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Peter Pan Crime 10




「……はぁ」
 溜息を吐くと幸せが逃げていく、と言うけれど、近頃の快斗は溜息を吐く回数が増えた。別段幸せが遠ざかった感じはない――むしろその逆だと思うけれど、それでも、確かにこの状況は辛いものがあるかも知れない。
 というか、辛い。
 ちら、と視線を右に流せば、吐息がかかるほどの距離に端正な顔――工藤の寝顔がある。快斗の右肩を枕代わりに頭を預け、深く穏やかな寝息を立てている。それは最早見慣れた光景だった。
 いつものように彼の家を訪れた快斗は、彼と一緒に借りてきたDVDを見ていた。スプリングの利いたソファに並んで座り、時折二人でくだらない茶々を入れたりして。そして隣が静かになったと思ったら、ずしりと肩に重みがかかった。見れば、クッションを抱えた探偵がすこやかに眠っていた。
 初めて彼を自宅に送り届けたときからそうだったが、工藤はとにかく、よく眠る。外にいるときに眠ったことは一度もないが、こうして自宅にいると張っていた気が緩むのか、眠ってしまうことが多かった。最初は手持ち無沙汰になってどうすればいいか悩んだものだったが、最近では工藤が自分で目を覚ますまで放っておくことにしている。工藤の方も故意に寝ているわけではないらしく、いつの間にか眠ってしまっている自分に慌てていることが多い。それも最近では、またか、という自己嫌悪になりつつあるが。しかしそれほど疲れていながらも快斗との時間をつくってくれる彼に、文句があるはずもなかった。
 ではいったいなにが辛いのかと言えば――狂ったように早鐘を打つ、この心臓だ。
 普段はまったく意識もしないのに、こうして二人きりの空間で無防備に眠る工藤を見ていると、途端に心臓が狂いだす。それにこの距離も問題だ。頬をくすぐる柔らかい髪の感触だとか、肩に伝わる温かさだとか、ほんの少し俯くだけで触れてしまいそうな、唇、だとか。
 ――自分は病気なのだと、快斗は再び溜息を吐いて左手で額を押さえた。
 同性の友人相手に抱く感情じゃないことは分かっている。ではいったいどういう感情なのかと言えば、それこそが気づかされたくなくて、快斗は今はまだ見て見ぬ振りをした。それだって限界があるけれど。
 そうして一人悶々と悩んでいた快斗は、遠くで幽かに物音がすることに気がついた。玄関の方からだ。しかも鍵を開ける音のように聞える。
 工藤の両親はアメリカに住んでいると聞いていた快斗は不審に思った。彼らが突然帰国する可能性もあるが、普通は帰る前に連絡くらい入れるだろう。それならそれで工藤から事前に聞かされているはずだ。
 実際には予告なしに帰国して息子を驚かせて楽しむような両親なのだが、記憶のない快斗には与り知らぬことである。
 工藤を起こさないようにそっと隣を抜け出し、自分の背中に敷いていたクッションの上に寝かせると、快斗は音を立てないように忍び足で玄関へと向かった。聡い探偵は目を覚ますかとも思ったが、余程深く眠っているのか、幸いにも彼が起き出す気配はない。
 そうして音も気配もなく玄関までやってきた快斗は、今まさに扉を開けて入ってきた人物を見て、思わず動きを止めた。
 赤みがかった栗色の髪と淡いグレーの瞳を持った、どこか日本人離れした美貌の女性。クラスメートに一人やたらと見目の良い女生徒がいるが、それとはまた違ったタイプの美人だ。すらりと伸びた手足に纏った白衣がよく似合う、理知的な女性である。
「あらいたの、工藤くん……え?」
 こちらに気づいた女性が声をかけ、しかし話している相手が工藤ではないと気づいて驚いている。
 どうやら案じていたような不審人物ではなかったようだが、知り合いなら知り合いで別の焦りが湧きあがった。鍵を預けるほど親しい間柄の、それもこんな美人の知り合いがいるなんて。まさか彼女が噂の幼馴染だろうか。
「……あなた、誰?」
 鋭く問われ、ひやりとしたものが走り抜けた。美人に睨まれると妙な迫力があると言うけれど、それだけではない鋭さが声に滲んでいる。
「どうも。工藤の友達の、黒羽です」
「……工藤君は?」
「工藤なら今リビングで――」
 寝てる、と言おうとした声に、工藤の声が重なった。
「――ああ、なんだ宮野か。誰かと思った」
 振り返れば、ついさっきまで眠っていたとは思えないほど冴えた眼差しの工藤が立っていた。いつの間に起きてきたのかとやや驚く快斗だが、それよりも、宮野、と初めて聞く名前を耳聡く記憶する。どうやら幼馴染の毛利蘭ではないようだ。
