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空色の国 16




「工藤さん!」

 腹周りの肉付きが妙に良い小太りの男に呼び止められ、長身の男性――優作は振り返った。
 人当たりの良い愛想笑いを張り付ければ、気をよくした男がすぐ隣まで駆け寄ってくる。
 二十センチは差があろうかと言う彼らが隣に並んだ図はどうにも滑稽だ。

「これはこれは、宰相殿。ご無沙汰しております」
「いえいえ、こちらこそ、工藤さん」

 腹に手を当ててにこやかに笑う宰相を見て、優作は思う。
 この程度の男が宰相だとは、この国がいかに軍部に頼り切った政治を行っているかがよくわかる、と。

 五カ国内で最も軍事力が強いと言われているのがヴェルトである。
 それは数年前に現われた、北東の大門を守備する第十四支部の大佐となった男の力が多大に影響していた。
 加えて、この春からその大佐の部下として入隊した少尉――現在は少佐だが、彼の力のためでもある。
 そしてその少佐は彼、工藤優作の息子であった。

「息子さんは大活躍のようですな。噂を幾つも耳にしますよ」
「恐縮ですね」

 見るからにご機嫌取りのような口上に、優作は笑みで答えながらもその目は少しも笑っていなかった。

 優作はただの学者であり、特別な地位や称号などは与えられていない。
 それなのになぜこうして媚びへつらうような者がいるのか、それは優作の策士としての能力の高さゆえだった。
 凡人とは桁違いに頭脳明晰である優作は、まるで未来を予知できるかのような正確さで立ちまわる。
 それゆえ、この国の権力者でさえ優作に取り入ろうとする者は後を絶たないのだ。
 そして優作もそれを拒まなかった。
 己の、目的のために。

「異例の三階級特進とは、流石ですねぇ」
「ええ。息子はちっとも喜んでいないようですが」
「はぁ…そうなんですか?」
「オール国本部の鬼人と名高い総督を追い返したのを口実に、半ば強引な昇格とは、流石本部とでも言いましょうかね」

 鈍い宰相も漸く優作の皮肉に気付いたのか、彼は見るからに動揺する。
 彼も新一の昇格には一口噛んでいたのだ。
 もともと少佐として迎えたかったものを仕方なく少尉として迎えたのだが、あの一件を口実に昇格にこじつけたのは事実である。
 それは力ある、人望ある人材を上に据えることで、民衆に安堵という首輪をすることができるからなのだが……
 額に冷や汗を浮かべる宰相は、やわらかく微笑む優作がただただ恐ろしいと感じた。

「あ、では、そろそろ業務の方に…」
「ええ、つまらない話に付き合わせてしまって申し訳ない」
「いえ、そんな…」

 小刻みに何度も頭を下げ、宰相は逃げるようにその場を後にする。
 その卑小な姿を笑顔で見送った優作は、ふん、と鼻で嗤った。

「つまらない男だ」

 久しぶりに可愛い息子の顔でも見に行くかと、優作は十四支部へと足を向けた。





「…だぁ~! もう勘弁してぇな、工藤!」

 冷たい床の上に大の字に寝転がった服部は、体全体で荒々しい呼吸を繰り返しながらそうのたまった。
 至る所から汗が噴き出し、顔は上気して赤くなっている。
 そんな服部を見下す新一はまるで平気な顔だ。

「んだよ、情けねーな。もうギブかよ」
「…この体力の差はなんや」

 第二訓練場、E区。
 現在、新一と服部は訓練の最中だ。
 いつものように新一に勝負を仕掛け、いつものように負けた服部である。
 体力の限界に挑戦するような心地の服部に対して、新一はうっすら汗を浮かべている程度だ。
 新一と変わらない訓練をしているはずなのに、なぜこんなにも差が生まれるのだろうかと服部は真剣に悩んだ。

