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「作戦変更です。今すぐ《B》と合流してください」

 耳に仕込んだインカムから唐突に入った指示に、赤井は眉を寄せた。
 指示は全てあの探偵が出すと言っていたのに、今の指示は怪盗からのものだ。別に組織を潰せるのなら怪盗と手を組むことにも異論はないが、指図を受けるとなると話は別だ。
 一瞬の沈黙でそんな赤井の葛藤を察したかのように、怪盗は続けた。

「《B》は今、軸足を負傷しています。私は予定通り陽動を仕掛けますが、あの男が素直に騙されてくれるとは思えないので、貴方には《B》の補佐について頂きたいのです」

 怪盗の言うところの『あの男』とは当然、赤井にとっても因縁の深い、あのジンのことだろう。
 確かに、奴を相手に負傷した探偵だけでは少しどころでなく荷が重そうだ。それに、ジンと真っ向から対峙できると言うなら、そう悪い話でもない。

「……了解した」

 本当は彼の傍を離れたくないだろうに、それでも任務遂行のためにその役目を自分に譲ろうと言う怪盗に免じて、赤井は急ぎ探偵の向かった場所へと駆け出した。



 新一は密かにジャックしたコンピュータで情報を操作し、組織のメインコンピュータルームへの侵入を果たしていた。
 ここにいた構成員たちは噴出式の睡眠薬で眠らせ、動きを封じて端に転がしてある。キッドの仕掛けた陽動に掛かって人員が減っていたことも幸いした。
 非戦闘員と思われる科学者の姿もあることから予想するに、彼らは組織を相手にここまで侵入を果たす者などいないと高をくくっていたのだろう。残念ながら、こうして最深部への侵入までも許してしまっているわけだが。
 新一はウエストポーチに詰め込んでいた小型のモバイルパソコンを広げると、次々にコードを繋げていった。素早くキーボードを打ち込みながら、システムに掛けられたプロテクトを解除していく。
 新一の任務は、この組織の目的がなにかを調べるために、研究データをここから持ち去ることだった。
 しかし、足に怪我を負った所為で思ったよりも移動に時間がかかってしまった。ここのデータをダウンロードするにはそれなりの時間が必要だと言うのに。

(だが、必要なのはAPTX4869のデータだけだ。他は全て消去する)

 新一は、APTX4869に関するもの以外のデータは全て、始めから消去するつもりだったのだ。
 ここにある全てのデータを入手することはまず不可能だ。莫大なデータを有するこのホストコンピュータから別の媒体にデータをコピーするには、この巨大なマシンに匹敵するだけの記憶装置が必要になるし、仮にそれが用意できたとしても、それをコピーするだけの猶予を彼らが与えてくれるはずもない。今までの経験から考えて、おそらく彼らは情報が洩れるくらいなら爆破して全ての痕跡を消去するだろう。
 或いは、組織の構成員を一網打尽にし、この施設をまるごとそのまま確保するかだが、残念ながらそれもあまり現実的ではない。彼らを相手に二兎も三兎も追っていては、一兎も得られないどころか逆にこちらの喉を食い破られてしまう。
 だからこそ、敢えて新一はAPTX4869のデータだけを抜き出し、その後は全てのデータは全て消去することにした。なぜならこの薬の存在は決して明るみにしてはならないものであり、そしてその未完成の毒薬を飲んだのは新一だけではないからだ。
 哀が安全に宮野志保の体を取り戻すためには、生きるか死ぬか五分の確立しかない解毒剤ではあまりにリスクが高すぎる。彼女のためにも、どうしてもこのデータだけは必要だったのだ。
 だがそれも、FBIは与り知らぬことだった。
 たとえ共同戦線を組んでいる相手だろうと、このデータを渡す気はない。もとい、データが存在することさえ、誰にも知らせる気はなかった。こんな世界を蝕む毒にしかならないものの存在を知る必要はない。
 新一は彼らにも内密でホストコンピュータにウィルスを撒いてデータを破壊し、組織のデータなどなにひとつ手元に残らなかったと、白を突き通すつもりだった。

「……まあ、予想はしていたがな」

 コードの解除に集中していた新一は、突然かけられた声に、ばっと背後を振り返った。その手には拳銃が握られている。
 が、相手が赤井だということに気付くと、苦い表情でそれを下ろした。

