隠恋慕
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「――仕事?」
鬱陶しい梅雨の時期に入る直前の、爽やかな晴天の下。
行き交う人々でごった返す十字路をどこへ行くともなく流れるように歩きながら、携帯を片手に七瀬が怪訝な声を上げた。
長い黒髪は今はなく、さっぱりと短い髪に青年実業家らしくカジュアルなスーツを身につけ、首には仕事の相棒のニコンを下げている。
黒曜石のように煌めく鋭い双眸も今はサングラスの下に隠れ、ただその整った長身が人並みを突き抜けていた。
彼は知る人ぞ知る、引退してなお裏の世界にその名を轟かす凄腕の殺し屋だ。
容赦なく獲物を狩る姿は暗闇に潜む白銀の牙が如く……
呼び出したのは誰か、今ではもうそれを知る術はない。
ただ、いつの間にか定着していた“白牙”と言う名を、本人は喜ぶわけでも憤るわけでもなく受け入れ、自らもそう名乗るようになった。
そんな名の知れ渡った彼だが、表の世界でも彼は有名だった。
新進気鋭の人気若手カメラマン、七瀬啓吾。
それが彼の表の名であり、現在の職業でもある。
そう、何がどうしてそうなったのか、元凄腕殺し屋はカメラマンに転職したのだった。
カメラマンと言ってもアイドルのポスターやグラビア撮影などではなく、抗争中の国、危険へと自ら飛び込んでいくという報道カメラマンが彼の仕事だ。
――現在休業中ではあるが。
その七瀬、もとい白牙と通話中の相手は、電話の向こうで少し情けない声を上げた。
『そうなんだ、ケイゴ。どうしてもお前の助けが必要なんだよ』
「馬鹿言うなって。しばらく仕事は休みだって言っただろ?」
『そこを何とか頼む。もう俺だけじゃどうにもできない状況なんだよ』
ぴくり、と白牙が器用に片眉を持ち上げた。
暫く休業すると言う契約を破ってまで頼み込まなければならないという“仕事”とやらに、ほんの少しだけ興味が沸いたのだ。
彼との付き合いは長いが、彼が決して無能でないことは白牙自身がよく知っている。
その男がこうして音を上げる仕事とは、いったいどのようなものだろうか…?
『興味が沸いたか?』
その心の揺れが沈黙で伝わったのか、電話の向こうで男の口調がガラリと変わった。
もともとあの情けない声もポーズだと判っていたが、その不貞不貞しさに白牙の端正が顔が不機嫌そうに歪められる。
彼と言い優作と言い、自分の周りの男どもと来たらこんなヤツばかりだと、思わず溜息が零れた。
「確かに、興味はあるけどな……」
脳裏に浮かぶ、どこか不機嫌そうな愛しい愛しい少年の姿。
いつも怒った顔や呆れた顔ばかりしている――理由は自身ともうひとりの居候のせいだと良く理解している――が、白牙にとって少年は最も守らなければならない存在なのだ。
義務ではなく、自身が望むこと。
白牙の顔に、今度は愛おしむような笑みが浮かんだ。
「俺の大事な宝石がかかってるんでね。今回はパスさせてもらうぜ」
『大事な宝石ねぇ……』
受話器越しに苦笑が聞こえてくる。
一度こうと決めたら決してそれを曲げることがない白牙の性格を、男は良く知っていた。
それゆえ、諦めてくれたのだろうが諦めきれずに苦笑がもれたのだろう、と白牙は思った。
けれど次の瞬間、その考えは間違いであると知る。
苦笑を引っ込めた男は、不適に言うのだ。
『生憎、その宝石にも関わるかも知れないぞ』
自宅でもないのに我が物顔でどでかい洋館の門をくぐり抜け、半ば無理矢理家主から貰った合い鍵で玄関の扉を開ける。
鍵などなくとも入ることは出来るが、帰る度にピッキングをするような真似は出来れば遠慮したい。
近所に不審がられる、と言うよりは、ただ単に面倒だからだ。
そうして上がり込んだ工藤邸は暗く、シンとしている。
もともと人の住む気配が格別に希薄な邸内ではあるが、誰もいないことは一目瞭然だ。
まして人の気配を読むことに長けている彼にしてみれば、門を潜る以前に誰もいないことなど明白だったのだが。
