隠恋慕
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阿笠邸の地下にはあらゆる精密機器が所狭しと並べられている。
以前は博士の発明に必要なものだけしかなかったのだが、いつの間にかそこは哀専用の実験室と成り果てていた。
というのも、新一の事情を知る博士と哀、それから快斗という三人の天才の頭脳をもって工藤邸の警備の強化を計ったのが始まりだ。
今ある警備システムでは不十分だと感じたため、三人がそれぞれ知恵を出し合って一般家庭では到底ありえないセキュリティを備えた。
それらの元となるコンピュータは全てここに設置されているため、阿笠邸の地下はこんなどこぞの研究機関のような有様になってしまったのだ。
パンドラの情報を探る傍らでそんなことをしているものだから、哀はすっかり地下に引き籠もりがちになっている。
けれど、今回はその精密機器が充分に活用されていた。
夜も更ければ外見だけは小学生である哀は外に出ることができない。
動くのはあくまで新一と快斗のふたりである。
どちらにも無茶はするなと忠告してあるが、果たして無茶と無謀の塊であるような彼らが素直に従うかは甚だ疑問だ。
それでも哀はここで片方からの連絡を逐一受信してそれをもう片方へと連絡し、そして緊急時には己と博士が向かえるように備えることしかできない。
(世界最高峰の殺し屋のくせに頭が悪いわ)
彼らの性格を理解できてない、と哀は何度目か判らない溜息を吐いた。
モニターに点滅するふたつの点は快斗と新一のそれぞれの現在地を示している。
彼らは今、自ら危険の中に飛び込んでいるのだ。
彼の名探偵は今、どこかの間抜けな殺し屋のおかげで哀にとって一番避けたかった方法で犯人確保に乗り出している。
溜息も吐きたくなるというものだ。
と、この三日間何も動きの無かったモニターに小さく変化が現れた。
メールが受信されたのだ。
哀は椅子の背に凭れていた体を素早く起こすと、さっとメールに目を通した。
送信元は――快斗。
「……かかったわね」
哀は電話を手に取ると短縮で掛ける。
1コールとして間を置かずに出た相手に、少しばかり緊張の滲む声で告げた。
「捕まえたわ。動いて」
向こうの男が強気な笑みと共に了解、と囁いた。
*
人通りの少ない路地に出たところで女――快斗は、背中にスタンガンのようなものを当てられ気絶した。……フリを、した。
生憎と慣れた体は痛みはあれど電流も受け付けないらしく気を失わずに済んだのだが、快斗をそうした本人は気付いた様子もなく中国語で小さく声を上げた。
おそらく待ち伏せていた者を呼んだのだろう、どこからともなく現れたガタイのいい男二人に担がれ、車の中へと押し込められる。
かなり乱暴な扱いだったが、変装というよりは女装をしているため顔が崩れることもない。
唯一難を言うなら鬘が取れてしまわないかが心配だが、変装を十八番とする怪盗にとってはなんてことはなかった。
「珍しいですね、下調べなしで連れてくるなんて」
車を運転している男が中国語で話しかける。
語学力に長けている快斗は難なくそれを聞き取り、気絶したフリを続けながら男たちの会話に耳を峙てた。
黒星がふんと鼻を鳴らしながら言った。
「久しぶりに上玉を見つけたんだ。今回は依頼じゃなしに本業ってわけさ」
男は納得したのか、それきり車内は静まりかえる。
快斗は目を閉じたまま、ひとつの単語にひっかかりを覚えていた。
(依頼……?)
