隠恋慕
Second kiss 6
ふたり分の体重を乗せたバイクが急ブレーキにキキィ、と悲鳴を上げた。
半円を描くようにして巧くバランスを取る。
万が一にも後ろに座る新一を振り落とさないよう気を付けながら、無事目的の場所にたどり着いた服部は眼前にそびえる摩天楼をふと見上げた。
この地区を代表する、41階建ての巨大な杯戸シティホテル。
新一の推理によればここが今夜のキッドの中継地点なのだと言う。
どうやってここを割り出したのかと聞いた服部に、新一は悠々と説明してくれたが、はっきり言って服部には理解不能だった。
むしろ恋人とはツーカーだからだと言われた方が納得してしまうだろう。
そんな新一の探偵としての能力の高さに、感服するとともに悔しい思いもある服部だったが…
「行くぜ、服部!」
バイクから降りた新一がヘルメットを放り投げながら笑いかける。
それだけで、嫉妬のような醜い感情は消えてしまうのだ。
変わりに湧き出てくるのは、この探偵への愛しさと負けてはいられないという向上心。
「おっしゃ!あのこそ泥の鼻っ柱、へし折ったろ!」
服部はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると自分もバイクを降りた。
件の怪盗の恋人であるはずの新一は、服部の言葉にも楽しげに笑みを零すばかりである。
怪盗との勝負を心底楽しんでいるのだろう。
本当にあの怪盗は厄介な奴を恋人にしたものだと、服部は心の中だけで苦笑をこぼした。
と、ホテルへとふたりが乗り込もうとした時、もの凄い勢いで車が一台走り込んできた。
少し古い型のそれは見るからに高そうな高級車である。
何事だ、と瞬間目を奪われたふたりは、飛び降りる勢いで車から出てきた人物に更に驚かされた。
「工藤くん、服部くん!」
「「白馬!?」」
降りてきたのはなんと白馬探で、ふたりがここにいるのをまるで当然のように話しかけてくる。
なんでどうしてと困惑顔のふたりには構わず、白馬は新一の側へと駆け寄ると。
「君たちがここにいると言うことは、キッドがここへ来るのは間違いないんですね?」
いきなりそんなことを言われ、新一は思わず顔をしかめた。
「どういうことだ?」
「工藤くんはいつも、キッドに宝石を盗られても取り返してくると警部に聞きました。ですから、現場以外で接触する場所があるのだろうと思ったんです。それがここなんでしょう?」
「…多分な。実際あいつが来てみないと判んねぇけど。」
ひょいと肩を竦める新一に白馬は不思議そうに眉を寄せた。
「君もキッドから紙をもらったのでは…?」
「紙?」
聞き返され、白馬は内側の胸ポケットに大事に仕舞い込んでいたキッドからの招待状を取り出した。
それを新一に差し出してみせると、途端に表情が険しくなる。
訳を知る服部はそれを横から覗き込むと、帰ったらあとが大変やなぁ、と心中で溜息を吐くが、白馬は急激な新一の機嫌下降に動揺してしまう。
自分は何か彼の機嫌を損なうようなことをしたのだろうかと考えても、理由はまったく判らなかった。
「…これ、キッドからもらったのか?」
新一が口を開くが、心なしか先ほどより声音が低い。
「ええ。気付いたらポケットに…」
「……へぇ。」
「あの…工藤くん?」
新一の背後には、今や数日前のごとくブリザードが吹雪いている。
その原因は間違いなく怪盗にあった。
これまで新一は、一度としてこのような怪盗キッドからの招待状をもらったことがない。
ただの紙切れだが、あの完璧主義な怪盗が証拠を残すような真似をしてまでメモを残したのだから、それを招待状と呼んでもおかしくないだろう。
いつだって暗号に秘められた些細なニュアンスとその日の天候や風向き、道路状態から果ては野次馬の数まで計算して最も中継地点に適している場所を割り出しているのだ。
先ほど服部にはいとこ容易く説明してみせたが、実際はその何十倍もの苦労をしている。
それがどうだ。
同じ探偵だというのに、白馬にはあっさりと中継地点を書いた紙なんてものを渡して。
自分にはくれずとも白馬にはやるのか。
(俺には一度もくれたことないくせにっ。)
……結局は恋する男の、どこまでも心の狭い嫉妬でしかないのだが。
気付いているのかいないのか、とにかく新一は内心の嵐をすっぽりと内側へ仕舞い込むと、
