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冷たい雨

 怪盗キッドが最後の標的とした宝石『赤い涙』の所有者であったマリー・アンヌ・ド・モンティジョ伯爵令嬢は、警察の事情聴取や諸々の手続きなどで、丸々三日ばかり拘束されていた。
 その軟禁状態から漸く解放され、彼女が密かに向かった先は、黒羽邸だった。
 ――全てが終わったら、盗一の墓参りに行かせて欲しい。
 その約束を、果たすために。



『いらっしゃい、アンヌ!』

 一応お忍びのつもりなのか、やけに鍔の広い黒の帽子を目深に被っていたマリー・アンヌは、呼び鈴を鳴らすなり玄関から飛び出してきた千影に抱きつかれ、目を丸くした。
 彼女の人柄をよく知るマリー・アンヌは、突然訪れた自分を彼女が邪険に扱うことはないだろうと思ってはいたが、それでも長年の音信不通と彼女の夫を巻き込んだ罪悪感から、あまり歓迎されないのではないかと懸念していたのだが……あまりの大歓迎ぶりに、言葉も出なかった。
 その様子を見かねた快斗が慌てて止めに入った。

「玄関先でなにやってんだよ、恥ずかしい。そういうのは家に上がってからやれよな、母さん」
「なによー! 久しぶりなんだからいいじゃない」

 それにしても美人に育ったわねー♪ と手を叩いてはしゃぐ千影に、マリー・アンヌは早くも涙ぐみながらも、にこりと微笑んだ。
 千影とて、盗一の死を悲しまなかったはずがない。その悲しみを押して、こうして笑いかけてくれるのだから、自分だけがいつまでも立ち止まっているわけにはいかなかった。

『お久しぶりです、千影様。随分と遅くなりましたが、今日は盗一様にご挨拶に伺いました』

 落ち着いた笑顔を見せるマリー・アンヌに千影も勢いを弱めると、まるで娘を見るような眼差しで柔らかく微笑み、彼女を家へと招き入れた。
 おそらく千影なりに気を遣っていたのだろう。そんな何気ない優しさが昔と少しも変わってなくて、マリー・アンヌはこうして再び交友を持てたことを心から嬉しく思った。



 盗一の墓前に座り込み、もう十分以上も無言で墓石を眺めているマリー・アンヌを遠目に見遣り、快斗はふと息を吐いた。
 快斗の運転で墓地にやってきた三人は、一通り墓周りの掃除をし、供花や果物をお供えした後、マリー・アンヌをひとり残して近くの木陰に腰を下ろしていた。
 週に一度はやってくる千影や、気が向いた時にちょくちょく足を運んでいる快斗と違い、彼女は初めて盗一の墓前に立つのだ。積もる思いも言いたい言葉もたくさんあるだろうと、二人は敢えて席を外したのだった。

「彼女、いい顔で笑うようになったわね」

 今朝からずっと上機嫌だった千影が穏やかな表情で言う。

「昔から、それはもうまるでフランス人形みたいに可愛くて、笑った顔なんかユリの花みたいに可憐で清楚だったわ。……でも、伯爵が亡くなられてからはあまり笑わなくなっちゃってね」

 盗一とともに何度もフランスへ足を運んだことのある千影は、唯一の肉親を失った少女がどれほど嘆き悲しんだか、その目で見てきたのだ。花のような笑顔を浮かべていた彼女が、悲しみを宿した翳りのある瞳でぎこちなく笑う姿はひどく痛々しかった。その悲しみを拭い去り、彼女に再び笑顔を取り戻させるために自分にできることがあるのなら、なんでもしてあげようと思った。
 だから――怪盗となった夫を無心で支えた。

「……あの人は、引退した私を再びステージに立たせたくなかったのね。危険な仕事だと分かっていたから。だからあの人は自分でステージに立った。……あの部屋の仕掛けは、いつか殺されるかも知れない危険の中に身を置くあの人が、もしも本懐を遂げられなかった時……その決着を息子のあんたに託そうと、私たちが作ったものなの」

 千影はそこで言葉を切ると、ちらりと隣を仰いだ。

「こんな無責任な親を、恨んでる……?」

 快斗には平和な未来があった。普通に高校へ通い、大学を出てプロのマジシャンとなり、もしかしたら隣人で幼馴染みの可愛い少女と平和な家庭を築いていたかも知れない。
 それを、自分たちの勝手な都合で奪ってしまった。
 一度非凡を経験した者は、どれだけ平凡の中に身を置こうと、もう二度と昔のようにはなれない。それは、かつて夫や息子と同じように非凡の中に身を置いていた千影自身が、誰よりも身に染みて分かっている。どれほど善良な市民らしく振る舞ったところで、自ら法を犯し、犯罪に手を貸し、その事実を隠匿してきた過去は変えられない。
 だが、なにも好きこのんで息子を危険に関わらせたわけではなかった。ただ、あのままマリー・アンヌを放り出すことはできなかったのだ。血の繋がりなどなくとも、千影にとって彼女は大事な存在だった。そしてなにより、無念の内に死んでいった夫がそれを望んでいたのだと思えば、どうしても叶えてあげたかった。
 ――どんな言い訳を並べたところで、所詮はエゴに過ぎないけれど。