「赤井さん……どうしてここに?」
「ボウヤが負傷したから補佐しろと、《W》から指示を受けた」

 余計なことをと、新一は思わず舌打ちを漏らす。ジョディやジェイムズならまだしも、組織さえ畏れるこの赤井秀一を誤魔化しきることなどまず不可能だ。
 しかし意外にも赤井はなにを問いつめることもなく、拳銃を片手に、周囲を窺うようにドアへ張りついた。

「赤井さん?」
「いいから、やるならさっさとやれ」

 訝る新一を制し、赤井は目の前の状況を容認するかのように言う。
 新一は戸惑いつつも、時間は一秒でも惜しいからとコンピュータに向き直り、コードの解除を再開した。
 カタカタとキーを叩きながら、コードの解除に集中する部分とは別に、切り離した思考の一部で考える。
 キッドは新一がAPTX4869のデータをコピーすることを、もちろん知っていた。その上で彼をここに寄越したと言うことは、彼ならば黙認してくれるだろうと考えたのだろう。
 そう推測し、ああなるほど、と新一は思い至った。
 ――灰原哀。
 彼女は、赤井にとっても特別な存在だ。亡き恋人の妹であり、見方によっては、彼は彼女から最愛の姉を奪った憎い敵だ。できることならこれ以上の苦しみを与えたくないと、そう思っているのかも知れない。
 彼女の罪の証とも言うべきこの薬のデータを持ち帰ることは、逆に彼女を苦しめることになるかも知れないが、彼女を生かすためには絶対に必要なものなのだ。
 だからこそ新一がこのデータを持ち去ろうとしていることに、彼は気付いているのだろう。

「……コナンだった時から思ってましたけど、赤井さんの考えることって、僕とよく似てますよね」
「そうか? ボウヤにはいつも驚かされていたがな」
「でも、僕の作戦に納得できるだけの根拠や確証を持てなければ、赤井さんだってあんな子供の言葉に耳は貸さなかったでしょう?」
「ふん……」

 組織と戦えるだけの能力を持った人間は少ない。その上、見掛けに囚われずにコナンだった新一の言葉に耳を傾けてくれた人は、更に少なかった。
 その少ない人物のひとりにこの人がいてくれて、とても救われた。
 そしてなにより――片翼とも呼ぶべき存在である『彼』がいるからこそ、今の新一がここにいるのだ。
 最後のコードを解除し、新一は呼び出したAPTX4869のデータのコピーを始めた。
 膨大なデータの一部とは言え、それだけでもかなりの量がある。ダウンロードが完了するには少なくとも十分はかかるだろう。しかもその後、ウィルスを侵入させなければならない。それだけの時間を確保するにはかなり骨が折れるだろう。

「《W》の様子は?」
「巧く陽動してますよ。《J》が巧くサポートしてくれているようですね。……ただし、一部を除いて」

 赤井の口元がくいと上がる。
 まさしくあの男との対決を望んでいる者としては、そうでなくては、と言ったところなのだろう。
 新一は自らも拳銃を取り出すと、セキュリティシステムとインカムに気を配りながらも、赤井の隣に並んだ。

「……それを使うつもりか?」
「ご心配なく。銃の扱いには嫌と言うほど慣れてますから」

 そう言ってセーフティを解除する新一に、赤井は僅かに顔をしかめた。

「そうじゃない。人を撃つ覚悟があるのかと聞いているんだ。人を撃てば、もう二度と普通の生活には戻れんぞ」

 人を撃つと言う生々しい感覚は、そう簡単に消えるものではない。たとえ罪に問われなかったとしても、生涯自分を苛み続ける傷痕にもなりかねない。
 その覚悟があるのかと聞く赤井に、新一はどこか老成された表情で緩く首を振った。

「たとえ奴らをひとり残らず捕まえて組織を壊滅させたとしても、僕はもう二度と、普通の生活には戻れないんですよ」

 そう言った新一の顔にはなんの感情も浮かんでおらず、赤井は新一がなにを思ってそう言ったのか、表情から読みとることはできなかった。
 確かにこうして犯罪組織の本拠地に乗り込み、組織の構成員との交戦で怪我を負い、データをコピーするためにコンピュータをハックして、敵を迎え撃つために銃を握っている状況は、既に充分に普通とは言えない。
 だが、新一が言っているのはそういうことではないように思えた。
 赤井が思う以上のなにかを、彼はまだ抱えているのだろうか。
 そう、思った時。

