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Second contact 8


 工藤邸へと駆け込んだ快斗は、しんと静まりかえったあまりにも人気のない邸内に愕然としていた。もともと気配には聡い方ではあったが、キッドとなってからはその感覚が格段に鋭敏になった快斗だ。その快斗にも悟られずに邸内に身を潜ませている可能性はまずないだろう。つまり、新一はここにいないのだ。
 快斗は焦った。おそらく新一にはもう二度と快斗の前に現れるつもりはないだろうから、今ここにいないということは、快斗との接点となるこの工藤邸にはもう現れないということだろう。そうなると快斗には新一を見つけようがない。手元にある情報が少なすぎるのだ。

「どうしろってんだよ…!」

 新一が阿笠邸を去ってからそう長くは経っていないが、決して短い時間でもない。彼ほどの男ならどこへなりと姿を眩ませられるだけの充分すぎる時間が経っている。彼が本気で快斗の前から消え失せようと考えているのなら、今の状況は快斗にとってあまりに不利だった。
 新一はどこへ行ったのか。ロスにいる両親のもとか、或いは自分のように隠れ家のようなものが各地に点在するのか、それとも……
 快斗は新一が向かいそうな場所を必死に考えてはみるものの、結局は憶測にすぎないそれに確信を持つことはできなかった。たとえ隠れ家があるのだとしても、あの新一を相手にその場所を探り出せるかどうか。

「――くそっ!」

 快斗は小さく悪態を吐くとすぐさま踵を返し、阿笠邸へと駆け戻った。通常のネットワークが使えないなら手段はひとつしかない。超常の力――今まで一度として頼ったことのない、紅子の魔術に頼る外なかった。
 胡散臭いとは思いつつもなんだかんだで紅子の力が本物であることを快斗も認めている。それならば、新一を失うか取り戻すかの瀬戸際に、怪盗のプライド云々に拘っている暇はなかった。もとより、快斗がキッドであることを認めた時点でそんなプライドなどなくなってしまったのかも知れないけれど。



 突然出て行ったかと思うと焦燥の滲んだ表情で舞い戻ってきた快斗に、まだ阿笠邸に留まっていた三人は驚いた。けれど快斗の口早な説明を聞いて状況を呑み込んだ紅子は、ほんの少し青ざめながらも一も二もなく頷いた。

「水晶で捜してみるわ」

 ぼう、と床の上に赤い魔法陣が浮かび上がる。その中心に座しながらどこからか取り出した拳大の水晶に両手を翳し、紅子は熱心に覗き込んだ。けれど額に汗しながらじっと覗いてはいるものの、十分経とうと水晶には何の変化も現れなかった。

「…分かったのか?」

 魔術を使える者にしか見えない変化なのだろうかと、快斗が焦れったそうに問いかけた。すると紅子は視線を向けようともせずに苦々しげに言った。

「駄目…魔王ルシファーの力でも見つけることができない…」
「場所を特定できなくてもいいんだ、お告げでも予言でも何だっていい!」

 必死に詰め寄る快斗に、けれど紅子は叫ぶように言い放った。

「無理よ! 工藤君の未来だけはどうしても見ることができないの!」

 あまりにも眩しすぎて。まるで光そのもののような魂の輝きを持つ新一の未来だけは、たとえ魔を統べる王であるルシファーの力を以てしても見ることはできない。
 だが、本来強すぎる光は容易に見つけられるはずなのだ。たとえ見つけようとしなくてもあまりに目立つそれは嫌でも意識の中に入ってきてしまう。それなのに。

「パンドラのせいだわ…!」

 唇を噛みしめながらも紅子は変わらず水晶に向かい続けている。どれだけ無駄なことか分かっていても、きっと新一を見つけるまでは捜し続けるに違いない。
 快斗はそう思い、忘れかけていた冷静さを取り戻しながら尋ねた。

