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Third contact 1


 ぴくりと指を動かす。たったそれだけの動きが地獄のような苦痛をもたらし、痛みに慣れたはずの新一は思わず歯を食いしばった。

(そろそろ本気でやべぇ、な…)

 体中、刃物で抉られた傷や打撲だらけだった。けれどそれ以上に新一を苛むのは、前にも増して酷くなった頭痛だった。
 ずきずきと絶え間なく鈍痛を訴える額を床に押し付け、新一は力のない笑みを零す。もう灰姫のあの割れるような叫び声は聞こえない。頭痛は増していくばかりだが、それだけが救いだった。それがつまりどういうことを意味するのか、もう随分と前から覚悟していたせいか、いざその時が来てもまるで他人事のように何も感じられなかった。
 外の世界から硝子一枚で隔てられた空間。虚ろな目でぼんやりと外を見遣れば、こんな高い場所だというのに蝶が飛んでいた。黒い羽に青や黄色で鮮やかに彩られた、美しい黒アゲハ。手を伸ばせば惹かれるように舞い寄ってくる。

「…、……」

 空気を震わせることなく小さな呟きが零れる。その直後、ドカドカと騒がしい音をまき散らしながら男が部屋に入ってきたため、蝶はどこかへ飛んで行ってしまった。

「怪盗R!」

 趣味の悪い鉄格子越しに無感動な目を向ける。
 高級ホテルのスイートルームには到底不釣り合いなひどく醜い鉄格子。その中で、動けない体に更に追い打ちを掛けるように足首へと繋がれた、ずしりと存在を誇示する重く冷たい鎖。新一は生きてこそいるものの、完璧に体の自由を奪われていた。

「いい加減、強情を張らずに吐いたらどうだ。こんな石ころだけあっても意味がないんだ」

 男の手の中にあるのは、鈍い乳白色の光を放つ小さな石。丸みのない、宝石と呼ぶには些か抵抗のあるそれは――彼らがパンドラと呼ぶ石だった。

「もうすぐあの方が来られる。そうなれば、今ここで口を噤んだところで全て無駄になるんだぞ」

 不格好なスーツ姿がどうにも笑いを誘うが、こんな滓相手に何を言うのも時間の無駄だと、新一は口を開こうともしなかった。その態度に激昂した男は苛立つままに鉄格子を蹴り上げようとするが、唐突に掛かった声に慌てて姿勢を正した。

「言いたくないなら言わずともよい」
「――ボス!」
「焦っても仕方がない、ゆっくり聞きだすとしよう」

 同じような黒スーツ姿の男を三人ほど従えた老齢の男。軽く七十は超えているだろう、口許に刻まれた皺は濃く深く、けれど威厳に満ちた表情が彼を幾分若く見せる。

「…あんたが親玉か」
「こんな子供が解放者とはな…随分手こずらせてくれたじゃないか、怪盗R」

 老人は鉄格子を潜り床に這いつくばった新一の眼前に立つと、優越に満ちた目で新一を見下ろした。余程その身が大切なのか、散々痛めつけてくれたこの体が既に思うように動かないと知っていながら、新一は腕を背中で組まされ、顎をぐいと持ち上げられた。蒼い瞳をまじまじと見つめていた老人は皮肉げに口角を吊り上げる。

「綺麗な肌だな。傷付き血を流す様ですら美しい。…この、老いた肌では醜いだけだが」

 老人は手にしたパンドラを大切そうに手の中で転がした。

「永遠の命。素晴らしいと思わないか? 世界中の富という富、名誉という名誉を手にしてもこの体は醜く老いてゆく。その時間を止めてくれるのが、この奇跡の石パンドラだ」

 キッドの努力虚しく、その石はとうに組織の手に落ちていた。月に翳せば紅い光を放つ石。それだけの情報があれば充分探し出すことができる。けれど肝心のパンドラは見つかったものの、それはただ赤い光を放つばかりで何の変化も起こらなかった。
 そんな時、組織は怪盗Rの存在を知った。パンドラを求めて宝石を集めていた時からことある毎に邪魔をしてきた小うるさい猫。その猫がパンドラと大きな関わりを持つことを知り、その力を解き放つために必要な鍵を握っていることを知った。
 けれど小賢しい猫をなかなか捕まえられずにいると、その内もうひとり組織に手を出してくる者が現れた。夜空を舞う、月に加護された白い鳥――怪盗キッド。
 二人が接触していることを知った組織は、キッドを餌にRを捕まえようとして今までずっと失敗し続けていたのだが……

「やっと手に入れた。奇跡の石パンドラも、その封印を解く鍵も。わざわざ名乗り出てくれるとは有り難い」

 愉悦に満ちた耳障りな笑い声を上げる老人。
 新一は持ち上げられた顔を嘲笑に歪めた。

「お目出度い男だな」
「…なに?」

 その言葉にぴたりと笑いを止め、老人は新一を睨み付けた。

「そんな都合のいいものが本当に存在すると思うのか? たとえば永遠が得られたとして、その代価に失われるものがあるとは考えないのか?」
「永遠が得られるなら何も惜しいものはない。たとえ築き上げた財や名誉がなくなろうと、有り余る時間を使って再び築けばいいだけの話だ」
「…あんたは、何にもわかっちゃいない」

