隠恋慕
Speak low, if you speak love.
逆さ吊りの神 6
「……俺は反対だ」
「貴方の意見は聞いてないわ」
声も低く唸るように言った快斗に、けれど予想していた志保は少しも気にすることなくあっさりと両断した。
「これは命令よ。貴方ができないと言うなら、他の人に任せるわ」
そう言って、志保は快斗の隣に大人しく座っているコナンを見遣った。
おそらく話の展開は理解できていないのだろうが、それでも自分に関することだとは認識しているらしく、コナンは大きな目でじっと志保を見つめ返してくる。
こうして見ているとただの子供にしか見えないのだけど。
しかし志保の背後に控えるようにして立つ男二人にはそう思えないらしく、彼らは視線鋭くコナンを見つめていた。
志保、そして萩原と松田の三人がこうして快斗の個室を訪ねてきた用件は、言うまでもなく昨夜彼らが話していた件についてだった。
萩原の言う「危険な作戦」を果敢にも許可した志保は、コナンの保護者である快斗にもそれを伝えに来たのだ。
――その作戦とは。
「現在WGOが捕獲している唯一の十二使徒、ベルモット。組織の人間である彼女なら、なぜ組織がこの子を狙うのか分かるかも知れないわ」
WGOの最下層には、立入禁止区域と呼ばれる場所がある。
そこはWGOが「危険」と判断した能力犯罪者を収容するための監獄で、能力を封ずる特殊な装置で造られている。
ベルモットとは、その監獄に収容されている十二使徒のひとりだった。
五年前、彼女はWGOの手によって捕獲された。
だが五年経った今でも分かっているのはただ彼女の名前ばかりで、それ以外のことに彼女は一切口を開かなかった。
そんな人間を相手にどれほど効果があるかは分からないが、確かにやってみるだけの価値はある。
……でも。
「……いくらなんでも危険すぎる」
「危険は承知よ」
尚も渋る快斗を言い聞かせるように志保は言った。
「もちろん私も責任者として同席するし、後ろの二人にも護衛として同席して貰うわ。何より力を無効化できる貴方にはこの子をしっかり守って貰うつもりよ」
そういうことなら自分以上にこの任に相応しい人間もいないだろう。
そう思うものの、あまり過信されても困るのだと快斗は顔をしかめた。
快斗の能力を上回る能力があることは先日証明されたばかりだ。
吸い込まれそうなほど蒼い、何ひとつ穢れのない目を持った不思議な存在。
まるで神の紡ぐ絶対の言霊のように、その言葉に従わずにはいられなかった。
封環を解いた全開の状態でさえ手も足も出なかったのだ。
あれは一体何者なのか。
快斗はその疑問を何度も繰り返してきた。
だが、答えなどとっくに出ていた。
それは、WGOが追い続けてきた組織の先導者であり、快斗の父の命を奪った組織の先導者でもある。
十二使徒の主であり、唯一彼らを従えることのできる存在……
――ベラクルス。
それ以外の何者でもなかった。
だがそもそも、ベラクルスは死んだはずだった。
今から約百年前の一九九九年。
世界史によれば世界がthe first end――最初の終焉を迎えた年、その強大な力で世界を混沌に陥れたベラクルスは、神より使わされたひとりの使徒によって葬られたとある。
ベラクルスが何者なのか、なぜ世界を混沌に陥れようとしたのか。
そして、死んだはずの彼がどうやって蘇ったのか。
十二使徒のひとりである彼女ならその秘密を知っているのだろうか。
だが、そんなことより。
「……それでコナンが普通の暮らしに戻れるなら」
この可哀想な子供が失ったもの全てを取り戻せると言うのなら、たとえ未知の能力者相手だろうと守り抜いてやろうじゃないか。
静かに見上げるコナンを安心させるように、快斗はにこりと微笑んだ。
* * *
施設の最下層、中でもベルモットの収容されている独房は、他とは似ても似つかない雰囲気を漂わせていた。
入り口に構えた巨大な扉にはラテン語による封印の呪文が一面に刻まれている。
その上を更に、同じく呪文の刻まれた鎖が二重三重に囲っている。
そしてこの扉も壁も床も檻も全て、能力を封じる封環と同じ特殊合金で造られていた。
立入禁止区域の中でもこの一角だけは別格だ。
セキュリティも他とは比べものにならない。
志保は扉にそっと左手を伸ばすと、義手から数本のコードを伸ばし、扉のプラグへと繋いだ。
扉はまるでそれ自体が生き物であるかのように、ドクリ、と嫌な拍動を伝えてくる。
それだけでひやりとしたものが背中を伝うが、志保は構わず解封を続けた。
「コード99401950、システム一部解除、非常セーフティシステム起動……」
志保の声に連動するように、扉に埋め込まれた無数のセキュリティシステムがカタカタと動き出す。
やがて解封システムの作動が完了したのか、鎖はそのままに上部から徐々に扉が開き始めた。
一筋ずつ左右に開いていくそれはまるでディスプレイに映るデジタルデータのようだ。
