隠恋慕
蒼い天使 6
『し、新一!?』
レオナルドは、ゆっくりと崩れていく新一をまるでスローモーションでも見ているような心地で見つめていた。
トレーニングが終わり、部屋の外でコーヒーを飲みながらふらふらと散歩して。
今日は天気も良く、窓の外に広がる風景をなんとはなしに覗いていた。
そんな時、突然聞こえてきた新一の声に驚いて振り向いた。
どこか焦ったような鬼気迫った声が常の彼とは思えずに、何事だと目を瞠って。
一瞬、新一が安堵したような表情を見せたかと思うと、次の瞬間には再び険しい顔に戻り、駆け出していた。
……そして、今。
新一の左肩から赤い飛沫があがり、その衝撃のままに床に頽れていく。
『新一、大丈夫か!?』
慌てて彼の体を受け止めようと、咄嗟に手を伸ばしたレオナルドだったが……
『バカ、良いからさっさと伏せろ!!』
逆にその腕をぐいと引かれ、新一に覆い被さるように地面に伏した。
「い、つ……ぅっ……」
まるで穴の空いた水袋のように肩から血が溢れ、流れてくる。
新一はレオナルドを伏せさせると、窓側の壁に身を隠しながら空いている右手で傷口を強く圧迫した。
弾は貫通している。
動かすたびに血は溢れるが、それでも骨の動きに以上はない。
骨折は免れたのだろうと、不幸中の幸いに口端をギリと持ち上げる。
灼けるような痛みに歯を食いしばりながら、それでも新一は冷静に状況を判断した。
自分の左肩を撃ち抜いた銃弾の入射角。
窓に残る、ひび割れ。
やや上空から撃ち込まれた銃弾から察するに、アレスはここの向かいに立ち並ぶ高層の建造物の一角から狙ったのだろう。
けれど、予想出来うる建物との距離はかなりある。
知ってはいたが、改めてアレスの実力をまざまざと見せつけられた心地だった。
けれど、レオナルドに怪我はなく、追撃もない。
油断は出来ないが、アレスの性質からしてここで深追いしてくることはまずないだろう。
流石に優秀な刑事であるだけに、レオナルドは新一の肩へと簡単な応急処置を施している。
新一は現状に判断を下すと、さっさと行動に移った。
『レオナルド。このままみんなのところに戻って、白馬を呼んだらみんなの側にいてくれ』
『あ? 何言ってんだ、おい……』
『良いから戻ってくれ! 口論してる余裕はないんだっ』
ガラリと変わった新一の気配に、レオナルドは内心狼狽した。
新一がここに来てから既に二週間以上経っているが、こんな彼は見たことがない。
形を潜めていた何かが表面へと現われ、触れれば切れんばかりの気が彼の周りを覆っていく。
重症の怪我人が、なぜか恐ろしくさえ見えた。
だが、新一は怪我人なのだ。
現状の呑み込めない自分は新一に従うべきかも知れないが、だからと言ってここで重症人を放って安全地帯へと逃れるなど出来るはずもない。
『……だったら尚更、放っておけるか!』
言うなり、新一はレオナルドに抱え上げられた。
「ぅわ……っ」
『オイオイ、なんつー軽さだよ』
『ちょ……、待て、レオ! 俺は良いから、』
『五月蠅ぇ。ガキは黙ってな』
一九〇近くある長身の彼に手負いの新一が敵うはずもなく、肩の痛みに満足に抵抗することすら出来なかった。
仮にも高校生男児がこうも軽々と抱き上げられたことに少しばかりの抵抗感を抱きながらも、新一は無駄な足掻きはやめることにした。
銃創は次第に熱を持ち始め、歯を食いしばる程度では痛みは和らがなくなっている。
それでも呻き声ひとつあげないところが彼らしいと言えば彼らしい。
レオナルドは出来る限り新一の肩に負担がかからないようにと、細心の注意を配りながら足早に歩く。
服越しにもそれと解る程、新一の体温は上昇していた。
銃創による発熱は、下手をすれば意識を飛ばしてしまうほどのものだ。
だと言うのに、歯を食いしばり耐え続ける新一。
今まで見てきた工藤新一という人物が、彼にはまるで別人のように映っていた。
白馬も新一も、本来ならまだ勉強に勤しむ学生なのだ。
義務教育を終了しているとは言え、一般的に見ればまだ親の庇護下にいてもおかしくない年齢。
大人でありながら、けれど子供の領域から完全に抜け出したわけではない。
その、子供が。
例え探偵と名乗っていたとしても、まだ子供であるはずの少年が、気絶してもおかしくないほどの傷を負いながら耐えている。
殺人現場を見て青ざめていた少年とは思えなかった。
『……おい、起きてるか?』
『当たり前だ……』
新一はやや呼吸が上がってきているのか、喋りにくそうに、けれどしっかりと答えた。
『そのまま喋らずに聞け』
『……』
『今、何が起こってるのか。お前は知ってるんだろう?』
数秒躊躇った後、新一が微かに頷く。
『理由も説明も、後できっちり聞かせてもらうからな』
『……解ってる』
こうなってしまった以上、レオナルドに全ての事情を伏せたままにしておくことは出来ないだろう。
新一はそう思い、そっと溜息を吐く。
と、それまでの反動が全て押し寄せてきたかのような痛みが襲ってきた。
今まで、一分一秒たりとも気を抜かない構えでこの数週間を過ごしていたのだ。
それで疲れないはずがない。
一瞬の気の緩みが容赦なく襲いかかる。
(せめて、白馬に言うまでは保てよ……!)
