隠恋慕
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快斗の連れてこられた場所は、予想外にも都内にある高級ホテルだった。
運転手の男に子供に扮した黒星、そして気を失った女。
こんな見るからに怪しいメンバーでどうやって入ると言うのか。
だが、その疑問はすぐに解消された。
荷物をお預かりします、と言って近寄ってきた男は車の直ぐ側まで来ると中国語で話し出したのだ。
おそらくもともとこのホテルに潜入していた黒星の仲間なのだろう。
なるほど、こうしてあちこちに黒星の息の掛かった連中が存在するなら犯罪も楽にできるに違いない。
男は他の人からは見えない位置にまわると車からトランク2個を取り出し、次いで素早く快斗をその中へと放り込んだ。
トランクにはマジックさながらの仕掛けがされており、それぞれ片方ずつの側面が外されていて、人ひとり分ぐらいなら入れる余裕があるが、2個を並べるとただトランクが並べられているようにしか見えない。
快斗はその中に乱暴に押し込められると、何事もなかったかのようにロビーを通過し、部屋へと運ばれた。
「お疲れさまです、黒星」
「ああ、全くだ。さすがに白牙はなかなか尻尾を掴ませない」
トランクの薄い壁越しに二人の会話に耳を傾けながら、快斗は静かに手首に嵌めていた、新一に借りた時計型麻酔銃の蓋を開けた。
黒星がトランクを開けた瞬間、一気に勝敗を決めるつもりだった。
煙幕や麻酔の類ももちろん持っているが、新一の麻酔銃ほど一瞬で昏倒させられるわけではない。
一回しか使えないのが難点だが、その一回で頭である黒星さえ抑えてしまえば後は快斗の力でどうとでもなるだろう、と思っていた。
「目当ての人間は見つからないし、白牙を責めるにも材料が足りない。これでは暫くの間仕事は本業になるかもな」
ぴく、とその言葉に快斗が反応する。
先ほど彼らが話していた「依頼」のことだと瞬時に解した。
つまり、黒星への依頼はひとつではなくふたつあったのだ。
ひとつは白牙の抹殺、そしてもうひとつは……
「全く。本当にいるんだろうな、蒼い目の天使さまとやらは」
快斗の体が凍り付いた。
蒼い目。よりによって、蒼い目だなんて。
目のくりぬかれた被害者の写真を見た時、自分のせいかもしれないと苦しそうな顔をする新一に、そんなのは勘違いだと言ったのは快斗だ。
快斗も、もしや、と思わなかったわけではない。
けれど人間の体の一部を収拾したがるような異常な人間など腐るほどいるし、そういった連中に狙われやすい部位が目であることも確かだ。
だからこそ、新一のそれは早とちりだと言ったのだ。
けれど、まさか本当に黒星の狙いが新一だというのなら……
(――まずい! 来るな、来るんじゃねぇ、新一……!)
万が一新一の存在を知られてしまったら。
冗談じゃない、そう意気込む快斗の耳に、歩み寄ってくる足音が聞こえる。
「とにかく女を出しておくか」
鋭い光を双眸に漲らせながら、快斗は麻酔銃をぐっと掴んだ。
*
「……止まった」
助手席に座る新一が微かに呟いた。
「場所は?」
「およそ23キロ離れた場所ですね。おそらくそこが拠点でしょう」
「よし。白牙に連絡してやれ」
「はい」
直ぐさま白牙へと連絡を入れる新一を横目に、伍は目を眇めた。
これで本当に黒星の拠点を見つけられたなら大した腕だが、もしかしたら途中で黒星に気付かれ、囮になっているという女が殺されているかも知れない。
だがそう思う反面で、伍はなぜか新一を信用し始めていた。
白牙の言っていた“救世主”とは間違いなく新一のことだろう。
国は違えども同じ警察組織、一時期日本の新聞紙面を騒がせていた高校生探偵工藤新一を伍が知らないはずがない。
しかもそれが知人の息子となれば、さすがは彼の息子だと感嘆させられたものだ。
けれどどういうわけか最近ではさっぱり表に現れなくなっていたのだが、この様子を見るからにその探偵としての仕事ぶりは相変わらずらしい。
