隠恋慕
Second kiss 4
今夜の標的が展示された美術館からそう遠くないビルの屋上に、怪盗はいた。
数羽の白鳩と戯れる姿でさえ優美な怪盗には、主人の言いつけを守る忠実な鳩のおかげで、警備の様子がまるで手に取るように判る。
いつかのインペリアル・イースター・エッグの際にも使わせて貰った方法だ。
インカムから聞こえてくる遣り取りに、キッドの口許には不適な笑みが浮かぶ。
「…相変わらず容赦がないですね、私の名探偵は。」
進入経路として考えていた場所をことごとく塞がれ、キッドは作戦の変更を余儀なくされた。
けれど、浮かぶのはどこまでも愉しげな笑みで。
キッドとの勝負を放り出したあの日から、新一は一度も現場に顔を出そうとはしない。
それはキッドの気持ちを酌んでくれてのことだが、自分としては少し物足りない、と言うのがキッドの正直な気持ちだった。
熱血警部をからかうのは確かに楽しいが、力不足は否めない。
倫敦帰りの探偵との対峙にも緊張感や昂揚感はあるけれど、やはり違うのだ。
あの蒼の慧眼を前にした胸の高鳴りは、他の何を持ってしても代えることは出来ない。
やはり自分はどこまでいっても彼を求めるのだと、キッドがその笑みを深めた時。
「――――――え?」
ほんの一瞬、ポーカーフェイスが崩れてしまった。
インカムを通して聞こえてくる声は新一と白馬のもの。
唐突に始まった脈絡のない会話が自分のことを指しているのだと知り、思わず口許を手で押さえた。
朗々と話す白馬。
黙って聞いている新一。
――――――ただ、真実が知りたいだけ。
その言葉は、少なくともキッドのポーカーフェイスを崩させるほどには、キッドにとって意外なものだった。
黒羽快斗が怪盗キッドだと言って憚らないあの白馬が、自分のことをそんな風に思っていたとは……
正直、自分の正義を押付けてくる嫌味な探偵ぐらいにしか思っていなかった。
快斗にとって彼は鬱陶しい存在で、キッドにとってもただのライバルに過ぎない存在。
謎を解き明かす探偵のクセに「なぜこんなことを」と聞いてくるなんて、とんだ勘違い男だ、と。
「……他人の心の中など、所詮泥棒には判らないということでしょうか。」
誰かに理解してもらえることの歓びを教えてくれたのは、新一。
その歓びを共有することを教えてくれたのも、人を愛することの切なさと甘さを教えてくれたのも新一だ。
彼に出逢えて本当に良かったと思う。
彼といれば全てが巧くいく、そんな錯覚にさえ陥ってしまうそうだ。
彼のおかげで今こうして白馬の本音を聞くことができる。
新一がいなければ白馬自身その本音に気付かなかっただろうし、自分がそれを知ることもなかった。
誰よりも大切な人が自分を認めてくれるから、白馬の心も素直に信じることが出来るのだ。
キッドの笑みが深くなる。
けれどそれはシニカルなものではなく、昼の彼を思い起こさせるような暖かいもので。
何だか今日は、いつも以上に素晴らしいショーを披露できそうだ。
さあ、今夜はどんなことをして彼らの度肝を抜いてやろうか?
