隠恋慕
Speak low, if you speak love.
黎夜の誓い
じりじりと容赦なく照りつける太陽の光を薄布一枚で遮り、この灼熱の砂漠を馬も使わず歩き続ける。
既に三日が経つが、鍛え上げられた体がそれに屈することはなかった。
砂漠に点々と続く足跡は吹き付ける風が攫ってくれる。
己かどこから来たのか、全ては誰に知られることもなく消え去ってしまうのだろう。
それで、構わなかった。
復讐という私怨にかられるまま飛び出してきた己を、もう誰も受け入れてなどくれないだろうから。
そして己もまた、受け入れられることを望んではいない。
全てはあの時に捨て去ったのだ。
国を飛び出した時に身分も誓いも全て捨てて、ただひとつ、復讐という信念だけを持って来た。
もう戻るつもりはない。
眼前に迫る巨大な門を潜れば、己はまた新しい仮面を被るだけ。
信念を貫くために、どんな人間でも演じきってみせる。
そうしてヴェルトの大門を潜ったのは、黒羽快斗がまだ十五歳の時だった。
長い回廊にコツコツと足音を刻みつけながら目暮総帥は渋い顔で歩いていた。
何が彼にそんな顔をさせるのか、それは数分前に遡る。
「総帥! 南東の大門より現れた流人が…!」
目暮のもとに唐突に連絡が入った。
駆け込んできた兵士は一応の敬礼はとったものの心ここに有らずといった様子で、目暮はすぐに何事かが起こったのだと悟ったのだが。
彼の話を聞いているうちに威厳に満ちていたはずの顔に困惑の色が浮かび始めた。
話によるとこうだ。
南東の大門にひとりの男の流人が現れた。
その男は帯剣していたため、警備兵が注意した。
すると、男はいきなり剣を抜き去り兵士に襲いかかった。
兵士は一刀で昏倒させられ、周りにいた兵士たちが次々と参戦していった。
ひとりが応援を呼び次々と兵士が現れるが男は怯むことなく、驚くことにただひとりで全ての兵士を倒してしまったのだという。
そして百を超す兵士が蹲るただ中に立ち、言ったのだ。
「ヴェルトの総帥に伝えろ。俺は殺戮に来たのではない。軍に入隊しに来たのだ。
この力を見て否と応えるのなら、俺は敵国へと流れ、いずれこの国に血を流すだろう」
その後はすぐにひとりの兵士が早馬を駆って本部へと駆け込み、本部は件の男を招いた。
目暮が向かっているのはその男を待機させている部屋だ。
客とは決して呼べぬが罪人として牢獄へ放り込むわけにもいかず、こうして部屋へと通しているのだが。
目暮が部屋の扉を潜った時、男は部屋の中を見回ることもせずただソファに座り、組んだ指先へとじっと視線を据えているだけだった。
己の存在に気付いているだろうに振り向きもしない男に目暮は双眸を鋭く細める。
手はいつでも抜けるように剣の柄にかけられている。
そこにぐっと力を込めたまま、脅すように低い声をかけた。
「なにゆえ、このヴェルトへ来た」
「申し上げたはずですよ。私は入隊を希望する者です」
「…それを信じろと? 兵士たちは随分と深手を負っているぞ」
目暮の言葉に、それまで静かに座っていた男が立ち上がった。
警戒を強くする目暮を余所に腰に携えていた剣に手を掛ける。
慌てて抜き払った剣を男へと構えるが、男は気にすることなく剣を取ると、鞘から抜きもせずに机の上へと置いた。
訝しがる目暮へと向き直る。
「私は彼らを殺すこともできた。しかしひとりとして死者はいないはずですよ」
その手がすっと持ち上がり、被っていた薄布へと掛けられる。
それを後ろへと脱ぎ去ると、ニッと不適に笑って見せた。
目暮が目を瞠る。
「正攻法ではあなたに会うことすら叶わなかったでしょう」
そう言った男はまだあどけない、少年と呼ばれるだろう子供だった。
確かにこの国では軍に入隊できるのは十歳から八年間の教育を経た、つまり十八歳以上の大人でなければならない。
だが目の前の少年はまだ精々十四、五の子供だ。
原則的に入隊は認められない。
どんなに強い実力を持っていたところで、その実力を見せる場すら与えられない決まりだ。
正攻法では逢うことすら叶わない。まさにその通りである。
けれど、目暮のもとに届いた連絡が正しいものであるなら、目の前の少年はたったひとりで百を超す猛者たちを退けたことになる。
王宮を守る本部と四つの大門を守る国境警備軍とには、特に実力を備えた兵士が配属されている。
このヴェルトにとって最も重要な場所がその五カ所であるから。
つまり、国を誇る猛者であるはずなのだ、少年に倒された兵士たちは。
目の前のこの子供がそれほどの計り知れない実力を有するなど、到底信じられない。
おそらく目暮の顔にはその考えがそのまま現れていたのだろう。
少年は悪戯に目を瞬かせると、笑いながら言った。