 吐き捨てるように新一が言う。
 こんな男に感情を荒げるなんて馬鹿げていると思う。けれど、駄目なのだ。この男のために――盗一は死んだのだから。

「それは奇跡の石なんかじゃない。ただの石ころだ。もしそれに何らかの力があるというなら、怒りと憎しみによって生み出された呪いだけだ」

 怒りと憎しみに縛られた石。その石に縛られた自分。……呪われた、一族。
 その石に込められた想いも何も知らないくせに、都合のいいものしか見ない強欲な人間。そんな男のために、なぜパンドラの愚かしさを知っていた知性ある彼が死ななければならなかったのだろう。

(分かってる…俺が、間違っていたんだ)

 神なんて信じない。だから、運命なんて存在しない。自分の生き方は自分で見つけ、歩いていく。愚かな子供は浅はかにもそう考え、結果――偉大な魔術師を失った。

(馬鹿は、俺だ)

 運命はきっと存在する。足掻いても足掻いても逆らえない何かが存在する。抵抗も、懇願も、何も聞き入れない無慈悲な神が存在するのだ。
 もう灰姫の声は聞こえない。もう『警告』の声は届かない。この頭痛が消え去った頃、自分は――死ぬのだろう。

「生意気なっ」

 刻まれた皺を更に深くして、老人は怒りに赤くなった顔で新一の頬を叩いた。老いた男の力でも衰弱しきった体には相当な打撃だったが、体を掴まれていては倒れることもできない。
 それでも新一は悲鳴を上げるどころか、翳った瞳で昏く嗤った。

「…パンドラの封印を解く鍵だから殺されないとでも思っているのか? 生憎、殺さずに死ぬより辛い苦痛を与える方法なんぞごまんとあるぞ」
「だったら拷問でもしてみるか…?」
「この――っ」

 まるで子供のようだ。口で敵わなければ力に訴える。相手の動きを封じてから攻撃に出る狡猾さがあるだけ、子供より質が悪い。
 それでも気がおさまらないのか、老人は新一の髪を無造作に掴むと限界まで仰向かせた。白い喉に口から流れた血が伝う。

「嘆願でもしてみせれば可愛いものを。苦痛がいいなら、望み通りにしてやろう」

 それで脅しているつもりなのかと新一は嗤う。苦痛など今更おそろしくもなんともないのだ。死ぬほどの痛みにも何度となく耐えてきたし、何より――最も怖いものが何であるかを知っているから。
 痛いと感じられる間はまだいい。それこそが生きている証なのだから。たとえ同じように血を流そうと、体が千切れようと、痛みを感じなくなってしまえばそれはもう『人』ではない。そして人でないものが人の中で生きていくことはできないのだ。
 それは、誰からも受け入れられない、たった独りでこの世を生きていかなければならない、絶対の孤独。
 自らに孤独を課すようにして生きてきたくせに、ひどく矛盾しているけれど、それこそが新一の最も畏れるものだった。
 男の無骨な手が、捻りあげていた新一の腕を更にぎりぎりと締め付ける。骨や肉の千切れようとする生々しい音が聞こえるが、新一は眉ひとつ動かさなかった。それが更に老人の加虐心を煽るのだと分かっている。けれど、たとえどんな状況に立たされようと、この心だけは決して何ものにも屈しないから。

(灰姫の声にすら屈しなかった俺の信念を嘗めるなよ)

 骨が軋む。体が悲鳴を上げる。
 それでも呻き声すら上げない新一に焦れた男が、思いきり腕を折ろうとした、その時。


「触るな」


 どこからともなく聞こえてきた声とともに男の体が吹き飛び、奥の硝子にぶつかって跳ね返った。そのまま昏倒してしまったのか、倒れたきりぴくりとも動かない。男がぶつかった強化硝子にはうっすらとひびが入っていて、どれほど凄まじい力で衝突したのかが分かる。男が起きられないのも無理ないだろう。

「な――!」

 何事だ、と叫びたかった老人の声は、喉の奥で消えてしまった。
 そこにいたのは、どこにでもいるような普通の少年だった。ジーンズにカーキのパーカーを羽織った、背丈も体つきも平均的な少年。ただ少し整った顔立ちをしているけれど、それだけだ。吹き飛ばされた男のガタイとは比べるまでもない。
 それなのに。この、威圧感はなんなのか。
 少年の視線はじっと一カ所に向けられていた。老人のことなど目にも入らないのか、その目が捕えているのは怪盗Rただひとりだ。だと言うのに、見られてもいない老人はその少年が纏う殺気のような気配に立ち竦み、呼吸ひとつ満足にできなくなっていた。

「なに、ものだ…?」

 やっとの思いで紡いだ言葉も、ひっ、という短い悲鳴とともにすぐに掻き消えてしまう。ちらりとこちらに向けられた少年の視線。ただそれだけで自分が食われる側の生き物なのだと思い知った。獰猛な野生の肉食獣、否、それよりももっと恐ろしい生き物が目の前にいる。

「…んで、こんなところに…?」
「ひとつだけ、どうしても聞きたかったんだ」

 少年の視線が再びRへと向けられた時、老人は心底ほっとした。
 少年は纏う気配を幾分和らげると、力なく座り込んでいたRの前に膝をつき、唇の端に付いた血を優しく指で拭いながらその顔を両手でそっと包み込んだ。
 有り得ないと、目を瞠ったままの新一はわけが分からずただ瞬きを繰り返す。それにふわりと微笑を浮かべ、少年はただひと言を口に乗せた。

「――俺のこと、好き?」

 老人の手の中で、パンドラが鈍い光を放った。



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