
 それは時代の節目に必ず現れ、人々を光在る方向へと導いていく。
 古い文献にしか載っていない貴重な伝説だ。
 けれど優作はその事実は口にせず、光に魅入っている男を横目で見遣った。

 聡明とはとても言い難い、なんとも中身の薄そうな男。
 口元や目元に刻まれた皺と、以前は黒かったのだろうが今では白の方が目立つ灰色の髪。
 漆黒の布に金糸や銀糸で下品なほど派手に装飾された服を、さも当然のように着込んでいる。
 頭には不似合いな王冠を載せていた。

「世界が蒼い光に包まれた時、救世主が世を救うだろう、という意味です。…国王陛下」

 さすが博識だなと感心する王を優作は心中でせせら嗤う。
 己の浅学を晒すような台詞を軽々しく口にするとは、なんとも卑小な男だ。

 この国が繁栄していられるのは決してこの男の力あってのことではない。
 各地の軍人が治安を、ひいては国を守っているからだ。
 その事実を知りもせず彼らの苦労の上に胡座を掻いて主人面しているこの男のことを、優作は一際嫌っていた。
 彼の知る、彼の尊敬する男と百八十度違うこの男が同じ一国を治める王とは。
 この国もいよいよ崩壊だろうと優作は嘲笑う。
 けれどたとえこの国が崩れ去ろうと、優作には痛くも痒くもなかった。

 世界は今、巨大な波を乗り越えようとしている。
 それは全てを浚うだろうが、世界を愛する者にはどこまでも優しい波なのだ。
 その波が、世界を自分の玩具程度にしか感じていない男を見逃すはずもない。

 世界は生まれ変わる。
 そして、遠い過去の大罪を糾弾するに違いない。





 一瞬にして世界を呑み込んだ蒼は、その場にいた者の視界を完全に奪い去った。
 僅か数センチ先にいる仲間や敵の姿でさえ捉えることができない。
 右も左も、上下の感覚ですらわからなくなってしまうような、強烈な光。
 それは無益な戦で血を流し、それでもなお剣を振り続けていた彼らの動きを一瞬にして止めてしまった。

 澄み渡る蒼は海の群青より、水の清廉よりずっと奥が深く鮮やかで……

 やがて光が薄れていくと、数え切れないほどの人影が丘の上に現われた。

「なんだ…ァ…?」

 誰ともわからない声が問うけれど、誰ひとりとしてそれに答えられる者はいない。
 ただ、いつの間にか静寂に包まれていた戦場に金属の擦れ合うようなシャンシャンという澄んだ音が響いた。
 それは彼の人の足首へと飾られた装飾品が鳴らす音。
 一歩、また一歩と踏み出すたびに響くその音に人々の意識はいやがおうにも惹きつけられる。
 ぎらぎらとした熱線を受けてなお涼しげなその姿。
 全身を白で覆い隠したその人は前髪を全て後ろへ流し、顕わになった額には蒼い宝石の嵌め込まれたサークレットをつけていた。
 けれど人々の視線を奪うのは宝石よりもずっと深い蒼を宿したその双眸だ。
 幼さを秘めるがゆえに中性的な魅力を醸すその容貌を青年と呼ぶには些か抵抗がある。
 人々には彼の背後に付き従うようにして歩いてくる者たちなど、まるで見えていなかった。
 まさに、王者の風格。
 その純白の眩しさ、凛とした態度、心奪う容貌……

 誰もが思った。
 彼が、彼こそが、まことしやかに囁かれてきた〝救世主〟なのだと。
 これほどの従者を従えておきながら少しも物怖じせず、ただもくもくと歩を進める姿はまさに戦場に降り立った神のようだった。

 突然現われた彼がどこへ向かうのかと、兵士たちは固唾を呑んで見守る。
 戦場に似つかわしくない静寂の中、彼が不意に足を止めた。
 目の前に仰ぐのは――ヴェルト国第十四支部最高指揮官、黒羽大佐。



 快斗はその人を見て、これ以上ないほどに目を見開いた。

 今眼前に立っているのは、二度と逢えないと思っていた人だった。
 敵の手に落ち、殺されたとばかり思っていた。
 あの頃とは違う純白の衣装を纏い、剣も持たずに佇んでいるけれど、何よりその瞳が彼が誰であるのかを克明に教えてくれる。
 工藤新一だと。