「――そうね。貴方たちはもう二度と、ここから抜け出ることはできないわ」

 鮮烈な気配とともに、冷徹な女の声が響いた。



 黒尽くめの男に扮したキッドは、敵の目を欺きつつ仕掛けた爆弾を、絶妙なタイミングで爆破させ、転々と姿を変えながら施設の中を駆け回っていた。
 陽動ならキッドの仕事の時からお手の物だ。所詮は烏合の衆。自分やあの名探偵のように頭の切れる者がそうごろごろいるはずがない。
 だが。

(予想はしてたけど、ジンだけは誤魔化せねえか……)

 いや、ジンだけではない。
 キッドの記憶通りならもうひとり、一筋縄ではいかない切れ者がいる。
 ――ベルモット。
 かつてシャロン・ヴィンヤードとして初代怪盗キッドである黒羽盗一のもとで変装術を学んでいた彼女なら、同じく彼のもとで変装術を学んだキッドの変装を見破ってしまうだろう。
 彼女の姿が見えないと言うことは、陽動に掛かっていないということだ。となれば、組織の要ともいうべき人物が少なくともふたり、新一の方へ向かうことになる。
 赤井に援護に向かって貰ったとは言え、それでも安心はできない。
 焦りから微かに舌打ちを漏らせば、インカムの向こうの女が言った。

「そんなに心配なら、貴方も《B》のもとへ行きなさい」
「……《J》?」
「仕掛けは全て貴方がセットしてくれたから、後は私に任せて。それとも私じゃ信用できないかしら?」

 もちろん、彼女も優秀なFBI捜査官だ。
 キッドは随分と余裕のなかった自分を省みて、ひとつ苦笑を漏らした。

「有り難う御座います、《J》」



 ベルモット――!

 豪奢なプラチナブロンドを靡かせながら目の前に現れたベルモットに、新一と赤井は揃って拳銃を突き付けた。
 しかし、銃を構えるこちらに反し、彼女は武器らしきものを手にしてもいない。どこかに援護がいるのかと素早く視線を走らせるが、室内に転がる男たちの他に人影はなかった。
 訝るこちらの視線をするりと受け流し、ベルモットはなんの衒いもなく新一と赤井の間を通り抜ける。まるで攻撃する気はないのだと言わんばかりに諸手を挙げ、こちらから三メートルほど離れた場所でくるりと振り返った。

「……なんのつもりだ?」

 新一が警戒心を露わに声も低く問いかければ、彼女は挙げていた手を腰にあて、いつものからかうような笑みもなくこちらを見下ろした。
 次の動作に素早く対応できるよう、トリガーに掛けられた赤井の指先に力がこもるのを視界の端に捉える。

「貴方こそ、そのデータを持ち出してどうするつもり?」

 ベルモットがちらりと流した視線を目で追えば、まだ「15%」の数字と五分の一にも満たないパラメータが表示された画面がある。
 この数字が「100%」になるまで、どうにかしてこの場を切り抜けなければならない。
 新一は右のこめかみをひやりとした汗が伝うのを感じながらも軽く唇を嘗め、とりあえずは会話による時間稼ぎを試みることにした。

「あんたは知ってるはずだ。俺と灰原がこの薬を飲んだことを」
「ええ、よく知ってるわ。そしてその薬が、どれほど愚かで馬鹿げたものであるかも」

 そう言ったベルモットの目の中には、まるで抑えきれない怒りが渦巻いているかのようだった。
 彼女が薬の研究に携わっていた哀に憎悪のような感情を抱えていることは知っていたが、なにが彼女をそうさせるのか。
 あの薬で親しい肉親を亡くしたとは時期的に考えにくいし、彼女自身が投与されたと言うことも同様だ。
 ジョディの話によれば、彼女は新一や哀のように「若返った」のではなく、ただ「年を取っていない」だけなのだから。
 しかし、では、彼女はいったい何者なのか。

