隠恋慕
Speak low, if you speak love.
絶対幸福宣言
「俺と付き合ってよ、名探偵」
このご時世に怪盗を名乗るだけあって、この男の頭からは、やはりほとんどのネジが抜け落ちているらしい。
新一は思ったまま素直に答えた。
「……バカじゃねえの?」
学校からの帰り道、いつものように幼馴染みとその友人の買い物に付き合わされ、歩き回るのにうんざりした新一が、ちょうど目に入ったファーストフード店の一席に腰を下ろしたときだった。新一が座るのと同時に、前の席に座った男がいた。
――黒羽快斗。
自ら怪盗の正体であると、一輪挿しの薔薇と満面の笑みとともに告げられたことは、まだ記憶に新しい。
その黒羽快斗が、こちらの断りもなく、目の前に座っている。新一は不機嫌も露わに睨みつけた。
「……おい。俺がいつ、そこに座っていいと言った? つーかなんでてめーがここにいるんだよ」
「おまえに会いに来たに決まってんだろ。メールしたのに、全然返してくれねーんだもんな」
「てめーにアドレスを教えた覚えはない。よって、知らないやつからのメールに返信する理由はない」
「俺からのメールだって分かってるくせに」
むう、とむくれる相手から目を逸らす。
もちろん本気で気づいていないわけはなかったが、だからといってどう返せというのだ。「学校終わったら迎えに行く」とか「どっか遊びに行こうぜ」とか。そこで終わっていれば、「ふざけるな」と一言返して終わりなのだが、メールの最後にはいつも決まって「愛してるぜ」という類の口説き文句が書かれているのだ。
そうなのだ。新一が求められているのは、友情ではなく、なぜか恋情だった。
ある日、突然、怪盗の犯行現場で怪盗に告白された。恋愛対象どころか圏外だった新一は、盛大に呆れた上で、あっさり振った。友情を求められても困るが、恋情なんて以ての外だ。なぜなら新一は探偵であり、相手は怪盗なのだから。
しかし、振られることは想定内だったらしい怪盗は、諦めるどころか、今世紀最大の謎とまで謳われた稀代の大怪盗の正体をいともあっさりと明かしてみせ、以来しつこく新一を追い回している。いや、しつこいなんてものじゃない。行く先々でこうして現れるのは、明らかに盗聴か尾行をしているからに違いない。言うまでもなく、犯罪である。
いっそ通報してやろうかとも思った新一だが、工藤新一がストーカー被害だなんて冗談じゃないし、まして怪盗の正体を密告するなど、自力で暴いたわけでもないそれを、まるで自分の手柄のように扱うことは、新一のプライドが許さなかった。
結果として、新一ができることといえば、こうしてつきまとう怪盗を、絶対零度の言葉と態度であしらい続けることだけだった。
しかし、相手は怪盗キッドなのだ。
「新一、ちょっと顔色がよくないぜ。昨日ちゃんと寝なかっただろ? そんな状態なのに蘭ちゃんたちに付き合ってあげるなんて、優しいのもいいけど、ほどほどにしとけよ?」
俺が妬くし、と笑って、黒羽の手がするりと頬を撫でる。
新一はカッとなって、その手を弾き飛ばした。
「るせえ、勝手に触んな!」
睨みつけながら怒鳴ったというのに、黒羽の頬がへらりと緩む。それがまた腹立たしい。
今日一日、誰にも――蘭にさえ気づかれなかったというのに、会ったばかりの黒羽に一目で見抜かれるなんて。屈辱だ。その上優しいだの妬くだのと、そんなこっ恥ずかしいことを平然と口にできるなんて。信じられない。
大体にして、この男は気障なのだ。新一なら、もしかしたら一生かかっても言えないようなことを、まるで挨拶のように口にする。気障な怪盗を演じているだけあり、きっと言い慣れているのだろう。
腹立たしいやら恥ずかしいやらで熱くなった頬を冷まそうと、アイスコーヒーを飲んでいると、遠くの方で悲鳴が上がった。と言っても、恐怖の絶叫ではない。それとは別だが、ある意味聞き慣れた歓喜の絶叫だ。
「工藤新一だ!」
名前を呼ばれて振り返れば、女子高生が二人、赤らめた顔でこちらを指さしている。それも別段、珍しいことではない。新一ほど有名な探偵ともなれば、街に出れば必ずこういう事態が起こる。だからこそ、用がない限り無意味な外出はしない新一だ。
新一が振り向いたことで確信を深めた女子高生たちは、急いで駆け寄ってきた。その行動のせいで、それまで新一の存在に気づいていなかった他の客までもがこちらに気づき、ざわつき出す。