「俺は軍人になるって決めた時から毎日体動かしてきたからな」
「そういや、決めたんていつなん?」

 プライベートでも親しくしている新一と服部だが、意外に知っていることは少ない。
 というより、新一が自分のことを根ほり葉ほり聞かれるのを嫌うため、なかなか聞く機会がないと言った方が正しい。
 内心改まって返事を待っていた服部は、

「六歳」

 という返答に吃驚して瞠目した。
 六歳と言うことは、先日聞いたばかりの〝あの事件〟の直後だと言うことだろうか。

「記憶はなくてもどこかで覚えてたんだろーぜ」
「そう、か…そら、かなわんはずやわ…」

 どうやら疑問がそのまま顔に出ていたらしく、聞きたかったことを的確に返された服部は少々ばつの悪い顔をする。
 新一にとってあまり思い出したい記憶ではないだろうと思ったのだ。
 けれど新一は笑って言った。

「んな顔すんなよ。俺はもう忘れないって決めたんだ。そんな腫れ物に触るようにしないでくれ」

 服部は尚も神妙な顔をしている。
 新一は困ったような笑みを浮かべて、この優しい友人に更に言葉を募ろうとしたのだが……


「思い出してしまったのかい?」


 まず聞こえてくるはずのない声が聞こえて、二人は慌ててその声の主を捜した。
 一見してただの壁にしか見えない扉――隠し扉となっているそれを難なく開けて入り込もうとしている人影。
 なぜ開けられるのかなど聞くまでもない。
 彼がここを造るよう頼んだ人物なのだから。

 新一と服部は、いきなりの工藤優作の登場に声をなくした。
 だがさすがに神出鬼没な父親に慣れているだけのことはあり、先に立ち直ったのは新一の方だった。

「…父さん。急にどうしたんだよ」
「久々に息子の顔を見に来たと言う理由では駄目かね」
「父さんに限って有り得ない」

 新一は眉の寄った額に片手をあて、こっそりと吐息した。
 この父に限って意味のない訪問など有り得ないと、最も良く理解しているのは新一だ。
 その行動ひとつにふたつもみっつも真意が隠されている。
 そして大抵、そういった時の話はあまりいいものではないのだ。

 と、漸く復活した服部が屈託無い笑顔で優作に右手を差し出した。

「優作さん、お久し振りです」
「やあ、服部君。いつも新一が世話になってるね」
「情けない話ですけど、世話になっとるんは俺の方ですわ」

 頭を掻きながら苦笑する服部に優作も微苦笑で答えて、それでもありがとうと言った。

「ほな、俺はちょっと出てますよって。ごゆっくりぃ~!」

 そう残してさっさと部屋を出ていく服部に感謝しつつ、新一は優作に向き直る。
 実際、優作と話をしたかったのは新一の方なのだ。
 優作ときちんと話をしていなかったために有らぬ誤解を招いてしまった結果が、先日の件だ。
 こうして優作がこなければ遅かれ早かれこちらから訪ねていただろう。
 …どこでそう言った情報を得ているのか全く不思議でならないが。

「さて。察しの通りお前に話があって来たのだけど…それよりもまず、聞きたいことがあるんだろう?」

 違うかい?

 にっこり笑いながらそう話を促した優作に、この笑顔が曲者なのだと新一は思う。
 何を考えているのかちっとも読ませない、最強のポーカーフェイス。

「聞きたいことと言うより、話しておかないといけないこと、だろ?」

 自分たちには会話がなさ過ぎる。
 否、必要な会話はとっているが、普通の親子よりも互いに気を遣いすぎるのだ。
 だから、踏み込んで欲しくないだろう領域を勝手に自分で想定しては、決してそこに踏み込まないよう気を配る。
 優作は新一の心を守りたくて記憶を封じ、新一は優作を哀しませたくなくて何も聞かなかった。
 けれどそれではいけなかったのだ。
 時には必要なモラルであるが、事は自分たちの間だけでの話ではなくなっている。
 仮にも王と呼ばれる者として生まれたのなら、その者はそれなりの義務と責任を果たすべきなのだ。