 彼の姿を見て安心したらしい宮野は、きつくひそめられていた柳眉を幾分和らげた。
「なんだじゃないわよ。何度もメールしたのにちっとも返事がこないから、てっきりまた貴方の大好きな事件に夢中なんだと思ってたわ」
「まじか。悪ぃ、気づかなかった。なんか用だったのか?」
「……何度言えばその優秀なオツムに、『定期健診』の四文字を覚えさせることができるのかしら?」
「げっ」
 背後にブリザードを背負った宮野の冷たい声に、工藤が顔を引き攣らせた。
 一人置いてけぼりの快斗が遠慮がちに工藤を見遣れば、ようやく彼は快斗の存在を思い出してくれたようだ。
「悪ぃ、黒羽。隣に居候してる宮野だ。宮野、こっちは黒羽な。俺のダチ」
「よろしく」
「あ、どーも」
 目礼さえくれない相手に気後れするも、快斗としても別段お近づきになりたいわけでもないので、軽く頭を下げるだけに留める。
 そんなことよりも快斗には気になることがあった。
「工藤、定期健診って? どっか悪いのか?」
「あー、そんなんじゃなくて。こいつ、医師免許持ってるからさ。探偵は体が資本だろ? だから健康管理してもらってるというか、監視されてるというか」
 最後の台詞は聞き捨てならないとばかりにじろりと睨んでくる宮野に、工藤は悪戯がばれた子供のように笑った。それだけで、彼女との関係が気安いものなのだと分かる。彼女はいないと聞いていたが、それでも工藤ほどの男を周りがいつまでも放っておくとも思えず、快斗の心中は穏やかではなかった。
 けれど工藤の言うように探偵は体が資本だし、工藤を見ているといつか過労で倒れるんじゃないかと本気で心配になるので、ちゃんと健康管理をしてくれる人がいると知って安心もしていた。
「……まあいいわ。来客中なら仕方ないわね。健診は夜でいいから、忘れずに来ること。いいわね?」
「ああ、悪かった」
「それと、借りたい資料があるんだけどいいかしら? 貴方はいないと思ったから、借りていこうと思ってお邪魔したんだけど」
「ああ、昨日言ってたやつだろ? 後で持って行くつもりで出してあるんだ。持ってくるから、ちょっと待っててくれ」
 言うなり、工藤は踵を返して奥へと消えてしまった。初対面の女性とふたりきりにされ、なんとなく気まずい空気を誤魔化すように見るともなく工藤の去った廊下へと視線を向けていた快斗だったが。
「――それで、あなたは何者かしら?」
 工藤の前で見せていた、どこか人を突き放した口調の中にも温かみがあったそれとは一変し、まるで氷のナイフのように鋭く切り込んできた宮野に、快斗は軽く息を呑んだ。振り返って見てみれば、まるで不審者を見るような目で睨まれている。質問の意図も内容もよく分からないが、そもそもにして、初対面の女性にこんな風に睨まれる理由が分からない。
「……どういう意味?」
 快斗もまた、訝るように問い返した。
「彼がこの家に人をあげてるところを初めて見たわ。探偵なんて特殊なことをしているからか、彼、警戒心が強いのよ」
 実際には犯罪組織に命を狙われるという特殊な状況下にあったからであり、それは宮野自身にも言えることだったが、そんなことを目の前の不審人物に素直に話すわけもなかった。しかし、新一が身内を除き、宮野と阿笠以外の人を家にあげているところを見たことがないのは事実だった。あの幼馴染みの毛利蘭でさえあがらせない徹底ぶりである。それには、組織との戦いでこの家が活動拠点のひとつであったことが大いに関係していた。
 けれどそんなことは露とも知らない快斗は、宮野の言葉に戸惑うばかりだった。なにせ、具合の悪い工藤をタクシーで自宅に送り届けて以来、特に拒まれることなく何度となくこの家には通っているのだ。
「そう言われても……俺は工藤みたいな探偵でもない、ただの高校生なんだけど……」
 普通じゃないと言えば、事故に遭っていくらか記憶が足りないくらいだ。あとはマジックという特殊なスキルを持ってはいるが、まだ舞台にも立っていないアマチュアの身でマジシャンを名乗るつもりもない。そしてそんなプライベートなことを、見ず知らずの女性に打ち明けるわけもなかった。
 快斗が答えあぐねていると、数冊の本を持った工藤がやっと戻ってきてくれた。
「お待たせ……って、どうかしたか? 二人とも」
 二人の間に漂う微妙な空気を感じ取った工藤が小首を傾げた。
 彼女から謎の尋問を受けていました、と正直に話していいものか快斗が悩んでいると、宮野はあっさり口を割った。
「随分と貴方と親しいみたいだから、彼が何者か問い質していただけよ」
「おいおい……程々にしといてくれよ。ただでさえオメーの尋問は怖えんだから」
