隠恋慕
蒼い天使 3
『……お前らなぁ』
刑事課のデスクルームにレオナルドの呆れ果てた声が響く。
扉を開いた瞬間に、思わず銜えていた煙草も落としてしまいそうになった。
目の前のこの異様としか思えない状況に、ただただ溜息が出てくるばかりである。
平日のまだ日も高い時分だというのに、なぜか並べられたデスクのほとんどが埋められている。
国際犯罪部刑事課に所属する彼らは普段各国を飛び回っているため、お互いが顔を合わせることすら珍しいのが当たり前なのだが……
白馬とともに研修生の面倒を見ることになったレオナルドならまだしも。
優秀な刑事である彼らが揃ってしまっているこの現状は、さすがにヤバイんじゃないだろうか。
『いくら探のツレが気になるからってなぁ……』
『何言ってんの、レオ!』
と、目に見えて盛大な溜息を吐いたレオナルドに、心外だとばかりに女が声を上げた。
背は新一よりやや高めという、女性にしてはかなり長身な部類だ。
栗色のふわふわとした癖毛はボブショート、その下から覗く碧のやや大きめな瞳が印象的である。
その、どこか男らしさを滲ませた快活な女が瞳を輝かせながら言った。
『あんたは研修生のこと知らないからそんなこと言えるんだよ!』
『研修生って、ジャップの探偵だろ?』
『……だからあんたは馬鹿なんだよ、もうっ』
彼女は自分の手触りの良さそうな髪に手を突っ込むと、がしがしと掻きむしった。
そんな彼女の態度に首を傾げながらも、何が言いたいのかと続きを待っていると。
『良い? シンイチ・クドウは、東都警察……いや、日本警察の救世主とまで言われた探偵。その彼が来るんだから、顔合わせは絶対だよ!』
彼女の名前はロンダ・バリオス。
二十七歳のまだ若い女性だが、その知能指数の高さと情報処理能力にかけて右に出る者はいなかった。
当然、情報収集も得意分野だ。
そんな彼女の一言に、その場にいた者の新一への興味が一層高まったのは言うまでもない。
*
日本警察の救世主云々という話は別としても、その場にいた誰もが新一を見て思わず言葉を失ってしまった。
何とかその難を逃れたのは既に紹介済みのレオナルドと、情報通で新一のことを良く知っていたロンダだけである。
一緒に入ってきた白馬に至っては慣れたものなのか、ただ苦笑をこぼすだけだった。
『初めまして、工藤新一です。今日から暫く研修生としてお世話になることになりました。宜しくお願いします』
そう言ってにっこりと微笑んだ新一はばっちり猫を背負っていたのだが、それを知るのは気の毒なことに白馬のみである。
こういった場面での第一印象がどれほど重要であるか、新一はよく分っていた。
たとえ昼行灯として生活を送るとしても行動に制限を食らうのは頂けない。
彼らには好印象を与えておくに限る。
と、新一の脇から駆け寄ってきたロンダが新一の手をぎゅっと握りしめた。
両手で握り込まれ、にこりとした笑顔に覗き込まれる。
『ようこそ、私はロンダ・バリオス! ロンダって呼んでちょうだい』
『宜しく、ミス・ロンダ』
『私、君のファンなんだ! 解らないことがあれば何でも聞いて!』
彼女のファン宣言と有り難い申し出に新一は礼を述べる。
なんだか日本の警視庁でいつも世話になっていた女性警部補の姿を思い出させる人だ。
快活で女性らしい魅力を持ちながら、けれどどこか男らしい印象を与えるあたりがよく似ている。
「工藤君」
くいくい、と脇から白馬に袖を引かれ、新一は首を傾げながら振り向いた。
小声で日本語で話しかけてくるあたりも気になる。
「どうした?」
「実は彼女、情報収集と処理・分析が専門分野でして……」
「……情報」
「ええ。おそらく君のことをご存知でしょう」
視線だけでどうするのかと問いかけてくる白馬に、けれど新一は一瞬の躊躇もなくニッと笑みを返した。
「問題ねぇよ。俺は工藤新一だぜ?」
