隠恋慕
K.I.D. 15
大慌てで、取るモノ取らずで駆け出して。
気付いたらまだ制服のままだったけど、今更気にすることでもなかった。
彼は知らないだろうけど、教えたのは紛れもない本当の名前で。
晒していたのも本当の素顔で。
今更、そんなものはどうでも良かった。
怪盗だとか、探偵だとか。
自分が怪盗である前に、俺は黒羽快斗で。
彼が探偵である前に、彼は工藤新一で。
ただ、顔が見たかった。
顔を見て、声を聞いて、出来るのなら触れたかった。
失っても消えることのなかった熱を、この腕の中に感じたかった。
思い切り抱き締めて。
そして伝えたいのは……
「…新一っ…」
呆然と佇む彼を、溢れてくる気持ちのままめちゃくちゃに抱き締めた。
* * *
ドアを開けたら、そこには居るはずの男が居なくて、居ないはずの怪盗が立ってた。
絶対に逢いたくないと思いながら、凄く逢いたくて仕方なかったから。
幻でも見たのかと…真剣に思った。
でも、その幻は視界に入った途端抱きついてきて。
抱きついてきたその衝撃を堪えることが出来なくて、ふたりはそのまま玄関先で倒れ込んでしまった。
それでもなお骨も軋む勢いで、ぎゅうっと抱き締めてきて。
その腕の強さが…幻じゃないんだって証拠。
「…新一っ…」
耳に気持ちいい低めの声は、聞きたくて仕方なかった大好きなあの声。
抱き締めてくる、夜空を舞う白い魔術師の腕も。
頬に掛かる癖のある髪も。
何もかも。
哀しいぐらい、知っていて。
「新一、新一、新一…っ」
何度も何度も繰り返し呟かれるのは、自分の名前。
まるでそれしか知らない子供のように、譫言のように繰り返される。
秘められた、激しく揺れる感情の渦を忠実に伝えてくる、熱っぽい声音。
「…キッド……」
新一はまわされた腕を払うことも出来ずに、ただ呆然と名前を呼ぶしかなかった。
どれぐらいそうしていただろうか、多分時間にしたらさほど長くもない時間。
一分にも満たない、短い数秒間。
でも、ふたりにとっては…永遠にも近い時間。
先に口火を切ったのは快斗の方だった。
「…新一……ごめんね。」
抱き締めていた腕を解いて、ゆっくりと体を離す。
上体を起こした快斗を見て。
新一は言葉を失った。
「…キ…、ッド……」
頬を伝うのが涙で、快斗が泣いているのだと知って。
新一は理由の解らない衝撃を受けた。
自分が泣いていると気付いているのかいないのか、快斗はまるで頓着してない様子で続ける。
「ごめんね。ずっと謝りたかった。ほんとに、ごめん…。」
「何、言ってんだ、よ…」
何も、快斗に謝られなければならないようなことはないのに。
悪いのは自分なのに。
勝手に約束を破ったのも、勝手に現実から逃げたのも、…勝手に、好きになったのも。
全ては、己が招いたことなのに。
「新一を追いつめたのは俺だ。あんなに生き生きしてたのに…お前の瞳を曇らせたのは、俺の所為だから、だから…ごめんなさい。」
流れ落ちる涙がまるでスローモーションのようだ。
なんでこいつはこんなに綺麗に泣くんだろう。
彼は悪くないのに。
泣く必要は、ないのに。
「違うっ!お前は何も悪くない、謝ることはないんだっ」
必死の声で否定した新一に、快斗はただ泣いたままにこりと穏やかに微笑んで。
ふわりと両手で新一の頬を挟み込んだ。
「…この一週間、必死で新一の行方を捜してた。」
「ごめん…約束破って…」
「…なにがなんでも絶対に新一を見つけてやるって思ってた。見つけて、逢って、抱き締めて、謝って。」
「キッド…」
「でも、キスしたことは謝らない。だって後悔なんか少しもしてないんだ。」
「……え?」
新一の瞳が見開かれるのを、快斗はは断罪を責められる心地で見つめていた。
ここで止めてしまえば楽だろう。
でも。
もう戻れないところまで来ているのだ。
この気持ちは、もうこの胸のうちだけでは収まらない。
「新一は…俺のことなんて、嫌いかも知れないけど…。」
自分で呟いた言葉が突き刺さる。
こんなことで、面と向かって彼に“嫌い”だと言われたら。
自分はどうなってしまうのだろう。
「怪我して、なんの義理もないのに転がり込んで…勝手な思いで傷つけて…泣かせちゃったし…」
嫌われたっておかしくない、むしろ好かれる方が難しいほど。
「俺は怪盗で、新一にとっては敵でしかないのかも知れない、けど…それでも…
…新一のことが、…好き、だ……。」
この世界の、誰よりも。
居ないとばかり思っていた神様は、居るのかも知れないと、思った。
「それ、本気、かよ…っ」
知らず冷たいモノが頬を伝った。
新一もまた、涙を流していたのだった。
願ったものが、あまりに突然に、手の中に舞い込んできた。
都合の良い夢を見ているのかも知れない。
そう思ってしまうのも無理はないだろう?
だって、それほどまでに焦がれたのだ。
夢を紡ぎ出す魔法の指先も。
幸せを囁く優しい声も。
意志を秘めた強い双眸も。
全部、全部。
焦がれて、仕方がなかった…
快斗は返事の変わりに、新一の体を再び抱き締めた。
拒絶される恐怖と、受け入れられる願望をない交ぜにした気持ちのまま。
ただ、疑われることだけはないようにと。
「新一が大好きだ。ずっと…愛してた。今も、これからも…嫌われても…この気持ちだけは偽れない…ッ」
めちゃくちゃに抱き締めたい気持ちを、腕に込める力で伝えた。
「受け入れてくれなくても…この気持ちを認めてくれたら、それで…」
それで、構わない。
続けたかった言葉は、新一の両手が奪ってしまった。
それまで腕の中でじっとしていた彼の両手が伸びて、交差するように快斗の口を覆った。
それ以上は言うな、と。
快斗はそれを拒絶と受け取って、哀しさと切なさを織り交ぜた色を瞳に浮かべたが。
「俺、も……。」
新一が微かな呟きを嗚咽に混ぜて吐いた。
俺も?
…俺も、なに?
新一……!
口を押さえられているため、快斗は目で必死に訴えた。
その先の言葉を、どうしても聞きたい…!
「…俺も……お前、が……」
吐息も触れんばかりの距離で、新一が囁く。
小さな小さな声で。
この世の誰にも、目の前の男以外には聞き取れない声で。
………スキ。
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