「あのお転婆な姫さんは、まったく……じっとしてらんないのかね」
白牙は小さく溜息を吐いて、とりあえず灯りを点けながらリビングへ入る。
夜の7時、普通なら夕食だなんだと賑わうはずのそこには、テーブルの上に小さな紙切れがぽつりと置いてあるだけだった。
見るまでもなく内容が予想出来てしまった白牙だが、眉をひそめつつその紙を手に取る。
そこには探偵の生真面目な文字でひとこと。
――警視庁
呆れを通り越して、もう溜息すら出てこない。
もうひとりの居候の姿も見えないということは、おそらく彼に付き添っているのだろう。
優秀だと言われた日本警察はいったい何をやっているのか。
あんな年端もいかない高校生に頼りっきりとはなんとも情けない。
自らがその警察を手こずらせる指名手配犯だと言うことはすっかり棚に上げ、白牙は下げていたニコンをソファへと放り投げた。
このたったの3文字では事件の概要などは全く判らないが、どうせ難事件で捜査に息詰まった警察――もとい懇意にしている恰幅の良いあの警部が呼び出したに違いない。
それへ嬉々として向かう彼も彼だと思うが、それはまぁ、高揚した時のあの不適な笑みが可愛いのでおいておく。
白牙は、居座るようになってから自分の部屋として与えられた客間の一室で、少しよれよれになってしまったスーツを着替えた。
それなりにビシッと締まって見えるものに着替えると、入ったばかりの工藤邸を出て足早に警視庁へと向かう。
悪戯好きのお転婆娘を迎えに行く心境だが、その顔は快斗や新一が見たなら思わず驚いてしまうほど真剣だった。
――生憎、その宝石にも関わるかも知れないぞ。
危険を呼び込むだけでなく、自ら危険へ飛び込んでいくような宝石だ。
確かにアイツの言うとおりだと、国際指名手配犯である白牙は堂々と警視庁へと乗り込んだのだった。
* * *
「―――ヘイシン?」
おうむ返しに問いかければ、目暮警部は真剣な面持ちで「そうだ」と頷いた。
「黒に星と書いて、ヘイシン。もともとは中国の犯罪者だ」
「…その男が日本に密入国した、と」
再び頷く目暮を余所に、新一は思考に耽るように右手を顎へかけた。
すでに考え込むときのポーズとなっているため、そんな新一を遠目に見留めた快斗は諦めたように天を仰ぐ。
すっかり推理モード全開である。
こうなればてこでも動かないぞと、耳に取り付けたウォークマンのイヤホンから聞こえてくる彼らの会話に耳を峙てた。
快斗は今、新一の服に取り付けた盗聴器を聞いていた。
普通ならプライバシーだの守秘義務だのとうるさい新一だが、今は任意で盗聴器を取り付けている。
先日、黒の組織の残党と接触して死ぬほどの怪我を負ったことは、まだ彼らの記憶にも新しい。
その時に互いに“秘密”を抱えることがどれほど危険なことか身をもって知ったのだ。
新一と快斗の間にはどんな秘密も持たない。
どちらが約したわけでもないが、暗黙の了解でそうなっていた。
そのため新一はこうして、渋々ながらも盗聴器を取り付けての会話も甘受しているのだ。
どんな事件にせよ新一が今後深く関わっていくのなら、快斗にも詳しい情報を知る権利はある。
だが一般人の快斗は資料などを見るわけにもいかず、新一や目暮から遠く離れたベンチで何もないような顔で待っているしかなかった。
「数日前、中国警察から連絡があってな。黒星は指名手配中の凶悪犯だ」
「……どういった?」
「臓器などの密売人で、年若い少年少女を拉致しては切り刻んで売り飛ばしているらしい。奴の資料は以前に渡されたことがある。……すでに20を越すよ、犠牲者は」
「なるほど……そんな男が日本に来たとなっては危険ですね」
「ああ。我々も特捜班を設置して捜査を進めてきたんだが……」
そこで、目暮の表情が曇る。
探るように見つめていた新一の双眸が鋭く細められた。
「……すでに2人、犠牲者と思しき少女の遺体が上がってる」
ス……と差し出された写真には、殺された少女が写っている。