怪我をした以上、新一は暫くの間動くことが出来ない。
それは単に銃傷による痛みのためではなく、このフランスで治療を受けることが、新一にとっては発作の苦痛を意味するからだ。
APTX4869の副作用で、新一の体は通常の医薬品を全く受け付けなくなった。
灰原哀という主治医が製造した薬以外は、新一の体に悪影響を及ぼす。
それは発作という形で新一の体を蝕むのだ。
呼吸が浅く不規則になり、発熱を引き起こす。
発熱による呼吸困難や頭痛・吐き気はもとより、心臓を握り潰されているかのような激痛。
APTX4869を投与した時のような、骨の溶けるような感覚ではないにしても、それでも常人ならなかなか耐えられるものではない。
発作の重度はその度に異なる。
が、軽度の発作と言えど決して軽くはないのだ。
加えて、この発作には規則性が無く、どれぐらい続くのかどれぐらいで収まるのか、今までの経験上予想することも出来ない。
灰原のいない今、この地で治療を受ければ必然的に発作を起こしてしまうことになる。
そうなった時、レオナルドの安全を新一が確保することは難しい。
けれどむざむざとアレスに殺させたりはしない。
せめて動けるようになるまで、白馬に彼と行動を共にしてもらわなければならないのだ。
けれど、そんな新一の意志とは反して瞼は重みを増すばかりで……
『は……白、馬…は……?』
『もう着く。探も居るはずだ。良いから、あんまり喋るな』
いくら止血したとは言え、何も道具はないのだ。
きつく縛ったはずの布は赤黒く染まり、おびただしい量の血が流れているのが解る。
けれど新一はそれには構わず。
『……あいつ、に、言わなきゃ……っ』
『だから喋るなって――』
「工藤君!?」
レオナルドの声を遮るように、トレーニング場から顔を覗かせていた白馬が叫んだ。
突然走り去った新一が気に掛かり、こうして待っていたのだが……
現われたのは、肩を真っ赤に染め上げた新一と、彼を抱えるレオナルドだった。
『レオ! 彼はどうしたんです!?』
直ぐさま駆け寄った白馬は新一をのぞき込み、その顔色の悪さに寒気を覚える。
あの、いつかの生命維持装置に囲まれた彼の姿を思い出してしまったのだ。
白馬の叫び声に何事かと、他の刑事たちも次々と駆け寄ってくる。
『落ち着け、探。俺にもまだ解らない。とにかく肩を撃たれてる。それに……俺を庇ったようだった』
『まさか……!』
『……』
白馬の反応に、レオナルドは彼も知っているのだと理解した。
なぜ新一が白馬を呼べと言ったのか。
「……白馬……」
「工藤君! 大丈夫ですか? しっかりして下さい……!」
「ヘーキだよ、こんな傷……銃で撃たれたのも、何も初めてじゃねぇし……」
「え!?」
驚く白馬は無視して、新一は用件を伝えた。
「聞けよ……俺の変わりに彼を頼む。みすみす殺させたりすんなよ……」
「それは……解ってます。任せて下さい」
「それに、発作のことは言うんじゃねーぞ」
「!? ですが……っ、」
「何も死にゃしねーんだ。黙っててくれ」
新一はレオナルドの腕の中でぐったりとしたまま、白馬に話しかけている。
目を閉じ、浅い呼吸を繰り返しながら念を押す新一に、白馬は頷くしか術を持たなかった。
「……解りました」
新一は今ひどく疲弊している。
意識を保っているのも難しい程に疲れていた。
そんな状態で自分の体をコントロール出来るはずもなく、従って目を瞑っていなければならなかったのだ。
でなければ、その瞳に揺れる蒼い炎に気付かれてしまう。
ばれてはいけない。
異質であると言うことはそれだけで、危険を呼び込んでしまうものだから。
たとえこの瞳になんの意味もなくとも。
だから、ばれてはいけない。
巻き込んでは、いけない……
そう自分に言い聞かせるうちに、新一の意識は暗闇へと呑み込まれたのだった。
* * *
『彼、私に任せてくれないかしら?』
レオナルドの愛車に新一を乗せた彼らは、突然現われた女性にそう呼び止められたのだった。
ICPO内は大騒動になっている。
研修生としてやって来た日本人学生が、この敷地内で突然撃たれたというのだから、問題にならない方がおかしい。
新一の衰弱は激しく、白馬とレオナルドは説明は後として直ぐさま新一を病院へと移そうとしたのだが……