伍が新一とちゃんと逢ったのはこれが初めてだったが、なぜかその力は信用していいのではないかと感じていた。
(不思議なものだ。彼が優作の息子で、警察も認める名探偵で、その上白牙の大事な人だとは。一体どういう巡り合わせなんだか)
何をどう思って白牙が新一を守るというのか、伍には判らなかったが、新一には何か言いようのない引力がある。
まだ高校生という若さでありながら警察を、世間を、白牙という殺し屋を、そして自分ですら魅了する少年。
一体どんな運命の元に生まれ落ちればこれほどの引力が生じるのだろう。
「伍警部」
不意に呼びかけられ、なんだ、と返した。
「警部は許可を得て捜査を行ってるんですか?」
「――鋭いな。残念ながら無許可だ。正直、日本警察を呼ばれるのはまずい」
「そうですね。まぁ、黒星を捕まえてしまえばどうとでもなるんでしょうが……」
「ああ」
国境を越えての犯罪はこれだからまどろっこしい。
いちいち許可を得ている暇があるなら、犯罪者など疾うに捕まえている。
けれど、それが国家間の礼儀であり秩序であるのだから仕方ない。
「……仕方ないですね。俺ひとりなら、と思って警察を呼ぶつもりでしたが、警部に白牙までいるなら警察は呼べませんね」
「そうしてもらえるか」
「はい。……正直、警察に介入されるよりも俺や白牙、それにあなただけでやった方が話が早そうです」
そう言った新一がニッ、と口端を持ち上げる。
伍はその、何か己など思いも寄らないものに裏打ちされた自信に満ちた笑みに、ゾクリとした痺れが背筋を走るのを感じた。
「これ以上、犠牲者は出しませんよ」
* * *
パシュッ、という微かな音とともに麻酔銃が飛び出す。
細い針が高速で飛び出す様は常人では目にとめるのは難しいだろうが、生憎快斗は常人ではなく、そしてまた黒星も常人ではなかった。
トランクを開けた瞬間、ぱっちり目を覚した紫紺の目の美女が何かをこちらに向けていた。
黒星は慌てて体を引き、同時にトランクを蹴ることで相手のバランスを崩した。
それでも正確に狙ってきた針を右頬に掠らせながらも、あとちょっとのところで避けきった。
快斗が小さく舌打ちしながら体勢を立て直す。
突然の事態に狼狽える男とあくまで冷静に状況を分析する黒星の目の前で、突然煙幕が吹き上がった。
「な……っ、薬の類だ、吸い込むな!」
黒星が声を張り上げるが、虚しくも後方でどさりという音が響く。
呆気なくも催眠剤を吸い込んだ男が倒れ込んだのだろう。
やはり雇われは使えない。
しかも麻酔銃を頬に掠ったせいで黒星の視界も少しばかりぐらつく。
今度は黒星が舌打ちした時、またもパシュッ、という微かな音とともに今度は紙切れのようなものが飛んできた。
「くそっ、どこの誰だ!」
叫びながら窓へトランクを投げつけ、風穴を開ける。
けたたましい音をたてて割れた窓から勢いよく風が入り込み、快斗の放った催眠剤は吹き飛ばされていった。
白く煙っていた室内に視界が戻ってくる。
女はいつの間にか、真っ白い装束をつけた男へと変わっていた。
「お前は……っ」
それは、黒星もよく知る男だった。
黒星だけではない、裏社会に精通する者なら誰もが知っている。
男はたったひとりで組織に喧嘩を売る、黒星にしたら馬鹿な、組織にしたら小賢しい怪盗だった。
「怪盗キッドがなぜこんなところに……」
僅かに動揺する黒星に、けれど快斗はあくまで冷静に声を掛けた。
「あなたに日本へ行けと命じた方は誰ですか?」
「なに……?」
「私はあなたに“依頼”した人物が知りたいのです。答えて頂きましょう」
カチリ、とトランプ銃を構える。
かなりの近距離だ。命中すればさぞ肉深く突き刺さることだろう。
それなりの殺傷も厭わない、その意志を持って快斗は言ったのだが、やはり相手もプロで。
「生憎、守秘義務が守れない奴は、この世界では生きていけないんでね」
「……話す気はないと?」
「ああ」
ふん、と鼻を鳴らした黒星を快斗は容赦なく打ち付けた。
トランプ銃の柄を打ち付けられ、黒星が低く呻く。