「あ、あの! 探偵の工藤新一さん、ですよねっ?」
「えーと、まあ、そうですね」
「あああの、私、すっごいファンで! サ、サインとかもらってもいいですか!」
気の毒なくらい顔を真っ赤にした女の子は、端から見てもとても可愛い。フェミニストの怪盗ほどではないが、ほんの少しの我が侭くらい、笑って許してあげたくなるくらいには。
「ボールペンしか持ってないから、それでもよければ」
「十分です……!」
大慌てで手帳を取り出す女の子たちを微笑ましく見守っていると、ふと視線を感じて、新一は黒羽の方を見た。珍しく愛想笑いのひとつも浮かべていない無表情な黒羽が、じっとこちらを見ている。
「……んだよ?」
「……別に」
無愛想な返事も珍しく、内心首を傾げた新一だが、すぐに差し出された手帳に意識が向く。名前を聞いて、その子たちの名前と、大してひねりのないサインを書けば、二人はほのかに涙ぐんでさえいた。
「あ、あの、よかったら、その、握手とか――」
そう、女の子の一人が、言い終わるか、言い終わらないかのうちのことだった。
突然立ち上がった黒羽が、おもむろに新一の手を掴んだかと思うと。
「ごめんね。サインぐらいならいいけど、新一に触っていいのは、俺だけだから」
女の子たちの口がポカンと開く。周りの客たちも、ついでに新一の口も、ポカンと開く。
その隙に黒羽は、掴んだ手を引っ張って、新一を店から連れだしてしまった。
三歩ほど引っ張られたところですぐに我に返った新一だったが、名前を呼ぼうが腕を引こうが、黒羽の足取りは一向に変わらず、結局人気のない路地裏まで引っ張り込まれてしまった。
「おいっ、黒羽!」
ようやく黒羽が立ち止まったところで怒鳴りつければ、勢い良く振り返った相手に、思いきり抱き締められていた。
「ちょっ、おい! いい加減にしろよ、わけわかんねえぞ、てめえ!」
「――うるさいうるさいうるさい!」
怒鳴ったはずが怒鳴り返され、新一は思わず息を飲んだ。
「知ってたけどさ! 新一が格好良くて有名でモテモテだなんて、そんなの分かってたけど! 嫌なもんは嫌なんだから、仕方ねえだろ!」
新一なんか、俺だけに好かれてればいいのに!
なんで他の奴らまで好きになるんだよ、ちくしょう!
そう言って頑是無い子供のように喚き散らす黒羽を前に、新一はまたも放心していた。
黒羽快斗が、こんな、まるで駄々をこねるように喚いたり取り乱したりするなどとは、夢にも思わなかった。確かに子供っぽいところはあるが、むず痒くなる台詞をあまりにも容易く口にするものだから、きっとこんなことには――色恋には――慣れているのだろうと思っていた。新一のように、相手の言動にいちいち振り回されることなどないのだろうと、勝手に思っていた。それなのに。
「おまえ……そんなに俺が好きなのか?」
「当たり前だろ! 男で、探偵で、しかも可愛い幼馴染みまでいるってのに、伊達や酔狂なんかで告れるかよ!」
それは全く、その通りだ。男で、怪盗で、その上可愛い幼馴染みがいるこの男が、本気で自分を好きになるはずなどないと、ずっと思っていたのだから。
だが言われてみれば、その障害を全て無視しての告白なら、それは確かに真実なのだろう。
「おまえ……そんなに俺が好きなのか」
同じ台詞を繰り返せば、疑われていると感じた黒羽は、抱き締めたまま顔だけを上げて。
そしてそのまま、言葉を止めた。
「……しょうがねえから、降参してやるよ」
言葉に似合わぬ甘い口調と、とろけるような笑み。
まるで幸福が綻び花開くような、そんな笑みとともに抱き締め返されれば、黒羽にはもう、なにひとつ抗うことなどできなかった。
「……も、その顔、反則だろ……っ」
そう言って赤面する、その顔こそ、新一にとっての反則であることを、黒羽はまだ知らない。まさかこの手に堕ちてくるなどとは思いもしなかったから、ただ見上げていようと思っていたことなど、この男は知りもしないだろう。
だがもういいのだと、新一は微笑った。
だって、負けを認めるのは悔しいけれど、これはただの敗北ではない。
これは、幸福への降伏なのだから。
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