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First contact 2


 朝の日差しが心地いい教室に何ともそぐわない光景を繰り広げているのは、居眠り魔こと黒羽快斗だ。既に朝の日課となりつつある、新聞を片手ににやつく快斗に声をかける者はいない――のだが。

「まぁたこんなの見てニヤニヤしてぇ~!」
「あ、おいっ、何すんだよっ」
「こんな新聞、没収よ!」

 どうやら第一面を浚った記事が気に入らないらしく、幼馴染みの少女に取り上げられた新聞は無惨にも引き千切られてしまった。その新聞のなれの果てを眺めて嘆息している快斗に、中森青子はいつもの悪態まじりの愚痴を言い放つ。快斗はそれらを聞き流しながら、引き千切られた新聞紙をひとつにまとめ手の中に治めた。

「1…2…3!」

 小さくカウントし、次の瞬間には散り散りにされたはずの新聞紙を見事元通りにして見せる。既に幾度となく見慣れた青子ですら感嘆してしまうほどの手腕に、周りからも微かに歓声が上がった。

「おまえんとこの駄目警部があいつを捕まえらんねーからって、俺の新聞にあたるなよな」
「お父さんは駄目なんかじゃないもんっ」

 悪いのは全部全部、あいつなんだから!

「怪盗キッドなんか大っ嫌い!」

 怒り心頭している青子にこっそり苦笑を零して、快斗は再び新聞へと視線を戻した。
 第一面にでかでかと掲載された文字は『怪盗キッド』。青子が顔を真っ赤にして怒るのも仕方がない。なにせ彼女の父親が長年追い続けている、未だ確保に成功した試しがない大泥棒の名前もまた、怪盗キッドなのだから。諸々の事情があって現在中森警部が追っているのは別人なのだが、それは誰も知る必要のない真実である。
 その記事の内容は、今夜がキッドの犯行予告日であるというものだった。もちろん、数日前に快斗が予告状を出したのだ。杯戸シティにある杯戸美術館でたった一週間だけ展示されるというビッグジュエルが今回の標的だ。記事には暗号仕立ての予告状も既に解読済みだと書いてある。これならたとえ倫敦帰りの探偵が不在だとしても今夜の犯行は楽しめるだろうと、快斗はほくそ笑んだ。
 快斗が現場に警察を呼ぶ理由はふたつある。ひとつはただの遊び心だ。快斗は『盗む』という行為にそれほど罪悪感を抱いていない。快斗がキッドとなる理由は窃盗なんて陳腐なものではなく、それがもっと重大な目的を果たすための手段だからだ。誰も傷付けず盗んだものを確実に返すという信条も、快斗の罪悪感を拭う理由のひとつである。
 そしてもうひとつは、闇に隠れている本当の危険から自分の身を――延いては周りの者たちを守るためだった。快斗がキッドとして敵の手に落ちた時、母や幼馴染み、父の付き人だった寺井や友人たちにまで害が及ぶかも知れない。その危険を回避するためにわざと警察を呼び出し、公の場で犯行を行うことによって敵がおいそれと動くことのできない状況を作っているのだ。

「黒羽君、ちょっといいかしら?」
「…紅子」

 不意に背後から声が掛かる。東洋の美、という言葉はまさに彼女のためにあるのだと言わんばかりの美貌が眼前に迫るのへ、快斗は些か顔を引きつらせながら体を引いた。
 彼女はこのクラスに在籍中の小泉紅子。自称魔女という彼女だが、その力が偽物でないことを快斗は過去の苦い経験からよく知っていた。どういうわけかその紅子に快斗は気に入られているらしく、よくいらぬちょっかいをかけられるのだが……
 今回もその類かと怪訝そうに視線を投げる快斗に、けれど紅子は表情を崩さないまま言った。その口調はいつになく厳しい。

「今夜はやめておいた方がいいわ」
「…何が?」
「そんなこと、聞かなくても分かるでしょう」

 誤魔化しも偽りも通じない、紅子の確信に満ちた言葉。しかし、如何に人外の力を以て知り得た真実だとしても、それを肯定するわけにはいかなかった。
 けれど紅子はいつものようにはぐらかそうとする快斗よりも先に口を開くと。