「その姿を取り戻したと言うことは、この薬がどういうものか、もう分かったでしょう?」

 ベルモットの言葉のひとつひとつが、新一に重くのし掛かる。
 もしかせずとも、新一が抱えるこの苦しみを理解できるのは、この世で彼女ただひとりなのかも知れなかった。

「……そうだ。APTX4869に解毒剤はない。モニカは解毒剤を作ったんじゃなく、あの薬を完成させたんだ」

 そう、それはまるで、神か悪魔の所業の如く――

「時の流れに逆らい、人の生命を凌駕するための妙薬を」

 薬を服用してから初めて口にした事実に、新一は自分で打ちのめされるような気がした。
 そして初めて耳にした事実に、赤井の気配が僅かに揺らいだのが分かった。
 APTX4869とは、プログラム細胞死を誘導し、尚かつ細胞の増殖能力を高める薬だ。つまり、この薬は細胞の死と再生を人為的に繰り返すための薬なのだ。これにより、不要となった細胞やウィルスなどに侵された細胞も新しく生まれ変わる。そうして常に『現在の肉体』をDNAレベルで維持する。所謂、『不老』というものだ。新一が飲んだのは、そういう薬なのだ。
 つまり、新一は死ぬまで『十七歳の肉体』のままなのだ。
 その上、この薬の効果が恒久的に続けば、『寿命』というものは実質的になくなる。そうなれば『不老』の上に『不死』だ。
 ……笑えもしない。

「あんたたちの目的はなんなんだ? まさか本気で不老不死を手に入れたかったのか? それを手に入れてなにをする気だ?」
「さあ……ボスの考えてることは私には分からないわ」

 自分たちはただ、彼の命令に従い任務を遂行するだけ。
 そう言ってひょいと肩を竦めたベルモットは、「ただ、これだけは言えるでしょうね」と続けた。

「『不老不死』なんて馬鹿げた妄想を切望する愚か者はいくらでもいるわ。そしてそうした人間がいる限り、その影で苦しむ人間も後を絶たない。
 ……貴方や、私のようにね」

 その言葉に、新一は確信した。隣でじっと耳を傾けていた赤井も同様だ。
 今までの彼女の言動や哀の言葉、そして手にした情報からある程度の推測は立てていた。だが、確証がなかった。彼女の真意がどこにあるのか、それが分からなかった。
 けれど。

「やはり――この薬はあんたの細胞をもとに創られたんだな」

 ベルモットは苦い笑みを返すことで、肯定の意を示した。
 薬を飲んで『若返った』のではなく、ただ『年を取らない』彼女。
 では、なぜ年を取らないのか。
 APTX4869のような効果をもたらす別のなにかが存在するのか、或いは組織や他の誰かによって創り出されたのか。
 しかし、それならAPTX4869の制作過程に少なからず『サンプル』として関わってくるはずだ。なにもないところから研究を重ねていくよりも、サンプルがあればそれを分析していく方がずっと現実的だからだ。
 しかし両親から研究を受け継いだ哀も、モニカも、そんな『サンプル』はないと言っていた。
 それを聞き、新一はあるひとつの結論に至った。
 彼女の『不老』がAPTX4869によるものでもなく、他のなにかによるものでもないのならば、彼女こそがこの薬のモデルとなった『オリジナル』なのではないか、と。

「……そうよ。私の体は普通の人と違って、DNAに異常があるの」

 そもそも人間のDNAは二重螺旋構造をしており、人の寿命にはそのDNAの両端にある『テロメア』という構造が密接に関係している。テロメアは細胞が分裂する度に短くなり、それが短くなると細胞は増殖を止め、細胞老化と呼ばれる状態となる。そして人の老化にはこの細胞老化が深く関係しているのだ。
 つまり、テロメアの短縮を防ぐ『テロメアーゼ』と呼ばれる酵素を活性化させることにより、老化は防ぐことができる。
 しかし、普通の人間の体細胞において、このテロメアーゼは弱い活性しか持たない。
 ベルモットは、このテロメアーゼの活性が異常に強い体細胞を持っているのだ。

