隠恋慕
Peter Pan Crime 4
結果から言うと、快斗は実にすんなりと学校生活に馴染んでみせた。
もともとの性格もあるが、何より快斗は、場の空気を操る術に非常に長けている。
それはその場の空気を支配する術だったり、読み取る術だったりと様々だが、そのお陰で、快斗にとっては見知らぬ他人も同様の友人たちとすぐに打ち解けることができた。
学習面に関しては、言わずもがな。
復帰早々行われた定期考査でも余裕で平均点越えを果たしてみせた快斗に、妬みを覚えなかった級友はいなかっただろう。
退院直後は手放せなかった松葉杖からも程なく卒業し、無理をしない程度ならと、体育への参加の許可も医者から出ている。
要するに、快斗は絶好調だった。
――未だ埋まらない胸の空洞を除けば、の話だが。
「はあ……」
屋上の囲いに腕をかけ、フェンス越しの景色を眺めながら、快斗は思わずと溜息を吐いた。
退院して、病院という閉鎖空間を抜け出せれば、この穴も埋められると思っていた。
特に学校への復帰には期待が大きかった。
なぜなら、この穴の正体は、快斗から抜け落ちた記憶であるはずで、丸々抜け落ちているのが高校生活の記憶なのだから。
学校に復帰してからというもの、快斗は自分なりに努力してきた。
親しかったという友人たちとの関係を修復するのはもちろんのこと、たとえ以前は親しくなかったとしても、積極的に新たな関係を築いていった。
いくら幼馴染みだと言っても、快斗の交友関係を青子が全て把握しているわけがないし、そもそも人との関係など個人が主観で認識するものだ。
快斗が一方的に相手を特別視していた可能性だってある。
でなければ、とっくに誰かから何かしらのアプローチがあるはずだろう。
けれど、誰と言葉を交わし、誰と親しくなろうと、穴は変わらずそこに在り続けていた。
もはや埋めることなどできないのではないかという諦観さえちらつき始めている。
そもそも特別な『何か』が足りないのではなくて、記憶の欠落こそが穴となってそこに在るのではないかとさえ思う。
そうなれば、記憶を取り戻す外、快斗には手の打ちようがない。
(つっても、思い出そうにも『忘れた』感覚さえないんだもんな……何を指針に記憶を辿ればいいのか、さっぱりわかんねえ)
漫画やドラマであるように、思い出そうとして頭が痛むわけでもない。
ただ、『ない』のだ。
『ない』ものは、どんなに頭を捻ろうとも出てくるはずがない。
「はあ……」
再び、快斗は溜息を吐いた。
そのとき、背後で扉の開く音がした。
「やはりここにいたのか――黒羽君」
白馬探だ。
似合わない詰め襟を上まできっちり締めた優等生スタイルの探偵を、快斗は胡乱げに見遣った。
あの病院での一件があって以来、この男は快斗の中ですっかり『敵』に分類されていた。
特別なにかアクションを起こすわけではないが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、接触を避けている。
彼の方からもなにを仕掛けてくるわけでもなかったので、こんなものかと思っていたのだが。
「……なに? なんか用?」
突っ慳貪な言葉をかけられても、白馬は気にもしない。
「君に聞きたいことがあってね」
「聞きたいことぉ? まーた『怪盗キッド』のことじゃないだろうな」
「その通り。キッドについて、なにか思い出したかい?」
快斗はうんざりと嘆息した。
確かに、マジシャンの泥棒ということで興味を惹かれはしたけれど、特集が組まれた雑誌にざっと目を通した程度で、すぐにやめてしまった。
どれだけすごいマジシャンだか知らないが、所詮は泥棒だ。
青子がいうようにファンだの追っかけだのをする気にはならなかった。
マジックは人を感動させるためのもので、犯罪の手段に使うためのものではない。
「あのなあ、俺がキッドのファンだったからって敵視すんのは勝手だけど、それで突っかかってこられんのは迷惑だ。前の俺がどうだったか知らねえけど、今の俺は泥棒なんかに興味ないし。文句があるなら、俺の記憶が戻ってからにしてくんねえ?」
もっと大事なものを思い出そうとしているのだから、とは、口に出しては言わないけれど。
すると白馬は、そこで初めて表情を変えた。
「……別に僕は、君がキッドのファンだからこんな話をしに来たわけじゃない」
「へ? 違うの?」
「当たり前だろう。非常に嘆かわしいことだが、キッドのファンが世界にどれだけいると思ってるんだい?」
