隠恋慕
Speak low, if you speak love.
Calorei Mate Day
「黒羽君、これあげるーv」
「おっ、サンキュー♪」
朝から次々と教室を訪れては大小それぞれの小包を渡していく女の子たちによって、快斗の机はチョコレートの山になっていた。
それをいかにも嬉しそうにニヤニヤ眺めている快斗に、前の席に座っていた青子はじと目で睨みながら言った。
「…去年までバレンタインも知らなかった男に、みんな律儀だね」
黒羽快斗は根っからのエンターテイナーでクラスの人気者。
その上プロ仕込みのマジックもできて、将来はマジシャンになるのだと誰も疑わない江古田のムードメーカーだ。
そんな彼に、今日のこの日にチョコレートを渡しに来る女の子は後を絶たない。
友人・知人の輪ももちろん広いのだが、顔良し頭良し性格よしの三拍子揃った快斗に、密かに思いを寄せる女の子も少なくないだろう。
義理に混じっていくつも本命があるだろうことは、恋愛沙汰に疎い青子にだってわかる。
「まったくー。ニヤニヤしてないで、ちゃんと本命一個にしぼらなきゃ駄目だよ!」
ふんっ、とそっぽ向く青子を笑い、本命ねぇ、と快斗は心の中で呟く。
今年も彼女からは「義理」と言ってチョコを受け取った。
今までバレンタインの意味こそ知らなかったものの、二月十四日がチョコをもらえる日という認識はあったし、なんだかんだで毎年青子からはチョコを貰っている。
かつての彼女のそれが「本命」であったかも知れないことは知っているが、快斗も青子も今更そんなことを言い出す真似はしなかった。
いつの間にか、一番近くにいた幼馴染みにすら話せない秘密を持ってしまった快斗。
それを青子もうっすら感じ取っていた。
それからの二人の関係が愛だの恋だのという感情に流される機会は、さっぱりなくなってしまった。
いつも大事に守ってきた幼馴染み。
快斗にとって一番大切な存在。
その彼女ですらこうなのだから、他の女の子、それも話したこともない女の子から本命を見つけることなど、快斗にできるはずもなかった。
★ Calorie Mate Day ★
午前で学校が終わり、休み時間と昼休みに平らげてもまだ手元に残ったチョコを紙袋にまとめて持ちながら、快斗は青子と帰路に向かっていた。
高校三年生のこの時期は受験を控えた自主学習期間に突入しており、学校に来る者は少ない。
快斗は推薦で大学はもう決まっているけれど、センター試験を控えている青子に付き合って学校へ行っているようなものだ。
それでもこの日はやはりというか殆どの学生が登校していて、帰り道もそれなりに賑わっている。
快斗と青子が並んでホームに立っていた時、それは起こった。
「あ、あの…!」
突然背後から声を掛けられ、どちらに声を掛けられたのかわからず、二人が同時に振り向くと。
顔を真っ赤にして俯きながら、快斗に向かって震える手で小さな小包を差し出している女の子が立っていた。
隣に青子が立っているのもお構いなしで、半ば押し付けるようにそれを渡しながら言う。
「あの、頑張って下さい!応援してます――――工藤くん!」
言うなり、女の子は俯いたまま走り出してしまう。
案の定周りの人にぶつかっていたけれど、突然のホームでの出来事に注目していた彼らから避難の声が上がることはなく。
重力に従って落下するそれを受け取らないわけにもいかなくて、快斗は仕方なくチョコを受け取ったのだけれど。
「…今、あの子、工藤くんて…?」
困惑した顔で見上げてくる青子を余所に、快斗は思わず漏れてしまう溜息を堪え切れずに吐き出した。
今までさんざん言われてきたことだ。
自分が彼の有名探偵、工藤新一と似ているなんて。
