隠恋慕
蒼い天使 7
ズキズキとした鈍痛が左肩を苛み続ける。
どうしてこんなにも痛むのか。
そう考えて、新一は自分が撃たれたことを思い出した。
レオナルドを庇い、自分の保身を考える暇もなく体を貫いた鉛の熱さ。
けれどそこで新一は、自身を苛む痛みが左肩の銃傷のみであることに気付いた。
発作の起こった後のあの全身を蝕む気怠い感覚がない。
どういうことだろうか。
自分はあの後病院へ運ばれたはずではなかったのか。
そうすれば治療され、哀のいない今、病院で使われる通常の薬品しか使われないはずだというのに。
必然的に発作を起こすことは免れられないことだと思っていたのに。
うっすらと瞳を開ける。
痛みはあるが理性を保てないほどではない。
視界一面に広がる、白。
「工藤君、気が付きましたか!?」
ぼんやりと、ひどく濃い霧のようなものがかかった思考の先で捉える、すぐ近くに感じる人の気配。
警戒しようとして、けれど良く知っているそれに安堵する。
覗き込む顔に心配の色がありありと浮かんでいて、不意にイメージがだぶった。
いつだったか、自分が死ぬほどの重症を負った時の彼の表情と……
「……ぃと…」
なぜか無性に、逢いたくなった。
「……白馬。どうなってる?」
だんだんとハッキリしてくる頭。
一面に見えていた白は病室の壁の白さで、覗き込んでいた良く知っている気配は白馬のものだ。
どうやら病院に運ばれたことに違いはないらしく、そうすれば何故発作を起こしていないのかが疑問になる。
覚醒してすぐさま思考をフルに働かせ、現状を理解しようとした新一だったが。
「工藤君、もう暫くは休んで下さい」
心配顔をいつの間にか怒り顔に変えた白馬に、ピシャリとそう返されてしまった。
新一はキョトンと瞳を瞬かせる。
「何で怒ってんだ?」
「……解りませんか?」
「……さっぱり」
白馬は額を手で押えると、はあぁ、と思い切り溜息を吐いた。
そんな彼の様子に新一が少々焦る。
何か拙いことをしただろうかと考え、やはり思い当たらない。
強いて言うならアレスに撃たれたことだが、レオナルドを護るためには仕方なかったことだ。
それを謝るつもりは毛頭無いし、そしてそれに対して怒るほど白馬に危機感がないとも思わない。
相手は国際的犯罪者なのだから。
すると白馬は両手を組んで足の上に置くと、悪戯をした子供を叱りつける親のような表情で新一に言った。
「君は僕のことを信用していないんですね」
「そんなことねぇよ。俺はお前を優秀な探偵だと思ってるし、だからこそ今度の件でもお前に協力を頼んだんだ」
でなければこんな危険なことに首を突っ込ませたりはしない。
レオナルドも言っていたことだが、新一も基本的には自分の見たものしか信用しないのだ。
バントン警部にレオナルド、ロンダや梁にアラン……
皆それぞれ優秀な刑事だとは思う。
が、彼らの皆が皆、裏の中でも最も闇に近い部分に生きる者に対抗出来るとは思わないのだ。
けれど白馬は以前新一の目の前で“ジュネヴァ”という組織の残党を退けたことがある。
そこで白馬は自分に彼らと対抗する力があることを証明した。
だからこそ新一は白馬にだけレオナルドの護衛を頼んだのだが。
「いいえ、君は僕を信用していない」
白馬は再びはっきりと否定したのだった。
「……睡眠時間をほとんど摂っていなかったそうですね」
「!」
新一が目を見開く。
その驚き方に、それが真実なのだと白馬は確信した。
「この二週間、僕だって疲れてます。夜は交代でレオの様子を見ていたんですから、寝不足も当然です。でもそれなら、君の消耗は僕と同程度のはずだ」
新一は返す言葉が見つからないのか、黙って白馬の言葉を聞いていた。
「なのに君の体力消耗は僕よりずっと激しい。交代でやると言いながら、君はほとんど寝ずにレオの様子を見ていたんだから。つまり僕は君に信用されてないんだ」