「…しんいち…」

 快斗の口から漏れたあまりに小さい呟きは誰にも届くことはない。
 ただ唇を読むことのできる新一には、快斗が自分の名前を呟いたのだとわかった。
 今にも泣き出しそうな快斗。
 新一は快斗の呟きに応えてあげたくて、けれど応えられなくて。
 震えだしそうな自分を叱咤し、全てを覆い隠す不適な微笑を浮かべた。
 それは新一の、最初で最後の名演技。

『――黒羽快斗様、ですね?』
「…え?」

 突然な台詞に快斗は咄嗟に応えられなかった。
 名前など確認せずとも、自分が誰であるかなどよく知っているはずなのに。
 快斗が言葉の意図をはかりかねていると、新一は微笑を崩さずに続けた。

『貴方を黒羽様とお見受けして、お話しに参りました』

 はっきりとわかる、モヴェールの言葉。
 そこで漸く快斗は新一に付き従っている者たちがモヴェールであることに気付いた。
 それぞれが鎧に身を包み剣を携えてはいるが、殺気は感じられない。
 彼らはまるで新一を守るようにして取り囲んでいるのだ。
 快斗の中にはいくつもの疑問が浮かび、答えが出ないままに消えていく。

 なぜ彼は生きているのだろう。
 なぜこんなところにいるのだろう。
 なぜ、モヴェールの言葉を喋り、なぜ――
 こんなことを言うのか。

「しんいち…、何言ってんの…?」

 ただ、わからなくて。
 わからないけど、こんな他人行儀な言葉を交わしたいわけじゃ、なくて……

『私の名はコナン、シンイチではありません』

 なのに新一はただ緩く首を振り、神かと見紛うほど穏やかな微笑で無慈悲な嘘を紡ぐ。
 そこには後ろめたさなど少しもなく、他人が聞けばその言葉を鵜呑みにしてしまうだろうが、けれど今ここにいるのは快斗なのだ。
 誰よりも新一の側にいて、誰よりも強く新一を想っていたその快斗が、いくらコナンと新一が双子だからと言って彼を見間違えるはずがないのだ。
 快斗はコナンと名乗るこの人こそが新一だと確信していた。
 そのことは新一もわかっているだろうに、そんなことはおくびにも出さずに偽りを吐く。

『彼は戦場で死んだと聞いています。私は貴方と…いや、貴方がたと盟約を結びたくてここに来たのです』

 新一は快斗から周囲へと視線を流しぐるりと見渡した。
 少し離れた場所に鈴下や秀一を見つけ、視線が合うと互いに笑みを深くする。

『私はモヴェールの〝光〟の王、コナン。我らが救世主に忠誠を誓う者』

 新一の声が響き渡る。
 遠巻きに様子を見ていた者たちはモヴェールの王だという新一に瞠目し、その台詞に困惑した。
 救世主とはいったい誰のことか。

「盟約? 忠誠? …どういうことだ?」

 快斗が訝しげに瞳を眇めるのへ、新一は艶やかな笑みを向けた。
 そして、宣言する。

 ――永遠の別離を。

『平和国家シエルが第一王子にして王位継承者、黒羽快斗様。モヴェールが〝光〟の王コナンの御名において、貴公の築かれる平和国家に忠誠を誓うことを、ここに宣言致します』

 途端、ざわめきが巻き起こった。

 シエルは五国で唯一の平和国家として人々に知られている。
 今は亡き前国王はとても聡明な方で、同時に慈悲深くもあった。
 罪を許さず、罪を罪と認める者には相応の罰を与え、そして後に社会復帰するまでを手厚く援護してくれた。
 そんな国王のもと、自然と犯罪は減少していった。
 人々は国王を敬い、国王は国民を愛する。
 血なまぐさい戦乱の中、シエルの国だけはまるでオアシスであった。

 その国の王位継承者がこの黒羽大佐であり、その彼が平和国家を築いてくれるというのなら。
 快斗を知る者にとってこれほど〝救世主〟に相応しい人は存在しなかった。

「な…っ」

 ひとり驚いたのは当の本人で、快斗は声を出すことも忘れて新一を凝視した。
 なぜ新一が自分がシエルの王子だと知っているのか、そして、なぜそんなことを言うのか。
 一度国を捨てた快斗が、たとえ復讐を果たそうが諦めようが、もう二度と国に戻るつもりがないことぐらい彼にはわかるはずなのに。