快斗だってホンモノを見るまでは納得いかなかったけれど、初めてホンモノと対峙した時、ああこれは間違われても仕方ねえ、と納得してしまったほどだ。
彼と間違われたことも数え切れないほどある。
とは言え、こんな人違いをされたのは今回が初めてだったけれど。
「…つまり、これは工藤新一宛ってことだよな」
「…うん」
手元にあるチョコを睨み、うーん、と唸ってみる。
凝ったラッピング、手作りのメッセージカードとくれば、中身もおそらく手作りに違いない。
そんな大事なものを渡した相手が実は人違いだったとも知らずに、逃げ去った彼女は今頃夢心地だろう。
普通に、ふつーーに。良識的に考えて。
間違って手渡されたものなら、彼女を捕まえて「人違いです」と突き返すか、或いは渡されるべきだった人に渡すのが一番なのだろうが。
よりによって――工藤新一。
快斗と大いに因縁関係にある男だ。
もちろん向こうは快斗のことなど知らないだろうが、ちょっとばかりお天道様の下を胸を張って歩けない副業を抱える身としては、できれば関わり合いになりたくない。
なにせ相手は探偵だ。
どこから何を暴かれるかわからない。
けれど、いくら副業が盗人だからと言って、こんなものまで盗むつもりなど快斗には毛頭なかった。
トドメに、
「せっかくのプレゼントなんだから、ちゃんと本人に渡してあげなきゃあの子が可哀想だよ!」
なんて青子に言われてしまえば、快斗の取るべき――もとい、取ることのできる選択肢はひとつ。
快斗は仕方なく、チョコを届けるために帝丹高校へ向かったのだった。
帝丹に着くと、すぐに快斗は聞き込みを始めた。
わざわざ聞かなくても快斗ならすぐ見つけることも可能だろうが、他校生がウロウロしていれば嫌でも目立つ。
できるだけ目立ちたくなくて、快斗は通り過ぎる学生に声を掛けた。
「ちょっと悪ぃんだけど、工藤新一ってどこにいるか知ってる?」
「え、あいつなら…て、あれ?工藤…?」
どうやら運良く工藤の知り合いを捕まえたらしい快斗は、けれど振り向いた彼にもの凄く変な顔をされた。
理由など考えるまでもない。
混乱した表情で戸惑っている彼に、快斗は人当たりのいい笑みを浮かべながら言った。
「俺、黒羽って言うんだけど、工藤新一によく似てるらしくてよく間違われるんだよね。今日も間違ってチョコ渡されちゃってさ。一応本人にちゃんと届けた方がいいかと思って持って来たんだけど…」
事情を説明すると彼はすぐに、ああなるほど、と納得してくれた。
「工藤なら今グラウンドでサッカーしてるよ。このまま真っ直ぐ行けばすぐわかると思う」
「どーもー♪」
礼を告げ、快斗はさっさとグラウンドへ向かった。
さっきからチクチクと突き刺さる視線が痛い。
目立ちたくなくて正面玄関から入ったつもりが、めちゃくちゃ目立っている。
(まあ、仕方ねえよな。帝丹高校ご自慢の名探偵サマと同じ顔してりゃ)
せめて変装して、と思わなくもなかったのだが、顔を変えてしまえば手元にこのチョコがある理由がなくなってしまう。
それに、仮にも相手は何度かこの自分を追いつめたことのある探偵だ。
下手な小細工は己の首を絞めるだけだと、快斗はこれでもかと言うくらい無防備にやって来たのだった。
グラウンドには、野球部や陸上部に混じり、グラウンドの中央を占領してミニゲームをしているサッカー部がいた。
ユニフォーム姿の部員に混じり、カッターにスラックスのまま駆け回っている人がひとり。
工藤新一だ。
スラックスの裾に泥が付くのも、汗まみれになってカッターがしわしわになるのもまるで気にせず、子供のように縦横無尽に走り回っている。
我が物顔でボールを占領していたかと思えば、思いも寄らないところでパスを出す。