「パンドラのせいって、どういうことだ?」
「彼女が私の邪魔をしてるのよ。どうやら工藤君を見つけて欲しくないみたいね。一体彼に何をするつもりなのかしら…」

 何を、とは言ってみたものの、紅子は新一の身に何が起きようとしているのか分かるような気がした。おそらく己を拒み続ける不服従な僕をパンドラが裁く時が来ようとしているのだろう。タイムリミットはもうすぐそこまで迫っているのだ。新一は最後の選択を迫られようとしていた。
 そして更に有り難くないことに、こちらにはそれに対抗する術が何もない。いくら紅子が正当なる赤魔術の継承者であると言っても、パンドラの放つ魔力には到底叶わなかった。なぜならパンドラという存在そのものが魔を具現化したものなのだから。
 新一を助けるどころかその居所を見つけ出すことすらできないなんてと、紅子の顔が歪む。

「私の力が完璧だったら、もしかしたら彼を見つけられたかも知れないのに…!」

 強く噛み締められた形のいい唇は今にも切れてしまいそうだ。
 けれどその普段からかけ離れた紅子の様子を気にかけるよりも先に、快斗は紅子の言葉に引っかかりを覚えた。

「どういう意味だ? おまえの力、完璧じゃないのか?」

 快斗の問いかけに紅子は沈黙を返す。色白の額には汗が玉のように浮き始めていた。魔力なんてものとは無縁の快斗には紅子がどれほど疲労しているのかなど分からなかったけれど、端から見ても徐々に顔色の悪くなってゆく彼女を見れば、これがかなり体力を使う行為なのは明らかだった。いや、体力ばかりではない、精神力も浪費しているに違いない。いちいち快斗に答えている余裕などないのだろう。
 けれど紅子は口を開いた。そしてゆっくりと言葉を選びながら言うのだ。

「…私は人を殺そうとしたことがあるの。それを止めてくれたのが怪盗R――当時七歳だった工藤君なのよ」



 紅子は言うなれば魔術界のエリートだった。正当な赤魔術の使い手である母と、同じく正当な赤魔術の使い手である父の間に生まれた純血の魔女、それが紅子だ。魔術というものがなくなりつつある現代で、しかも魔術の中でも希少な部類に分類される赤魔術の正当な継承者であるということは、間違いなくエリートと呼ばれるに相応しい存在だった。
 だからだろう、生まれた時から紅子はお嬢様だった。当たり前のように人の一段上に立ち、人を見下ろしていた。魔を統べる王たるルシファーでさえも従えることのできる自分にはできないことなど何もないのだと、そう思っていた。そんな環境の中にあるせいもあり、紅子の自尊心は当然のように強かった。
 そしてその自尊心を傷付けられたのは、紅子がまだ七歳の時のことだった。

「水晶のない今の貴方に、その術は危険すぎます」

 紅子が生まれる前から紅子の両親に仕えてきた使用人の、そのひと言が全ての引き金となった。
 魔術を使う者にとって水晶とは特別なものだ。上級者であればどんな水晶でも扱えるようになるが、実際に自身に合う水晶はこの世にひとつしかないと言われている。それは紅子も例外ではなかったが、当時七歳だった紅子はまだ自身と生涯をともにする水晶に出会っていなかった。
 けれどプライドの高い紅子がその忠告を素直に受け入れるはずもなく、子供の無鉄砲さでその危険な術に手を出した。別に何の必要性があったわけでもなく、ただ魔術をひとつでも多く、少しでも早く修得したいという子供の背伸び。そんな愚かな理由で術に手を出した。そして案の定、制御しきれなかった力は術者へと跳ね返ってきた。
 全ては紅子のミスだった。他の誰の責任でもない。増して、紅子の身を案じ、忠告してくれた使用人の責任などでは有り得ないのに。

「紅子さま…!」

 彼は今にも術に呑み込まれそうになっていた紅子を突き飛ばし、変わりに自身が術へと呑み込まれた。
 紅子は目の前で術に喰われていく彼を呆然と見つめていた。骨の軋む音が聞こえる。低い呻きが鼓膜を震わせている。けれど、それでも、安堵したように笑いかけてくれる彼が信じられずに、目を瞠ることしかできなくて。
 その時現れた少年の姿は、紅子の目に永遠に焼き付いた。