「とにかく屋上へ急ごうか。ソレがあるなら間違いないだろうし。」
にっこりと邪気のない笑顔を浮かべた。
付き合いの長い服部ならその笑顔の裏に隠された怒りを見抜けただろうが、生憎と白馬と新一は知り合って間もない、友人未満の関係だ。
引きつり笑いを返す服部とは対照的に、白馬は頼もしくも、はい!と頷いている。
そうして彼らは足早にホテルへと向かった。
ドアマンをしていたホテルの従業員には不審げな顔を向けられたが、今は構っていられない。
3人は一目散にエレベータに乗り込んだ。
生憎と35階までしかエレベータは通じていないが、そこまででも連れて行ってもらえれば充分だろう。
さすがに1階から41階までを階段で駆け上る時間も体力もない。
都合の良いことに深夜だったからか、或いはエレベータが多くあったからか、途中でホテル客が乗り込んでくることもなく、3人は35階へと辿り着いた。
ここからは非常階段を使って上がらなければならない。
すぐさま近くの非常扉をくぐった。
3人が3人とも優れた身体能力を持っているためそのスピードはかなりのものだったが、誰も後れを取ることなく階段を駆け上り、屋上へと出る。
そこにはすでに白い怪盗が、優雅に風にマントを靡かせていた。
「――――――キッド!」
白馬の声にキッドがゆっくりと振り返る。
「おや、なんとも豪華な顔ぶれですね。探偵が3人もいらっしゃるとは。」
人をくったその喋りの端々に愉しさが滲み出ている。
この男ときたら、仮にも名探偵と称される探偵を3人も目の前にして、いかにも満足そうに微笑むのだ。
その不適さと言ったら、いっそ腹立たしいのを通り越して感心してしまう。
だが哀しいことにそんな一般的感想を持てたのは服部ただひとりで、新一はと言うと氷点下の眼差しをひたりと据えていた。
「よぉ、キッド。」
新一が静かに呼びかける。
その顔は相変わらずの笑みを浮かべているが、新一の不機嫌を気配で察した怪盗は内心で戸惑った。
いったい何を怒っているのだろうか。
けれどその答えは続いた新一の言葉ですぐさま理解した。
「白馬を招待したそうじゃねぇか。」
「!」
「別に、だから何って訳じゃねぇけど…」
「あ、あの、名探偵、それは、」
「――――――ムカつく。」
言い分けようとしどろもどろになる怪盗を、新一は「ムカつく」のひと言で容赦なく両断した。
すっぱり切られた怪盗はショックを隠しきれない。
またもや、それが新一の嫉妬からくる怒りであることに気付く余裕はなかった。
「別に俺、二課の専門じゃないし?つーかむしろ専門は一課だし?」
「いや、だからこれは、」
「わざわざ一課専門の、それも探偵相手に一度も招待しなかったからって、誰も文句は言わねぇよ。」
「名探偵、あの、聞いて欲しいんだ、」
再び始まった痴話げんかもどきに、服部は口を挟むのも馬鹿らしいとばかりに傍観を決め込んでいた。
喧嘩をするのは勝手だがTPOをわきまえろ、というのが服部の率直な感想である。
家に帰ったらぜひとも説教してやらねばと思いつつ隣を仰げば、半ば目が点状態の白馬の顔が視界に入った。
普段なら不適で気障でシニカルな態度を絶やさない怪盗が、目の前で情けなくも言葉を噛みまくっている。
その常にない怪盗に驚いているのだ。
だがそんな彼らを余所に、新一は尚も言い募る。
「ああそうだ。ほんと、別に良いんだよ。
別にお前が俺より白馬を選んだからって、ほんと、全然構わねぇよ。」
誰も文句は言わないと言いながらも、新一の文句は絶えることを知らない。
けれど。
「――――――新一。」
不意打ちのように呼ばれた名前に、一瞬言葉を忘れる。
その瞬間を見逃すことなく、怪盗はそれまで立っていた屋上のフェンスをひと蹴りすると、たちまち新一との距離を縮めた。
今や新一の眼前に迫った怪盗が、恭しくその場に膝をつく。
「俺が選んだのはお前だ。お前しかいらない。」
「…っ」
その真摯さに思わず息を呑んだ。
その様子を見て取ると、怪盗は満足げに微笑を浮かべた。
新一の手を取り、そっと口付ける。
服部と白馬の存在など全く視界になく、まるで新一しか見えていないとでも言いたげな真っ直ぐな視線に、新一はここで漸く自分の嫉妬を自覚した。
途端に、自分の幼稚さに居たたまれなくなって視線を逸らす。