「コナンは…生きてるんだね」
「ああ。直に〝光〟の名を掲げるだろーな」
「そうか…」

 優作は僅かに目を伏せて、口元に柔らかい笑みを浮かべる。
 たったそれだけの仕草ではあるが、優作がどれほどコナンの安否を気にかけていたかが新一にはよくわかった。
 常に人を欺くための策を弄する男は、いつの間にか息子の前でもその内心を晒すことはしなくなっていた。

「なぜ話さなかったのか不思議かい?」

 優作の声はやけに静かだ。
 その声だけが何もないこの空間に木霊している。

「…話さないのは構わない。本当に必要なことなら自分で見つけるから。ただ――」

 そこで新一は一度口を噤んだ。
 彷徨わせていた視線をぴたりと優作へ据える。
 優作もまた新一をじっと見つめていた。

「…父さんは、俺のすることに何も言わないんだな」
「それはいつものことだろう?」
「…違う」
「お前は真実、心からそう思うことしか口にしない子供だったから…」
「違う、違うっ、そうじゃないっ!」

 優作の言葉を遮って、新一は何度も首を横に振った。
 優作は無表情のまま言葉を切る。
 そのポーカーフェイスを見て、本当は何が言いたいのかわかってるくせにと新一は睨み付けた。

 優作は鈍くない。
 鈍いどころか、人を騙し人の心を見透かすことに誰よりも長けている。
 要は言わせたいのだ。
 遠回りではなくはっきり言えと、言外に伝えているのだろう。

 新一は一度小さく溜息を吐き、それから口を開いた。

「父さんは何も言わなかった。それは知って欲しくないからだと思った。でも、俺がモヴェールの地へ向かった時も何も言わなかった」

 自分がモヴェールの地へ行ったのを知っていたのだろうと尋ねれば、間もおかずに頷きが返ってくる。
 新一はやはりと思いながら、余計にわからないと頭を抱えたくなった。
 もし知られたくなかったのなら優作は全力で新一のモヴェール行きを阻止しただろう。
 本気の優作に敵うはずがないことは嫌というほど知っている新一だ。
 そしてもし知られてもいい事実ならなぜ今まで話そうともしなかったのか。
 優作の行動は全く矛盾している。

「だから、言ってるだろう? お前は本当にそうしたいと心から思ってることしかできないし、口にもしないんだよ」
「それが何だって…」

「重たくはないか」

 端的な言葉だったが、なぜか新一は頭を殴られたような衝撃を受けた。
 自分でも間抜けな顔をしてるだろう自覚はあったが、優作はそんな新一をただ静かに見つめているだけ。

「真実は、重たいだろう。たった四人の死者に涙する程度ではないよ――一国の王になると言うことは」

 尚も優作は続ける。
 新一はその声にじっと耳を傾けた。

「ましてお前は人間だ。モヴェールと人間との深い溝を知ってるだろう? その中で、望まなくともお前は〝光〟として生まれてしまった」

 全身が脈打つような感覚に陥る。
 会話の合間に何かを言おうとも、何ひとつ声にはならない。

「真実を知らずにただの人間として生きるのも運命だと思ったよ。お前がモヴェールに向かったと知った時も、…運命だと、思った」

 ただ、深い、と。
 優作の声を聞きながら新一は思う。
 この人の想いはどこまでも深く、深くて。
 たった十八年生きただけの自分では遠く及ばない強さで、想われている。

「新一」

 呼ばれ、顔を上げた。
 いつの間にか俯いてしまっていたらしい。

「選ぶのはいつだってお前自身だよ。あの時、私はお前を連れて逃げ出して良かったと思ってる。たとえそれがモヴェールの民を見捨てる行為だとしても、私が自分で選んだことだ」

 だからお前も自分で選んで行きなさい。

 選択権はいつだって新一にあったのだ。
 与えられるのではなく自分で選べるようにと、優作はあえて何も言わなかった。
 義務でも責任でもなく〝自分が〟何を選びたいのか。
 だから優作は何も言わず、そして止めることもしなかった。

