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Third contact 4


 ――が、その銃声とともに弾け飛んだのは、快斗の手にあった拳銃だった。
 僅かに掠った弾が皮膚を焼き、快斗は咄嗟に手を振り上げる。右手の親指と人差し指の間が火傷していた。
 一体誰が放った弾なのか、顔を巡らせる快斗の視界に入ったのはひとりの見知った男だった。黒い帽子に黒い服、腰ほどに長い銀髪の男。

「…あんた、見覚えがある。あの時、新一を襲ってた男だ」
「ほう…てことは、おまえがキッドか」
「なっ、キッドだとっ!」

 肯定もしないが否定もしない快斗に、その男――ジンは楽しげに口角を吊り上げた。
 ジンは快斗と老人の間に立ち塞がるように佇んでいる。おそらく手に持った小型銃で快斗の拳銃を弾いたのだ。ジンほどの男ならそんな小型の銃でも正確に的を狙えるだろう。
 忌々しげに舌打ちする快斗へ、ジンの背中に隠れた老人は気が狂ったように叫んだ。

「ジン! キッドを殺せ! キッドを殺して、解放者を奪うんだ!」
「ここで殺しても?」
「構わん! 証拠など後でいくらでもでっち上げられる!」

 煩く喚く老人にジンは鬱陶しそうに眉をひそめるが、はいはい、と返事をして快斗へ向き直った。温度のない無感動な視線が快斗の視線とかち合い、次いでその腕の中にいる新一へと向けられる。気のせいだろうか、その目が僅かに細められたような気がしたのも束の間、唐突に発砲された弾が今度は快斗の頬を浅く抉った。すぐに血が玉になって流れ出す。
 ジンが言った。

「大人しくそいつを寄越せばおまえの命は奪らない、と言ったら?」

 快斗が鼻で嗤う。新一の背に回していた右手を前に突き出し、中指を立てた。

「くそ食らえ」

 こんな場面でよくもそんな命知らずな啖呵がきれるものだと、ジンは怒るどころか楽しそうに唇を歪めた。
 勝算はない。けれど、大人しくやられてやるつもりもない。せっかく手に入れたのだ。あの、頑なに快斗の侵入を拒んでいた新一が、漸く自分から手を取ってくれたのだ。やっと、やっと。永く苦しい呪われた輪を壊すことができたのだ。
 あの時ジンが現れなければ、快斗は手にした拳銃で確実に男たちの息の根を止めていただろう。その覚悟を甘く見るなと、笑みすら浮かべて見返す快斗に、ジンはクツクツと喉の奥で笑うと――

「…上等だ」

 快斗に向けて構えていた銃をくるりと反転させた。向こうに背を向けたまま、右脇下から立て続けに三発、銃弾を撃ち込む。
 突然の奇行に呆気に取られた快斗は、老人を囲っていた三人の黒スーツの男たちが崩れていくのを呆然と見遣った。
 転がった彼らを中心に血の池ができる。仰向けに倒れた男の眉間にはぽっかりと昏い穴が空いていた。

「ジ、ン…何を…」

 身動きひとつできなかった老人が掠れた声で囁く。

「悪いが、ある怪盗小僧からの依頼でな。依頼主が生きている限り、怪盗キッドは殺さない契約だ」
「な…っ、まさか!」

 怪盗Rは自らの意志でジンの前に現れ、自らの意志で老人のもとへやってきた。おそらくその時にでも契約を交わしたに違いない。だが、何千万という金を積んで漸く手元に引き寄せた凄腕の殺し屋を、Rはどうやって頷かせたと言うのか。余程の金を積んだのか、或いは……
 今や四人いたボディーガードは一人は気絶、残りの三人は物言わぬ死体となってしまった。自分を外敵から守ってくれる者は誰もいない。老人は気を失ったまま死んだように動かない新一を見遣り、唇を噛みしめた。

「くそ…、くそっ! あと少しで永遠が手に入ったのに!」
「…それは違うな」

 子供のように悪態を吐き散らす老人に快斗は静かに言った。

「この世界に永遠なんてもとから存在しねえんだよ」

 その言葉が聞こえていたのかいなかったのか、老人は力なく床に崩れ落ちた。
 遠くの方からパトカーのサイレンが近づいてくる。銃声に気付いた客か従業員が警察に通報でもしたのだろう。消音装置も何もついていない拳銃を何度も撃てば、異常にも気付かれるのは当たり前だ。まさかこの男がそんなことに頭がまわらなかったとも思えず、快斗が怪訝な視線でジンを見遣れば、