ようやく足下まで扉が開くと、志保は後ろに控えていた者たちを振り返った。
黒い上下にサングラスをかけた萩原と松田、いつもと代わり映えのない格好の快斗、そして――コナン。
コナンは快斗の手を握っているものの、特に怯えや恐れががあるというわけでもないらしく、やはり無表情で扉の奥を凝視している。
難しい顔をしているのはむしろ萩原や松田、志保の方だった。
「……それじゃ、行くわよ」
確認するように声をかければ、コナンを除く三人がそれぞれに頷きを返す。
ここから先頭を行くのは萩原と松田だ。
彼らはそれぞれに非常に優れたキャパシティの高さを誇るが、二人揃えばその能力値は何倍にも跳ね上がる。
それゆえに任された護衛だ。
実戦向きでない志保は一歩下がり、快斗はコナンを守るために最後尾を歩いた。
室内は、驚くほど広かった。
能力者に与えられる個室の五倍ほどもある広さで、そのくせあまりにも閑散としている。
石造りの床には暖かさの欠片もなく、あるのはただ、囚人とこちらを隔てるための、いっそ無粋なほど冷え冷えとした鉄格子だけだった。
こんな場所に何年も閉じこめられていれば、それどころか十日だっていれば気がおかしくなりそうだ。
そんなところに五年もの間閉じこめられている能力者。
果たしてまともな話ができるのだろうか。
そう、思った時。
「珍しいわね」
ふと聞き慣れない声が聞こえ、快斗ははっと目をこらした。
暗くて見えないが、鉄格子の奥、向かって左端の方に気配を感じる。
「WGO日本支部の支部長様が、私にいったい何のご用かしら」
ジャラ、と鎖の擦れる音がしたかと思うと、こつこつと靴音を立てながら彼女は灯りの届く場所まで歩み出た。
暗闇にぼんやりと浮かび上がった姿に快斗は思わず目を細める。
波打つ豪奢なブロンドに白い肌。
闇に溶け込むような黒いスーツに全身を包み、足下にはこつこつと音を響かせるピンヒール。
こんな場所だと言うのに、まるで紅を引いたように赤く色づいた口元は妖しく弧を描いている。
まるで「捕らえられている」なんて露ほどにも感じていないといった様子だ。
とても囚人とは思えない小綺麗な格好に、手首に嵌められた鎖がいっそ不自然に感じた。
彼女がベラクルスの十二使徒のひとり、ベルモットなのだろうか。
気が狂うどころかひどく理知的な声は、油断すればこちらの方が足を掬われそうだ。
無意識に構える快斗を余所に、志保は抑揚のない静かな声で言った。
「用があるのは私じゃないわ。この子が貴方に会いたいと言うから連れてきたのよ」
志保の視線を受け、快斗はコクリと頷くと、コナンをしっかりと抱き上げた。
快斗の側にいればいるほどコナンは安全だ。
快斗はコナンを抱き上げたままゆっくりと鉄格子の前まで歩み寄った。
近くで見れば見るほど、どこか人間離れした美貌がはっきりと視界に入る。
ベルモットは口元に笑みを浮かべながらも、まるで興味のない醒めた双眸で快斗を見つめている。
「その子供が私に何の……、」
何の用、と言いかけた言葉が不自然に途切れた。
快斗の首に抱きつくように背を向けていたコナンが、不意に彼女へと向き直ったのだ。
その子供を見た瞬間、ベルモットは目に見えて驚愕した。
目を見開き、息を飲み、コナンを凝視した。
その場にいた誰もが「当たりだ」と思った。
彼女は間違いなくコナンの存在を知っていた。
それはつまり、組織がこの子供を狙う理由を知っている、と言うことだ。
けれど、問いつめようとした言葉を飲み込むように、志保は息を飲み込んだ。
ベルモットは、泣いていたのだ。
頬を伝い、雫がこぼれる。
その後を追うように幾筋もの涙が後を残しては床に吸い込まれていく。
ベルモットは涙を拭うこと、それどころか自分が泣いていることすら忘れてしまったかのように、ただ呆然とコナンを見つめている。
その光景に声を奪われたのは志保だけではなかった。
コナンを抱いていた快斗はもちろん、非常事態に備えて臨戦態勢だった萩原と松田も瞠目していた。
いったい何が起こっているのか、こんな寒々しい場所が、何か侵しがたい神聖な地であるかのようにさえ感じた。
その沈黙を破ったのは、コナンだった。
「…、…、…、…、…」
声にならない声が漏れる。
自分でもそれがもどかしいのか、時々眉を寄せ喉に手を当てながら、賢明に声を出そうと口を動かす。
それでも何度も同じ言葉を繰り返すコナンの変わりに、快斗がその唇の動きを読んで声に出した。
「な、か、な、い、で」
――泣かないで。
そう言って伸ばされた手が彼女に届くことはなかったが、ベルモットは自分の手で涙を拭うと、何事もなかったかのように笑みを浮かべた。
だがその笑みは先ほど見せたような中身のない空虚なものではなく、心の底から浮かべられた笑みだった。
「……この子は、貴方たちの何なの」
志保の声にはあからさまな不審が滲んでいた。
「貴方の仲間はこの子を殺そうとした。なのに貴方はこの子を殺そうとするどころか、……まるで自分の子供を見るような目で泣いたり笑ったり……」