 新一は幼かった所為もあり、優作の苦悩を知らない。
 ユキコを奪われ、人間とモヴェールの両方を恨んだ心を知らない。
 恨んで憎んで、けれどどちらも愛していたから、どうすることもできなかったことを知らない。
 その荒んだ心のままでは民を導いていくことはできないからと、隠れるように生きてきたことを、…知らない。

 新一はただ頷くことしかできなかった。
 知らないまでも感じるものはあったから、何も言うことはできなかったのだ。
 ただそんな優作を大きいと、思った。

 そして、ここからが本題だとでも言うように優作は表情を改めた。





 それから数時間後、新一は大佐の私室にいた。
 まだ執務に追われている快斗より先に帰ってきた新一はひとりベッドの上に寝ころんでいる。
 寝ころびながら、昼間の優作との話を思い出していた。

『それからひとつ、これはお前に聞きたいと思っていたことなんだが、大佐とは仲が良いのかい?』

 その言葉の意図するところはわからなかったが、新一は頷いた。
 快斗と仲が良いのかと言えば、それはもう、かなりの親密さで仲が良いだろう。
 なんと言っても恋人だ。
 快斗にとって自分以上に大きな存在は有り得ないと言えるほどには、想われている自覚がある。
 そして同じだけ、或いはそれ以上、新一もまた快斗を想っているのだ。

 優作は顎に手を当てて暫く考え込んだ後、またも意図の解せないことを言った。

『大佐とは何でも話せる仲なのかい?』
『…必要なことは話しるけど?』
『お前が〝光〟だということは?』
『言った』

 なるほど、と優作が呟く。
 何がなるほどなのか、新一にはさっぱりだ。
 怪訝そうな視線を向ければ優作がぽんと手を打つ。

『新一』
『何だよ』
『大佐と仲が良いんだね』
『だからそう言ってんじゃねーか』
『わかった、では――』

 優作の表情が引き締まり、一瞬にして真剣みを帯びる。

『大佐と過去について話しなさい』

 突拍子もない台詞に新一は思わず口をへの時に曲げたが、優作は真剣な表情のままで言った。

『彼が〝光〟であるお前を受け止めてくれたように、お前も彼の全てを受け止めてあげなさい。だから、彼と過去について話しなさい』



 新一は仰向けになっていた体をごろりと転がした。
 いつも二人で眠っているベッドに、今はひとり。
 広い部屋がやけに広く感じる。

 こんなのは錯覚だ。
 優作があんなことを言うから、そう感じてしまうだけだ。
 実際はお互いのことを何ひとつとして知らないのではないかと言われた気がして、新一はたまらなく不安になった。
 恋人だからと言って知らない部分や知られたくない部分があるのは当たり前だと思う。
 それで良いと思っていた。
 けれど、違うのだ。
 言葉を交わさなかったために新一と優作は無用な誤解を招き、それは周りにも及んでしまった。
 聞かないことが良いことだとは決して言い切れない。

 快斗のことについて、新一は純粋に何でも知りたいと思う。
 そして快斗もそれを望んでいた。

〝俺はいつでも新一のことを知りたいと、俺のことを知って欲しいと思ってるから…〟

 あの言葉に嘘はない。
 体で感じ取った感情だから誰よりも新一がよくわかっている。
 けれど、優作にあんな言われ方をされると。

(何かあるのかと思っちまうじゃねーか…)

 何があったからと言って、もう手放すことなどできないほどに新一は快斗を必要としている。
 けれど、快斗の秘密を知ってしまうことにより、快斗の方が自分を必要としなくなってしまったら思うと……

 考えるだけで心が震えた。

 ひとりでいることがひどく寒く、ひとりでいる部屋はやけに広い。
 こんなものは錯覚だ。
 錯覚なのだ。
 ――けれど。

「早く帰って来いよ、快斗…寒くて凍えそうなんだ…」

 子供のように身を縮め、新一は今にも震えだしそうな体をぎゅっと抱き締めた。



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