「違う、そうじゃねぇ! 俺はただ……っ」
「僕も護りたかったと言うなら、それは侮辱です」
ハッと顔を上げた先に、怒りを湛えた瞳を向ける白馬の顔がある。
新一はきつく唇を噛むと俯いてしまった。
確かにその通りだ、と。
信用していない訳ではない、けれど、“巻き込みたくない”という思いから彼も護りたいと思った。
それが白馬に対する何よりの侮辱であるというのに。
“巻き込まれた”など、白馬は思ってないのだ。
レオナルドは白馬の相棒であり友人であり、アレスは白馬が追っている敵である。
レオナルドがアレスの標的となった時点で白馬がこの件に深く関わると決まったも同然で、それを新一のせいだと思うほど馬鹿ではない。
そんなことにも気付けなかったのだから、白馬が怒るのも当然なのだ。
「……悪ぃ」
やがてぽつりと零された言葉に、白馬は小さく溜息を吐いた。
「君の気持ちは解らなくもないですから、謝らなくて良いですよ。ただ、今後はひとりで突っ走らないで下さい。僕も居るんですから……」
そう言って苦笑した白馬に新一が小さく頷いて。
やがてノックと共に開いた扉へとふたりの意識は自然と奪われた。
「あら。気が付いたのね」
入ってきたのは白衣を羽織った志保で、手にはカルテのようなものを持っている。
白馬は慌てて立ち上がると、彼女に向かって深く頭を下げた。
「宮野さん、有り難う御座いました」
「お礼を言われることじゃないわよ。コレが私の仕事なんだし」
「ですが、僕は貴方に言われなければ彼の体調にも気付けなかった……」
寝不足と疲労で、精神的にも体力的にも衰弱していた新一の体。
表面上は完璧なポーカーフェイスで覆われていたので、白馬は気付くことが出来なかったのだ。
いくら新一がひとりで気張っていたからとは言え、気付けなかった自分が赦せなかった。
初め、彼女の存在の不自然さに警戒心を捨てきれなかった白馬だが、新一はこうしてちゃんと目を覚ました。
処置が的確でなければ新一は発作の起きる体である。
志保が彼の主治医であることに間違いはないのだろうと思い直した。
「彼を助けに来て下さって、本当に感謝してます」
もう一度深く頭を下げた白馬に志保は悠然と微笑みながら、ええ、と頷く。
「それじゃ、軽い検査を行うからちょっと席を外してもらえるかしら?」
「解りました」
快く頷いて出て行く白馬の背中を見つめながら、志保は新一に背を向けていた。
痛い程の鋭い視線が突き刺さるかのようだ。
白馬が部屋を辞した途端に警戒心を顕わにした探偵に、さすがだと感嘆してしまう。
志保の口元は、実に楽しげに持ち上げられていた。
「誰だ」
有無を言わせない、静かでそれでいながら強い口調。
たった一言がまるで重力でも操るかのようにのし掛かる。
「随分ね。貴方、私がいなかったらまだ意識なんて戻ってないわよ」
「だから礼を言えって? いくら治療したのがアンタだとして、わざわざ灰原の変装までするような妖しい奴を、俺が手放しで歓迎すると思うか?」
「ふふ……それもそうね」
宮野志保の存在はひどく特殊だ。
死んではいないが存在もしていない。
過去に生き、現在は行方不明のはずなのだ。
その姿をして堂々とここに現われること自体、怪しんでくれと言っているようなものなのだ。
増して宮野志保は今、灰原哀として小学生からの再スタートをしている。
彼女が“宮野志保”に戻ることはまずないと見て良いだろう。
「もう一度聞く。アンタは何者だ?」
志保の姿を借りた彼女が振り返り、新一の鋭い視線を真っ向から受け止めた。
その上で、ゆったりと微笑んでみせる。
「その前に聞きたいことがあるわ」
コツ、とヒールが音を響かせる。
