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空色の国 17




 漸く執務を終えた快斗は部屋で待ってるだろう新一のもとへと急いでいた。
 二人で帰ることの方が多いが、こうして別々に帰ることも珍しくない。
 お互い将校と言うだけあってそれぞれ忙しい身なのだ。

 新一はどんなに快斗が遅く帰ってきてもいつも起きて待っていてくれる。
 快斗もまた、新一がどんなに遅く帰ってきてもいつも起きて待っている。
 起きて待って、帰ってきたら「おかえり」と言うのが二人の習慣だった。
 疲れている時は無理しなくて良いと言ってはいるが、それでも新一は起きて待っていてくれる。
 快斗は心配になりながらもそんな新一の気持ちがかなり嬉しくもあった。

 今夜はそんなに遅くない。
 残りの、誰にでもできそうな雑務はそれぞれに振り分けて明日に繰り越すことにした。
 新一が知ればしっかり仕事をしろと叱られそうだが、早く新一の元に帰りたかったのだから仕方ない。
 ちょっとでも早くちょっとでも長く、新一の側にいたいのだ。

 快斗は早歩きで階段を上り、最上階の自室へ漸く辿り着く。
 けれど扉を開けて「ただいま」を言おうとして、何も言えずに立ち尽くした。
 新一の姿がいつもあるべき場所に見あたらないのだ。
 いつもなら新一はベッドに横になって本を読んでいる。
 しかしそのベッドは空で、誰かが横になっていた形跡はあるけれど人の姿はなかった。

「…おかえり」

 と、予想外の近距離から馴染みの声が聞こえて、快斗はぎょっと首を巡らせた。
 扉の直ぐ横の壁に腕を組んで顔を俯せたまま凭れている新一の姿がある。

「新一? どうかした?」

 なんだかいつもと違う。
 そう感じ、快斗は俯いた新一の顔を覗き込もうと身を屈めたのだが……
 次の瞬間、新一にぎゅうぎゅうに抱きつかれていた。

 新一の細くて肌触りの良い腕がしっかりと首に回されている。
 抱きつかれたまま首元に顔を埋められ、快斗は新一の顔を見ることができずに戸惑った。
 あまりに唐突なことに「ただいま」を言うタイミングも外してしまった。

 はっきり言って、新一のこの行動は変だった。
 普段快斗から抱きつくことがあっても、新一から抱きついてくるようなことはなかった。
 抱き締めれば抱き締め返してくれるし、キスをすれば応えてもくれるが、新一からと言うことはまずない。
 否、以前はあったのだが――あまりの嬉しさに快斗がはしゃぎすぎたためしなくなってしまったのだ。

 快斗は新一の背中に腕を回してぎゅっと力を込める。
 細い割りにしっかりとした体はいつもと変わらない抱き心地だ。
 つまり、いつもと違うのは体調ではなく心の問題なのだろう。

「どーしちゃったの、新一」

 尋ねたものの答えを急がせるつもりはなく、快斗がじっと新一が話し出すのを待っていると。

「…甘えてる」

 そんな意外すぎる答えが返ってきて更に困惑してしまった。
 が、意外すぎではあろうとも嫌なわけはない。
 快斗はさらさらの黒髪をそっと指で梳きながら、新一の耳元で甘い声音で囁いた。

「珍しいね、新一が甘えてくれるなんて」
「…駄目か?」
「ううん、すっごく嬉しい」

 いつも甘えさせてもらってるのは俺の方だから。
 こうやって人に甘えるのは何もいけないことではないのだから、存分に甘えたらいい。
 そして気が済んだなら、何があったのか教えてくれると嬉しい、と。
 そんな、まるで幼子をあやすような台詞を耳元で囁かれ、新一の耳はみるみる赤く染まった。
 自分の行為が今更になって恥ずかしくなってきたのだろう。
 けれどここで離してしまうのは勿体ないと、快斗は驚く新一には構わずに軽々と抱え上げた。
 そして背中に縋り付く手を愛しく思いながらベッドへと向かった。
 優しく新一をベッドの上に横たえて、抱き締めた腕が離れないよう覆い被さるように快斗も横になる。
 漸く顕わになった蒼い瞳を見つめながら、快斗はにっと意地悪く笑った。
 新一は顔を赤くしたまま快斗を睨み付ける。