ひとりは髪の色も眩しい今時の女子高生、もうひとりは黒髪のまだ中学生ぐらいの少女。
ふたりとも腹部を切り開かれ、いくつかの臓器が切除されているのがわかる。
中学生の少女の方は抉られているのか、両目の部分が暗く落ちくぼんでいた。
あまり見ていて気持ちの良い写真ではない。
目暮もまだ高校生の新一に見せるのを渋るように渋面をつくっている。
が、すでに思考と感情を別物へと切り離した新一は、嘔吐をおぼえることもなく真剣に写真を見つめていた。
写真とともに差し出された被害者ふたりの資料にも目を通すが、接点と言える接点はない。
行方を眩ました時間も場所もまったくばらばらで、近いと言えば近いが、決められた区域内で探しているものとは思えなかった。
「どちらも草むらや公園に放置されているのを近くの住人が発見した。人通りが少ないわけでもないのに、今のところまったく目撃証言も出ていない」
「厄介ですね。今のところ、僕にも共通点は何も見あたりません。ただ…警告を、出した方が良いでしょう。少年少女に限らず、ひとりでの外出や夜中の外出は危険です」
「ああ。まだ黒星が犯人だと特定されたわけではないからな。まだ犠牲者が出るのか、出るというならそれが誰なのか、さっぱり判らん」
「ええ……」
確かに、臓器の密売人が密入国していると事前に知っていたからこそ“黒星”という指名手配犯の名前が挙がったわけだが、これらの犯行が彼のものだと裏付ける証拠は何も出ていない。
あらゆる可能性を考慮して対策を練らなければ、新たな犠牲者が出るのは明日かも知れないのだ。
「高木くん! すぐに記者会見の準備を。事件の詳細はまだ伏せておくが、住民に警告しなければならん」
「判りました!」
一礼して直ぐさま駆け出した高木の後ろ姿を見送ると、新一は再び写真へと視線を戻した。
肩にもかからないベリーショートの黒髪の少女。
くりぬかれた目の窪みが、まるで訴えかけるように見つめ返してくる。
恐怖と苦痛に引きつった顔が痛々しいが、それよりも……
(……目、というのが気になる)
瞳を狙う犯罪者なら、新一はひとり知っていた。
いや、おそらく、この特殊な瞳の存在を知る者が他にもいるなら、それを狙う犯罪者はひとりだけではないだろう。
この、蒼い炎の揺らめく瞳を狙うのなら、殺されるはずだったのは彼女ではな――自分。
新一には少女の目が、まるで己を責めているように見えた。
*
「――新一」
ふと、快斗の呼びかけが聞こえ新一は顔を上げた。
ベンチに座っている快斗が真っ直ぐに見つめている。
その手が動いて、こっちへ来るようにと手招きをしていた。
「……なんだよ」
ついて来るなと言ったのに結局ついて来てしまった居候。
心配なのは判るが仮にも犯罪者が警視庁に来るなど、いったいどういう神経をしているのか。
新一もまた快斗のことを心配してるからこそ不機嫌になるのだが、本人は気付いているのかいないのか、新一はしかめっ面で快斗に近寄った。
と、予想外にぐいと腕を引かれ、ソファに座った快斗の足を跨ぐような形で膝を突く。
「……っ、オイ!」
なにすんだよ!と続くはずだった言葉は、またも予想外に真剣な瞳に奪われた。
「新一。駄目だよ」
「駄目って……なにが?」
「まだそうと決まったわけじゃないだろ? 勝手に悩んで、勝手に傷付くな」
「え……?」
「お前見てたら判るよ。どーせあの写真……目でもなかったんだろ?」
「!」
見てもいないのにズバリと言い当てた快斗に新一は息を呑む。
写真がどんなものかは口にした覚えはない。
まして、自分との関連性を考えたことも口にしていないと言うのに……
「だから。見てたら判るんだ。……そんな顔、するなよ」
くしゃり、と快斗の手が柔らかく新一の髪を撫でた。
「たとえば今度の事件が“瞳”に関係する事件だったとしても、それはお前のせいじゃない。彼女が殺されたのは、お前が悪いんじゃないよ。悪いのは彼女を殺した奴らだろう?