まさかそこでパスされるとは思っていなかった相手チームは、うっかりマークが疎かになっていた少年によって見事にゴールを決められてしまった。
わあっ、と歓声を上げながら、ゴールを決めた少年と工藤に駆け寄りハイタッチを交わす部員たち。
工藤はもみくちゃにされながらも満面の笑みを浮かべている。
その姿は、高校生探偵と名高いあの工藤新一からは想像もつかなかった。
後輩に混じりながら真剣に、時に笑い転げながら生き生きと駆け回る姿は、なぜか快斗の視線を縫い止める。
快斗は再び走り出した工藤から目を離せなかった。
ボールを蹴っていた少年の行く手を塞ぐように相手チームが立ちはだかる。
すると、パスを出そうと視線を流した先には、まるで先を読んでいたかのように必ず工藤新一が立っている。
ゴールを決めるような華々しいプレイばかりではないけれど、彼は、言うなれば司令塔だった。
グラウンドという戦場を広い視野で捉え、見極め、兵士に的確な指示を出し、時には自ら戦場を駆け抜ける、そんな変幻自在の司令塔。
ただ勝つことに執着しているように見えて、相手の予想を裏切る、それこそが彼の喜び。
快斗はそんな風に感じた。
なんとなく声をかけられずにいると、不意にひとりの男子生徒が工藤を呼び止めた。
二、三言葉を交わした後、工藤はすぐにゲームを抜け、校舎の外れへと小走りで向かう。
快斗はちょうどいいとばかりにその後を追った。
けれど、校舎の外れにいたのは工藤だけではなかった。
もうひとり知らない女の子が立っている。
彼の大事な幼馴染みでもないところを見ると、どうやら彼女に呼び出されたようだった。
彼女の手の中には小さな紙袋。
言うまでもなく、バレンタインのチョコだろう。
工藤新一ほど有名な男なら校内に留まらず、日本中からそれは多くのチョコを貰うに違いない。
なんとも居心地の悪い場面に出くわしたものだと、出るにも出られずに傍観していると、予想を裏切って工藤は紙袋を受け取らなかった。
彼女は残念そうに、けれど予想していた風に笑ってその場を去っていく。
その様子を呆然と眺めていると、なんと工藤はくるりと真っ直ぐにこちらを振り向いた。
「趣味悪ぃな。のぞき見か?」
「…違ぇよ。あんたにこれを渡しに来ただけだ」
後をつけていたことに気付かれていたことにも驚きだが、それよりも皮肉のようなその言葉に快斗はむっとした。
ぶっきらぼうに小さな包みを差し出せば、工藤はキョトンと目を瞠った後、心底嫌そうに言った。
「…俺に?…おまえが?」
快斗は吃驚して、大慌てで首をぶんぶん横に振った。
「ばっか、違ぇーよ!誰がンな気持ち悪ぃことすんだよ!
俺は人違いで渡されたコレを、わざわざあんたまで届けに来てやったの!」
礼を言われこそすれ、どうして男が男にチョコを渡すなんてそら寒いことを言われなければならないのか。
ぶつぶつと文句を言いながらチョコを押し付けさっさと踵を返すと、クツクツと後ろの方から笑い声が聞こえてきた。
見れば、肩を震わせながら工藤が笑っている。
恨めしそうに視線を投げれば、目尻にうっすら涙を溜めながら、少しも悪びれない口調で工藤が言った。
「悪ぃ悪ぃ、冗談だよ。おまえのその顔見れば大体予想つくし」
「…タチの悪い冗談言うんじゃねーよ」
「悪かったって。わざわざありがとな。でも、困ったな…」
笑いを引っ込め、次いで苦笑を浮かべた工藤に快斗が首を傾げる。
「今年は誰からも受け取らないつもりだったんだけど」
そう言った彼の、ひどく大人びた表情。
果たして彼はこんな顔をする男だったろうか。
こんな――
どこか自分と似たような、何かを悟り、何かを覚悟したような。
そんな顔をする男だっただろうか…?