「自分の体の異常に気付いたのは、もうずっと昔……。その頃には大女優シャロン・ヴィンヤードとしてテレビにも映っていたから、本格的な変装術を習うまでは、なんとかメイクで誤魔化してきたわ。
 ……でも、組織の目は誤魔化せなかった」

 ベルモットが組織に入った経緯は、組織の構成員としてではなかった。『不老不死』の研究のモルモットとして、組織に拉致されたのだ。そして組織内におけるある程度の自由を得るために、彼女は自ら組織の構成員となり、幹部にまで成り上がった。
 彼女は誰より組織を、そしてあんな馬鹿げた薬を創り出そうとする研究者たちを憎んでいた。だからこそ彼女は、APTX4869の開発者であった哀にあれほど固執していたのだろう。

「私はずっと待っていたのよ。組織を潰すことのできる誰かが現れるのを」

 そして今、ようやくその『誰か』が現れた。

「長い間待ち望んだ、私の愛しいシルバー・ブレット……」

 そう言って自分を見つめるベルモットに、新一はニッ、と口角を吊り上げた。
 そう。確証がなかっただけで、これは既に予想された事態なのだ。予想外の事態ならまだしも、予想された事態への対処に、この名探偵が抜かるはずがない。

「たとえどんな事情があったにせよ、あんたが過去に犯した罪がなくなるわけじゃない。その罪を背負っていく覚悟があるか?」
「そんなもの、この名を与えられた時からとっくにできているわ」

 一瞬の躊躇いもなく言い切ったベルモットに、新一も頷く。
 そうして新一はこれからどう動くべきかの指示を出すべく、構えていた銃を静かに下ろした。



 道々転がっている使えない部下たちに低く舌打ちを漏らしつつ、ジンは足早にメインコンピュータルームへと向かった。
 主に日本で活動しているジンだが、近頃アメリカでのFBIの動きが気になるからと、ボスの指示で部下のウォッカとともに渡米していた。そのウォッカも、今は別々に鼠を追っている。
 いくらジンが人の裏の裏を読む能力に長けていると言っても、頭がいくつもある鼠の思考を隅々まで見通すことはできない。しかもその鼠は頭が手足となり、手足が頭となるのだ。厄介なことこの上ない。
 この周到に仕掛けられた罠の感じは、FBIの常のそれとは違う。
 だが、ジンはこの感覚に覚えがあった。
 まだ日本で活動していた頃、日本での捜査を無許可で行っていたFBIと対峙した時と似ている。
 表面上は、まるでこちらの思惑通りにことが進んでいるかのように見えて、その実誰かの思い通りに動かされているような、腹のあたりがじりじりと落ち着かない感じだ。
 おそらくこれは、あの時と同じ何者かによって仕掛けられた罠だろう。
 ボスが最も畏れているFBIの赤井秀一とは違う。組織の人間にも気取られず、尚かつFBIを意のままに動かせる人物。

(……誰だろうと、我々に噛み付く者は、必ず尻尾を捕まえて化けの皮を剥いでやる)

 鼠は必ずメインコンピュータルームに現れる。そこには組織の情報の一切が詰め込まれているのだ。この狡猾な鼠がそれを見落とすはずがない。

「そっちはどうだ、ウォッカ」
「はい……どうにも勘のいい野郎で、影も掴ませやせん……」

 無線から届いた声に、やはりな、とジンは心中で呟いた。
 ジンでさえ手間取る相手に、ウォッカだけでは話にならないだろう。

「そっちの追跡は中止だ。どうせ陽動だろう。すぐにこっちへ向かえ」

 そしてウォッカの返事を待たず、ジンは通信を切った。



「随分と遅かったわね、ジン」

 気配を殺し、まるで野生の獣のように背後へと迫り来た男に、ベルモットはキーを打つ手を止めることなく声をかけた。
 ジンも気付かれていたことに当然気付いていたが、構うことなく彼女の後頭部に銃口を突き付けた。