「ご要望とあらば、総帥の選ばれた最強の戦士とでも手合わせ致しますが?」
どこから聞きつけてきたのか、訓練場には人が集まってきている。
総帥は一段高いところに座しながら呆れたようにその様子を見渡し、騒ぎのもととなっている少年を見下ろした。
確かに、何度見てもただの子供にしか見えない少年が計り知れない実力の持ち主とは信じがたく、よってこの騒ぎも仕方ないのかも知れない。
つい先日、たった十四歳にして軍人養成学校の全ての学生の頂点に立ってしまった少年がいた。
あまりの才能に上部では秘密裏に彼の早期軍入隊を準備している。
来年か再来年か、スカウトをするつもりなのだ。
おかげで余計な雑務は積もるばかりで目暮としては大変なのだが、この少年のおかげでまた雑務が増えるかも知れないと、ふぅと溜息を吐いた。
「…では、始めようか」
ざわついていた空気が目暮のその一言でぴたりと静まった。
「自信のある者は前に」
「では、まず私が!」
そう言って一歩踏み出したのは本部の大尉だった。
どれほどの位の者を出せばいいのか見当もつかなかった目暮は、小さく頷いた。
初めから提督などの高位の者を出すのも困るが、一等兵では歯が立たないのも実証済みである。
大尉は目暮に向かって小さく敬礼すると、直ぐさま少年へと向き直った。
一分の隙なくぴたりと剣を構える。
対する少年は右手に剣を握った自然体のままで、構えようともしなかった。
大尉は長身ではないが屈強な体つきに、弓なりに沿った長剣を持っている。
しかし少年は決して屈強とは呼べぬ、むしろ華奢にすら見える細い体で、携える剣もまた白く細い頼りないものだ。
明らかに少年の方が不利に見える。誰もが勝負は一瞬で終わると思っていた。
けれど、数秒が過ぎても数分が過ぎても両者は動こうとしなかった。
先に焦れたの少年の方。
「まだねばるつもり?」
「…」
答えない大尉につまらなそうな溜息を吐いて。
「…悪いけど、俺、我慢強くないから」
言うなり躍り掛かった少年はまるで舞うように大尉の横を通り抜け、あっさりと剣を鞘に仕舞った。
大尉は一歩も動けずに固まっている。
大衆が息を呑んで見つめる中、やがてカツンッと響いた金属音で勝敗が見えた。
胴部分の甲冑が砕かれ、ぼろぼろと床に崩れ落ちていく。
少年の格好はここへ来た時のまま、甲冑などつけていない。
負けたのは――大尉だった。
「――勝負あり!」
高らかに告げられた目暮の声を追うようにざわめきが広まる。
おそらく誰もが予想していた結果の逆を見せつけられ狼狽えているのだ。
しかしそれは目暮にとっても同様だった。
あの少年の細腕のどこにそれほどの力が秘められているのだろうか。
軍事国家ヴェルトの甲冑は他のどの国よりも頑丈で、剣で砕くなどまず無理だと思っていたのに。
これでは次に勝負を頼む者など出てこない。
予想以上の実力を見せつけられ思考に沈む目暮だが、次に上がった手に再び試合へと思考を戻した。
「私が出ます」
凛と響いた声は高く、強い意志の秘められたもの。
少年に負けないほどすらりとした華奢な体、そして男では持ち得ない艶やかな笑み。
次に一歩踏み出したのは北西の大門の国境警備軍十二支部大佐、佐藤美和子だった。
わっ、と歓声が上がる。
佐藤もまた数少ない女性でありながらあくまで実力で大佐の地位を築き上げた実力の持ち主だ。
その腕、そして整った容姿ゆえに軍内での人気は凄まじい。
佐藤は目暮に向かって敬礼すると、少年に向き直った。
「俺、女の人でも容赦しないから」
にっこり笑ってそう言った少年にゾクリとした何かを感じながら、佐藤もまた意地悪く口端を持ち上げながら言った。
「望むところだわ。手加減されるのは何より嫌いなのっ」
言い終わらない内に駆け出した佐藤にあわせ少年も駆け出す。
大尉との試合の時には見られなかった動きに、誰もが知らずと固唾を呑んだ。
金属同士がぶつかりあう堅い音が響く。
あまり猛々しくはないが、敏捷な動きと正確な計算に基づいた動きに目を離すことができない。
力こそ使っていないがそのスピードは人一倍体力を使うだろう。
けれど両者は呼吸を乱すことなく攻防を続けている。
浮かんだ笑みはいっそ楽しげにすら見えた。
「…強いわね」
「そっちこそ。漸くまともな使い手と当たったよ」
「それは褒め言葉かしら?」
「さあ…?」
ぎりぎりと拮抗する剣を間に挟み、二人だけに聞こえる声で会話を交わす。
けれど少年の惚けた口調が癪に障ったのか、佐藤は思いきり力を込めて少年を剣ごと吹き飛ばした。
少年は後方に倒れ込むように飛びす去りながら、綺麗に回転していとも容易く着地してみせる。
鮮やかな身のこなしに佐藤は小さく嘆息した。
そして。
「これまでね。私の負けだわ」
にっ、と笑いながら宣言した。