依頼とは、白牙の始末のことだろうか。
本業は臓器の密売だろうから、快斗は単にその提供者として拉致されたことになる。
けれど依頼が白牙の始末であるなら、これまでの三件の殺しは無意味ではないのだろうか。
三件目の遺体に犬の犬歯を仕込むということで白牙を挑発したのはまだ判るが、そうなると前の二件はどういう意図で行われたのだろう。
快斗と同じように単に臓器提供者として運悪くも選ばれてしまったのか……
(……とにかく、今は大人しく待って、こいつらの拠点まで案内してもらうしかねぇな)
もともとそれが目的だ。
三日三晩掛けて人通りの多そうな場所を洗いざらい回った。
白牙から聞いていた黒星の身体的特徴、そして変装術を得意とする快斗の観察眼によって変装している黒星を見つけた。
しかも都合の良いことに彼はこちらを標的に選んでくれた。
被害者が全て女であったこと、そして単純にこちらの素性を隠すつもりで女装したのだが、それが思わぬ効果をもたらした。
予想以上の効果だ。
黒星と接触した時点で哀にメールを送ってある。
後は、快斗が所持している発信器を辿って新一が拠点を暴き、快斗が彼らを捕縛し、警察に通報する。
プロ相手にどこまで通用するか判らないが、最大のネックは快斗と新一という黒星にとって予想外の駒だ。
警察と白牙とには追跡されている自覚があるはずの黒星だが、こんな高校生の子供がその変装を見破り、更には確保しようと考えているなど思いもしないだろう。
――白牙も同様に。
全てをひとりでどうにかしようという白牙に腹を立てているのは何も新一だけではない。
月の御子の守護者として共に新一を守ると誓った相手に、関係ないとは随分と失礼な言葉ではないか。
後悔させてやる。
そして、判らせてやる。
月を胸に抱く自分たちは――運命共同体なのだと。
快斗の口許には、夜を賑わせる白い怪盗の不適な笑みが浮かんでいた。
* * *
「君たち、この男の子見かけなかった?」
交差点のガードレールに傍迷惑にも座り込んで話していた高校生ほどの女の子たちは、突然話しかけてきた長身の色男ふたりに黄色い声を上げていた。
ひとりは長い黒髪を後ろでひとつに束ね、白のパーカーにジーンズというラフな格好をした男。
もうひとりは黒髪の男よりやや背の低めの、刈り上げられた髪と銀縁眼鏡が印象的なスーツを着込んだ実業家風の男。
――白牙と伍だった。
白牙の手にあるのは黒星の変装した少年の映っている写真。
おそらく“門限”なんてものはないだろう彼女たちは暇さえあればこうしてたむろっているのだろうと目星をつけて、白牙と伍は声を掛けたのだ。
あわよくば黒星を見かけてはいないか、と。
「えー? コレ中学生? 可愛いじゃん」
「吊り目が生意気っぽーい!」
けれど質問を余所に雑談を始めた彼女たちに、今回もアテが外れたかとふたりは目配せする。
既に聞き込みは五件目だが有力な情報はまだなかった。
いくら黒星がここで標的を物色していたからと言って、大勢の人が通るこの道で彼を見たことのある人を捜すのは困難なのだろう。
そう思って溜息を吐いた白牙は、けれど奧に座っていた女の子のひと言に身を乗り出した。
「あ、この子ってさっきのアレじゃない?」
「――見たのか?」
不意に視線の鋭くなった白牙に彼女は少し物怖じした顔を見せたが、すぐに気を取り直して続けた。
「うん、たぶん間違いないよー」
「……へぇ。どこ行ったか判る?」
「さぁ? なんか背の高い女ナンパしてたみたい。モデルみたいでチョー綺麗な子」
ね、と頷きあう彼女たちを横目に顔を向き合わせると、白牙と伍はすっと目を細めた。
彼女の話が本当なら黒星は既に新しい標的を見つけた可能性もある。
すぐに手を出すとは限らないがその女の身が危ないことは確かだろう。
ふたりは彼女たちに礼を言ってその場を去った。
新たな犠牲者を出す前に早く黒星を見つけなければならない。