「なにをしている、ベルモット」
「あら……この状況を見て分からない?」

 言われるまでもなく、体中に穴を空けて倒れている数人のFBIらしき連中には気付いていた。
 まだ立ちこめている硝煙の匂いとあちこちにある弾痕、そして二の腕と足から血を流しているベルモットの姿を見れば、ここでなにがあったかなど考えるまでもない。
 ジンよりも早くこの場に駆けつけたベルモットが、侵入者を排除したのだ。
 だが、ジンが聞きたいのはそんなことではない。今ベルモットがしていることについての説明が聞きたいのだ。
 彼女は今、組織のコンピュータに繋がれた小さなモバイルパソコンになにかを打ち込んでいる。途中経過が抜けているため正確には分からないが、なにかのプロテクトを解除していることは見て取れた。
 普通に考えれば、侵入した鼠どもが施したなんらかの仕掛けを解除している、というところだろうが……この女はどうにも信用ならない。
 あの方のお気に入りだか知らないが、ジンは彼女を一切信用していなかった。下らない秘密主義にもうんざりするが、なによりも彼女の言動の全てが作り物にしか見えないのだ。組織の幹部としてあっさり敵を殺してみせるその行為さえ、彼女の真意を隠すためのパフォーマンスに思えてならない。
 そしてジンは己のその直感を疑わなかった。

「手を止めろ」

 銃口を突き付けたままがちりと撃鉄を起こせば、ベルモットはさすがに手を止め、ジンを振り返る。

「いいのかしら? そこに転がってるFBIの仕掛けた『ナイトバロン』で、ここのデータの全てを消されてしまっても」
「ナイトバロンだと?」

 それは、発見することも止めることもできない、完璧と呼ばれたコンピュータウィルスだ。
 組織内においてもメモリーカードやコンピュータのセキュリティとして使っていたウィルスだが……

「これはそのオリジナルよ」

 ジンの気が逸れたことで、ベルモットは再びキーを打ちだした。

「どうやらこのウィルスを創り出した人物には、FBIの証人保護プログラムが適用されていたようね」

 組織の依頼で創られた『闇の男爵』だが、完成とともに殺されると悟った相手は、取引現場には現れず、そのまま行方を眩ませた。そしてその人物のコンピュータを解析して得られたデータで組織のプログラマーに創らせたのが、現在組織内で使われている『闇の男爵』なのだ。
 その人物が証人保護プログラムを受けていたとしたら、FBIが『闇の男爵』のオリジナルを持っていたとしても不思議ではない。
 ……しかし。

「なぜそんなことを知っている?」

 再び銃口を持つ手に力を込めたジンに、ベルモットは唇を歪めた。

「バカね。普通、誰だって死ぬのは恐いものよ」
「ふん……お前は恐くないんだろう? いいから、手を止めろ」

 暗に「体に聞いた」ことを仄めかすベルモットだが、ジンの力は緩まない。
 そして、ベルモットの指も止まらなかった。
 あと少し。あと少しなのだ。
 あと少しで――全てが終わる。
 焦れたジンが舌打ちを漏らし、引き金に掛けた指に力を込めるのと、ベルモットが最後のキーを打つのはほぼ同時だった。
 けれど、同じタイミングで放たれたもう一発の弾丸が、ジンの左手から拳銃を弾き飛ばした。
 床に転がった銃がカラカラと音を立てる。
 ジンは自分から銃を奪った人物を見て、忌々しげに口角を持ち上げた。

「お前ら……いつから連んでやがった」

 しっかりと銃口をこちらに向けて構える男――赤井秀一とベルモットを睨み、ジンは素早く状況を整理する。
 ベルモットを殺そうとしたジンを止めたということは、彼女とこの男が共謀していることは疑うまでもない。
 だが、ふたりはいつから手を組んでいたのか。少なくともベルモットが単独で行ったあのハロウィン・パーティの時には、赤井は本気で彼女に散弾を浴びせたはずだ。
 けれど、ふたりはジンの言葉を真っ向から否定した。

「おっと、勘違いするなよ。奴と手を組んだことは一度もない」
「そうね。意志を同じくしているとは思っていたけど、敵であることに違いなかったしね」

 そう言われたところで、ジンにとって大した違いはなかった。
 意志を同じくするということは、彼女もまた組織の壊滅を望んでいるということだ。信用していたわけではないが、やはり彼女は裏切り者だったのだ。

「ふん……つまり、こういうことか。お前はナイトバロンの感染を防ぐと見せかけ、感染させた」
「ええ。残念ながら、数分と待たずにデータは全て消えてなくなるわ」
「いいのか? 組織にとってはその方が都合がいいが、FBIにとっては都合が悪いはずだ」

