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蒼い天使 9

 風が鳴る。
 夜の空気を切り裂くようにして目の前を飛び去った、影。
 次に痺れるような感覚がレオナルドの手を襲い、弾かれるようにして手にしていたはずの拳銃が吹き飛ばされていた。

『なんだ!?』

 一瞬見えた小さな影は、何か薄い紙のようなものだった。
 痺れる右手をもう片方の手で押さえ、影の飛んできた方を見遣る。
 煙を吐きながら燃えさかる炎の奧に人影が見えた。
 おそらく、レオナルドの拳銃を奪い、彼らの対決を邪魔した人物だろう。
 レオナルドはアレスに警戒しつつもそちらを窺った。
 どうやらアレスも突然の乱入者に驚いているらしく、無防備にもレオナルドから顔を背けている。

 影がどんどんと濃く、そして大きくなっていく。
 こちらへと近づいているのだ。
 レオナルドもアレスも目を凝らしてそれを見つめた。
 その後方では白馬もじっと見つめている。

 影はひとつ。
 コツコツと、靴音高く歩み寄ってくる。

 そして、赤い炎の奧にちらつく――白。


「今晩は。暇なら私のお相手をしませんか? ……アレス」


 紫紺の瞳に静かな怒りを湛える白き罪人は、慇懃な態度で優雅に腰を折った。

『……ったく、今日は何だってんだぁ!?』

 国際犯罪者が、こうも次々と現われやがって!

 自分の拳銃を吹き飛ばしたのが怪盗キッドだと知るや、レオナルドはそう叫んでいた。
 世界中の警察が全力で追跡してなお一向に捕まらない彼ら。
 だというのに、今日に限ってそんな者たちが次々と姿を現わすのだから、彼の叫びも仕方ないだろう。

 けれど、レオナルド同様に驚愕している白馬は、違うことを叫んでいた。

「キッド! なぜ、貴方がここに居るんです!?」

 それは純粋な疑問ではなく、白馬の中にずっと存在し続けているひとつの謎を解くための声だった。
 工藤新一の後ろにいつもちらつく白い影。
 初めは、父の付き添いで行った婚約パーティ――アレスを初めて間近で見た時だ。
 次に、ジュネヴァと名乗る女と対峙した――拉致された新一を救うと言った時。
 いつだって気付けば彼はそこに居て、そしていつも新一を……まるで守るようにして現われる。

 なぜ、守るのか。
 彼らに、自分の知らないどんな秘密があるのか。
 探偵としての白馬が知りたいのか、それとも。
 叫びながらも脳裏に浮かぶのは、クラスメートの、新一とよく似た顔の少年だった。

「白馬探偵。手出し無用ですよ。死にたくなければ、そこの刑事を連れて端に行っていて下さい」
「な……っ、関係ないのは貴方の方でしょう! なぜ君がその男と――」

「俺の光を、あいつが傷付けるからだ」

 途端、キッドが駆け出し、アレスとの間合いを取りながらトランプ銃を構えた。
 アレスは余裕の仕草で腰の後ろあたりから銃を取り出す。
 一度上下に軽く振り、ガシャリと音を鳴らして弾丸をセットする。
 キッドは続けざまに五発、トランプ銃を撃ち抜いた。

「どうした、キッド。何をそんなに怒ってるんだ?」

 口元に酷薄な笑みを浮かべ、解っているくせにアレスはうそぶく。

「紳士らしくねぇよなぁ、その眼が!」
「うるさい……!」

 新一の蒼い瞳のように不可思議な炎が見えるわけではないが、キッドの瞳もまた燃えていた。
 紫紺の瞳が――炎の如き鮮烈な怒りで。

「お前が新一に手を出すのは、これでもう、三度目だ!」
「へぇ……まだその程度しか構ってなかったか」
「とぼけるな!」

 キッドの斬り殺さんばかりの怒声すらもさらりと流し、アレスはからかうように嗤う。
 飛んでくるトランプをことごとく打ち落とし、それでも反撃する様子はない。
 キッドとの問答を愉しんでいるのだ。
 ふたりは常に三メートルほどの間合いを取り、一歩も譲らない殺気を放っていた。
 その様子に、白馬が息を呑む。

 日本へと帰国して以来、白馬はずっと怪盗キッドを追い続けていた。
 時にはこちらの仕事のために現場に向かわなかったこともあるが、キッドの犯行には出来うる限り関わってきた。
 その優秀な頭脳と最新式のコンピュータを駆使し、長年キッドを追い続けている中森警部にも負けないほどにキッドのことを知り尽くしているつもりだった。
 それが目の前で今、覆されているのだ。

