隠恋慕
それは永遠の秘密
煌びやかな杯戸市の夜景が一望できるにも関わらず、家主の興味を引くことのできなかった人工灯は、隙間なくきっちりと閉ざされたカーテンの向こうへと隠されてしまっている。その室内で、テレビから流れてくる興奮した記者の声を聞きながら、新一はテーブルの上に広げた三台のパソコンを忙しく操作していた。
一台は暗号解読機能が搭載された各国の警察機関との連絡用のパソコンであり、もう一台は米花博物館と周辺地域に設置された監視カメラ映像が映し出されたパソコンだ。そして最後の一台には、日本における組織壊滅プロジェクトの関係者のひとりである小田切警視長と彼が率いるSAT――特殊急襲部隊が、現在密かに実行中のあるミッションに関する詳細が、やはり暗号化された文字で映し出されていた。
SATまで動かしたことがもしマスコミにばれれば、かなりの大事になるだろう。それどころか、彼らを動かしたのが工藤新一だと嗅ぎつけられ、探偵と怪盗の奇妙な関係が囁かれるかも知れない。
それでも。
(俺には、お前の身の安全以上に優先すべきことはねーんだ)
万が一にも、億が一にも、彼が傷付かないように。そのためなら、多少目立った真似をして潜伏期間が伸びようとも、新一は遠慮無く使えるものを使うつもりだった。今はばらばらだけれど、自分たちは決してひとりで戦っているわけではないのだから。
両手に握り締めた携帯電話を祈るように額に押し当て、新一は素早くナンバーを打ち込んだ。
怪盗キッドが引退宣言を行ったその翌日、テレビやネット、新聞を始めとするあらゆるメディアを通し、そのニュースは全国各地、果ては世界にまで配信された。それほど、怪盗キッドこと怪盗1412号は、世界中の人々に愛される犯罪者だったのだ。
その怪盗の唐突な引退宣言は当然のように新聞の第一面を攫い、テレビのチャンネルはどこに切り替えてもその話題で持ちきりだった。
『――結局、彼はなにがしたかったんでしょう?』
『博物館関係者の発言によると、昨夜のキッドの標的だったモンティジョ伯爵家所有の宝石は、急遽展示を取り止めたそうですよ。警察はまだ詳しい事情を明かしてませんが、キッドの引退宣言となにか関わりがあるんじゃないでしょうかね』
『というと……盗まれたまま返ってきていない、ということですか?』
『その可能性もあるかも知れませんね。しかしそうなると、日本警察の責任問題に――』
スタジオの円卓を囲った司会者とゲストたちが好き勝手に様々な憶測を述べる声を、新一は聞くともなく聞いていた。
一通り全ての局のニュースと新聞、ネットには目を通したが、昨夜行われた大捕物に関するニュースはひとつもなかった。現場で指揮を執った小田切警視長、優秀なSATの隊員たち、そしてなにより彼本人が巧く事を運んでくれたのだろう。
おかげでアングラには警戒していたような情報は流れていない。彼を――キッドを黒羽快斗と結びつけるような符合も、キッドが警察と手を組んで組織壊滅プロジェクトに関わっていたことも。その裏で糸を引いていた人物にも、気付かれた様子はない。
取り敢えずは危機を乗り切れたことに、新一は安堵の溜息を吐いた。
警視庁に奇妙な予告状――まるでキッドの対策本部の関係者全てを一堂に会させるような予告状が届いた時、新一は次の標的こそがキッドの探し続けていた石――パンドラであることを確信した。
捜査一課を始め警察との関わりを一切断っている新一だが、キッドの動向に関する情報は、小田切からその後も秘密裏に報告を受けていたのだ。だからこそ、残党の手から彼を守るための準備を整えることができた。
彼にこちらの考えていることが分かるように、新一にも彼の考えていることは手に取るように分かる。
おそらくパンドラを餌に、隠れていた残党どもを誘き寄せるだろうと思っていた。そして案の定残党どもを誘き出した彼が――もしかしたら、冷静でいられないかも知れないだろうことも、分かっていた。
