隠恋慕
Speak low, if you speak love.
逆さ吊りの神 4
「――コナン!」
そう呼ばれるようになって、早二週間。
ソレが自分を指す代名詞であることにも大分慣れてきたある日の夕方、いつものように自分を連れ戻しに来た快斗に、コナンは読んでいた本を閉じると慌てて立ち上がった。
快斗がコナンに尽きっきりだったのも初めの三日だけで、四日目には特別機動隊副隊長の任の重さに耐えきれなくなった服部が音を上げたため、結局快斗はなんだかんだで日々任務に駆り出されている。
その間、コナンは志保や新出のところに預けられていたのだが、読書好きの彼が書庫に入り浸るようになるのにそう時間は掛からなかった。
以来、快斗が任務を終えて帰ってくるまで、書庫で読書に耽るのがコナンの日課になっている。
時折暇を見つけては取っ替え引っ替え色んな人がコナンの様子を見に来たが、コナンが快斗以外に気を許す気配は一向にない。
おかげで本部に帰ってきた快斗の日課はまず書庫へとコナンを迎えに行くことであった。
「お待たせ。腹減っただろ? ご飯食いに行こう」
快斗と一緒に任務に出ていたキッドは、コナンを見つけるなりさっさとその肩へと乗り換える。
初めは複雑な表情で拗ねていた快斗もいい加減慣れたようで、ちらと一瞥すると、コナンの手を取って食堂へと向かった。
食堂は、これまたどでかい空間に和・洋・中・伊・仏……とそれぞれエリア別になっていて、セルフサービス式で大衆食堂風のエリアもあれば少し高級なレストラン風のエリアもあった。
殆どの時間をこの施設内で過ごす者たちにとって、食事は娯楽のひとつである。飽きがこないようにと、何代か前の長官が改善したのだ。
「お邪魔してもいいかしら」
と、和食のエリアに座りそれぞれソバだのドンブリだのを食べていた二人のもとに、光彦を連れた志保が現れた。
「あれ? こんな時間に珍しいね」
「丁度今しか時間が取れなかったのよ」
「お、お邪魔します!」
「どーぞど-ぞ」
快斗はドンブリを持ってコナンの隣に移動すると、二人に前の席を薦めた。
「今日の任務はそんなに難しくなかったでしょう」
「つーか、あの程度の任務なら平次だって充分こなせると思うんだけど」
「彼も別の任務で出払っていたのよ」
特別機動隊は人員が少ないんだから我慢しなさい、と言う志保に、だったらもっと人数を増やしてくれと思う快斗だ。
特別機動隊の任務はどれも危険で難しいものばかりだと言うのに、著しく人員が不足している。
と言うのも、能力犯罪者に対抗しうる能力というものに限度があるからだ。
何事にも向き不向きがある。
萩原の大地を操る能力では志保のように情報収集ができないように、志保の機械とシンクロする能力では能力犯罪者と直接対峙することはできない。
そのため人員不足が起きているのだが、こればかりは志保にもどうにもできなかった。
「貴方に面倒を見ろと言っておきながら、結局この子を放ったらかしにしてしまうようなことになって、これでも悪いと思ってるのよ」
「でもそれは志保ちゃんの所為じゃないよ」
いくら日本支部の支部長と言えどできないこともある。
だから構わないと首を振った快斗に、志保は「いいえ」と首を振った。
「支部長としてこのままにはできないわ。だから、今日はひとつ提案を持ち掛けに来たのよ」
「提案?」
快斗が首を傾げると、志保は隣に座っていた光彦の肩にそっと手を回した。
「貴方が任務で抜けている間、この子に面倒を見て貰おうと思って」
「……光彦に?」
「同い年だし、十も二十も離れた大人よりは気が合うでしょう」
光彦は緊張したように背筋をぴんと伸ばし、硬い顔をしている。
ああ、と快斗は心中で頷いた。
つい二週間前、光彦は志保の役に立ちたいがために無断で施設の外に出た。
白馬の機転でどうにか管理班班長にはばれなかったものの、さすがに志保にはばれてしまった。
本来なら問答無用で罰則を課すところだが、光彦がまだ子供であり、何より自分のために禁を破ったとあってはそうもできず、軽い謹慎とお説教でその場は治まったのだ、が。
それ以来光彦の中には規則を破った罪悪感と、自らの無能ぶりへの失望感が痼りのように残っていた。
それは幼さ故だと、光彦自身でさえ自覚しているのだろうが、それでも子供とは早く大人になりたいと切望するものである。
つまりこれは、もちろんコナンのためでもあるのだが、志保が光彦のために用意した初めての「任務」なのだ。
「そういうことならぜひお願いしたいけど……」
ちら、と快斗はコナンを見遣った。
名前を呼べば、こちらの会話など興味なさそうにソバを食べていたコナンが顔を上げる。
目覚めたばかりの頃に比べてコナンの反応はずっと良くなった。
それでも未だにひと言も喋ってくれない彼から意志を聞き出すのはあまり容易なことではないけれど、快斗はあくまでコナンの意志を優先したいと思った。