けれど、焦燥にかられて足を速めた白牙の腕が不意に掴まれた。
「白牙」
掛けられた声に目を瞠り、振り向いた先にある顔を見て体が固まる。
「――新一!」
そこに居たのはなんと新一で、静かに怒りを湛えた瞳を逸らすことなくじっと睨み付けていた。
突然の登場にももちろん驚いた白牙だが、それよりも三日間の音信不通に後ろめたさを感じて二の句が継げなくなる。
「今までどこほっつき歩いてやがった」
「……ホテルに、泊まってた」
珍しく言葉に詰まる自分を興味深そうに眺める伍の存在はひとまず無視して、白牙は言った。
「今回の件が片付くまで戻らないつもりだ」
すると、新一が諦めたように溜息を吐く。
その様子は、聞くまでもなかったと体現しているようだ。
けれど、不意に視線を上げた新一は悪戯を企む子供のように質の悪い笑みを浮かべる。
「別に、お前の好きにしたらいいさ。俺は俺でやらせてもらってるんでね」
挑発するように鼻で笑うと新一はふたりに背中を向けてた。
もう話はないとばかりに歩き出す新一を、けれど引き留めたのは今度は白牙の方で。
その顔は驚くほどの無表情だった。
「……聞き捨てならないな。これは俺の問題だと言ったはずだぜ。勝手な手出しは邪魔なだけだ」
静かな声には確かなプレッシャーが込められている。
ぴりぴりと肌を粟立たせる怒気が新一を責めるように襲うが、けれど新一はさらりとそれを無視すると、逆にニッと笑って見せた。
「……黒星は見つかったか?」
問いかけに返るのは沈黙だったが、その表情には「否」と書かれている。
新一は笑みを深くした。
それを怪訝そうに見遣る白牙と伍に意味ありげな視線を流して、新一はすっと携帯電話を差し出す。
市販されているものと何ら変わらないそれは、けれど新一のボタン操作ひとつでたちまち特異性を示した。
モニターに映し出されたのは一点を中心に幾重にも重なる円と、そして点滅している光。
それは発信器――阿笠に発明してもらった追跡眼鏡同等の機能を有した携帯型受信機だった。
まさか、と白牙が新一を凝視する。
できれば外れて欲しい、そう思い新一の言葉を待った。
けれど。
「――俺は見つけたぜ?」
願い虚しく言い切られ、白牙は怒りを爆発させていた。
「……の馬鹿野郎っ! 何やってんのか判ってんのか!?」
力任せに新一の襟首を掴み、見惚れるほど美しい輝きを秘めた瞳を睨み付ける。
けれど新一は抵抗もせずに白牙の好きなようにさせておきながら静かに言った。
「快斗がここにいる。俺は奴らが拠点としてる場所に戻るまで待って、そこに乗り込む」
「なにを馬鹿な……っ」
「でも。お前が俺を大事にしてくれてんのも判ってる。だから俺は姿を見せない。
……お前が一緒に来い――白牙」
襟首を掴んで離さない白牙の手をそっと掴んで、新一はその肩口に頭を預ける。
白牙は何事かを言おうと口を開き……何も言えないままに、閉じて。
肩にのし掛かる苦しいほどに大切な重みにその手を静かに重ねた。
「……絶対に、危ない真似はするなよ」
「ああ」
「お前が死んだら世界が終わると思え。俺が破壊しつくしてやる」
「冗談に聞こえねぇからコワイな……」
「俺は真剣だ」
小さく吹き出した新一の髪をぐしゃぐしゃと掻き回して、言葉の通りに真剣みを帯びた声が言った。
「……守る、から」
それには答えずに、新一は苦々しげな顔をするだけだったけれど。
「それじゃ、行きますか」
漸くいつものように屈託なく笑った白牙に促され、新一と伍は黒星を捕えるべく歩き出した。
「……君が、白牙の言う“大事な宝石”なんだね」
前方を静かに見据え丁寧な運転を続けながら伍が言った。
「大事な宝石……?」
「命に代えても守ると決めてる相手のことらしいぞ」
「……宝石って……」
どこぞの気障な怪盗を思い起こさせるその台詞に、新一は思わず赤面した。
どいつもこいつも恥ずかしい奴ばかりだと思う新一は、自分も大概格好つけだという自覚はないらしい。