だから、その時は、自分の手で決着を付けたかっただろう彼を裏切ってでもいい、ただ彼に傷を負わせないために、SATに踏み込んで貰おうと思っていた。
だって――大事な人を奪われた悲しみと苦しみで、彼の心はもうずっと傷ついていたはずだから。せめてその体だけでも、守りたかったのだ。
『――キッドの犯行目的について、どうお考えですか?』
『そんなもの、奴をとっつかまえて吐かせるまでだ!』
『では、警部はこれからもキッドの捜査を続けると?』
『当然だ! 引退だかなんだか知らんが、ワシから逃げられると思うなよ、キッド!』
昨夜、まんまと怪盗に逃げ切られた後、インタビュアーからされた質問に息巻く中森のリプレイ映像が流れている。対策本部は解散したというのに、この意気込みよう。怪盗キッドが初めて現れてから二十年近くもの間追い続けてきたのだ、今更諦められるはずがないのだろう。
ただ、どれほど意気込もうともキッドが現れることはもうないし、彼が正体を暴かれるような証拠を残しているとも思えない。組織へのいい目眩ましになるからと、対策本部が解散した後も中森の行動を享受してきた小田切だが、それもそろそろなくなるだろう。
その意気込みも空回りとなってしまうことを知っている新一は、ただ小さく苦笑した。
尚もキッドの犯行目的について独自に検証するテレビに興味を無くし、新一は電源を切った。
どれほど細かに検証しようと、どれほど最もらしい理由を用意しようと、それはあくまで推測に過ぎない。彼の怪盗の犯行目的は、未来永劫、闇の中だ。ただ新一と、彼を支えてきた肉親と心優しい老人だけが知っている。
……それで、いいのだ。
人々を魅了した偉大な魔術師と、その壮絶な戦い。そして、その戦いを引き継いだもうひとりの魔術師。
なんてことはない、彼はただ、最後までショーを演じきれなかった偉大な魔術師の、最後の幕引きを行っただけなのだ。そこにどれほどの思いが、歴史があったとしても。その舞台裏を知るのは、自分たちだけでいい。観客はただ、彼の素晴らしい魔法に酔いしれていてくれさえすれば、それでいいのだ。それこそが、彼への最大の手向けとなるのだから。
新一は寝室のベッドに身を投げ込むと、ふとなにかを思い立って、ベッド脇のナイトテーブルの上に放り出されていたリモコンを取った。それは、部屋の隅に置かれたコンポのリモコンだ。何百曲という楽曲が収められたメモリーカードの中から、思い付くままに選択して再生する。やがて緩やかに流れ始めた音楽に、新一は俯せになった顔を枕に沈ませながら静かに耳を傾けた。
――ガブリエル・フォーレ作曲の、レクイエムニ短調作品48。
七曲で構成されたこの曲は、時に『三大レクイエム』と称されるほどの楽曲だ。かつては、レクイエムとしては異質だとして批判された作品だが、人々が『死の子守歌』と呼んだように、どこか優しく、温かく感じる。
なぜ、今、この曲を聴きたくなったのか。それは、暗く重く横たわる『死』を悲しむだけでなく、故人が遺してくれた確かな温もりや優しい記憶を思い出させてくれるからだろうか。それとも……憎しみという哀しい枷から解き放たれた罪人が、安らかに眠りに就けるようにと願ってなのか。それは、新一にも分からない。
けれど――
温かく染み渡る、音。
きっと、この音が鎮めるのは死者の魂だけでなく、遺された者たちの悲しみも鎮めてくれるのだ。だから、こんなにも優しく響くのだろう。
「……かいと……」
まだ、彼は帰れない。手に入れたパンドラを破壊し、その愚かな夢の終わりを見届けるまでは。
分かっていても、逸る心は止められない。今すぐにでも会って、抱き締めて、言ってやりたい。
お疲れさま、そして、おかえり――と。
「早く俺のもとに帰ってこい、快斗……」
その呟きもまた、誰も知らない。
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