「あら。怖がるなんて、やっぱりなにか悪巧みでもしてたのかしら?」
 半眼になって睨みつける彼女に、工藤は困ったように眉を下げながら頭を掻いた。
 どうやらこれがこの二人の常態らしい。思わぬ迫力につい腰が引けてしまった快斗だが、快斗を特別敵対視しているわけではないようだ。
 快斗の緊張が薄れたことを感じたのか、宮野は工藤から本を受け取ると、快斗を振り返ってくすりと笑った。
「ごめんなさいね。彼、最近私に隠れてなにかやってるみたいだったから、てっきり工藤君の悪巧みのお仲間かと思ったんだけど。私の勘違いだったみたい」
 忘れてちょうだい、と言って、軽く手を振って玄関を出ていく宮野に、快斗はただ「はあ」と間の抜けた声を返すことしかできなかった。
 なんというか、妙な迫力のある人だった。ただ顔立ちが整っているという単純な話ではなく、その表情や仕草に滲み出る凄みがあった。事情聴取で病室を訪れてきた警察相手にさえ一切尻込みしなかった快斗だが、彼女には睨まれただけで思わず怯みそうになるなにかがあった。流石は工藤の知人である。
「悪かったな、黒羽。宮野のやつになにか言われたか?」
 工藤に謝られ、快斗は慌てて首を振った。
「いや、別に工藤が悪いわけじゃないし! それに言うほど大したことも言われてない……と思う」
 ただ、何者か、と聞かれただけだ。工藤から友人だと紹介された上でそう聞かれても、自分たちの関係にそれ以外にどんな呼び名をつければいいのか思い浮かばず、困ってしまったけれど。

 それよりも快斗が気になるのは、彼女が言っていた「悪巧み」とやらについてだった。
 この工藤をしてそんな言葉は似合わない――とは言わない。世間一般でこの探偵がどんなに素晴らしい探偵と賞賛されているか知らない快斗ではないが、彼が世間で言われるほど正義感に溢れる清廉潔白な男ではないことは、この短い付き合いの中でも理解していた。

 工藤は、目の前で起きた犯罪を見過ごせないという正義感を確かに持ってはいるが、それと同時に自らの頭脳を満足させる謎そのものに飢えているところがある。そしてそれを本人も自覚しているため、普段は表に出さないように気をつけてはいるのだが、時に行動が行き過ぎることもある。それは犯人を捕まえるためなら多少過激な行動も辞さない姿勢であったり――自らの保身を度外視してしまう傾向であったり。
 目的を果たすためなら、彼にとってのファウルを犯さない限りは手段を厭わない。それが端から見れば「悪巧み」と取られてしまっても仕方ないだろう。
「工藤……ほんとに無茶してない?」
 快斗は不意に真剣な顔になって工藤を見つめた。気づけば眠っていることの多い工藤を見ていると、悪巧みかどうかは別にしても、彼の体が疲弊しているのは間違いない。
 真剣な快斗を、工藤もあしらうことはしなかった。真っ直ぐこちらを見返し、笑いながらも真面目に答えてくれた。
「心配いらねーよ。おまえの言う無茶がどの程度かは分からねーけど、俺は俺のやりたいことをやってるだけだ。それに……」
 不意に工藤は笑みを深めた。その表情が思わずどきりとするほど柔らかくて、快斗は我知らず呼吸を止めた。
「俺は結構、今が気に入ってんだ」
 おまえと過ごす、この今が。
 自分たちは決して浅からぬ仲だったが、だからと言ってこうして家に招くような気安い間柄でもなかった。探偵と怪盗という、本来なら対立すべき関係だったのだから当然だ。
 けれど存外、彼と過ごすなんの変哲もない日常というのも悪くないと新一は感じていた。それこそ、気を抜き過ぎて眠りこけてしまうくらいには。
 言葉にはしなくともそうした思いが滲み出ていたのだろう。そんな工藤の表情を見て、快斗はじわじわと顔に熱が集まっていくのを感じていた。
 幼馴染みでさえあげないという自宅にあがることを許されている。そんなことを聞かされて、その上こんな顔でそんなことを言われた日には、どれほど謙虚な人間だって自惚れるというものだ。もしかしたら自分は、彼の中で特別なのかも知れない、と。
 嬉しくないはずがなかった。快斗にとって工藤は、もうとっくに特別な存在だった。
(ほんと……幸せすぎるから、困る)
 零れそうになる溜息をぐっと飲み込む。
 まだ、気づきたくない。まだ、見て見ぬふりをしていたい。そうしなければ、きっと簡単にこの心は零れてしまうだろうから。そして一度零れてしまえば、いとも容易くこの幸せは壊れてしまうだろうから。
 だから、今はまだ、と。
 逃げるように、快斗は静かに目を伏せた。



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