「こいつに死んでもらっちゃ困るんでな」

 ニッ、と唇の端を持ち上げ、ジンは懐から取り出した別の銃を老人へと突き付けた。そしてパシュッ、という微かな音がしたかと思うと、老人の体は完全に床に転がった。おそらく麻酔銃の類だろう。強制的に眠りに落ちた老人を見下ろし、彼は手にしていた銃を懐へしまった。
 新一を抱く快斗の腕に力が籠もる。

「…あんたが、親父を殺したのか」
「八年前の怪盗キッドが黒羽盗一で、おまえが黒羽盗一の息子なら、そういうことになるな」

 ジンはまるで無感動な瞳で淡々と告げた。目の前にいるのが誰だろうと――自分に私怨を抱く復讐者だろうと構わないと、その目が言っている。
 快斗は渦巻く激情を今はなけなしの理性でねじ伏せた。

「なぜ、殺した」
「それが依頼で、それが仕事だからだ」
「じゃあなぜ、俺を助けるような真似をするんだ?」

 ある怪盗小僧――それは間違いなく、この新一のことだろう。彼は最後の最後まで、組織に身を売るその瞬間まで、快斗を守るために体を張ったのだ。
 新一が生きている限り怪盗キッドは殺さない。一体どうやってそんな契約を取り付けたのかは分からないが、しかしそれが契約内容なら、ジンが快斗を殺さないというだけで、快斗を守れという契約ではないはずだ。
 ジンの無感動な瞳には何も映らない。けれどジンはひどく楽しげに言った。

「俺は俺のために人を殺す。俺が生きるために人を殺す。それを悪と呼ぶ奴もいるが、他人の定義なんざどうでもいい。俺には俺のルールがある。それを他人がどう思おうと、俺には関係ない。人殺しと罵りたければ罵ればいい。それでも殺さなきゃ手に入らないものがあるなら、俺はためらわず引き金を引く。
 そしてこいつも、ためらわず引き金を引ける男だってだけだ」

 キッドに手を出す奴は俺が全部始末する。そう言ったのは新一だ。その言葉が口先だけか真実なのか、それを見抜けないほどジンは馬鹿じゃない。
 新一を支配するのは善悪の意識ではないのだ。あるのはただ、信念を貫き通す想いの強さ。その想いが強ければ、たとえ己の身がどれほどの罪に染まろうとも、躊躇わず大事なものを掴み取ることができる。そしてその想いが、ジンにとっての覚悟でもあるのだ。

「おまえの親父は死んでおまえを守った。こいつはおまえを、俺を殺してでも守ると言った。結果が同じなら、俺はこいつと同じ道を選ぶ。俺がおまえを生かした理由は、強いて言うならそんなところだ」

 死んで誰かを守ること。殺して誰かを守ること。前者を『善』とするなら、後者は『悪』となるだろう。けれどどちらも正しくはないのだ。それなら無理に善悪に固執せず、自分の本能に従えばいい。感情に従えばいい。
 ただ気に入ったから。ジンが快斗を助けた理由など、それだけで充分だった。
 ジンは無防備な背をこちらへ向け、長い銀髪を揺らしながら扉へ向かった。

「おまえもそいつを連れてさっさと立ち去るんだな。サツに捕まっても、もう誰も助けちゃくれないぞ」
「…あんたはいいのか。警察はいずれこの男と繋がっていたあんたを洗い出すぞ」

 快斗は俯せに転がった老人を見下ろした。指示を出していたのがこの男だろうが、実際に手を下したのはジンだ。警察は血眼になってジンの行方を追うだろう。
 けれどジンは、ふんっ、と鼻で嗤った。

「今更、何の不都合がある?」

 もとから国際的に指名手配された第一級犯罪者だ。何人もの命をこの手にかけて来た。殺した相手は忘れるのがルール。数などいちいち数えてはいない。
 今更三人の殺害容疑をかけられたところで、ジンは痛くも痒くもなかった。明日も今日と何ら変わることのない、非日常な日常が過ぎてゆくだけ。そしてそれはこれからも変わらないだろう。
 黒い帽子を目深に被り、口元だけを覗かせたジンは、扉に手を掛けると今一度快斗を振り返った。

「…そいつに言っとけ。おまえとの契約は、キッドを助けてやったことで帳消しだとな。次に俺に狙われた時は、殺られる前に殺るんだな」

 黒い影がするりと扉を抜けてゆく。カチャリと微かに鳴った錠と、音もなく遠ざかっていく怜悧な気配。そうして血に濡れた獣は姿を消した。
 快斗は詰めていた息を吐くと、近づいてくるサイレンに意識を集中させながら、魔術師さながら音も気配もなくその場から消え去った。



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