 組織が今までなにをしてきたのか、それが有耶無耶になることは、FBIにとってかなりの損失ではないのか。
 けれど、ベルモットは静かに首を振った。

「いいのよ。目的が同じだからと言って、FBIの言いなりになるつもりはないし、あんなもの、ない方が世のためなんだから……」

 そう、呟いた時。
 ばたばたと足音を立てながらこちらに向かってくる数人の足音に気付き、赤井とベルモットは、はっと顔を上げた。
 その一瞬の隙をつき、ジンは隠し持っていたもう一丁の拳銃を取りだすと、気付いた赤井が一発、二発と撃ち込んでくるのへ応戦しながら、素早く柱の影へと身を滑り込ませた。相手も新たな援軍に備え、それぞれ物陰へと飛び込む。
 ちらりと視線を流した先のコンピュータのスクリーンは、みるみるウィルスに侵されていた。
 ……おそらく、復旧は不可能だろう。
 思わず舌打ちを漏らせば、駆けつけた援軍の中から聞き慣れた部下の声が上がった。

「ジンの兄貴!」
「――ウォッカ! 鼠は二匹だ、赤井秀一とベルモットを殺れ!」

 途端に、室内にいくつもの銃声が響き渡る。
 一瞬にしてそこは戦場と化した。
 さすがはボスの畏れた男なだけあり、赤井の撃ち放つ弾は正確な軌道を描きながら確実に肉に食い込んでいく。彼の凶弾の前にひとり、またひとりと地に伏した。
 だが、経験の差か、或いは単に運の良さか、ジンとウォッカはあちこちに弾を掠らせながらも、致命傷を避けつつ容赦なく弾を撃ち続けた。
 かつては組織の中枢とも呼ぶべき最も重要なブレインだったホストコンピュータも、ウィルスにデータを破壊されてしまった今はただのガラクタでしかない。撃った弾がどこに命中しようが構わなかった。

 ――しかし。

 ガウン、と一際高く鳴り響いた銃声とともに左肩に衝撃を受け、ジンは一瞬動きを止めざるを得なかった。続けざまに右手、脇腹、右足と、何発もの銃弾を撃ち込まれる。
 気付けば、ウォッカの持つ銃口がこちらに向かって煙を噴いていた。そしてウォッカとともに駆けつけた男たちは、揃って床に倒れていた。

「てめぇ……まさか……っ」

 唸るように声を出せば、ウォッカは銃を構える手とは逆の手で、耳の下の顎の部分に指をかけ、偽物の顔をびりびりと破り始めた。
 その下から現れたのは――白磁の肌に豪奢なプラチナブロンド。

「悪いわね、ジン。ウォッカなら第三ゲートの前で眠ってるわよ」

 それは、ウォッカに扮したベルモットだった。
 さすがにこの展開は予想していなかったのか、ジンは無言でふたりのベルモットを睨み付けている。
 彼女が変装術を得意とすることは知っていたが、まさかもうひとり、これほど高度な変装術を扱う者がいるとは、完璧に予想外だった。
 ジンは血まみれになりながらも気丈に言った。

「なるほど……お前が、FBIの切り札だな」
「ああ――工藤新一、探偵だ」

 そうして同じように破り去られたマスクの下から現れたのは、見覚えのある顔だった。一度はバラしたと思い、顔も名前も忘れ去ったジンだが、ハロウィン・パーティの件で再び耳にしたことで、一応記憶の隅に留めていたのだ。
 殺したはずの探偵。
 しかし彼は生きていたばかりか、その鋭い牙で深く喉元に食いつけるよう、気配を殺して静かに背後へと忍びより、獲物が罠に掛かる瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。
 鼠かと思えば、とんだ虎だったというわけだ。

「観念しろ、ジン。あんたがひとりで足掻いたところで、もう組織の壊滅は避けられない」

 今頃はジェイムズを筆頭としたFBI捜査官が、組織の息がかかった連中を一網打尽にしようと、新一が閻魔の如く並べ立てた罪状を盾に、大捕物を行っていることだろう。この施設にしても、FBIの援軍が駆けつけて、重要参考人たちを順に連行してくれているはずだ。
 けれど、静かに宣言する新一をジンは鼻で嗤った。