「…そういやさっき断わってたな。なんで?せっかくだし、貰っとけばいいじゃん」
「そりゃ、せっかく作ったり買ったりしてくれるのは有り難いんだけどさ…」
どこか遠くを眺めながら彼が呟く。
「応えられないなら、貰わない方がいいと思うんだ」
――…ああ。
やはり自分たちは似ているのだと、思った。
快斗は、くれるのなら誰からでもチョコを受け取る。
今年も、来年も、その次も、そのまた次も。
なぜなら。
誰ひとり「特別」にしないと決めたから。
義理も本命も関係なく、誰からでも受け取るのは、誰も快斗の「特別」ではないから。
義理だと言ってチョコをくれた青子。
快斗は笑顔でそのチョコを受け取った。
本当は――
青子のそれこそが快斗にとって唯一無二の「特別」であると知っているけれど。
それでも快斗が受け取ることができるのは、快斗が決して青子を「特別」にしないと心に決めたから。
そして青子もそれを感じ取っている。
だから、受け取ることができた。
工藤新一は誰からもチョコを受け取らない。
それは、彼も快斗のように誰も「特別」にしないと心に決めたから。
きっと幼馴染みの彼女のチョコでさえ、この笑顔で受け取らなかったのだろう。
そして青子のように、彼女も彼の心に気付いているのだろう。
それは、覚悟なんて大層な名で呼べるほどいいものではなく。
ただ――危険と隣り合わせの生活に、それと気付いていながらそこから抜けだそうとしない自分たちの、我侭。
全てを受け入れることで、全てを拒絶することで。
誰も踏み込ませないための、誰も危険に巻き込まないための、自分勝手な言い訳に過ぎない。
自分たちは対極にいるようで、誰よりも近い存在だった。
「でもまあ、俺が受け取らなかったらおまえが困るんだよな」
遠くを見ていたはずの工藤の視線は、いつの間にかぴたりと快斗に据えられていた。
真っ直ぐ射抜くその瞳の深さに束の間呼吸を忘れる。
「それ、預かるよ」
「…いいのか?」
何となく申し訳ない気分になっておそるおそる尋ねれば、工藤は急に破顔した。
可笑しそうに声を上げて笑う工藤に、快斗は馬鹿にされたと思いムッとした。
けれど快斗が膨れっ面で突っかかると、
「なんでおまえがそんな顔するんだよっ」
と言って工藤はまた可笑しそうに笑った。
「大丈夫だよ。それをくれた人には悪いけど、お詫びでも書いて、それはどこかの施設に寄付させてもらうから」
毎年郵送で大量に届くチョコとまとめてなー。
そう言った有名探偵の自宅に段ボール詰めで大量に届くチョコの図が容易に想像でき、快斗も小さく吹き出した。
彼ほどの有名人なら仕方ないだろう。
かく言う快斗も、マジシャンの卵としてひそかにファンを抱えているため、自宅に郵送で送られてくるチョコもあるのだが。
「それじゃ、用も済んだし帰るかな。あんたもそろそろグラウンド戻った方がいいんじゃない?」
工藤が呼ばれて試合を中断したまま待っている部員たちが可哀想だ。
快斗はひとつ伸びをしてくるりと踵を返した。
長居するつもりなどなかったのに、なんだかんだで長居してしまった。
化けの皮を剥がされる前にさっさと退散した方が利口だ。
「――なあ」
その背中に声を掛けられ、内心ドキリとする。
何もミスをした覚えはないが、彼の慧眼はこのたった数分のお喋りで何かを見抜いてしまったのだろうか。
けれど振り向いた途端何かを投げられ、快斗はわっ、と声を上げながらその何かを慌てて受け止めた。
「それ、やるよ。わざわざ届けに来てくれたお礼」
「…カロリーメイト?」
「生憎、それしか持ってねーんだ。チョコみたいに甘くなくて悪いけど、それで勘弁してくれ」
じゃな!
そう言って振り向きもせずに駆けていく工藤の背中を快斗は呆然と見送った。
わざわざ呼び止めて何を言うのかと思えば、お礼だなんて。
まさかそんなものを貰うはめになるとは思わなかった快斗は、あんまり吃驚しすぎて、思いっ切り笑ってしまった。
工藤は快斗を疑うどころか、快斗の名前すら聞かなかった。
それどころか、あの名探偵からカロリーメイトなんてものを貰ってしまった。
警戒していた自分が馬鹿みたいだ。
滑稽で。
可笑しくて。
――嬉しくて。
帝丹高校を後に家へと歩きながら、快斗は貰ったカロリーメイトを食べた。
ひとつは食べられていたから、食べているのは残りのもうひとつだ。
いっそ味気ないくらい甘みのないのそれ。
甘いもの好きの快斗にとっては物足りないくらいだ。
けれど、今日だけは特別だった。
大好きなチョコレートよりも美味いと感じるほど、これは「特別」だった。
そう。
誰も「特別」にはできないけれど、食べ物に罪はない。
あの名探偵からこのバレンタインという日に、盗むのではなく貰ったこのカロリーメイトを「特別」にしたって、誰も文句は言わないだろう。
(…どうせなら来年も人違いをしてくれたらいいのに)
そんな風に思ったことは、絶対誰にも内緒だけれど。
TOP
PR