「Ladies and gentlemen,and…」
――――――愛しの名探偵。
シルクハットの鍔を掴み、囁くような声で怪盗が魔法を唱える。
今この囁きは彼の人のもとには届かないけれど、帰ったら呆れるほどその耳に直接囁いてやろうと心に決めて。
純白のマントをひらりと翻すと、キッドは躊躇いなく真下に広がる星屑の海へとダイブした。
「通風口という通風口に警官を配備、警官はマスク着用。地下には無数の防犯センサー。更に展示ケースには開発途中で未発表の防犯システム。」
12月も終わりの終わりともなればだいぶ冷え込む。
ちょっとでも油断すれば直ぐさま体温を奪われていきそうで、服部は両手をポケットに突っ込んで寒そうに身を縮めながら、今回の警備の状況を判りやすく説明した。
それを隣で聞く新一は、同じ屋上の寒風に晒されているというのに、まるでそんなことには気付いていない様子だ。
服部と同じように両手をポケットに突っ込んではいるものの、それは普段からの彼のスタイルというだけで、寒さなどまるで忘れてしまっている。
これから訪れるだろう最高の好敵手にして恋人である男との対決が、愉しみで愉しみで仕方ないのだろう。
何と言っても久しぶりの対決だ。
服部ですら心躍らずにいられない怪盗とのそれに、どうしてこの好奇心旺盛な探偵が大人しくしていられようか。
そんな新一の様子にこっそり苦笑した服部が言う。
「こんだけ完璧な警備やったら、さすがのキッドもお手上げなんちゃう?」
「バーロ。完璧な警備なんてねーよ。俺たちは人間だからな。どこからでも容易に崩れちまう。」
「せやけど、あの未開発の防犯システムを突破するんは、なんぼ相手がキッドや言うても無理なんちゃうん?」
確かに、時間があれば頭の良いあの泥棒のこと、解除するのもわけないかも知れないが。
けれど生憎、それを易々と見逃してくれるほど日本警察は易しくない。
怪盗の不利は明らかだ。
だからこそ服部はそう言ったのだが、けれど新一は神妙な顔つきで首を横に振るのだ。
「甘いぜ、服部。相手はあの怪盗キッドだぞ。」
「…なんやねん?」
「あの怪盗がこういった事態を予想してないと思うか?警備の上で、世間に出回ってない最新型の防犯システムを導入することぐらい、俺にだって予想できるぜ。」
「そらまあ、俺かて予想つくけどやな。」
勿体ぶる新一に、服部は早く話せと視線で促す。
すると、新一は耳打ちするように小声で言うのだ。
「快斗の奴、普段からそういう情報には目ざとくてさ。今回のヤツにもあいつ自身が携わってるらしいんだ。」
これにはさすがの服部も目を丸くしてしまった。
仮にも探偵の家で堂々と裏工作を労しているとは、なんとも不貞不貞しい男である。
が、黒羽ならそれも有り得る…と服部は乾いた笑みを張り付けるのだった。
快斗がキッドとしての資金をどこから調達しているのか、普段から不思議に思っていた。
初代怪盗キッドである黒羽盗一氏は、妻子がふたり平凡に暮らしていくための遺産を充分に残してくれているが、快斗は決してそこに手をつけようとしない。
あの金は母とふたりで暮らしていくためのもので、勝手に怪盗を引き継いだ自分のために使っていいものではない、と言うのが快斗の主張だ。
確かにそれには頷けるが、だからと言って快斗がバイトをしている姿など見たこともない。
そんな彼がどこから活動資金を得ているのかと不思議に思っていたが、何てことはない、家で出来るバイトをしていたのだ。
インターネットとはそういうものである。
「…まさか、犯罪者を捕まえるためのモンを犯罪者が創ってるとは、誰も思わんやろな…」
「そりゃな。ま、俺がキッドでもやるだろうけど。」
工藤新一、さらりと爆弾発言をかましてくれる。
一瞬ぎょっとなった服部が、新一が探偵という道を選んでくれたことに心底感謝したことは、もちろん新一は知る由もない。
彼が敵側に回れば間違いなく警察組織では手に追えなくなるであろう事実を、服部は良く理解していた。