「コナン、お前、俺のいない間光彦と一緒にいてくれるか?」
コナンは目を瞬いた。
この顔は光彦が誰かも分かっていない顔だ。
快斗はコナンの前に座っている光彦を示しながら、
「こいつが光彦ね。で、お前と同じ七歳。光彦も本好きだから、きっと気が合うと思うよ」
「あの、僕、円谷光彦と申します! 宜しくお願いします……!」
深々と頭を下げる光彦をコナンは不思議そうに眺める。
「あの、コナン君て、コナン・ドイルから名前を貰ったんですよね。実は僕も推理小説が大好きで、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズが大好きなんです……! だから多分気が合うんじゃないかなって……あ、でも、別に本の趣味が合うから気が合うなんて思ってるわけじゃなくて、え、えっと……っ」
途中から自分でも何を言っているのか分からなくなり、半ばパニック状態に陥りながらも光彦は懸命に言葉を紡ぐ。
コナンが喋れないことも感情が表に出ないことも、既に志保から聞いて知っている。
その子とどうやってコミュニケーションをとろうかと必死に考えた光彦だが、結局何も思い浮かばなかったのだ。
けれど。
にこ、とコナンが笑った。
唇を微かに持ち上げ、ほんの少し目を眇めて。
光彦はもちろん、快斗も志保も瞠目した。
「おま……、今、笑った!?」
ぐいと身を乗り出して、コナンの肩を鷲掴みにしながら快斗が言う。
コナンは相変わらず何を考えているのかよく分からない顔をしていたけれど、快斗は構わずコナンを抱き締めた。
「よかったな……!」
なんだか泣きそうになってしまったことは、仕方ないと見逃して欲しい。
失感情症。
言葉だけでは実感がないけれど、実際に一緒に生活していて、それがどれ程寂しいものかを快斗はこの二週間で痛感していた。
何を言っても笑いもしないし泣きもしない。
反応が返ってこない虚しさよりも、笑うと言う感情を忘れてしまったことに対する悲しさの方がずっと強かった。
それを、光彦が思い出させてくれたのだ。
「スゲーよ光彦。こいつ、初めて笑ったんだ」
快斗はくしゃくしゃと光彦の髪を掻き回した。
「俺からもお願いするよ。これから俺が任務でいない時は、こいつの側にいてあげてくれるか?」
「……! はい、喜んで!」
ぱあっと目を輝かせながら頷く光彦を見遣り、志保も満足げに微笑んだ。
* * *
翌日から光彦は張り切ってコナンのもとを訪れた。
能力の訓練を行う時はさすがに別行動だが、学業や護身術を習う時はコナンも一緒に行動した。
組織に狙われていると言うならば、護身術を身につけることはプラスになりこそすれマイナスにはならない。
それが組織の能力者相手に通用するかはまた別問題であったが。
とにかくそんな風に、コナンは快斗が任務に出ていない日でも光彦と行動をともにすることが多くなった。
その上意外にもコナンは運動神経にも優れているらしく、もやしっ子の光彦よりずっと上達が早かった。
はあ、はあ、と光彦は荒い息を吐いた。
何度も転んだせいであちこちズキズキするし、ずっと動きっぱなしだったせいで汗も滝のように流れている。
コナンも同じく汗をかいているが、光彦ほど呼吸は荒くなかった。
「どうした、光彦。だらしねえなあ」
くつくつと笑い声が聞こえてきても、反論する余裕もない。
すると、光彦の前で構えていた男――松田陣平は顔をしかめながら、野次を飛ばしていた男、萩原研二に向き直った。
「萩原、冷やかしならさっさと出ていけ」
「別に冷やかしてねーよ? ただからかってるだけで」
「……それを冷やかしっつーんだよ、ボケ」
既に見慣れた口喧嘩が始まり、これは長くなりそうだと、光彦はへたりとその場に座り込んだ。
この二人、萩原と松田は、所謂腐れ縁という仲であった。
二人とも元は警視庁警備部機動隊の爆発物処理班に所属していたのだが、七年前にある爆弾事件に巻き込まれ、生死の境を彷徨った挙げ句に能力者として覚醒した。
そしてWGOに収容された彼らはその高い能力値を買われ、以来二人してWGOの能力者となったのだ。
もと同僚と言う気安さからだろうか、彼らはとても仲がいい。
と言っても端から見ていれば喧嘩が絶えないのだが。
今も、警衛班班長補佐である松田に護身術を習っていた二人の元に、なぜか多忙なはずの特別機動隊隊長サマが現れ、しかも堂々と居座っているものだから、生真面目な松田は飽きもせず萩原に突っかかっている。
警衛班の鬼の平蔵の次に恐れられている松田に睨まれて余裕で笑っていられる者など、おそらくこの萩原ぐらいだろう。
見た目は細身だが、警衛班の班長補佐と言うだけあって、松田は能力に加え体術にも優れている。
本部内の警備を司る警衛班は、機動班に次ぐ強い能力と身体がなければ務まらないのだ。
「疲れてませんか、コナン君?」