快斗の目の色は変わらなかった。
「これは質問じゃない。吐かないなら遠慮無く殺すぜ」
蒼い目の天使――蒼き月の御子を狙う者なら、いずれ新一の障害になる男だ。
新一が知ればどれほどの罵声を浴びせられるか判ったものではないが、それで新一が守れるなら、快斗にとってそんなことは些細なことだった。
それでも、黒星に言うつもりはないらしく。
「……はっ、殺しはしないお綺麗な怪盗が聞いて呆れるな」
吐き捨てるように言われた言葉も快斗は聞き流した。
「生憎、殺さずは怪盗の信念なんでね。白き衣としては、いちいち手段を選んでられねぇんだよ!」
快斗が引き金を引く。
黒星の眉間に突きつけられた銃口からナイフのように鋭利なトランプが飛び出そうとした、まさにその週間。
扉が激しい音を立てて開いた。
快斗と黒星が素早くそちらを振り返ると、そこには……
「――白牙!」
「キッド。そいつぁ俺の仕事だぜ」
「……お前、いきなり現れてそれはねーだろ……」
三日も音信不通だった男が不貞不貞しくも現れ、快斗はすっかり気分を削がれてしまった。
仕方なしにトランプ銃を下げると、それに変わって白牙が黒星へと銃を構える。
黒星は皮肉げに顔を歪めながら言った。
「怪盗と殺し屋が連んでるとは、初耳だ……」
「別に連んでるわけじゃないぜ? 俺もキッドもあくまで単独でお前を狙ってたってわけだ」
快斗は素早く黒星の背後に回ると両手を戒め、寝転がっている男の両手と両足も戒めた。
「まだ撃つなよ、白牙。こいつには聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「黒星への依頼はふたつだ。ひとつはあんたの抹殺、そしてもうひとつは“蒼い目の天使”の捜索だとさ」
「な……っ」
白牙が目を瞠る。
それを見た黒星が興味深そうに目を細めた。
「へぇ。お前らも知ってるのか、その話を」
軽い口調でそう言った黒星の腹を白牙が容赦なく蹴り上げる。
黒星の体は一瞬浮き、次いで後ろへと倒れ込んでごろごろと転がった。
今度のはさすがに堪えたらしく、血の混じった唾を吐いている。
だが、あくまで白牙には容赦がなかった。
「依頼主は誰だ」
「俺が言うと、思うか……?」
「組織の連中か? それとも他の奴らか?」
「さあな……」
くつくつと低い笑みをこぼしながら黒星が言う。
「そんなに必死になるとは、お前の知り合いに目の蒼い奴でもいるのか?」
黒星にとってはただの冗談のつもりだった。
少なくとも何か強く確信しての言葉ではなかったのだ、が。
『白牙、奴は見つかったか?』
白牙の尻ポケットに突っ込んであった無線が唐突に鳴った。
声は伍のもので、喧騒が聞こえることから外にいることが判る。
白牙は慌てた。
伍が外にいるということは新一は今ひとりで車の中にいることになる。
ひとり、で。
『もうすぐ警察が来るぞ。後は俺がするからお前はさっさとその場を――』
「――伍、車から離れるな!!」
叫んだ白牙に黒星が目を細める。
『どうした、白牙。彼ならちゃんと車に――』
「何も言うな、伍! いいからあんたは車から離れないでくれ!」
言うなり、白牙は無線が聞こえないようにとその場で床に叩きつけ、壊してしまった。
俯せに横たわったまま血を滴らせる黒星が、まるで獲物を見つけた豹のように犬歯を剥き出しにして嗤う。
「どうやら本当にいるらしいな、蒼い目の知り合いが」
「……煩い」
「しかも随分大事にしてるみたいだな? 彼ということは、男――」
「――黙れ!」
白牙が黒星の腹を蹴り上げる。
黒星はまたも小さな呻きを上げ、それでもくつくつと嗤っていた。
「やめろ、白牙。それ以上は無意味だ」
激昂する白牙を快斗は後ろから掴み止める。
「邪魔すんな、キッド! こいつは邪魔になる、この場で消す……っ」
「馬鹿野郎、すぐそこに警察が来てるんだろ!? あとは警察が捕まえる、これ以上は無意味だ! 意味のない殺しはしないって言ったのはあんただろう!」
それにあいつは、そんなこと望んじゃいないんだから……!