 白馬はこんなキッドを知らなかった。
 慇懃な態度を装う余裕もない程に憤り、口調を崩してまで相手を罵る、怪盗。
 まるで視認出来てしまうのではというほどに怒りを、殺気を、その体からほとばしらせている、怪盗。
 今、白馬の目前にいるのはキッドであり、キッドでなかった。
 彼はいつもマジックで警察を翻弄し、鮮やかにスマートに標的を盗み出す、ある意味では芸術家だったはず。

 その怪盗が、けれど今、プロの殺し屋と対等に渡り合っているのだ。

 駆ける脚の強靱さ、疾風のごときその速さ。
 放たれたトランプ銃が正確に描き出す軌跡、それを成し得る頭脳。
 獲物に襲いかかる白豹のように、その姿は獰猛だった。

 以前に入手した怪盗キッドのものと思われる毛髪。
 それを自宅の地下にある研究所で鑑定した結果、知能指数が有り得ない数値を記していた。
 IQ400。
 そんな馬鹿げた数字は、今まで聞いたこともなかった。
 数値にして100を越えれば、その人は既に“天才”と呼ばれる頭脳を持っていると判断して良い。
 その数値を遙かに凌駕する知能指数。

 白馬は実のところ、信じていなかった。
 けれどここに至って、信じざるを得ない状況となった。
 なぜなら、目の前にいるのは既に――ただのクラスメートと言える存在ではないのだから。
 天才を越える、天より与えられし才能。

「キッド……いや、黒羽君。君は一体何者なんだ……?」

 白馬のその頼りない呟きは、激しく衝突し合うふたりのもとへは届かない。



 銃の応戦を繰り返しながら、アレスは違和感を感じていた。
 違和感の元は……怪盗の動き。
 面と向かって対峙したのはただの一度だが、相手の技量を計るにはその一度だけで充分だった。
 相手の強さを認識するのも強さのうちである。
 あの、数分にも満たない短い時間の中で、アレスはキッドの強さをある程度把握していたのだ。
 けれど、それが今はどうだろうか。
 あれから幾らと経っていないと言うのに、キッドは確実に強くなっている。
 途切れがちだった集中力は目を瞠る程に堅固となり、体の動きも、ほんの針の穴程度にあった無駄な動きですらなくなっている。
 そして何より驚くべきは――攻撃をすることへの躊躇いが消えていた。

 怪盗キッドはその犯行を、自分を除く全てに無血で通してきた。
 その信念からなのか、以前はアレスに対しても今ひとつ踏み込み切れていないところがあったというのに……

 この短い期間に、怪盗にどのような変化があったのだろうか。
 不意にアレスの好奇心がむくむくと膨らんでいく。
 それは、キッドにとっては決して有り難いものではなかったけれど。

「そんなにあの名探偵が大事か、怪盗キッド」
「アンタには関係ないねっ」

 吐き捨てるように言う怪盗をニヤリと嗤う。

「たかが肩ひとつだろう?」

 ブツリと、何かの切れる音を聞いた気がした。

 殺気が巻き上がり、風が吹いてマントを靡かせる。
 日に焼けた薄茶の髪が逆立っていた。

「……たかが、肩ひとつ、だと……?」

 キッドの瞳が昏い光を灯す――まるで、組織の残党と対峙していた時のように。

 無言のままにトランプ銃を構え直すと、音を立てて特殊装置が落下した。
 特殊装置を外してしまえば、キッドのトランブ銃は普通の銃として使うことが出来る。
 それを、キッドが自らの手で外したのだ。
 ……アレスを殺すために。

 それを見たアレスが満足そうな笑みを口元に刻む。
 本気の怪盗でなければ、折角のゲームが楽しめない、と。

「新一を傷付けるヤツは俺が許さない!!」

 カチリと、銃を構える音がやけに響く。
 決して人を傷付けない怪盗が、傷付けるために銃を撃とうとしていた。
 白馬は突然の彼の行動に驚愕し、そしてそれを止めるために叫ぼうとしたのだが。

「たかがだと!? ふざけるなよっ、あいつの苦しみも知らないくせに……!」

 キッドの慟哭のような声に、全ての言葉は音に成ることはなかった。

(……工藤君の苦しみ?)

 それは何を意味するのか。
 新一が特異体質であることも、特殊な薬品しか受け付けないことも知っている。
 発作などという厄介なものまで抱え込んでいるのだ。
 それだけで、白馬には理解出来ない、彼にしか解らない苦しみが存在するだろう。
 けれどなぜか、キッドの言う“苦しみ”がそれ以外のことを指しているように思えて仕方なかった。

 先ほどよりずっと事態は深刻化している。
 アレスのみならずキッドまでが実弾を持ち出したとあれば、これはただの殺し合いになってしまう。
 仮にも刑事がふたりも居てこれを止めない訳にはいかず、白馬が声を上げた。