光彦の隣で同じく座り込んでいたコナンは首を横に振った。
「いいなぁ。僕なんかすぐばてちゃって……」
光彦は別に運動嫌いというわけではない。
むしろ野球が好きで近所の友達と一緒によく野球をして走り回っていたくらいなのだが、護身術ともなると普段使わない筋肉を駆使しているらしく、基礎体力だけではどうにもならずにこうして汗だくになってしまうのだ。
(でもそれは、コナン君も同じはずなのに)
コナンも汗をかいてはいるのだが、どこかまだ余裕を持っているように見えるのは気のせいなのか。
松田相手に組み合う時も、当然のように子供である自分たちが敵うはずもないのだが、我武者らに突っ込んでいく光彦と違い、コナンはあくまで冷静に状況を判断して最も無駄のない動きをしているように見える。
しかしどれもこれも「ように見える」だけで、本当にそうなのかは光彦には判断できなかった。
「もういい。冷やかしじゃねえってんなら、お前も手伝え。俺が光彦の相手すっから、お前はコナンの相手してやんな」
「えー?」
「えーじゃないっ!」
いつの間にか口喧嘩が治まったらしく、松田は座り込んでいた二人を「いつまでさぼってんだ」と立ち上がらせた。
松田が構えると光彦も慌てて同じように構える。
ちらと隣を見れば面倒くさそうに構える萩原と、相変わらず落ち着ききった表情で構えるコナンが見えた。
けれど光彦が気にしていられたのもそこまでで、掛け声とともに打ち込んできた松田の攻撃を避けることで頭の中はすぐに一杯になった。
相手の手足の微妙な変化から次の動きを予想し、それを避ける。
二人が習っているのはこの護身術の最も基礎的なところであり、同時に最も修得に時間がかかるところだ。
と言うより、「修得した」と明確に線引きできるものではない。
そしてこれは幾ら口で説明したところで実際に身体が反応しなければ意味がないため、訓練は常に実践で行われる。
そのため連日こうして汗だくになっているわけだが……
(……うまいな)
トン、トン、と実にリズミカルで重みを感じさせない軽快な足取りで、コナンは萩原から打ち込まれる蹴りや拳を軽やかに避けていく。
もちろん子供相手に本気を出すような大人げない真似はしないが、手を抜けば訓練にならない。
萩原は微妙な力加減で組み手をしていたのだが、相手の動きを読んでそれを避けると言う点では、コナンのセンスは抜群だ。
これでは呼吸も上がらないはずだと、萩原は感心した。
実践で多くの経験を積んできた萩原の目から見ても、コナンの動きにはまるで無駄がない。
幼い身体では体力がついていかないようだが、成長すればそれを補って余りある力となるだろう。
まだ、たった七歳の子供が。
(――仕事サボってまで付き合った甲斐はあったな)
萩原のサボリ癖はいつものことだが、今回はそう言うわけではなかった。
光彦の訓練を引き受けると同時にコナンの訓練も引き受けることになってしまった松田が、萩原に漏らしたひと言。
――アレは、何だ?
生まれながらの才能だとか、そういうレベルの話ではない。
いざ組み合ってみて初めて分かったが、この子供から生じる確かな「歪み」を萩原もひしひしと感じていた。
松田がああ言ってしまったことにも頷ける。
この子供は何かが違う、と。
(組織に追われてたってだけあって、胡散臭ぇ子供だな)
徐々に回復しているとは言え、あれこれ聞き込めるほどまだコミュニケーションはうまく取れない。
分からないことには首さえ振らないのだ。
もう少しもう少しと、回復するのを待っているのだが、これがなかなかに焦れったい。
快斗や志保と違って別に子供好きでも何でもない萩原は、コナンが子供だからと言って甘く見ようとは思わない。
相手が尊敬に値するなら尊重するし、怪しければ警戒する。
そして。
(こいつは、気を付けといた方がいいな)
徐々に上がってきたコナンの呼吸に、そろそろ限界かと萩原は動きを止めた。
松田と光彦はとっくに終わっていたらしく、こちらの動きにじっと魅入っている。
光彦の顔には素直に驚きと羨望が感じられたが、さすがに松田の目線は鋭かった。
長い付き合いで松田のことをよく分かっている萩原は、おそらく彼も自分と同じ結論に達したに違いない、と思った。
「今日はここまでにするか?」
「……ああ。光彦もコナンも上がっていいぞ」
「有り難う御座いました!」
光彦が頭を下げると、コナンもそれに倣ってぺこりと頭を下げる。
袖口で汗を拭いながらぱたぱたと駆けていく二人の背中を見送りながら、
「……本気を出すなんて聞いてなかったぞ」
と言った松田に、あんなものが本気なものかと鼻で笑いながら、自分たちがそう見えるほどの動きをしていたのかと思うと、萩原は思わず震えずにはいられなかった。
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