声には出さずに睨み付けることでそれを伝えると、白牙もはっとしたように目を瞠った。
不要な殺しは一切しない。
それは新一に誓ったことであると同時に、優作に誓ったことでもある。
白牙が背負った命はいずれ己が死ねば優作が背負うことになるのだ――汚れきった己の命も含めて。
だがこれが不要なことかと聞かれれば、白牙には瞬時に答えが出せなかった。
その迷いが、結果を決めてしまった。
「……っ、白牙、これ以上は無理だ、行くぞ!」
眼下には赤いサイレンを小うるさく響かせながら、何台ものパトカーが押し寄せてくる。
窓硝子が破損されたり人の殴り合う様子やらに不審を抱いた客がホテルに連絡し、警察を呼んだのだ。
こうなっては仕方ないと、新一がホテル内に黒星がいることを目暮に連絡した。
そして目暮はすぐに警官を率いて駆けつけてきたのだった。
白牙は結局黒星を撃つことなく、快斗とともにその場を離れた。
* * *
あれからいくらか時間も経ち、漸くいつものように新一と快斗、そして白牙が工藤邸で落ち着きを取り戻した時。
白牙の携帯に突然かかってきた電話は伍からのもので、それを受ける白牙の声はひどく無機質なものだった。
表情も固い、というよりは能面のように感情が見えない。
『小賢しい真似をしてくれるよ、ほんと』
「……そうか。それであんたはもう帰るんだろ?」
『ああ。今夜の便で帰る。世話になったな、ケイゴ』
ぷつ、と言って切れた携帯をポケットに仕舞い込みながらソファに腰掛ける白牙を、快斗は探るようにじっと見つめていた。
単独行動は慎むようにと堅く言ったはずだとの目暮の小言や事情聴取も済んだ新一も、快斗の隣に腰掛けてコーヒーを飲んでいる。
「逃げられたな」
そう言ったのは新一だった。
「……ああ。一緒にいた男、あれを犯人にして黒星はとんずらだとよ」
「お前からの情報では小柄だって言われてたのに、警部にもらった写真はどう見ても大柄な男だったからな……」
逃げられないようにと両手両足を戒めてあの場から去ったはずなのに、黒星はその白牙と快斗が消えた後、警察が到着するまでの間に見事消え去って見せたのだ。
その場に居合わせた伍も無許可での行動を上の連中に厳しく罰せられることだろうが、何より黒星を捕まえ損ねたことの方が痛いらしい。
とは言え、警察はあれが本物の黒星と信じて疑わないのだが。
「もう国内にはいないと見た方がいい」
「……また来るだろうが、とりあえず暫くは故郷に雲隠れだろうな」
はぁ、と息を吐く白牙を新一が睨み付けるように見据えながら言う。
「白牙。今度こんなことがあったら絶対赦さねぇからな。俺はお前の――お前らのお荷物じゃない。守られるより闘うことを選ぶ。それを忘れんな」
その中に炎こそ見えないが、こうして見るだけで充分特異な眼差しだと思った。
こんなにも毅然とした色を、こんなにも烈しい色を、果たしてどれほどの人が有するだろう。
どれほどの人が――こんなにもこの心を満たすことができるだろう。
「判ってる、新一」
「……わ、ぁっ」
不意に立ち上がった白牙が座っていた新一をひょいと抱き上げた。
「ただ、それでもお前が俺の“大事な者”であることに変わりはない。だから、無茶はしないでくれよ……」
「……判ってるよ、バーロォ」
いいから下ろせ、と暴れる新一の、それでも決して痛いとは感じない抵抗に白牙は緩く笑う。
新一は決して無力じゃない。
あらゆる技術を教え込んだし、最高の武器はその頭脳だ。
だが、あくまでそれは表に立ってられる闘い方でしかない。
裏の世界で生きてきた白牙や快斗のように、死すらも厭わない闘いもいずれ必要になってくる。
そうなった時、必然的に新一は無力になってしまう。
その無力さに気付かれないように。
それゆえに苦しまないように。
薄汚い世界に囚われるのは、今はまだ己だけでいいと、白牙は緩く笑っていた。
やがて新一を離せと騒ぎ出した快斗によって、工藤邸にも漸く普段の明るさが戻ったのだった。
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