『……誰だ、あんた?』
訝しげに瞳を細めながらレオナルドが尋ねる。
その女性はどこか東洋系で、同時に北欧系の印象を与える。
おそらくは日本と北欧のハーフなのだろう。
赤みをおびた茶髪にはウェーブがかかり、肩のあたりできっちりと揃えられている。
すらりとした背に白衣を羽織っていた。
切れ長の瞳は灰色で、どこか冷たい印象を与える美人である。
レオナルドはその女性に全く見覚えが無く、だからこそ不審に思ったのだが。
『貴方は……っ』
白馬の驚きに満ちた声は、どう見ても知っている者の反応である。
レオナルドはまたしても自分だけが知らないのかと眉をひそめたが、それを余所に白馬はひとり混乱していた。
確かに、その女性に見覚えはある。
否、その女性と言うよりは――その女性に非常によく似た人を知っているのだ。
けれど彼女はまだ、小学生程の子供であったはず。
彼らの前に立っているのは灰原哀……もとい、宮野志保であった。
『貴方は、工藤君の隣に住んでる……?』
『いえ、違うわ。私は彼の主治医の宮野志保よ。話は聞いてるわ、白馬君?』
『……そんな……』
いくらなんでも、似すぎている。
似ているというよりはむしろ“同じ”なのだ。
彼女をそのまま小さくすれば灰原哀に、灰原哀をそのまま大きくすればこの宮野志保という女性になる。
たとえ身内だとしてもここまで似るものだろうかと、白馬は探るような視線を向けた。
けれど彼女はそんなことは少しも気に止めずに。
『悠長に話している余裕はないのよ。貴方、知ってるんでしょ? 彼の治療は私にしか出来ないわ』
そう。
新一の体に適合する薬を造れるのは、彼女だけ。
新一の体に最も負担をかけない方法で治療を施せるのは、彼女をおいて他にないだろう。
それは白馬にも、わかるのだが。
目の前に佇む彼女から感じる、歪み。
言葉で表現する術を持たないが、けれど長年培ってきた白馬の第六感が訴えかける、何かがある。
果たしてここで流されて良いものか、それとも……。
押し黙る白馬に変わって、レオナルドが言った。
『何か込み入った事情があるみたいだけどな。俺は自分の見たモンしか信用しねぇ主義なんだ』
意識はないというのに苦しげに荒い呼吸を繰り返す新一を見つめる。
自分を助けるために、代わりに撃たれた少年。
初めから諸々の事情の説明を受けていれば、レオナルドだとて何かしらの対処が出来たはずだ。
何も話さなかったことは誉められたことではない。
レオナルドは日本語のリスニングは苦手だが、出来ないわけではないのだ。
発作だの殺されるだの、そんな物騒な単語が出れば、嫌でも苦手なリスニングにも力が入ってしまうというもの。
それら全ての事情を一切語ろうとしない新一や白馬に、実際腹を立ててもいる。
けれど、助けられたことに変わりはないのだ。
それに仇を成すほど、愚かにはなれないから。
『こいつを助けたい。アンタに任すしかないなら、任せる。だが、俺も一緒に行かせて貰うぜ』
治療に付き合おうと言ったレオナルドに、白馬が続く。
『でしたら、僕も一緒に行きます!』
すると彼女は不適に微笑んで。
『良いわ。元よりこちらもそのつもりだったし』
『!』
『そこの刑事さんをひとりには出来ないものね』
その笑いがすべてだった。
彼女は知っているのだ、なぜ新一が撃たれたのかも、なぜレオナルドが狙われているのかも。
それは彼女の言うとおり新一の仲間だからなのか、それとも。
仲間だというならなぜこんなにも恐ろしく感じるのか、白馬には解らなかった。
それは、白馬がICPOに所属し、世界の裏の部分に触れる機会が多くなったことに起因する。
そう言った闇の部分に触れることによって、それらの気配を体が自然と察知するようになっているのだ。
以前、灰原哀が組織の連中に感じていた“匂い”のように。
新一が察知することの出来る“殺気”のように。
『せいぜい死なないよう、護ってあげることね』
ひどく冷たい声で、笑いさえ含んだ声で。
ただ者ではないと告げる自分の第六感は間違っていないのだと、白馬は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
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