微笑んだまま歩み寄り、横たわる新一の怪我をした肩を強く掴んだ。
途端、電流のように走り抜けた激痛に、新一は歯を食いしばって耐える。
「……声も出さないのは流石ね。でも、まだまだ子供だわ」
「何を……っ」
「こんな怪我して、どういうつもり――エンジェル」
ゆったりと笑んでいたはずの顔が、眉根を寄せた険しいものに変わる。
それは先ほど白馬が見せた、子供を叱りつける親のような表情と同じものであった。
心底心配するからこそ見せることの出来る表情。
そう、彼女は新一を無事を祈るからこそ怒っているのだ。
けれど新一は驚愕に顔を歪めたのだった。
「な……んだと……なんでアンタがここに……」
いつだったから、両親に誘われて蘭を連れてロスに行ったことがある。
その時、有希子がチケットを取ったミュージカルを見にニューヨークへと行った。
そこで出逢った、アメリカの大女優。
彼女は黒の組織の仲間の変装であり、彼女が言っていた言葉もまた……“エンジェル”。
「ベルモット……!」
* * *
パタン、と小さな音を響かせながら戻ってきた白馬に、レオナルドははっと顔を上げた。
『探!』
『レオ。気が付きましたよ』
『本当か!?』
ほっと安堵の表情へと変わった彼に白馬が苦笑を零す。
途端にレオナルドが、むっと子供のように唇を尖らせた。
『……なんだよ』
『いえ。あなたも大概、工藤君を気に入られているようですね』
あなたも、と表現するあたり、白馬に人のことは言えないのだ。
強く真っ直ぐでありながらどこか危なっかしいところのある、工藤新一という人間に惹かれているのは白馬も同じだった。
無茶を承知でICPOへの研修を許可させてしまうぐらい、彼は新一のことを気にかけている。
それは、アレスやジュネヴァなどの犯罪者にマークされている危険性もある。
或いは、彼の背後にちらつく白い影が気になっているのかも知れない。
けれど何より――彼という人間性に惹かれて止まないのだ。
『あなたを見てると、僕もこんな感じだったのかとついおかしくなってしまっただけです』
『フン……』
照れ隠しに小さく鼻を鳴らして、不意にレオナルドが表情を改める。
白馬も姿勢を正すようにして彼へと向き直った。
新一がここへと運ばれて治療を受けている間、彼と約束したことがある。
それは、新一と白馬がこの二週間レオナルドに秘密にしていたこと――アレスに標的とされていること――を話す、という約束だ。
けれど新一が目を覚ますまで待ってくれるよう頼んでいた。
それは、白馬ひとりでレオナルドを護るよう新一に頼まれていたからである。
相手があのアレスとあっては一時の油断が命取りとなる。
だから、新一が目を覚ますまではその話に触れないことにしていたのだ。
つまり新一の目覚めた今、白馬はレオナルドに話をしなければならなかった。
『どこから話しましょうか……』
『どこからでも良い。何も隠すな』
『……良いでしょう』
これは、新一との約束違反だ。
レオナルドに事情を話すには、新一とアレスとの関わりを省くわけには行かない。
なぜアレスが新一のみに標的を告げたのか、なぜ新一はレオナルドや警部たちに何も相談しなかったのか。
そこを明かさずに話すことは、レオナルドを相手にしては不可能だ。
けれど、こうなってしまった今、新一との約束を違反してでも白馬はレオナルドにだけは全てを話すつもりでいた。
そうして出来るならば――新一を手助けしてくれれば良い、と。
『以前に話しましたよね。父の祝辞に付き合って、僕が初めてアレスと会ったことを』
『ああ、警部からアレスの調査を命じられた件だな』
『そうです。その時、現場に工藤君も居たんです』
レオナルドの表情が厳しくなる。
アレスとの関連性を考えているのだろうが、白馬は気にせずに先を続けた。