「やめるんだ、キッド! 殺人まで犯すつもりですか!?」
「黙れ、白馬」
「!」

 振り向いたキッドの瞳の冷たさにゾッとする。
 そこには愛想良く笑っていた少年の面影はなく、在るのは限りなく闇に近い者のような――今のアレスのような昏い瞳だけだった。
 既に怪盗を装うことをしなくなったキッドの口調は、白馬の知る黒羽快斗そのものだ。
 けれどその声は驚く程に冷たく……

 喪失感に、背筋が粟立つ。

 捕まえたくて。
 どうしようもなく、惹かれて。
 いつの間にか、無くすことの出来ない大事な存在となってしまっていた、彼。

 その彼が、音を立てて消え去っていく。


 キッドが地を蹴り、
 アレスが地を蹴り、
 ふたりは互いに銃を構え、
 躊躇うことなく引き金にかけた指に力を込め……


「黒羽君――――っ!!」


 白馬の悲痛な声が木霊した。



 レオナルドは日本語が苦手で、ヒアリングは特に苦手だった。
 けれど、突然現われた怪盗と当然のように日本語で話している彼らを目前に、苦手だなどと言っている暇はなかった。
 もともと優秀な上に、ただ文法がややこしいからと言う理由だけで苦手としていた彼である。
 やる気を出せば、ヒアリングはもちろん日本語を話すことだって出来る。
 そうして聞いた会話に、驚きを隠せないで居た。

(新一は怪盗キッドと繋がってるのか……?)

 キッドの口振りからしてもそれはまず間違いない。
 新一を撃ったアレスを恨み、その殺気を隠しもしない。
 キッドは新一を知っており、更に言うなら、彼のためにここへと来たに違いなかった。
 そして、白馬もまた。

「黒羽君――っ!!」

 けれど白馬のその叫びも届かず、二発の銃声が鳴り響いた。
 続けざまに一発、二発、三発……
 互いに信じられない反射で辛うじて相手の銃弾を避け、正確に相手の急所を狙って撃ち込み続ける。
 殺し合いが始まったのだ。

 遠くでサイレンの音が微かに聞こえる。
 漸く消防隊と警察がやって来たのだろう。
 けれどふたりは、その音に気付いているはずだというのに一向に攻撃の手を休めようとはしなかった。
 一方は底冷えのする怒りを湛えた瞳で、もう一方は愉悦に満ちた笑みを浮かべて。

「やっぱり、あの時お前を生かしておいたのは正解だったなぁっ!」

 くくく、と愉しくてたまらないとでも言うように笑みをこぼすアレス。
 今まさに、彼の望む生死を懸けた本気のゲームが行われているのだ。

「……新一を狙ったことを後悔させてやるっ」
「随分と強気だな。良い動きをするようにはなったが、それで俺に勝てるつもりか?」
「勝ち負けなんてどうでも良い、アンタを殺すだけだ」
「はっ、言うじゃねぇか!」

 殺し屋の俺に向かって、餓鬼が殺すとは。

「その手、へし折ってやろうか……?」

 怪盗キッドのマジックは華麗だ。
 人々に笑顔を与え、歓びを与えてくれる。
 誰もが一度は目を奪われてしまう、まさに、魔法。

 その手を折られたなら、面白いだろうな。

 アレスの顔に危うげな表情が浮かぶ。
 分別のある理知的な大人のようで、まるで子供のような。

 次のアレスの行動は早かった。
 銃を、間髪入れずに幾度も連射し、正確に標的を狙いながらも急激に間合いを詰めていく。
 三メートル、二メートル、一メートル……

「……クッ」

 目前に迫るアレスに、キッドは咄嗟に殴ろうと右手を振り下ろす。
 渾身の力を込めたそれは、けれどあっさりと避けられ……

 逆に、その手を取られてしまった。

「この程度で焦るようじゃ、まだまだ」

 ふん、と鼻で嗤う。
 確かに強くはなったが、その力をまだ持ち余しているといったところか。
 それらをまだ充分に自分の力と出来ていないのだ。
 それでは、長年闇の中で生きてきた自分に敵うはずもない。

「知ってるか? 骨の折れる瞬間の音を。神経が断ち切れる瞬間の音を」
「は……っ、知りたくもないね……!」

 ギリ、と強く締め付けられる。
 ギシギシと骨が悲鳴を上げるが、快斗は決して叫ばなかった。

 この男の前で醜態を晒すなど以ての外だ。
 例え死んでも、笑っていてやる。

「月下の魔術師が、二度と手を使えなくなる……なんとも滑稽な話だな」

 低い嗤い声が耳にまとわりつく。
 骨が軋み、筋肉が張り、神経が伸ばされ、今にも折られそうだと思った時。



「キッドォ――――っ」



 ゴキ、という嫌な音が響く。
 今にも喚いてしまいそうなほどの激痛が襲いかかる。

 けれど、それよりも、鮮明に感じるのは……


 紅蓮の炎の中に毅然と立ち尽くす、蒼白い月明かりを背にした――天使。



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