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Peter Pan Crime 3




 快斗の入院は二ヶ月に及んだ。
 最も危惧された頭部の負傷は、記憶障害の他に大した影響もなかったのだが、肋と鎖骨、それに左足の骨が折れていたりヒビが入っていたりしたため、退院までに時間がかかってしまったのだ。
 しかしあれだけの大事故を起こしておきながらたった二ヶ月で回復した快斗に、医者も看護士も驚いていた。

「快斗――って、あら? あんた、松葉杖はどうしたの?」

 退院に必要な手続きを済ませて病室に戻ってきた千影は、松葉杖もなしに窓際に立って外を見ている息子を見つけ、首を傾げた。
 退院許可が出たといっても、杖なしで歩くことはまだできないため、もうしばらくはリハビリのために通院しなければならない。
 だと言うのに、杖もなしになにをしているのか。
 すると快斗は、ベッドの脇に立てかけられた松葉杖をちらりと見て、すぐにプイと顔を逸らした。

「立ってるだけだし、別にいいだろ」
「よくないわよ。右足に負担がかかるじゃない」
「だって、なんか格好わりーじゃん」

 千影は呆れた溜息を吐いた。

「馬鹿ね、病人が病院で格好つけてどうすんのよ。そっちの方が格好悪いじゃない」

 大方、これからここに来る人物に杖をついている姿を見られたくないのだろう。
 理由は分かるが、下らない見栄で回復が遅れては馬鹿らしい。

「あんたが杖ついてようが車椅子に座ってようが、青子ちゃんは気にしないわよ」
「……そんなんじゃねーよ」

 微かに頬を赤らめ、快斗は再び窓の外へと顔を戻した。
 まったく、思春期の子供は扱いづらい。
 追及はせず、千影は荷物の整理に取り掛かった。



 快斗が意識を取り戻した翌日、隣人であり幼馴染みである中森青子は、すぐにお見舞いにやって来た。
 そして、ガーゼと包帯まみれでベッドから起き上がることもできない快斗を見て、まず盛大に泣き出した。
 「なにやってんのよぉ」「快斗が無事でよかった」「早くよくなってね」と泣きじゃくる彼女を見て、自分が知る彼女と全く変わらないことに、まず快斗は安堵した。
 子供のように純粋で、無垢で、清廉で。
 二年も経って幼さも全く抜けていないのはどうかと思うが、今は変わっていないことがなによりも嬉しかった。
 それからほぼ毎日、青子はお見舞いに来てくれた。
 快斗の記憶が抜け落ちていることを知り(その時も盛大に泣いてくれた)、快斗のために学校の行事や友だちと出かけたときに撮った写真を持ってきて、それぞれ誰かを教えてくれたり、その写真にまつわるエピソードを話してくれたりした。
 幸い記憶力の良さは健在だったため、その全てを苦もなく頭に叩き込むことができた。
 そうして今まで以上に――快斗の覚えている限りで、だが――青子と親密になるにつれて、快斗の心は、なぜか不安定になっていった。
 青子と一緒にいられるのは嬉しい。
 彼女は相変わらず可愛く、素直で、たまに乱暴だけれど根はとても優しい少女だ。
 彼女のことをとても好きだと思う。これからもずっと守っていきたいとも。
 けれど、一緒にいればいるほど、快斗は自分の心に空いた穴の存在を思い知るのだ。
 青子といても決して埋まることのないその穴は、青子という存在を以てしても満たすことのできない何かが、今の自分に欠けていることを証明するばかりで。
 いったいなにが足りないのか、快斗にも分からない。
 分かるのは、抜け落ちた記憶に関係があるのだろうということだけ。
 そのせいで、最近は青子に会うのもなんだか辛いと思うようになってしまった。
 それでも「来るな」とは言えるわけがないし、言いたくもない。
 辛いけれど、会えるとやっぱり嬉しいからだ。
 それに、快斗は今日のこの日を待ちわびていた。
 退院すれば、自分が忘れてしまったものを探しに行ける。
 少なくとも、それがこの病室にないことは確かだ。
 二ヶ月もいて、快斗の心は餓えていく一方だったのだから。
 千影は知らなかったようだが、ここからこうして窓の外を眺めるのは、近頃の日課になっていた。

「おはようございまーす!」

 と、元気な挨拶とともに青子が病室に現れた。
 夏らしい小花柄の青色のワンピースに、白いカーディガン。
 大輪の薔薇や白百合のように、とはいかないまでも、日溜まりに咲く向日葵のような爛漫さが彼女らしい。
 制服ではなく私服なのは、今日が日曜日だからだ。
 快斗の退院の日がたまたま日曜と重なったため、彼女が手伝いに来てくれたのだった。