「――呼んだ?」

 光の魔神だと、思った。しっかりと閉じられていたはずの窓を難なく開け、月光を背負って現れた少年。漆黒の黒髪の奧から覗く、嘘みたいに綺麗で底知れぬ海よりも深い蒼を湛えた瞳。すらりとした細く頼りない手足で真っ直ぐに立ち、こちらを見つめている。丈の長いアッシュブルーのコートが光を弾き、まるで彼自身が光を放っているかのようだった。
 少年は目の前で起こっている事態に僅かに興味は示したものの、さして驚くこともなく、その小さな手に乗せられた大きな玉をずいと差し出した。

「この子を呼んだでしょう? この子も、ずっと君を呼んでたよ」

 それは紛れもなく紅子の、紅子だけの水晶だった。どうしてそう思ったのか、理由を説明することはできないけれど、いつだったか母が言っていたことを思い出す。どれが自分の水晶かなど見分ける必要はない、ただそれがそこにあれば自然と自分のものになるのだ、と。
 まさにその通りだった。体の奧で何かが脈動している。それに呼応するかのように少年の手の中の水晶が淡く光る。それだけで充分だった。

「――貸してっ!」

 紅子は半ば奪うような勢いで少年からその水晶を受け取ると、己が今使える術でもっとも強力な術を駆使した。それは何日も何ヶ月もかけて必死で覚えた術だ。初めて成功した日からまだ何日と経っていないし、あれから何度も失敗した。成功したのは最初の一回きりだった。それでも、それを使わなければ彼を救うことなどできないと、紅子は無茶を承知で術を仕掛けた。
 力と力が拮抗して大きな旋風を巻き起こし、紅子の真っ直ぐに伸びた髪を踊らせる。小さな体は今にも吹き飛んでしまいそうだった。きっと紅子ひとりだったなら吹き飛ばされて終わっていただろう。
 けれど。小さな紅子の手とそう変わらない、けれどひどく暖かい手が支えてくれたから。

「大丈夫」

 何の確証もないそんないい加減な言葉が、その時ばかりは他のどんな言葉よりも不思議と頼もしく感じられた。
 そして少年の言葉通り、紅子は使用人を助け出すことができた。ただ――術が解かれるのと同時に、水晶は砕けてしまったけれど。



「水晶が割れてしまったのは私の力不足が原因よ。足りない力を水晶がカバーしてくれたの。そして水晶への負担がオーバーロードしてしまったのよ」

 それゆえに紅子は生涯をともにするはずだった唯一無二の水晶を失った。己の力を最も強く引き出してくれるはずだった水晶を。幸い紅子には他の水晶を扱えるだけの魔力があったのだけれど、あの水晶ほど完璧に魔力を引き出してくれる水晶はもうどこにもなかった。
 けれど紅子は水晶を割ってしまったことを後悔したことはなかった。確かに唯一無二のパートナーを失ったことは哀しかったけれど、それ以上に己を助けてくれた使用人を助けられた歓びの方が強かったのだ。水晶が紅子の願いを叶えてくれたのだと、そう思った。
 けれど。

「今、その水晶がないせいで工藤君を見つけられないなら…!」

 あの時の己の愚行が悔しくて堪らない。まだ幼い子供だったのだから仕方ないなどと、そんな言いわけで納得できるはずもなかった。たとえそこにどんな大義名分があったとしても、新一を前にその全ては塵のように色褪せてしまう。なぜなら新一もまた紅子にとって、あの水晶のように唯一無二の存在なのだから。
 そんな紅子を見て快斗は思う。新一は人殺しという大罪から紅子を救っただけでなく、紅子にとってもっと大事なものを守ったのだ、と。
 開けてはならないパンドラの箱、その鍵となるのが新一だ。言うなれば彼の意志ひとつでパンドラという強大な力を解放することができる。だがそれゆえに新一には重すぎる責任がのし掛かっているのだ。新一は生まれた時からずっと、その過ぎる重圧に耐えてきた。おそらく誰よりも身に滲みて感じてきただろう。大きすぎる力を持ってしまった者にはそれ相応の責任が付きまとうのだ、と。そして同じように強大な力を持って生まれついてしまった紅子にそれを教えたのだ。
 だが、そんな運命のもとに生まれついたことまでもがその人の責任なのだろうか?
 ――違う。断じて、違う。人は誰も親が子を選べぬように、子もまた親を選ぶことなどできない。どんな運命のもとに生まれるかなど、誰も選ぶことなどできないのだから。