「貴方が何だろうと、そんなことはどうでもいいの。私の忠告を聞きなさい」
「はあ? …また怪しげな占いかよ」
「占いじゃないわ。魔王ルシファーのお告げよ」
「で、そのルシファーさまが何だってんだ」

 まるで相手にしていないといった仕草で快斗がからかうように言う。
 いつもの紅子なら余裕の笑みで反論してきただろう。なのに今の彼女はそれすら忘れてしまったように、不意に声のトーンを落とすと魔女の仮面を被って言った。

「東の空より現われし蒼き光の魔神、白き罪人を滅ぼさん」
「…なんだぁ?」
「この言葉の意味が分かるでしょう? 罪を犯しながら汚れを知らない、白き衣を纏う貴方なら…」

 快斗の目がすっと細められる。
 魔女だと公言する紅子を変わった奴だとは思うが、その力は信頼していた。口では迷惑ぶっている快斗だが、実際その力に助けられたことも一度や二度ではない。彼女の忠告を受けるべきことは過去の経験からも明らかだ。
 けれど。

「やめねーよ」

 紅子の眉がくっと吊り上がる。
 快斗はひょいと肩を竦めてみせた。
 そう。快斗は誰でもない、あの怪盗キッドなのだ。二代目というハンデを背負いながら、それを決して人々に気付かせない実力。それは、偽物でありながら紛れもない本物の――大怪盗。

「俺がキッドならそう言うぜ」

 快斗は忠告だけを有り難く受け取ると、ひらひらと手を振りながら教室を出て行った。一限目はサボッて立ち入り禁止の屋上で寝てしまうつもりだ。
 その後ろ姿を軽く睨み付けながら紅子が呟く。

「後悔しても知らないわよ…」





 イメージする。呼吸ひとつで神経を研ぎ澄まし、ある一点に全てを集中させるように。それだけで聞こえてくる。決して空気を震わせることのない、鼓膜に刺激を与えることのない声が、脳に直接語りかけるように囁くのだ――還りたい、と。

「玉座には王が還り、影はその役目を終える…」

 堅く瞑っていた瞼を押し開けると、新一は暗闇にぼんやりと浮かぶモニターへと視線を戻した。そこには新一が打った文字を最後に会話の途切れたチャットのウインドウがそのまま残っている。既に回線は切れてしまっているため相手に言葉は届かないが、もう彼と話す必要もなかった。必要な情報は全て頭の中に入っている。彼から教えられた情報も、彼ですら知り得ない情報も。

「およそ五十キロ圏内に存在するはずだ」

 距離、方角、高度。それらは全て、新一にしか聞こえない叫びによってそのもの自体が教えてくれた。
 新一はすっと立ち上がると、パソコンの電源を落として地下へと続く階段を下りた。地下と言っても意図的に隠されているため、たとえ誰に侵入されたところで見つかることはまずない。
 室内には一台のデスクとその上に置かれた移動可能なノートパソコン、そしてクローゼットがあるだけという極シンプルな作りで、クローゼットの中も実に閑散としていた。アッシュブルーのロングコートが一着、ぴたりと体にフィットするタンクトップ型の防護服と薄手のインナー、伸縮性に富んだパンツ、裏にゴムがつけられた音を極限まで吸収する革靴とシルクの手袋、そして顔の上半分を覆い隠すようなサングラスが置かれているだけである。
 新一はそれまで身につけていた服を脱ぎ落とすと、そこに掛けてある服を次々と着込んでいった。
 ばさりとロングコートがはためく。サングラスを掛け、テンプルに付けられたボタンをいじって室内モードに切り替えた。このサングラスは実に高性能で、状況に応じて様々なモードに切り替えられるという優れものだ。

「午後十時二十分が奴の犯行予告時間」

 現在午後六時五十六分。
 美術館を取り囲む警官の数はおよそ二百。外壁をぐるりと取り囲むように、五メートル間隔でツーマンセルの警官が配置。宝石展示室には昨夜から警官が配置され、犯行予告時間には一般人は完全に締め出される。関係者以外の侵入は一切許されない。展示ケースには回避不可能な防犯装置が設置されている。
 一見、まるで穴のない完璧な警備、だが。