「おはよう、青子ちゃん。今日は来てくれてありがとね」
「ううん、おばさん一人じゃ大変だもん! 快斗は役に立たないし、青子がお手伝いするよ」
「もうっ、青子ちゃんたらほんといい子ね~! ほら、快斗もお礼言いなさい!」

 女が三人と書いて姦しいというが、二人でも十分に姦しい。
 快斗は二人の勢いに圧倒されつつも、「悪いな、青子」と礼を言った。

「そう言えば快斗、さっき下で白馬くんに会ったよ」
「白馬? ……って、クラスメートの白馬探か?」

 青子の話によれば、倫敦の高校から転校してきた男子生徒で、しかも探偵らしい。
 それを聞いたときは、工藤新一といい、探偵を名乗る高校生がそんなにいるのか? と首を傾げた快斗だった。

「うん、そう。快斗が退院するって聞いて会いに来てくれたみたい」

 なぜ退院のことを知っているのかと疑問に思った快斗だが、白馬探の父親が警視庁の警視総監であることを思い出し、納得した。
 轢き逃げ事件などという些末な事件でも、その被害者が息子のクラスメートともなれば、病状や退院の日程などを聞いていたとしても不思議はない。
 記憶障害のこともあり、快斗の容態が落ち着くまでは、昔からの知り合い以外のお見舞いは断っていた。
 そのため、高校に入ってから知り合った白馬探はお見舞いにくることもできなかったのだ。

「どうする? 快斗が大丈夫なら、会ってあげて欲しいんだけど……」

 青子によると、白馬探は随分と快斗の様子を気に懸けてくれていたらしい。
 毎朝学校で顔を合わせると、開口一番に快斗の様子を聞いてきたそうだ。
 それほどに親しい友人だったのかと、記憶のない快斗には申し訳ないやらなにやらだったが、青子のお陰で予習はしっかりできていたし、せっかく会いに来てくれたというのなら追い返すのも悪い気がしたので、快斗は彼と会うことにした。
 纏めた荷物を持った千影が、「先に行って車の準備をしてくるから」と言って行ってしまったあと。
 松葉杖をつきながら快斗が病院の受付へと下りていくと、それを待ち受けていたらしい白馬探が――写真で顔を覚えていたため、すぐに分かった――快斗のもとへ駆け寄ってきた。

「――黒羽君!」

 背の高い、栗色の髪をした少年。さすがは倫敦帰りと言うべきか、休日だというのにカジュアルジャケットという、高校生にしては大人びた格好をしている。

「えーと、白馬、だよな?」

 快斗の記憶がないことは既に知っているはずなので、快斗は自分が彼を覚えていないことを隠さずに話しかけた。

「わざわざ会いに来てくれてありがとな。この通り、情けねー格好で悪いけど」

 そう言って、愛想笑いを浮かべる。
 すると白馬は、なんだか妙な表情を浮かべた。

「黒羽君、君は本当に……覚えていないのか……?」
「あ? ああ……悪いけど」

 快斗は、表情にこそ出さなかったけれど、心中でムッとした。
 快斗だとて、忘れてしまったことはすまないと思う。
 本当に覚えてないのかと、そう言われるだろうことも予想はしていた。
 記憶喪失なんて、実際に自分で体験でもしない限り実感なんてまるで沸かないから、信じられないのだろう。
 快斗だとて、自覚するまで信じられなかった。
 しかし、なぜだか分からないが、白馬は『信じられない』のではなく『信じていない』ようだった。
 まるで快斗が嘘をついているのではないかと疑っているような顔だ。
 なぜそんな顔をされなければならないのかと、思わず不機嫌になってしまうのも仕方ない。

「白馬くん、快斗ってばほんとにオバカになっちゃったんだよ! 自分が高校生になったことも覚えてないんだって。だから青子、この二ヶ月ずっと、快斗に勉強を教えてあげてたんだよ」
「そうですか、黒羽君に勉強を……それは大変でしたね」

 なんだか青子と親しげなのも気にくわない。
 実際、青子は快斗に勉強を教えた気でいるが、青子から新たに学ぶことは、正直なところそれほどなかった。
 小学校に上がる頃には自分の頭の出来をすっかり自覚していた快斗は、己の知的好奇心を満たすために、中・高の主要科目を先取りして修得してしまっていたし、一度覚えたものは決して忘れないため、たとえ数年分の記憶をどこかに落としてしまったとしても、青子の学力に追いつくには二ヶ月で十分だった。

