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不眠症

 五日ほどかかりきりだった危険な副業をようやく終え、やりかけだった資料整理を済ませてしまおうかと寄った隠れ家のマンションに、キッドはいるはずのない人を認め、目を瞬いた。

「来てたのか、名探偵」
「おう」

 こちらの気配にはとっくに気付いていたらしい相手は、パソコンのキーを打つ手はそのままに、返事だけを寄越す。
 子供がひとりで出歩ける時間は疾うに過ぎているから、おそらく今夜はここに泊まるつもりなのだろう。
 しかし今はわざわざ泊まり込んでまでやらなければならない用事はなかったはずだと、コナンの手元を覗き込んだキッドは、そこに広げられた資料が、自分が整理しようと思っていた資料であることに気付いた。

「おいおい、これ、お前が俺にやれって言ってたヤツじゃん。なんでお前がやってんの?」
「別に。暇だったし、お前には仕事があったから、それなら自分でやっちまった方が早いと思って」

 そう言ってコナンは、こき、と首を鳴らしながら、一息つくように伸びをした。
 見れば、もう殆どのデータが入力されている。モニカから手に入れたあの膨大なデータをここまで打ち込むには、たとえ彼の力を持ってしてもかなりの時間と労力を必要としたに違いない。
 キッドが仕事のためにここを離れていたのはたったの五日だ。昼間は普通の小学生として学校へ通い、その後に毎日資料整理をしていたとしても、ここまで打ち込むことはできないだろう。
 ……睡眠時間でも、削らない限り。

「無茶しやがって……」

 流石に疲れたのか、コナンは作業を一時中断すると、眉間に皺を寄せながら目頭を押さえた。
 キッドは洗面所から小さなタオルを持ち出すと、水道の水をお湯に変えてからタオルを浸し、軽く絞ったそれをコナンの目に当てた。

「うあー……きもちいー……」
「酷使しすぎて目が疲れてんだよ。まさかとは思うけど、丸五日徹夜とか言うなよ?」
「そこまでやんねーよ。ここに泊まってんのも昨日からだし」
「ほんとだろーな?」

 疑わしそうに顔をしかめれば、気配で伝わったのか、コナンはキッドの手を退かして起き上がった。

「んなくだらねー嘘ついてどうすんだよ」
「だって、徹夜でもしなきゃこの量はこなせねーだろ」

 この、と言って指で示した先には、ハードカバーの分厚い本を三十冊積み上げたような山が五つと少し。それはモニカから、「普通のパソコンで見ることは不可能だから」と文書の形で受け取った、研究データの一部だった。
 これをたったの五日で仕上げようなど、それも二人ならともかくたったひとりで片づけようなど、まず不可能だ。それをここまでこなしたということは、つまりそれだけの時間を費やしたということに他ならない。
 とは言え、その程度の無茶なら普段は軽く見過ごすのだけれど。

「……まだ、眠れないか?」

 ここ数日続くコナンの不眠を、キッドはもちろん知っていた。
 もともと二人とも人の気配に敏感で、特に組織という敵を持つようになってからは慣れない気配が傍にあれば満足に眠れなくなるほどだった。
 それでも、大事な幼馴染みとその父親との同居生活にはコナンも大分慣れてきていたのだが。
 それが変わったのは、あの日――モニカから研究データを手に入れたコナンが、自ら口にした毒薬の秘密を知った日だ。あの日から、コナンはなにかを考え込むように沈黙することが多くなった。
 それでもコナンは強がるように「そんなにヤワじゃねーよ」と鼻で笑うのだ。
 そんなコナンへ、キッドは無言で容赦のないチョップをお見舞いした。

「イッ、てえ! てめ、なにを……っ」
「――俺にまで強がるんじゃねーよ」
「!」

 コナンが押し黙る。
 全く、腹立たしい男だ。こんなに傍にいるのに。いつだって隣に立って、彼という人を見てきたのに。

「眠れないから、なんだ。そんなのでお前の価値が決まるわけないだろ。それで俺がお前をヤワな奴だと思うとでも思ったのかよ」

 彼がとても強い人であることを知っている。……強くあろうとしている人であることも、知っている。そんな彼を、格好いいと思った。
 でも、こんな風に強がる彼は、全然格好良くない。

「別に、眠れなきゃ眠れないでいいじゃねーか。それだけ重たいもの抱えてるんだから、誰にも文句なんか言わせない」

 それでも彼はとても強くて、とても優しい人だから。誰にも心配掛けまいと、気丈に笑ってしまうのだろうけれど。

「俺にまで強がる必要はないだろ」

 怒ったようにそう言えば、コナンは素直に「……悪い」と謝罪を口にした。

「そうだよな……お前相手に強がったって意味ねえのに、なにやってんだか」

 コナンは、はあ、と溜息を吐き、再び濡れたタオルで目を覆うと、寄りかかるようにキッドの腕の中へ背中を沈めた。

「……ほんとはさ。布団に入ってもどうにも寝付けなくて、それなら時間も勿体ねーし、資料整理でもするかってことでここに来たんだ。昨日はまるまる徹夜しちまったし、今夜もその気でやってたら殆ど終わっちまった」

 幸い、集中力には自信がある。資料整理に没頭してる間は余計なことを考えなくていいから、ある意味この二日は楽だった。
 だが、いざ寝ようとすると駄目なのだ。コナンの脳は思考することを止めず、下手をすれば一晩中ぐるぐると思考の渦に囚われるはめになる。
 本当は、もうずっと、しんどい。

「――じゃあ、夜通し俺と話そうぜ?」

 にかっ、と笑って言われた言葉に、コナンは目を瞬いた。

「どうせ眠れないなら、そっちの方が楽しいじゃん」
「いや、それはそうだけど……」
「お前は余計なこと考えなくて済むし、俺はお前と話せて楽しいし。一石二鳥♪」

 勝手に話を進めるキッドに、コナンは困ったように顔をしかめている。
 キッドは殊更なんでもないことのように言った。

「俺、名探偵ともっといろんな話がしたい。あの映画がどうだとか、この本がああだとか、そんな下らねえ話がしたい」

 組織壊滅のために手を組んだ自分たち。
 けれど、彼は組織を倒すための『駒』ではなく、ともに戦う『戦友』なのだ。
 この関係をこんなところで終わらせる気など、キッドにはない。日常に戻った暁には堂々と本名を名乗り、彼と思い切り日常生活を満喫してやるのだ。
 今はまだ『戦友』でも、いつかは『親友』となる。
 だから。

「……そうだな」

 そう言って笑う彼も同じ望みを抱いていることを、キッドは信じて疑わない。



 その日、コナンは久々に落ちるように眠りに就いた。
 キッドとの会話で繰り広げられる無限の言葉の応酬は、コナンの頭脳を満足させるには十分だった。
 そしてなにより、命を懸ける戦いにおいて背中を預けられる、誰よりも信頼している存在が傍にいることが、きつく張りつめられていたコナンの意識を解きほぐしてくれたのだ。
 そしてそれは仕事の間中浅い睡眠しか取れなかったキッドにおいても同様で、二人はこれまでの睡眠不足を補うように、毛布にくるまりながら翌日の夕方近くまでぐっすりと眠ったのだった。
 ともに学校を無断欠席した二人が、怒り心頭の小さな科学者さまに雷を落とされたことは、言うまでもない。
 
 
 
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