けれど今のを佐藤の優勢と見なしていたのだろう、周りから驚きの声が聞こえてきた。
佐藤は苦笑しながら目暮に向き直り、
「これ以上は剣を持ってられそうにありません。手が痺れて今にも千切れそうです」
男とは言え相手はまだ子供、けれど女と言え大人であるはずの佐藤は力で負けた。
じんじんと痺れる手では今にも剣を落としてしまいそうだ。
けれどそれを意地でなんとか繋ぎ止め、醜態を曝す前に潔く負けを認めたのだ。
目暮は驚きに目を瞠っていたけれど納得したように頷いてくれた。
佐藤との付き合いの長い目暮は彼女が決して戯れで試合を申し出たわけでないことも、筋金入りの負けず嫌いであることもよく知っていた。
「勝負あったな。…確かに、強い」
低く唸るような声に佐藤が拍車をかける。
「総帥。僭越ながら、私は彼の入隊をお薦め致します」
「…根拠を聞こう」
「彼の実力はご覧になった通り、まだこの年で大佐をも屈するほどです。あと数年も経てばどうなるか…
そうなった時、彼の言うように彼が他国へと流れてしまえば我が国の脅威となります。それならばいっそ、今彼を我が軍へと迎えいれることをお薦め致します」
このままこの少年を他国へと流せば、いずれこの国を脅かす力となる。
それならば、どういうわけか自らこの国の軍に入隊したいと言うのだから、いっそのこと迎え入れてしまえばいい。
平たく言えば、他国に取られる前に取り込んでしまえ、と言うわけだ。
佐藤の言うことは一理ある。
教育も受けていない子供、それもどこから来たかも知れない流人を受け入れるなど前代未聞のことだが。
ちらりと視線を向ければ、少年は小さくご随意に、と呟いて頭を下げるだけ。
全ての采配は授けてあるのだからあとは好きにすればいい。不適な笑みを刻む顔はそう言っていた。
押し黙ってはいるが、目暮の中でも既に答えは出ている。
「…名前は?」
仕方なくそう問えば、少年は下げた頭の下で笑みを深くした。
「――黒羽快斗と、申します」
「いいだろう。黒羽快斗、君の入隊を許可する」
「有り難う御座います」
そう言って、今度は頭を下げるのではなく敬礼した。
「どうしてあんなこと言ったの?」
散り散りに解散していく兵士たちのなか、黒羽快斗と名乗った少年はするりと佐藤の横に立ってそう言った。
佐藤が僅かに目を瞠る。
今、隣に立たれるまで全く気配を感じなかった。
仮にも軍人、その中でも大佐という位であるというのに。
「…なんでだと思う?」
それでもそうと悟られるのは癪で、佐藤は強気な笑みを浮かべて言う。
快斗は子供っぽい仕草でう~んと唸りながら、けれどその顔は理由などとうに判っている、と言いたげだった。
「――ヴェルトも軍人の質が落ちたね」
「…ええ。その通り」
そう言って溜息を吐く佐藤自身、それは嫌と言うほど身にしみて感じていることだ。
嘗ての軍事大国は一体どこへ消え去ってしまったのだろうか。
大佐として高位につき、上の者と接触する機会が増える度に痛感させられる。
今のヴェルトは文字通り腐っていた。
「この国も終わりかもね。…まあ、軍事力なんて平和であれば不必要なものだから、構わないけど」
けれど世界に未だ平和は訪れない。
同盟を結びながら、互いを蹴落とすチャンスを虎視眈々と狙っている国。
人間を憎み、些細ないざこざを起こしては争い続けるモヴェール。
……平和は、ほど遠い。
「あなたの入隊を薦めたのは、単に私が気に入ったからよ」
「それはどうもv」
「どうして入隊したがるのかなんて知らないけど……あなたの目、まだ死んでない。そんな目をした軍人を見かけたの、すごく久しぶりだわ。
理由なんかそれだけよ。期待外れだったかな?」
そうして苦笑を向ければ、快斗は心底嬉しそうに笑った。
「ううん。期待通りの人で嬉しい。
――この国も、まだ終わってないね」
隣りに立っていながら、まるで遙か彼方を見ているような遠い眼差し。
その中は底知れぬ深淵と慈愛に満ちていて、佐藤はひどく不思議なものを見るような目で快斗を見た。
覗く深淵はどこまでも昏く、今にも呑み込まれそうだというのに。
覗く慈愛はどこまでも優しく、行き過ぎる人々をまるで親が子を見守るような視線で見つめている。
この老成された眼差しはどこで培ったのだろう。
まだ十五歳ほどの子供である快斗が。
流人とは故郷を持たず流れ歩いている人のこと。
不意に快斗がどこから来たのか気になった佐藤だったけれど。
「黒羽! 入隊手続きをするからこちらへ!」
呼ばれた声にじゃあね、と去っていく背中に問うことはできず、佐藤はじっとその背を見送ることしかできなかった。
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