勘違いするなよ。勘違いして、勝手に傷付くな。もしそれでお前が狙われてたら、今度は俺の寿命が縮まっちまう。
だから自分が悪いなんて思うなよ。お前は何も悪くないんだから」
まるで子供に言い聞かせるように、快斗は新一のサラサラの髪を手櫛で梳く。
新一は珍しく、快斗が喋っている間中大人しく目を閉じてじっとしていた。
それから目を開けると、そこにはいつもの不適な笑みが戻っていて。
「……バーロ。言われるまでもねぇんだよ。悔やむのは主義じゃない。たとえ“瞳”が関連してようとしてなかろうと、俺は真実を暴くだけだ」
言って、快斗の手を振り払う。
乱暴な仕草とは裏腹に、掴んだ手は優しく包み込むように。
快斗も満足げに微笑んだ。
「これから記者会見なんだろ? 聞くだけのことは聞いたんだし、そろそろ家に帰ろっか」
「ああ。……アイツも煩いしな」
普段は子供っぽいくせに、やはり元殺し屋だからかただの過保護なのか、新一のすることに煩く口を挟んでくる白牙を思い浮かべる。
止めるどころか新一と一緒になって出てきてしまった快斗も苦笑して、帰ろうと立ち上がりかけたところで……
「――煩いってのぁ俺のことかなぁ?」
聞き慣れた声が聞こえてきて、快斗と新一はそっくりな動作で振り返った。
見れば、件の犯罪者が腰に手を当ててにっこり見下ろしている。
普段から笑顔の絶えない男ではあるが、こうしてこめかみに青筋を立てたまま笑われると――めちゃくちゃコワイ。
「はっ、……啓吾」
「どうしたんだよ、こんなところで」
思わず名前を呼びそうになって、快斗はすんでのところで口を押さえる。
それへ白牙は相変わらず笑ったまま言った。
「どうしただとぉ~? あんっな紙切れ一枚残して消えちまったお前を迎えに来たんだろーが!」
「……別に、迎えに来なくても……」
「馬鹿言うな。自分の立場ってもんを理解してんのか、お前は」
急に態度を改めた白牙に、さすがに新一も申し訳なくなってくる。
事件と聞いては放っておけないとばかりに飛び出てしまうが、その自分自身を心配する者のことはいつも後回しになってしまう。
こうして“犯罪者”のレッテルを貼られた者がふたりも、鬼門であるはずの警視庁にまでやってくるほどだ。
余程心配をかけているのだろう。
そうして黙り込んで俯いてしまった新一に、白牙はひとつ溜息を吐くと。
「判ってるよ。納得しちゃいないが、お前のその、困ってる奴を放っとけない性格が好きなんだし」
「……ごめん」
「もう良いから。帰れるんだろ?」
「……ん」
項垂れる新一に、白牙は内心で「あーもーなんでこんなに可愛いんだか……」と別の意味で溜息を吐きながら、ぽんっと頭を撫でた。
「帰ったら俺に旨いコーヒーをいれる。それでチャラだ」
不器用な探偵に罪滅ぼしの提案を投げかける。
なんともささやかな罪滅ぼしではあるが、あるのとないのとでは随分気持ちの持ちようも変わるものだ。
新一は未だ納得のいかないような顔をしていたが、それへニッカリと笑ってみせると、漸く苦笑を見せてくれた。
「……判った。旨いの、いれるよ」
「おっけ♡ あ、ちなみに快斗は俺様と新一に旨いデザートを作ること!」
「えぇっ!? なんで俺だけっ!」
「当たり前だろ? 同罪、同罪」
「コーヒーとデザートのどこか同罪なんだよっ」
むくれる快斗はさらりと無視して、白牙は先陣切って警視庁を後にする。
資料を見せてくれた警官たちに挨拶する新一たちを気配で見守りながら、不意に視線鋭く前方を睨み付けた。
予感がする。
危険の予感が。
死と隣り合わせの生活の中で培った感覚が、ぴりぴりと肌に知らせる。
きっと良くないことが起こる。
そう、知らせていた。
だが、そんなことは白牙には関係ないことだ。
何があろうと、何が起ころうと、己のなす事はただひとつだけ。
蒼き月の御子を総ての災厄から守り抜く。
血にまみれたこの腕と、忠誠を誓ったこの魂にかけて。
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