「おまえは悪くない」

 それは、何よりも強く言えることだった。

「おまえは確かに間違いを犯した。それが間違いだと知らなかったとしても、罪は罪だ。でも、もうおまえはそれが間違いだって分かってる。無知を知って学ばない、それこそが悪だろ?」
「黒羽君…」
「んな分かりきったこと俺に言われるなんて、らしくないぜ」

 赤魔女さん、と快斗が意地悪く口端を持ち上げる。それまでの深刻な空気など全く無視したそれに、紅子の中で重くもやもやしていたものまでもが吹き飛んでしまった。快斗の笑みひとつで、嘘のように。
 紅子の顔にもふと笑みが浮かんだ。さすがは自分を惚れさせた男だ。そう思ったけれど、そんなことは己のプライドに懸けて口が裂けても言えるはずがなかった。

「…甘く見ないで頂けるかしら?」

 そんな強気の言葉を、紅子は久々に口にできたような気がした。

「とにかく新一を見つけたい。みんな…手伝ってくれるか?」

 心配げな面持ちで快斗が全員の顔を見回す。すると白馬も志保も呆れたように顔をしかめた。その顔にはありありと「今まで散々協力してきたというのにこの男はまだ自分たちの性格を理解していないのか」と書かれていた。

「黒羽君…僕らが今までに一体どれだけ犯罪ギリギリの行為をしてきたと思ってるんですか?」
「人捜しに協力するだけなのに、今更躊躇するはずないでしょう」

 快斗の下らない台詞はさらりと流し、白馬はさっさと本題に入った。

「僕は警視庁などの正規のルートから探ってみることにします。裏のルートは黒羽君や宮野さんの方が詳しいでしょうし、お任せしますよ」
「OK。紅子、おまえはそのまま続けてもらえるか? もしかしたら何かの拍子で見つかるかもしんねーし」
「そのつもりよ。でも色々と試したいこともあるから、一旦道具を取りに帰るわ」
「では、取り敢えずは解散ということでいいですか?」

 白馬の確認に三人は各々頷いた。
 紅子は現れた時と同じように魔術を使って忽然と姿を消し、案外に適応力の強いらしい探偵はもうそれに驚くこともなく扉から出て行った。快斗は休むという言葉を知らないように早速ノートパソコンを開こうとしている。それにコーヒーでも入れてやろうと思い立った志保は、扉を潜りざま、ふと思いついたような顔で振り返った。

「ねぇ、黒羽君」

 こちらに背を向けて座っている快斗に声を掛ける。快斗は顔も向けずに気のない返事をしただけだったが、志保は気にせず言いたいことだけを言って出ていった。

「あの綺麗な怪盗さんに随分惚れ込んでしまったようね」

 ぱたん、と扉の閉まる音。快斗は凄まじい反射神経で後ろを振り返ったが、もう室内には快斗しかいなかった。その紫紺の瞳が零れ落ちそうなほどに見開かれている。
 誰にも聞こえない声が唇から漏れた。

「惚れ、てる…?」

 そう言葉にした瞬間、心臓が騒ぐのが分かった。ざわりとした何かが心臓を発信源に全身へと浸透していく。痺れのようなそれが、まるでスポンジが水を吸い込むような速さで指先まで広がった瞬間、快斗は己の想いを自覚した。体の芯がじんと熱くなる感覚。その熱がひどく愛しくてたまらない感情。
 ――スキ。
 それは簡単なことだった。なぜ、あんなにも新一のことが気になったのか。なぜ、らしくなくも手を貸すなどと言ったのか。なぜ、……特別な存在になりたいなどと、思ったのか。
 全ては、ただ、好きだから。

「何だよ、…俺、思ってたより純情じゃんか…」

 くしゃりと顔が歪む。世界にその名を轟かせた大怪盗が、情けなくもひとりの少年に骨抜きにさせられてしまったのだ。しかも、そう、多分――二代揃って。

「しんいち…」

 可笑しくて肩が揺れる。
 その人を失うかも知れない恐怖に、心が震えた。



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