『彼はアレスの標的である女性を護るため、真っ先にステージに飛び出しました。レオ、今回のあなたの時のように』
ただ、今回と違って怪我を負ったりはしなかった。
それはおそらく、長期に渡る疲労の度合いのせいだろう。
いち早くアレスの殺気に気付いた新一の俊敏さであれば、今回も怪我を負わずに済んだはずだ。
『そこで彼は暫くアレスと話をしていましたよ。今でもしっかりと覚えてます。あれは以前にも会ったことがある口振りでした。実際会ったことがあると本人も言ってましたし……』
『……何を話してたんだ?』
『何のことはない、言葉の応酬ですよ。標的を渡せだのそんなことです。ただひとつ、気になったコトはありました』
『それは?』
『“お前の話はしばらく保留にしてもらった。他の奴から調べていこうと思う。”』
『!』
レオナルドが目を見開くのを、白馬はじっと見つめていた。
自分にも覚えのある感覚だ。
その会話を耳にした時、確かに白馬も驚愕したのだから。
『明らかに、彼はアレスの標的とされていたんでしょう。そして、それを切り抜けた』
『……生きてられるのは奇跡だ』
『ええ。彼が助けた女性でさえ、警察の保護下にありながら殺されている』
そう、あの時新一が庇いアレスから救った女性は、警察の保護下にありながら殺されているのだ。
いくら刑事とは言えひとりの人間である。
油断が生まれる一瞬が存在するのは仕方ないことだ。
そしてそれを抜け目なく狙えるアレスが普通ではないのだ。
その、狙った獲物を外したことのないアレスに狙われて尚、生きている新一。
『“今度は俺で遊ぶらしい”と、彼が言ってました』
『遊ぶ……?』
『要は標的ですよ。でもただの獲物じゃない、ゲームをする相手のようなものです。……僕には、虎が猫を甚振っているようにしか思えません』
確かに新一は簡単に屈したりしないし、生きている限り噛みついていくだろう。
これほどゲームに最適な者もいない。
そして新一は、それを解っていながら対抗せずにはいられないのだ。
『今回、アレスの標的はレオ、あなたです』
『……だろうな』
『理由は僕も彼も知りません。けど、アレスは彼に明言しました』
標的はあいつだと、新一を逆手にとりながら楽しげに囁いた。
そうすれば新一がそれを阻止しようと全力でぶつかってくると知りながら、言ったのだ。
『彼はこう思ってるんですよ……“レオナルドを巻き込んでしまった”とね』
『巻き込んだだと?』
『彼とアレスとの間に強制的に実行されるゲームに、巻き込んでしまった、と』
『……馬鹿じゃねぇかっ! そんなもん、巻き込んだもクソもあるか! 俺が標的にされたのはあいつのせいでもなんでもねぇだろうが!』
新一がこのフランスにいたのは偶然だ。
そこにアレスが関わってきたのも、全くの偶然だ。
もともと彼の標的はレオナルドであり、そこへたまたま新一が居合わせてしまったに過ぎない。
そうして丁度良いとばかりに新一を巻き込んだのだ。
そう、巻き込まれたのは、他ならぬ新一の方である。
『関係ないくせして……怪我まで負ってんのは、新一じゃねぇか……!』
レオナルドが悔しげに膝を打つ。
何も知らずにこの二週間を過ごしていた自分が情けなかった。
おまけに自分に向けられる殺気にも気付けず、新一に怪我まで負わせてしまって。
『情けねぇ……っ』
吐き捨てるレオナルドに、白馬はかける言葉を持たなかった。
新一に言い含まれて口を閉ざしていた自分もまた同罪である。
『黙っていて、すみませんでした……』
だから謝ることしか出来なかったのだが。
レオナルドが何かを言う前に、鳴り響いた轟音に全ての意識は持っていかれたのだった。
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