自信に満ちたその言葉に、けれど妙に納得してしまうのはおそらく白馬だけではないだろう。
そう、彼は工藤新一なのだ。
有名女優を母に持ち、知る人ぞ知る沈黙期間を子供として演じきったその才能。
たとえ事前にどんな先入観を持たれていたとしても、それを覆し騙しきる自身が新一にはあった。
……まあ、何事もなければ、だが。
苦笑する白馬を余所に、新一は既に意識を彼らへと戻していた。
端から順にレオナルド、ロンダ、アラン、梁……
それぞれと短い挨拶を交わし、新一は一通り彼らの顔と名前をその優秀な頭脳に書き込んでいく。
視界の片隅で何気なく捉えられた違和感でさえ記憶する新一にとって、それは造作もないことだった。
『挨拶も済んだことだ、さっさと仕事に戻んねーとマリーが五月蠅いぞ』
一通りの挨拶がすんだ頃、何とも良いタイミングでレオナルドが言った。
新一と白馬を囲うように立っていた人たちがひとり、またひとりで『そりゃおっかねぇ』などと言いながら散っていく。
その様子を新一は不思議そうに見ていた。
『レオナルド。ミス・マリーとは誰ですか?』
挨拶を交わした人達の中にそんな名前の人はいなかったはずだ。
が、真面目にそう聞き直した新一に、レオナルドとふたりの会話を聞いていた者が一斉に吹き出した。
なんだか白馬まで笑っている。
新一は当然面白くなさそうに片眉を吊り上げた。
その新一の微妙な変化に気付いたのか、レオナルドが笑いを堪えながら言う。
『ミ、ミスじゃねーんだ、これが! ミスターなんだよ、新一』
『……ミスター?』
『そうだ。マリーって言ったってナイスバディの美女なんかじゃねー、ただの厳ついオッサンだ』
解らないと首を傾げる新一に、笑いを堪えるので手一杯らしいレオナルドに変わって白馬が答えた。
『バントン警部のフルネームを覚えてますか?』
『ああ、ジルベール・M・バン…トン……』
と新一の眉が寄る。
ミドルネームの“M”。
まさか、まさか……
『警部のフルネーム、ジルベール・マリー・バントンって言うんだよ』
新一は思わず脱力した。
わざわざフランスくんだりまで遠征して。
世界の精鋭が集うという警察機構まで来て。
迎えた刑事がイタリア人のくせにフランスを溺愛してしまった刑事だったり、情報通は見せかけで実はミーハーな刑事だったり。
部下に可愛らしく「マリー♡」なんて呼ばれている警部だったり。
そうして新一は、白馬とレオナルドに促されるままフランスの街へと足を踏み出したのだった。
* * *
ふと。
背後から視線を感じ、新一は不意に振り返った。
きょろ、と不自然にならない程度にあたりを見渡す。
けれどそこには先ほどの視線の主を見つけることは出来なかった。
というのも、なぜかは解らないがこちらを見ている者が多いからだ。
『工藤君? どうかしました?』
『いや、何でもない』
新一の様子に気付いた白馬が振り返るが、新一は笑って先を急げと促した。
再びレオナルドとの会話に戻った白馬を見て、ああそうかと新一は謎の視線の理由に気付く。
(そーだよな、コイツら無駄に目立つんだよ……)
言うまでもなく美形な白馬。
長身にバランスの取れた体、すらりと伸びる手足。
身につけた藍色のスーツを嫌味にならないほど見事に着こなしている。
色素の薄い栗色の髪、そしてハーフというだけあって彫りの深い端正な容貌。
対するレオナルドは一八〇を越す白馬より更にもう一回り長身だ。
顔はサングラスで隠れてしまって見えないが、そこから覗く筋の通った鼻梁だとか引き結ばれた薄い唇が美形だと言っていた。
時々口元に浮かべられるシニカルな笑みは、彼がすれば妙に似合っている。
どこか白い怪盗を匂わせるそれは、彼も多分に気障であるという証だろう。
とにかく、こんな目立つ奴らと歩いているのだから、町中で視線を集めても可笑しくない。
妙にまとわりつくような視線だったが、新一は自分の容貌を棚に上げてそう結論付けた。