「なんでそんな…っ」
『すでに貴方の母君、つまり現シエル国王には話しております』
「母にっ?」

 ゆっくりと新一が振り返れば、背後に付き従っていた兵士たちが左右に分かれる。
 中には白馬大佐率いる十数名のシエル軍の精鋭がおり、更にその中心にはシエル国王が真っ直ぐにこちらを仰いでいた。

「母、さん…」

 快斗が茫然と呟くと新一はそっと数歩退いた。
 堂々とした風体で千影が前に歩み出る。
 快斗はまるで背中に棒でも入っているかのように微動だにできなかった。

「…とんでもない親不孝者ね」

 千影が、まるで国王とは思えない拗ねた声で言った。
 ここに立っているのは一国の王ではなく、息子を心配していたひとりの母親なのだ。
 その瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。

「〝生きてる〟の一言ぐらい、連絡しなさい」
「…ごめん」

 快斗はがくりと項垂れ、その頭を千影が優しく撫でた。
 まるで国王とは思えない仕草ではあったが、もともと国王だからと言って特別な存在ではない。
 彼女もひとりの人間なのだ。
 それを知っているからこそ、シエルは平和国家なのかも知れない。

「放蕩息子。たまには孝行なさい。国の者も、皆おまえを待っていますよ」

 その言葉が、決定打だった。

 彼女は女だてらにとても良くできた人で、盗一が暗殺された折りでさえ国民や臣下の者、息子の快斗にすら涙を見せなかった。
 それは彼女に頼れる者がおらず、彼女こそが頼られる存在だったからかも知れない。
 けれど今、その彼女がうっすらとでも涙を見せながら言うのだ。
 受け入れろ、と。

 快斗に選択の余地はなかった。

「…わかり、ました」

 やがて二人の話がおさまった頃を見計らい、新一が声高に宣言した。

『これよりモヴェールは、新王が築かれる新しい平和国家の礎となる。禍する全ての厄災から、私自らの力をもって国を守り抜くことを誓う』

 モヴェールたちへそう声をかければすぐさま応と返事が返る。
 その頼もしさに新一は微笑を零した。

『私は王子を、ひいては国を影より支える柱となろう』

 その言葉に二重の意味を込め、新一はほんの刹那哀しげな表情を浮かべたが、次の瞬間にはもうポーカーフェイスを被っていた。

 そう。
 自分は影となる。
 日の当たらない世界を生きる、名前もなく姿ですらあやふやなまさに影のような存在に。
 それを望んだのは自分で、もう後戻りはできないからこそ言い切ることができる。

『王子を傷付ける者は、私が赦さない』

 最後の言葉は周囲に向けて、一瞬のうちに笑みを消すと新一は炯々とした目で見回した。
 視線がかち合ってしまった者はごくりと息を呑む。
 新一を知る鈴下や秀一、白馬にそれから快斗ですら、その迫力に呑まれすぐに声を出すことができなかった。
 その覚悟がどこからくるものかわからずとも、新一が本気であることは誰から見ても明らかだった。

「――私は王子に従うわ」

 やがてひとりの女の声が戦場に響いた。
 鈴下が言うだろうと思っていた言葉を口にしたのは、意外にも佐藤大佐であった。
 佐藤はゆっくりと進み出て快斗の前へと跪く。

「戦によって失うものは多くとも、得るものはひどく少ない。同じ剣を握るなら、私は平和のために使いたい」
「佐藤大佐…」
「いいえ、今からはただの剣士です。国を捨て、貴方につくことを決めました」

 一寸の迷いもなくきっぱりと言い切った佐藤の声に、秀一、鈴下が続く。

「俺も、王子、貴方に従おうと思う。なんせお国は戦だなんだって騒がしくてなりませんからね…」
「私も同じく。腐った故国は捨て、新国家建設を手伝わせて下さいませんか」

 オールとフーの二大勢力とも呼べる二人の寝返りに触発される者は多かった。
 大佐が行くなら自分も、と。
 〝平和国家〟の称号に流れる者も少なくない。
 そして事前の裏工作も効いたのだろうが、何よりの切り札は二人の救世主の出現だ。

 ひとりは自然の恩恵を得た戦場の神、モヴェールの〝光〟の王。
 ひとりは人望厚き鬼才の将校、平和国家シエルの王位継承者。

 危険な戦場には決して姿を現わそうとはしない国の上部の人間を抜きに、国民の団結力はここに集結したのだった。



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