新一は今、伍の運転する車の助手席に座りながら、バイクで単独移動する白牙に無線のようなもので黒星の行き先を指示していた。
事件への介入を一応は認めた白牙だが、決して無茶をするなと、お守り代わりに伍を新一へとつけたのだった。
納得いかないものを感じながらも、妥協した白牙に新一もこのぐらいはと妥協することにしたのだ。
「それにしても優作の息子が白牙の大事な人だとは思わなかった。いや、全くいい趣味してるよ」
「……父をご存知なんですか?」
「ああ。彼が中国に滞在中に知り合ったんだよ。白牙とは優作を通じて知り合ったんだ」
当時のことを思い出しているのか、眼鏡の奧の瞳がすっと細められるのを新一はじっと見ていた。
「俺はあの頃、殺し屋“白牙”を追っていた。優作とはマメに連絡を取り合っていたから彼もそれを知っているはずだった。
なのに彼は何て言ったと思う? その俺に向かって、白牙を特殊機動員にしないかと言ったんだ」
その言葉に新一は信じられないと目を見開いた。
中国警察の特殊機動員――つまり、殺し屋である白牙を中国の警官にしろと言ったのだ。
「FBIで言うスワットだな。経験の浅い警官では決して勤まらない危険な任務に向かう特殊機動部隊だ。
どこでそんな殺し屋と知り合ったんだとも思ったが、それよりもその殺し屋を警官にしろなんて言われたことに驚いたよ」
「それは、…当然でしょう」
「だろう? でも、逢ってみて驚いた。まだ十四の子供だって言うんだ。俺じゃなくても驚いただろう。
だが子供ゆえの罪だとしても罪は罪。無知もまた罪だ。いくら優作の頼みでも俺は白牙を逮捕するつもりだった」
無慈悲なまでにそう言い切った口調はやはり敏腕警部そのもので、新一はまだ高校生である自分とは比べ物にならないほどの厚みを伍に感じた。
いくら探偵と名乗ってみたところで新一はまだ十八歳の子供だ。
長年警察という組織の中で過ごしてきた男とは比べるべくもない。
けれど。
「でも、……できなかった」
次いで浮かべた苦笑もまたどこか老成されたものを感じさせて、新一は思わず食い入るようにその横顔を眺めていた。
「あいつは全て知ってた。全てを知り尽くした目で、死も覚悟で、それでもその手を血で染めた。……判るか? たった十四の子供が、どこでそんな薄汚れた世界を知り尽くしてきたというのか……」
「……いえ」
「……俺にも判らなかったよ。俄然、興味が沸いてね。だから結局あいつを特赦機動員として受け入れたんだ」
工藤優作と出逢った白牙は優作を通じて伍と知り合い、殺し屋から中国警察の特殊機動員となった。
その後は機動員として多くの仕事をこなしていたが、最近は“大事な宝石”を理由に休暇中なのだと言う。
おそらく白牙が理由を誤魔化しては時折姿を眩ましていたのはそっちの仕事に出ていたのだろう。
またひとつ、自分の知らない白牙の一面を知った。
「白牙は君を、それこそ宝石のように大事にしてる。ほんとにあいつのためを思うなら、大人しくしてるべきじゃないのか?」
目を閉じて考えに耽る新一に伍が静かに問いかける。
新一はゆっくりと瞼を上げた。
「――俺たちは、危険でさえ共有する。
あいつが俺の運命に深く関わるのなら、俺もあいつの運命に深く関わる。あいつの危険だけを俺だけが避けて通るのは卑怯だ。俺はあいつの後ろじゃなく隣に立ちたい」
静かな蒼色を湛えた瞳がまるで心の中に入り込んでくるようだ。
揺らぐことなく見据える双眸の強さは果たしてどこからくるものなのか。
目の前の少年もまた己の半分にも満たない時間しか生きていないはずだというのに……
不思議だと、伍は柔らかく微笑みながらその瞳を見つめ返して。
「……まさに、運命共同体だな」
ふわりと、新一は笑みを返した。
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