『で? さっきからどこに向かってんだ?』
行き先も知らずについて行ってた新一はふたりに声をかける。
と、相変わらずのにやりとした笑みを浮かべたレオナルドが悪戯に言った。
『新一は研修生だからな。訓練やら何やらで忙しくなる。俺らみたいに事件の合間の休みなんてなくなるだろ?』
『ですから、今日はゆっくりフランスの街を案内しようかと思いまして』
『マリーにゃ内緒でな♪』
レオナルドの笑みの理由はそれか、と新一は思わず頭を抱えたくなった。
『……そんなことして大丈夫なんですか?』
『さぁなぁ。でもまあオッサンも、今日から! なんて言ってねーし? 良いんじゃねーの』
そう言ってレオナルドは愛用のジタンを取り出し、口に銜えた。
その何とも適当な態度に再び溜息を吐きそうになった新一は……
けれど次の瞬間、見えてきた看板に思わず視線を奪われてしまった。
見ればそこは本屋で、なかなかに店舗も大きい。
一面硝子張りの店内は外からもよく見え、そこから見えるハードカバーに新一の体がうずき出す。
新一は体を動かすのも好きだが、同じくらいに読書が好きだった。
万年道楽な両親は各国を飛び回り、その度に新一宛に海外から彼好みの本を送ってくれる。
普段は災厄でしかない優作でも、その時ばかりは新一は感謝していた。
が、優作が新一好みの本を選ぶのと、実際に自分が見てまわるのとではやはり違ってくる。
新一の視線の先に気付いた白馬が心得たように笑みを浮かべた。
『良かったら寄っていきますか?』
『良いのかっ?』
すぐさま返ってきた声が、まるで玩具を目前にした子供のようで、白馬は思わず顔を綻ばせながら頷いた。
嬉々として本屋へ入っていく新一の背中を見ながらレオナルドが首を傾げる。
『なんだ、新一はどうかしたのか?』
『彼は本が大好きなんですよ。僕と同じシャーロキアンですし』
『ふぅん、ホームズフリークか……』
レオナルドはひょいと肩をすくめて見せた。
彼は白馬のホームズフリークっぷりを良く知っている。
それは例えば、大して好きでもない、増して深く話を呼んだこともない連中が「シャーロキアン」を名乗るのを許せないほどだ。
その白馬が自ら認めるシャーロキアンということは、新一もかなりのものなのだろう。
(……ホームズのことには触れないようにしよう)
過去の白馬との苦い記憶を思い出し、レオナルドは思わず顔を引きつらせるのだった。
『一冊で良かったんですか?』
四十分ほど滞在した本屋から出てきたしんいちが手にしていたのは一冊の文庫小説。
読書好きの新一ならもっと買ってくるかと思った白馬だったが、それは予想に反していた。
新一は何だか難しい表情をして、それがな、と切り出す。
『めぼしいのは大体手元にあんだよ。親父が送ってきたヤツの中にあってさ』
『ああ……優作さんですか』
息子を溺愛しているらしい彼を思い起こし、白馬はなるほど、と呟いた。
新一の難しい表情も、自分のことを知られ尽くしているらしい現状が気にくわないからなのだろうと見当を付ける。
と、それに驚いたのは意外にもレオナルドだった。
『……優作!? ……工藤優作だと!?』
新一が吃驚眼を向ける。
白馬もなんだか似たような顔をしているが、レオナルドの目には映ってないらしい。
『新一、お前まさか工藤優作の息子か!?』
『は、い、そうですけど……』
ッッカァーー! とレオナルドが額に手をばちんと押付ける。
何だか彼らしくないその態度にふたりは狼狽えるばかりだが、今度も彼の目には映っていない。
ようやく顔を上げたレオナルドはいきなりガシッと新一の肩を掴んだ。
『なら、母親は藤峰有希子だな?』
『そうですけど……』
『やっぱり! どっかで見た顔だと思ったんだよ、なぁ!』
なぁと言われましても。
というかそれよりも、なんでそんなことを言っているのかという理由の方が気になる新一だ。