「…んだよ、笑ってんじゃねーよ」
「無理だよ。だって、嬉しくて自分じゃとめらんねーんだもん」
「何が嬉しいんだ」
「新一が甘えてくれてることー♪」

 そっと降りてきた唇を、文句を言いながらも新一は目を閉じて受け入れた。
 快斗の顔が見えないのは嬉しくないが、恥ずかしいから今は逆に有り難い。

「…まっ、て…」
「ん?」
「話が…」

 このまま流されてしまいそうな雰囲気に慌てて新一は快斗の手を押し返した。
 いつもなら不服そうな顔のひとつもしそうな快斗だが、今日はあっさりと手を止めてくれた。
 多分何も聞かなずとも感じるものがあるのだろうと、新一は何だか嬉しくなった。

「あのな…? 聞きたいこと、あるんだ」
「なに?」
「快斗。俺はお前にとって、…必要か?」

 新一の瞳は真っ直ぐに快斗の瞳を射抜く。
 嘘は許さないと、どんなに残酷でも真実を言えと無言の圧力をかけた。
 全ての虚勢はこの瞳の前では無に等しい。
 そして、快斗がこの真摯な瞳を裏切ることはないのだ。

「…当たり前だよ。俺はね、新一。お前以外、いらない」
「快斗…」
「お前のいなかった五日間、想像できる? 俺がどんな状態だったか」

 仕事に励み、調べ物に励み、まるで機械のように寝る間も食べる間も惜しんで働き続けた。
 将校たちは皆良いことだと大喜びだった。
 仕事ははかどるし滞っていた調べ物も片付く。
 誰も浮かない顔をする者などいなかった。

「でも、あんなの俺じゃない。あんな俺は偽物だ」

 あの時もし新一がいてくれたなら、殴ってでも止めてくれただろうと思う。
 そしてそれを快斗は嬉しく思うのだ。

「どれだけ俺がお前を必要としてるかわかる…?」
「…ああ」
「ここにいる俺が本物だって、わかるだろ?」
「ああ、快斗。俺も…お前が必要だ。俺は欲張りだからお前以外の全てを棄てることはできないけど。快斗が、一番だ。快斗がいるから棄てられない物がある。でも快斗がいないなら、…全部いらない」

 心底からそう思う。
 快斗がいるからこそ、全てのものに意味が生まれるのだ。
 草も木も空も風も、そして――己の命にも。
 だからこそ。

「お前を、受け止めさせてくれるか…?」

 その言葉の重みに、果たして快斗は気付いてくれるだろうか。
 優作のたったあれだけの言葉に新一はひどく怯えていた。
 らしくないとは思うが、あの言葉をよくよく反芻してみれば〝受け止めなければならない過去〟が快斗にもあるということだ。
 確かに誰にでも傷口深く己の心を抉る過去があるのかも知れない。
 もしも快斗にそんな過去があるのだとしても、受け止めることに新一は何の抵抗もなかった。
 ただ、聞かなければならないことが――聞いてしまったらどうなるのかが怖かった。
 新一の過去を共有するということは同時にモヴェールの行く末という重すぎる真実を背負うことであった。
 その真実を打ち明けねばならなかった時、新一は言いようのない不安に襲われた。
 同じように、快斗の過去を知ることが快斗にとっての負担となってしまったら……
 そう思うと、怖かった。

 けれど新一は問わずにはいられない。
 言葉少なに相手と接することが引き起こすすれ違いを知っているから、そんなすれ違いを快斗とは起こしたくないから。

「――俺はいつでも新一のことを知りたいと、俺のことを知って欲しいと、思ってる」

 聞き覚えのある台詞に新一ははっと顔を上げた。
 ぶつかった瞳はいつもと同じ、あの穏やかな心落ち着かせるアメジストだ。

「新一に嘘吐いたことは一度もない。これからも吐かない。絶対に」
「快斗…」
「…でも」

 快斗の真っ直ぐだった瞳が揺れる。

「でも、言わないのは…許して欲しい。まだ言えないことが、あるから…」

 大好きな紫の瞳に滲んだ哀しい蒼。
 何が彼を哀しませるのだろうか。
 新一はそうしたいと思ったまま、手を伸ばして快斗の癖っ毛をぐりぐりと掻き回した。
 吃驚した顔で快斗が見つめている。