と、ベルモットが声を上げて笑った。
突然のことに志保は口を噤む。
まるで異常者を見るような視線を向けられ、けれどベルモットは心底楽しそうに言った。
「ふふ……支部長様はまだまだ若いわね」
「……何が言いたいの?」
「貴方のような青二才が支部長では、私たちを止めるなんて到底無理だと言っているのよ」
ベルモットの笑いは嘲笑だった。
まるで何も分かっていないとでも言うように、志保を馬鹿にしていた。
当然、馬鹿にされた怒りと羞恥がこみ上げる。
気の短い松田などは、安い挑発にあっさり乗せられて殺気立っている。
けれど、若かろうが何だろうが、仮にも一支部を任されている志保が簡単に乗せられるわけにはいかなかった。
「……私たちが知りたいのはこの子の身元よ。それが分からなければこの子は一生この施設から出られないわ」
「あら、脅しのつもり? でもここまで見当違いをされると笑えないわね」
そう言ってベルモットは大仰に肩を竦めた。
過剰なパフォーマンスは敵愾心を煽ると分かっていての行動だろう。
「その子が誰かなんて、得意の機械遊びで見つけてごらんなさいな。それに、その子がここから一生出られなくても私は少しも困らないわ」
ベルモットの視線がコナンに向けられる。
「彼が、私の息子……?」
ふふ、と再び口元から笑いが漏れた。
とんだ勘違いをされたものだわと、ベルモットは何か尊いものでも見るように目を眇める。
「いい? その子のためを思うなら、二度とここへは連れてこないことね。今度また連れてきたら、その時は遠慮なく彼を殺してあげる」
その目がこちらに向けられた時、そこには先ほどの柔らかさなど微塵もなく、あるのはただ射殺さんばかりの鋭さだけだった。
その数時間後。
情報班の執務室に顔を揃えた志保、萩原、松田は、コナンを快斗に任せて先ほどの面会について話し込んでいた。
「結局、何も分からなかったと言っても過言じゃないな」
「もともと期待していたわけじゃないわ。だけど彼女は殺すと明言した。つまり、組織の意志としてはやはり彼を殺さなければならない理由があると見ていいでしょうね」
その理由こそが知りたかったのだが、おそらく彼女が口を割ることはないだろう。
この五年の監禁でも自分の名前以外に一切口を割らなかった女だ。
「とにかく現段階で言えることは、彼を地上に帰すことはできない、と言うこと」
「ああ。地上に戻せば確実に組織に殺される。それが俺たちにとってマイナスとなるかは分からないが、奴らにとってプラスになることは確実だな」
「つまり、今まで通りコナンはこの施設で保護するってことか……」
松田が難しい顔で唸る。
組織の件を抜きにしたって不審な点の多い子供だ。
少なくとも四つの言語を理解し、大人と比べても遜色ない体術のセンスを持ち、極めつけにあの原因不明の発作だ。
これで不審がるなと言う方が無理な話だった。
だが、だからと言ってベルモットのように独房に入れるわけにもいかなかった。
彼はあくまで非能力者なのだ。
WGOには一般人を保護する権限はあっても、一般人を監禁する権限はない。
たとえあったとしても、あんな成長途中の子供を独房に放り込めば、まず精神崩壊を引き起こすだろう。
そうなっては取り返しがつかない。
「結局は振り出しに戻ったってわけだ」
茶化すように言った萩原を松田は睨み付けるが、それが事実である以上何も言えなかった。
「ま、当面はコナンの挙動を監視するしかないな」
「そうね。私も極力気をつけるけど、その役は松田君にお願いするわ」
「……俺が?」
「快斗じゃコナンに入れ込みすぎるもんなぁ」
自分が拾ったということもあるのだろうが、快斗のコナンに対する態度は明らかに他と違っていた。
快斗はもともと人懐こい性格だが、それと相反するように人を全く寄せ付けない冷たい部分も併せ待っている。
実際、コナンの保護・管理を命じた志保だが、保って二、三週間だろうと思っていた。
だが、コナンと同居するようになって直に二ヶ月が経とうとしているのに、快斗は音を上げるどころか嫌がる素振りさえ見せなかった。
あんなに外出癖の激しかった快斗が、コナンが目覚めてからというもの一度も〝見回り〟に行っていないのだ。
そんな彼に、端から「怪しい」と疑ってかかるような役が務まるとは思えない。
「……分かった」
光彦とともにコナンの指導にも当たっている松田ならコナンと接する時間も多い。
それならと、松田は頷いた。
「何かあればすぐに報告して。それから、立入禁止区域への警備を増やすよう平蔵さんに言っておいて。あのセキュリティを突破できるとは思わないけど、万が一にもあの子があそこへ近づくことがないようにね」
了解、の声を合図に、三人は持ち場へと戻って行った。
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