新一の心情など知ったことじゃないのだろうが、レオナルドが嬉々として話し出すのを新一はじっと聞いていた。
『俺、藤峰有希子のファンでさ! もう、彼女を浚った工藤優作が憎くて憎くて!』
実は。
バントン警部が工藤優作と事件を共にした時、その部下としてレオナルドも捜査に協力していた。
優作を通じて有希子を知ったレオナルドは彼女の美貌に一目惚れしてしまったのだが、如何せんもう人妻である。
刑事が不倫は些か拙かろうと、泣く泣く彼の恋は自覚と同時に破れ去ったのだった。
そんなこんなでレオナルドは優作が嫌いだ。
優作の息子である新一はやはり彼の面影をチラつかせるせいか、初対面でいきなり絡んでしまったのだが……
『お前が母親似で良かったよ。父親似だったらムカつきっぱなしだったぜ、きっと』
『……そうですか』
当然、母親の美貌もばっちり受け継いでいる新一は、別に彼女に似ていると言われたのは今回が初めてではない。
けれど彼を母親似だと称する輩がもれなく付ける形容詞が頂けないのだ。
何が哀しくて現役高校生の健全な男児が“綺麗”だとか“美人”だとか、あまつさえ“可愛い”などと言われなくてはならないのか。
が、今回は幸運にもレオナルドはその地雷を踏むことがなかったため、新一の怒りは爆発しなかった。
『でも珍しいですね。フランスフェチのレオが日本人女優のファンとは』
『そりゃお前、生の彼女を見てないから言えるんだ。男だったら誰でも一度は目を奪われる』
『誰でもねぇ……』
『そうだよ、その証拠に新一も視線を集めまくってんじゃねーか』
新一がきょとんと首を傾げる。
『何言ってんだ? 目立ってんのはおめーらだろ?』
『『はい?』』
視線を集め、無駄に目立っていたのは他ならぬ新一なのだ。
本人のみに相変わらず自覚がなく、白馬は苦笑をもらし、レオナルドは呆れていた。
もう既にこの会話に興味が失せたらしい新一は、手にした本へと早々と意識を集中する。
その横で交わされる会話を聞いていなくて良かったのか悪かったのか、判断に困るところだ。
『彼、自分というものにとことん興味がないらしくて。周囲から自分に向けられる感情にひどく鈍いんです』
『あぁ? あの容姿で罪作りな……』
嘆息するレオナルドに激しく同意しつつ、のんびりとした時間を楽しんでいた白馬たちだったが……
突如として鳴り響く携帯電話。
メロディではない単調な音の繰り返すそれは、レオナルドの胸ポケットが発信源だった。
手慣れた仕草で取り出すと、相手を確認するでもなくすぐさま対応する。
と、彼の表情が引き締められるのを白馬はじっと見つめていた。
『……解った。ごく近いところにいるから、すぐに向かうよ。……あぁ、悪かったな』
ぷちっ、と通話を断ちきる。
いつの間にか本を仕舞ってしまった新一と、同じような表情で佇む白馬。
すでに彼らが探偵としての顔を被っていることに、レオナルドは楽しげに唇を持ち上げた。
彼らはまだ高々十七、八歳の子供だ。
けれど子供である心彼らの中には確実に大人な彼らも存在している。
事態を正確に把握し、事態に合った適切な判断を下し行動する。
それが出来る者は、刑事の中にも案外に少ないのだった。
『近くで事件だとよ。市警察がすでに向かったらしいけど、俺らにも来いだとさ』
丁度良い勉強になるんじゃねぇか?
その言葉を頭の片隅で聞き取りながら、新一は心の中で不適な笑みを浮かべる。
ただの普通の事件など熟知しきっているのだ。
人間の考えたトリックであれば全て突き崩す自信がある。
それよりも見るべきは、ICPOと呼ばれる警察機構の捜査の方だ。
或いは新しい何かを見出すことが出来るかも知れない。
新一の心の声など余所に、レオナルドの呼び止めたタクシーへと乗り込むと、車は早々に現場へと急行した。
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