「俺に言わせりゃ穴だらけだな。その完璧さが逆に穴になるんだぜ?」

 まあ、それをわざわざ親切に教えてやるつもりは毛頭ないのだが。事前に警察無線を盗聴していた新一に情報は筒抜けだった。
 カチカチ、と秒針が時を刻み、その針がちょうど文字盤の十二を指す。するりと、夜の闇へと紛れた影が囁いた。

「さぁ、時間だ」

 猫が動き出す。



「奴の予告時間まで三十分を切ったぞ!」

 室内に木霊するのは、既にお馴染みとなった熱血警部中森の怒号である。いつも変わることのないこの瞬間の緊張を、彼の声は部下から拭い去ってくれる。
 気を引き締めてかかれと息巻く中森を余所に、既に変装し侵入を果たしていた怪盗キッドこと快斗はこっそり微笑した。
 右を見ても左を見ても警官だらけ。つまりその警官の中に紛れてしまえばまずばれることはない。怪盗キッドは変装の名人でもあるのだ。成りすます人物の身辺を徹底的に調査し、口調から癖までを完璧に模写する。そしてそれを見破るほどの実力を有する者は、残念ながらこの中にはいなかった。
 更に快斗はそのずば抜けた知能指数を駆使し、警察が苦肉の策として取り入れた最新式防犯装置の解除方法までもを既に入手済みである。完璧な警備も快斗の頭脳の前には効を成さないのだった。
 一分、また一分と時間が過ぎていく。その針が漸く午後十時を示そうかという時、辺りが急に眩しくなった。

「な…っ」

 まさに目が眩むほどの閃光。目眩ましはキッドの常套手段だが、予告時間の二十分前という予期していなかったタイミングでの急襲に、誰もが暫し視力を奪われる。
 驚異的な反射神経を持つ快斗だけが唯一その難を逃れ、被っていた帽子で光を遮るが、それでも数瞬の隙を作らないわけにはいかず……

「…何だ、これは?」

 中森の声が響いた時、快斗は既にその場を離れていた。いち早くその光景を見て状況を理解した快斗は、すぐさま標的を奪い返すため行動を開始したのだ。
 中森の目の前にはぱっくりと口を開けたガラスケースがあり、それまでそこに鎮座していた宝石は跡形もなく姿を消している。最新式の防犯装置などまるで玩具のようだ。

「これは…キッドの仕業、なのか?」

 重々しく響いた中森の疑問に応えられる者は誰もいなかった。
 予告時間ぴったりに姿を現わすのが怪盗キッドの常である。キッドは自分のスタイルというものを持った怪盗で、今まで一度も、特に八年ぶりに復活して以来そのスタイルを崩したことはなかった。
 キッドは犯行前に必ず予告状を出す。暗号であったり直接的に表記してあったりと内容は時によって変わるが、予告のない犯行は警察が知る限り今まで一度もない。キッドは嘘の予告をしたこともなければ犯行予告を違えたこともなかった。だと言うのに、今回に限って予告時間より二十分も早いのは一体どういうことなのか。
 中森は今回の犯行が怪盗キッドのものだとは思えなかった。そしてそれは、現場に残された一枚のカードが肯定していた。
 白い上質な紙に黒いインクの印刷文字、というところまでは怪盗キッドと変わらないのだが……

「――R?」

 いつも描かれているふざけたキッドマークではなく、そこには『R』と記されていたのだった。



 快斗は漸く見つけた人影に向けてトランプ銃を撃ち放った。相手の頬を掠めてトランプが向こう側の壁に突き刺さる。ただのトランプが壁に突き刺さるはずもなく、それが特殊コーティングされていることは一目瞭然だ。けれど相手は焦ることも驚くこともなく、まるでこちらの登場を予期していたかのようにゆっくりと振り返った。

「…怪盗キッド」

 顔の半分を覆うほどの大きなサングラス。見えるのは白い肌と唯一覗いている口許だけ。風にばたばたと揺れるアッシュブルーのコートは月の光を妖しく弾き、その存在を更に謎めかせている。体格からはどちらとも取れるが、高めのテノールは男だと思わせた。
 快斗が無言で威圧しながら歩み寄っても、男は少しも怯まない。