「当然だ。強制したいんじゃない。快斗から話してくれるのを待つよ。俺は、お前の過去を共有するのに抵抗なんてないから…」

 吃驚した顔がくしゃりと歪んでいつもの笑顔に変わる。
 新一の大好きな顔だ。
 大きくて大人で、とても強いくせにひどく弱くて。
 だけど、そんな彼が大好きだから。

 新一は嬉しさを少しも隠していない微笑を向けた。
 向き合って、じゃれ合って、囁いて、キスをして。
 唇を合わせたままそっと、囁かれた求愛の台詞にどちらからともなくベッドへと沈んだ。



 お互いの過去を少しずつ明かしていく。
 新一は軍人になると決めたこと、優作のこと、志保のこと、スカウトされたこと、それを断わったこと。
 快斗は十五歳の時にこの国に来たこと、来て直ぐに軍に入隊したこと、十七歳で大佐になったこと、それから――十五歳以前にどこにいたかは言えないこと。

「ごめんね。いつか言うから…まだもうちょっと待って欲しい」
「全然構わねーよ。言えるときに言えば、さ」
「うん…」

 濃密な時間のあと、気怠い体で心地良い時に二人きりで微睡む。
 同じだけ求め合ったはずなのに相変わらず新一はベッドに起きあがることすらできない。
 やはり受け身を取るには生態的に無理があるのだろう。
 上半身を起こして髪を梳いている快斗を、新一は寝転んで抱きついたまま見上げている。
 蒼い瞳はまだ熱を孕んでいて、視線が絡む度にどきりと快斗の鼓動を跳ねさせた。

「そう言えばさ…」

 すっかり甘えたモードになっている新一が快斗の腕の中で言う。

「お前、キッドって知ってる?」
「キッド?」
「自称モヴェールなんだけど、お前に顔がそっくりなんだ」

 時々ぽつりとこぼしていた言葉が人間のそれであったことに新一は気付いていた。
 キッドは自らをモヴェールだと言っていたが、人間ではないかと新一は思っていた。
 更に言うなら、快斗の血縁者なのではないかとさえ思っていた。
 けれど快斗は、

「俺にそっくりぃ~? 何か嘘くさい奴だなぁ」

 と、まるで知らないと言った様子でそう答えた。
 これには新一の方が驚いた。

「えっ、知らねーの?」
「う~ん。モヴェールにも人間にも、キッドなんて知り合いいないなぁ」

 ま、もともとモヴェールに知り合いはいないけど。
 そう言った快斗に後ろめたいところは欠片もない。
 嘘は吐かないと言った直後に快斗が嘘を吐くとも思わない。
 新一は首を傾げた。
 あの男は、快斗のことを知っていた。
 しかも、彼が言うには〝よく〟知っているのだ。
 一体どういうことなのだろうかと首を捻ってみても新一にわかるはずもない。

「まさか、その俺のそっくりさんと浮気してないよな?」
「なっ、バカ言ってんじゃねー!」

 突然真剣な顔になって何を言い出すのかと思えば、そんな馬鹿げたことを言う男を新一は真っ赤になって睨み付けた。
 そんなことがあるはずないのはたった今彼に証明したところだ。
 自分の全てを晒しているというのにこれ以上何を疑うというのか。

「新一は、俺のなんだからね…?」

 けれど意地の悪い男にそんな弱々しい言葉を囁かれると、思わず心を擽られてしまうのだ。
 だから、啄むようなキスを仕掛けてくる唇を拒むことができない。
 新一は自分の甘さに苦笑しながら、優しいキスに瞳を閉じた。


 ――その時のことをいつか悔いるのだとは、今はまだ誰も知らずに。



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