「まあ、そんな訳だからさ、きっとあいつは俺の手をかいくぐるはずだ。」
「珍しいやん。負け、認めるん?」
「ちげーよ。ただ、今回は探偵が3人も揃ってるんだぜ?あっちの気合いも相当なはずだ。それに…」
不意に視線を逸らした新一が、微かに頬を染めながらぶっきらぼうに言う。
「こっちには、惚れた弱みがあるんだよ…」
その顔の、犯罪的なまでに可愛らしいことと言ったら。
この場に本人がいたらもれなく熱い抱擁でも見せつけられてしまいそうな台詞に、本日三度目の度肝を抜かれた服部だった。
滅多に聞くことのない名探偵の本音だけに、免疫のない服部は内心でこの場にいない泥棒をけちょんけちょんに貶してみる。
だって自分は、あれ以来進展がないだの新一の本音が聞けないだの、さんざん惚気まがいの愚痴を聞いているのだ。
それがどうだ。
知らないのは本人たちばかりで、結局は互いを想い合っているちゃんとした恋人ではないか。
まともに付き合ってやっている自分は随分とお人好しである。
その点の自覚があるだけに、服部はもう苦笑するしかない。
けれどその笑みがどこまでも暖かいものであるからこそ、新一と快斗に信頼を寄せられているのだ。
「服部、お前は下で待機しててくれるか?」
と、一瞬で探偵の顔に戻った新一。
この、探偵の顔になった時の気持ちいいくらいに冴え渡る蒼い瞳が、服部だけでなく多くの人の心を捕えて止まないのだ。
服部が視線でなぜかを問うと、クイ、と新一は口端を持ち上げた。
「下でバイクを用意しててくれ。あいつが逃走を図ったときに直ぐに出れるようにな。」
「…なるほど。」
「俺はこっちで指示を出したらお前のとこに行く。中継地点の予想はつけてるから、2ケツで行くぞ。」
「おっしゃ、了解や!たまにはあいつに吠え面かかしたろ!」
勢い込んで腕をならした服部は、ニッカリと新一に笑顔を残して足早に階下へと降りていく。
ひとりになった空間で、新一は夜空に懸かった月を見上げた。
ここは肌寒いけれどひどく心地良い。
降り注ぐ月光は、まるであの怪盗に包み込まれているような錯覚を引き起こす。
彼の戦場へと足を踏み入れたのは久しぶりだが、この緊張感は変わらない。
ドキドキと心臓が忙しなく騒ぎ出し、けれどその鼓動が響くたびに広がっていく昂揚感。
夢中にならずには居られない。
(そうだ。惚れたのは、俺の方なんだからな。)
恋という名前を知らなかっただけで、いつだって自分は彼を夢中で追いかけていた。
それは今も変わらない。
この気持ちも色褪せない。
昨日までの想いに今日の想いが重なって、いつだって今が“一番”恋してる。
それをなかなか言葉に出来ないから、彼は知らないかも知れないけれど……
不意に、館内に警報が響き渡った。
あれはどこかのセンサーにひっかかったのだろうか。
どちらにせよ犯行時刻を、あの気障で大胆不敵な怪盗の来訪を告げる音色に変わりない。
新一はニッ、と口角を持ち上げた。
インカムから警官のうわずった声が聞こえてくるが、新一が動揺することはない。
久々の彼との対決に胸が熱くなる。
やはり自分は探偵なのだと、追いかけるのが性に合うのだと笑みが漏れた。
怪盗の秘密を手に入れることはできたけれど、それは彼のほんの一部を垣間見たに過ぎない。
まだまだ自分の知らない彼がいる。
それと同じように、まだまだ彼の知らない自分もいるはずだ。
それを全て知りたいのだと、知って欲しいのだと言ったら、どんな顔をされるだろうか。
新一はふと笑みを零すと、頭を振って思考を切り替える。
ここにいる自分は紛れもない彼の恋人だが、紛れもない、探偵だ。
次に月を仰いだ顔はまさしく平成のホームズと呼ばれるに相応しい、沈着冷静な探偵のそれだった。
「慌てずに。彼は既に檻の中にいるのですから――――――」
この、最強の檻の中にね。
長くて短いショーが始まる。
BACK * TOP * NEXT