「何者です」
「答える義務があるのか?」

 幾分声を低めてみても男はしれっと返す。
 快斗の気配が殺気立った。一向に動きを見せない相手に焦れ、銃口を向けたまま言う。

「玉座には王が還り、影はその役目を終える」
「…」
「カードには『R』と書かれていた。それが貴方を指す名前ですか?」

 けれど男はただニッと口端を持ち上げるだけだった。

「名前はない。必要もない。ただ、血色の鎖に縛られた俺があるだけだ」

 男が徐にコートの内ポケットに手を突っ込む。快斗は警戒を強くするが、取り出されたのは奪われたばかりの宝石だった。そしてもう片方の手にも宝石がひとつ。それを見た快斗は思わず瞠目していた。
 男は楽しげに笑うと、後から取り出した宝石を快斗へと放り投げた。

「本当は明日還すつもりだったんだけどな。あんたのおかげで警察もいるわけだし、丁度いいから返しといてくれ」

 快斗の手に収まったのは紛れもなく本物の光を放つ大粒の宝石――世にビッグジュエルと謳われる宝石だった。そしてそれは、先ほど展示されていたイミテーションとは全くの別物であった。
 素人が一目でそれを偽物と判断するのは難しいが、宝石の鑑識眼に於いて玄人裸足の快斗にはそれが偽物だとすぐに分かった。本物が闇ルートに流されているという情報は手にしていたし、後でこっそり入れ替えておこうと思っていたのだ。
 だと言うのに――
 快斗は絶句していた。なぜならRと名乗るこの謎の男は、展示されていた宝石が偽物だと気付いただけでなく、本物すら手に入れていたのだから。

「貴方はそれが偽物だと知っていたのですか?」
「知ってわけじゃない。分かってた」
「…どういうことです?」

 知っていたのではなく理解していた。その微妙なニュアンスの違いに快斗は首を傾げるが、男はくすりと笑みを零すだけだった。

「『声』が聞こえない。それだけだ」
「声?」
「あんたの知らなくていいことさ」

 偽物をくるくると手で弄びながら男がつまらなさそうに言う。
 やがて飽きたのか偽物をコートに仕舞い込むと、真っ直ぐ快斗に視線を向けてきた。サングラス越しにも感じる、射抜くような視線の強さ。その目が揺らぐことなく快斗を見つめている。
 快斗は今の会話のほとんどを理解できていなかった。けれど何より分からないのは――この謎の人物をあまり警戒していない、自分自身だった。油断ならない相手だと思う。一方で、組織の連中とは全く別の緊張感を感じる。だからなのか、快斗は返らないと分かっているはずの問いを今一度口にしてしまうのだった。

「貴方は、何者ですか…?」

 不意に紅子の言葉が脳裏に蘇る。東の空より現われし蒼き光の魔神。東の空を背に月明かりで蒼く彩られているこの人が、キッドを滅ぼすという魔神なのか。
 けれどやはり、快斗の望む答えは返らずに。

「――その中にインクルージョンはないぜ、怪盗キッド」

 その言葉にはっとする。インクルージョンとは内包物のことだ。つまり、その言葉が指し示すものは……

「パンドラを知ってるのか!」

 けれど男はその声を無視して窓をぐっと押し開けると、桟に片足を乗せ快斗を振り返った。急激にその場の空気が変わる。驚くほど真剣な声が響いた。

「灰姫に関わるな。身を滅ぼすぞ」
「何を…っ」
「ルシファーのお告げとやらは、よく当たるんだぜ」

 知ってるだろう?
 男はそれだけを言い置くと、ロングコートをはためかせ窓から飛び降りてしまった。けれど快斗はその後を追えずにいる。最後の言葉が仄めかした人物に心当たりがありすぎたのだ。今追い掛けたところで逃げた人物は捕まえられないし、たとえ捕まえられたところで何も聞き出せないだろう。
 おそらくあの男は快斗の正体を知っている。紅子のことも知っている。もしかしたら、紅子もあの男を知っているのかも知れない。
 ……知らないのは、自分ばかりか。

「…どういうことか、ハッキリさせてやろうじゃねーか」

 魔女も魔神もルシファーも、考えるのはそれからだ。
 呟く声が闇へと消えた。



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