けれど怪盗はそれすらも愛しいとでも言わんばかりに、嬉しそうに目を細めた。
「白馬探偵。」
突然こちらへと話しかけられ、白馬は慌てながらも返事を返す。
たった今目の前で繰り広げられた光景がにわかには信じられなかったのだ。
「なんでしょう?」
言ってから、しまった、と思う。
自分で言っておいて何だが、なんでしょうとは随分間抜けな返事だ。
自分はここに怪盗を追ってきたのであって、本来なら用事があるのはこちらだと言うのに。
けれど相手は気にした様子もなく言うのだ。
「貴方は私にこう聞かれた。“なぜ怪盗キッドなのか”とね。」
キッドがすっと立ち上がる。
……新一の手をしっかりと掴んだまま。
「以前の私なら、きっと同じように返していたでしょう。それを見つけるのが君の仕事だろう、と。
あれは多分に探偵というものに対する皮肉も混じっていた。理解出来るはずもないのに同情するようなマネはやめろと、私は思ってました。」
そう言われ、白馬はズキリと胸が痛むのを感じた。
これは誤解から生ずる痛みではない。
多分――――――以前の自分が彼の言うとおりだっただろうから。
探偵として名が売れ出した頃、それでもまだ高校生という幼い自分は、どうしようもなく浮かれていた時期があった。
トリックの裏に隠された真実を見抜ける。
真犯人を暴くことが出来る。
それは、人に罪を懺悔するチャンスを与えてやれることなのだと思った。
……同じ人間が、チャンスを与えるも何も無いというのに。
知らず、一段高いところから彼らを見下ろしていた自分。
キッドに問いかけたときも、おそらくそんな傲慢な気持ちがあったに違いない。
そして聡い怪盗はそれを見抜いたのだ。
何も言えない白馬に、けれどキッドは優しくも厳しくもなく言葉を続けた。
「貴方は変わった。少なくとも、先ほどの言葉に同情など感じなかった。そして――――――私もまた、変わった。」
キッドが新一を振り返り、見たこともない微笑みを浮かべる。
幸せで幸せで、繋いだ手から伝わる熱が愛しくて。
「落ちぶれそうだった私を救ってくれたのは、この人。この人がいなければ、先ほどの貴方の言葉も私は素直に聞けなかったでしょう。」
照れ隠しなのか、新一が小さく「バーロ」、と呟く。
それを笑顔で受け止めて、キッドは再び緯線を白馬へと戻した。
「私の秘密は彼が受け止めてくれた。彼は、私にとって誰よりも大切な人です。彼がいれば、私は何度でも立ち上がれる。
――――――ですから、この秘密を彼以外に明け渡すつもりはありません。」
「!」
きっぱりと宣告された拒絶に、白馬は胸が痛むような錯覚を起こす。
けれど。
「貴方は探偵らしく、真実を見つければ良い。」
「え…?」
「真実を知りたいなら、追いかければ良い。私は追われることは厭いません。」
ニッ、と鮮やかな笑みが浮かぶ。
それは世間に称される不適な怪盗のもので。
そして、その怪盗の目の前に立つ自分は探偵なのだ。
それならば真実を求め、彼を追いかければ良い。
「……後悔しても、知りませんよ?」
僕は仮にも、名探偵と呼ばれた男なんですから。
白馬もまた笑みを返すと、どこか吹っ切れたような、そんな晴れやかな顔になった。
キッドはそれに満足げに頷くと、ずっと握っていた新一の手をぐいと引き寄せる。
驚く彼の細腰を抱き寄せて、胸ポケットから取り出した宝石を白馬へと向けて放り投げた。
慌てて受け止める白馬を見据え、次いで平次を見据え。
「それでは、失礼します。
ああ、名探偵は私が自宅まで送らせてもらいますから――――――」
「「「えっ!?」」」
見事な三重奏に怪盗は笑う。
新一を腕に抱えたまま、軽々とフェンスへと飛び乗った。
バッ、と風を斬って、怪盗の背に白い翼が広がる。
夜空に浮かぶ白い鳥が今にも飛び立とうという瞬間。
「明くる年に女神の微笑みがあらんことを…」
まるで計ったかのように鐘が鳴り、遠い空に花火が上がった。
そう言えば今夜は大晦日だ。
どこかで年明けを祝っているのだろうか。
真冬に花火とは随分と粋なことをしてくれる。
後に残された探偵がふたり、暗闇に熔けていく白い翼を苦笑を浮かべながら見つめていた。
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