「でも黒羽君なら、僕らに追いつくなんて雑作もないだろう?」

 そんな快斗の思考を読み取ったかのようにぴたりと言い当て、さらにシニカルに口角を持ち上げると、白馬はこちらの顔色を窺うようにじっと見つめてきた。
 快斗は今度こそ、顔に出して眉をひそめた。

「……どういう意味だ?」
「君はとても頭がいい。たとえば、そう――IQが400、くらいにね」

 それに反応したのは、青子だった。

「やだ、白馬くんたら買い被りすぎだよ! IQ400なんて、聞いたこともないよ」
「ですが、彼の成績は常にいいと担任の教諭は仰ってましたよ」
「そりゃ確かに、見かけに因らず快斗の成績はいいけど、それでも400は言い過ぎだよ~」

 さり気なく貶されているのが気になったが、それよりも気になるのは白馬の言動だ。
 白馬は明らかに、快斗の秘密を知っていた。
 具体的な数値など測ったこともないが、快斗の知能指数が常人のそれを上回っているだろうことは確かだ。
 400などという数値がどこから出てきたのか分からないが、探偵などを名乗っていることからして、なにか根拠となる証拠を持っているのかも知れない。
 とにかく、最早快斗はこの男を『友人』とは思えなかった。
 そもそもにして白馬の方も、『友人』に対する態度とはほど遠かった。

「――白馬。おまえ、本当はなにしに来たんだ?」

 青子がいる前ではあからさまに喧嘩を売るわけにもいかず、快斗はそんな言葉で牽制した。
 しかし快斗の言いたいことをしっかりと酌み取った白馬は、真っ向から受けて立った。

「僕が聞きたいことはこれだけだ。君は――君は怪盗キッドのことも忘れてしまったのか?」

 ひどく真剣な顔でそんなことを言う白馬に、快斗は怪訝な顔をした。
 かいとうきっど。
 聞き慣れない言葉だ。
 というか、聞いたこともない言葉だった。
 なにか物の名前なのか、それとも人の名前なのか。
 快斗の戸惑いを察したのだろう、白馬は失望した表情を見せたかと思うと、くるりと背を向けた。

「お、おい、白馬?」
「……今日のところはこれで失礼するよ。だが、僕は諦めたわけじゃない」
「はあ?」

 言うだけ言って、白馬はさっさと帰っていった。
 彼がいったいなにをしに来たのか、結局快斗にはさっぱり分からなかった。
「おい青子、あれのどこがオトモダチなんだよ」
「えー、だって同じクラスなんだし、お友達でしょ?」

 快斗は盛大に溜息を吐いた。
 青子の感覚では、クラスメートは全員友だちなのだろう。
 この分ではせっかくの『予習』もあまり役に立ちそうにない。

「つーか、『かいとうきっど』ってなんなんだ?」

 全然聞き慣れない言葉なのに、白馬は知っていて当然、といった態度だった。
 そんなにも重要なものなのか。
 すると青子は、ぷぅっと頬を膨らませた。

「怪盗キッドは泥棒だよ! 警察やお父さんを困らせてばっかりいる、すーっごく嫌なヤツなんだから!」
「泥棒? ……そんなの聞いてどうしたかったんだ、あいつ?」
「青子もよく分かんないけど……快斗、キッドのファンだったんだよ。それで探偵の白馬君とはいつも言い合いしてたから、それでかな?」
「俺が泥棒のファン?」

 泥棒にファンなんているのか。
 いや、確かに、前代未聞の大事件を起こした犯罪者が、まるでスターのような扱いをされることが、海外ではたまにあるが。

「だって、キッドはマジシャンだもん」
「えっ、マジシャン? マジシャンの泥棒なのか?」
「そうだよ」

 それは確かに興味を持つかも知れない。
 だが同時に、湧き上がるのは対抗心だ。
 マジックを泥棒の手段に使うような犯罪者に、自分や、まして尊敬してやまない父のマジックが負けるはずがない。

「俺が泥棒のファンねぇ……想像つかねえけど」
「でもそうだったんだもん。白馬君がキッドに逃げられる度に、快斗ってば、嬉しそうにからかっちゃって」
「へえ? あいつ、その泥棒も追いかけてんだ?」
「うん。お父さんと一緒によく現場にいるみたい」

 青子の父親と一緒ということは、管轄は捜査二課だ。
 窃盗犯なら通常三課の管轄になるのだが、つまりは相当の知能犯ということか。
 それにしても、自分が泥棒のファンで、白馬探がその泥棒を追いかける探偵で、しかもそれをネタに相手をからかっていたというのなら、それは友人どころか犬猿の仲というのではないか。
 通りで最初から喧嘩腰だったはずだと、幼馴染みの楽天的なおつむが心配になる快斗だった。



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