「……母さん」

 静かに千影の話を聞いていた快斗が小さく呼びかける。
 覚悟を決めたように息を詰める彼女に、けれど快斗は声を立てて笑った。

「俺、感謝してる。親父の死の真相を知れたこと、親父の敵を討てたこと、親父と母さんが助けたかった人を助けられたこと。もしあの部屋の仕掛けがなかったら、今言ったこと、なにひとつできなかったんだ」

 父が殺されたことも知らないで、母の悲しみも知らないで。自分だけがヘラヘラ笑って幸せになるなんて、そんなのは嫌だ。
 快斗の未来を奪ったと言うけれど、最後に選んだのは快斗なのだ。その責任を誰かに押しつけるつもりはない。

「俺は……確かに色んなものを失ったと思う。いつか犯した罪を断罪される日が来るかも知れない。でも、俺が守りたかったもんは全部守れた。だから後悔なんかしてないし、これからもしない。一緒に戦えたことが、俺は嬉しいんだ。だから二人には感謝してる」
「快斗……」

 息子の名を呟く声は今にも泣き出しそうだ。そう思った次の瞬間には、千影の顔はもう涙で濡れていた。かつては女二十面相として警察を手玉に取った元怪盗淑女が、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
 込み上げる嗚咽に堪らず顔を覆ってしまった千影に、快斗は戸惑った。

「泣くなよ、母さん……」
「だ、だって~……あたしずっと、あんたに嫌われるか、怒られると思ってたんだもん……あんたに嫌われたらどうしようって、そればっかり考えてたんだもん……もうあたしにはあんたしかいないのに~……っ」

 それなのに、この出来の良すぎる息子は、怒るどころか感謝するなどと言うのだ。そっちの覚悟はしてなかったのだから仕方ないじゃないか。
 子供のように泣きじゃくる千影の頭を、快斗は困ったように撫でた。なんだかこれではまるで立場が逆だ。だが、思えば、盗一の葬式の日にも命日にも、お墓参りの時でさえ、快斗は千影が泣いているところを見たことがなかった。哀しそうに表情を曇らせてはいても、いつも穏やかな苦笑を口元に浮かべていた。それは彼女の強さなのだろうと思っていた。天国にいる父を安心させるため、父を失った息子を守るために我慢しているのだろう、と。
 だが、そうではないのだ。彼女はもう、涙を見せる相手を、自分の全てを預けられる相手を失ってしまったから、泣くことができなかったのだ。
 だって、ひとりで零す涙はとても哀しい。とても寂しくて、とても冷たい。――凍えてしまいそうなほどに。
 快斗はそれをよく知っている。

「……大丈夫だよ、母さん」

 ふ、と快斗が笑みを零す。その表情がよく知る息子のものとはかけ離れていて、千影は思わず息を飲んだ。
 いつもおちゃらけている高校生のものとは違う。素顔を隠し敵を翻弄してきた怪盗のものとも違う。
 それはまるで、あの日自らが怪盗となる決意を固めた盗一が見せたような、覚悟を決めた男の顔だった。

「俺、好きな奴がいるんだ。そいつはこの世で一番大事な人なんだ。そいつがいたから今まで戦ってこられたし、そいつがいるから、これからも戦っていける」

 思い出す。彼とともに戦った日々を。
 たくさんの血を流した。たくさんの死を見てきた。それでも彼が隣にいたから、血塗れになりながらも屍の山を越えることができた。
 傷を負うことは恐くなかった。死ぬことでさえも。
 ただ、彼を失うことだけが恐ろしかった。彼を失い、誰も縋る者のいない世界でひとり冷えた涙を流し続けなければならないことが、なによりも恐ろしかった。
 だから、快斗は決めたのだ。

「俺はあいつとともに生きて、ともに死ぬんだ」

 そう言い切った快斗の顔はとても穏やかだった。千影はそれが快斗の心からの言葉であることを悟った。

「――その人のことが、本当に好きなのね?」

 不意に顔つきを改めた千影の目を、快斗は真っ直ぐに見つめ返した。

「ああ。生涯で唯一の人だ」
「どんな時でも……たとえどうしようもないなにかが、『運命』が、二人を引き裂こうとしても。その人を手放さずにいられる?」
「運命なんか、自分で作ってやる」
「……じゃあ、死ぬまで……ううん、死んでも、その人を好きでいられる?」
「生まれ変わったって、俺の心は変わんねーよ」

 少し傲慢にさえ聞こえる、不遜なその言葉。けれど彼ならそれをやり遂げてしまうだろうことを、千影は知っていた。なんせ自慢の息子なのだから。

「なら、その人の全てを受け止めてあげなさい。喜びも悲しみも、痛みも苦しみも。絶対にひとりで泣かせないために、ずっとその人の傍にいてあげなさい。……無理矢理にでも、ね♪」

 そう言って片目を瞑る千影に、快斗はくすぐったい笑みを零した。
 彼女はもしかしたら、快斗の想い人が誰なのかを知っているのかも知れない。彼女はいつでも全てを知りながら、静かに見守っていてくれた。
 たとえ快斗の想い人が同性で、巨大な犯罪組織を壊滅に追い込んでしまうようなとんでもなく優秀な探偵だったとしても。
 その人が――いずれ快斗を置いてどこかへ行ってしまうのだとしても。
 彼を追って行こうとする息子を、応援してくれている。
 きっと一生この人には頭が上がらないんだろうなと思いながら、快斗は小さく「ありがとう」と呟いた。
 
 
 
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