「それはどうかな、名探偵……たとえ我々を潰したところで、同じような組織が必ずまた現れる。その全てを潰せるものなら、やってみるがいい」

 そして隠し持っていたらしい起爆スイッチを押せば、まるで大地が震撼するかのような激しい揺れと、鼓膜をうち破るような轟音が鳴り響き、がらがらと壁が崩れ始めた。

「――起爆装置! 貴方、やっぱり持っていたのね!」
「たとえ作戦が成功しても失敗しても、我々の存在が世間に知られることはない……それが我々のやり方だ」

 『闇の男爵』によって葬り去られた組織のデータ。爆破によって崩壊する組織の施設。そして、その爆破とともに消える組織に関わった全ての人間たち。
 なんの証拠も得られなかったFBIに、組織の存在を世に知らしめる術はない。

「悪いが、お前らにも付き合って貰うぜ……このまま地獄までな……」

 撃った弾のひとつが肺に傷でも負わせたのか、ジンは口から血を滴らせながらも不敵に笑う。
 新一は逸る動悸を無理矢理黙らせ、どう動くのが最善策かを目まぐるしく思考した。
 正規のルートを辿って地上に上がるのではとても間に合わない。しかし、現在地はおよそ地下十メートルだ。そこからどうやって這い上がれと言うのか。どう足掻いても、間に合わない。

(どうしたら……どうすればいい、キッド……!)

 ――その瞬間。
 まるで新一の声が聞こえたかのようなタイミングで、小さな爆破で崩れた天井からキッドが現れた。

「キッド!」
「地上までの道は確保した! 崩れる前にここを脱出するぞ!」

 言うが早いか、キッドは足を負傷している新一を抱き上げると、崩れた瓦礫を足場に信じられないほどの跳躍力で上の階へと飛び上がった。
 そしてキッドの垂らした縄を使ってベルモットが上り、最後に赤井が続いた。
 途中、なにかを言いたそうにジンを振り返ったベルモットだったが、新たな爆音とともに壁が崩れ始めたため、結局なにも言わぬままに前を向いて駆け出した。
 始めから生き延びる意志もなかったのだろう。
 彼らの姿が完全に見えなくなっても、ジンがその場から動くことはなかった。



 全身血と汗と泥と煤まみれの格好で、四人は間一髪、施設が崩壊する前に脱出することができた。
 最後はキッドに抱き上げられて、という情けない姿の新一だったが、あそこで下手に見栄を張って脱出を遅らせることになどなればそれこそ馬鹿だと、大人しくキッドの腕の中におさまっていた。
 そうして爆発の影響のない場所まで避難した時になって、ようやく新一は自分の足で地面に立った。

「サンキュ、キッド……あそこでお前が来てくれなかったら、みんな死んでるところだった」
「お前の考えることは、俺には全部お見通しだからな。先の先の先まで読んで、地下通路からすぐに脱出できる道を作っといたんだ」

 まさに以心伝心な自分たちだからこそ巧くいったんだとキッドが微笑む。
 それに新一も煤まみれの顔で笑い返した。

「これでようやく終わったのね……」

 新一のすぐ隣に座り込み、爆煙を上げながら燃え盛る炎を見つめ、感慨深そうに呟くベルモットに、けれど新一は心中で「それは違う」と首を振った。
 これで終わったわけではない。いや、そもそも終わりがあるものではなかった。奇しくもあの男が言ったように、ひとつの組織を滅ぼしたところで、また別の組織が必ず現れる。そしてその連鎖は永遠に続いていくのだ。我々人間が生きている限り。
 それは、人が人であるが故の、罪。
 それでも、今だけは喜ばせて欲しい。たとえこの手に掴んだものが、背負いきれないほどの罪だけだったとしても。大切な人たちの平穏も守ることはできたのだ、と。

(これでさよならだ……ありがとな、コナン……)

 新一の声なき声を違わず聞き取った魔術師は、消えゆく小さな探偵に向けて、金盞花の花弁を風に乗せて贈った。
 花は、風に舞って空へと消えた。
 
 
 
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