だって青子のやつがそう言ってたのに、とは思ったが、彼女の助言が役に立たないことは分かっていたので、快斗は大人しく口を噤んだ。
「じゃあ、だったらなんで俺に突っかかってくんの?」
もしかしたら、単に性格的に嫌われているのかも知れない。だとしても、どうと言うこともないが。
けれど白馬はその質問には答えなかった。
代わりに、よく分からないことを聞いてくる。
「君は、今日がキッドの予告日だと知っているかい?」
そう言われてみれば、朝のニュースでそんなことを言っていたかも知れない。
寝ぼけ半分の頭で聞いたので定かではないが、確か予告状が届いたとかどうとか。
わざわざ犯行を予告して自ら窮地を作り出すなど、物好きな犯罪者もいるものだと呆れたものだ。
「当然、君は知っているだろう。君だけじゃない、誰もが知っている」
だが、と区切り、そこで白馬は真っ直ぐと快斗を見据えた。
「だが、僕は――たとえ世界中の誰ひとり、キッドの犯行を知らなかったとしても、君だけは知っているだろうと――確信している」
そう言った白馬は、探偵の顔をしていた。
もっと分かりやすく言うなら、獲物を追い詰める捕食者の顔をしていた。
「僕は――君こそが怪盗キッドだと、確信しているんだ」
快斗の顔が、盛大に歪んだ。
聞き間違いでなければ、君が怪盗キッドだと、この男はそう言ったのだろうか。
つまり、怪盗キッドが、マジシャンの泥棒が、この自分だと、そう言ったのか。
(……。……なんつーか……)
……可哀相なやつ。
盛大に呆れたあと、快斗は思わず相手に同情してしまった。
「えーと。俺、予告状なんか出した覚えないんだけど」
「君から素直に自供が取れるとは思っていないよ」
「つーか泥棒してまで欲しいもんもないし、そもそも、泥棒なんかしなくったって、俺ん家、そこそこ裕福だし」
「キッドは窃盗で生計を立てているわけじゃない。そうじゃなきゃ、盗んだものをご丁寧に返却するわけがないだろう」
「え、盗んでおいて返してくれんの? 意味わかんねえ!」
快斗としては素直に驚きを表現したつもりだったのだが、白馬の表情は、「なにを白々しい」と言わんばかりだ。
どうも本人の申告通り、快斗がキッドだと『疑っている』のではなく、『確信している』ようだ。何を言っても無駄な気がする。
この男と馬が合わない真の理由は、きっとこのせいだろう。
犯罪者扱いされて喜ぶ馬鹿はいない。
「おまえそれ、探偵だかなんだか知らねーけど、人を犯人呼ばわりするからには、それなりの証拠はあるんだろうな」
「もちろん。――と、言いたいところだが、すぐに立件できるほどの証拠があれば、君は今頃塀の中だ。残念ながら、そこまで強力なカードを僕はまだ持っていない」
「なんだ、勘かよ」
倫敦帰りの名探偵、などというご大層な肩書きを持つ割りには、大したことがない。
所詮はアマチュアか。
「つーか俺、記憶飛んでる上に、ついこの間まで松葉杖ついてたんだけど。流石に骨折した足で泥棒するとか、無理じゃねえ?」
「怪盗キッドには複数の仲間がいるらしいことが確認されている。彼らがキッドになりすましているのかも知れない。或いは、記憶障害や怪我というのも君の狂言かも知れない。可能性はごまんとあるよ」
「はあ? 医者までグルだってのかよ!」
「ないとは言い切れないだろう?」
しれっと返され、快斗は呆れ果てた。
そんなものは可能性でもなんでもない。ただのこじつけだ。ただこの男が、快斗を犯人と思いたいだけだ。
「話になんねえな」
快斗は今度こそ怒りを露わにした。
自分が疑われるのも不快だが、周りの人間まで巻き込まれたとあっては黙っていられない。
放っておけば、母や青子までもがグルだと言い出しかねない。
「証拠もねーのに人を犯罪者呼ばわりして、人を傷つけるのが探偵の仕事が。だとしたら、最低だな」
言うだけ言うと、快斗は白馬の横を通り過ぎて、屋上を後にした。
白馬はなにを言い返すこともなく、ただその背中をじっと見送っていた。
ムカムカした気持ちが治まらぬまま、快斗は学校からの帰り道を、杯戸へと歩いていた。
家路とは全くの別方向だったが、不機嫌なまま家に帰るわけにもいかなかった。
あの後、白馬が更に何かを言い寄ってくることはなかった。
しかし、何も言わずにただこちらをじっと見つめる姿勢が、まるでおまえの動向を常に窺っているぞと言わんばかりで、尚更快斗の不機嫌を煽ったことは言うまでもない。
お陰で青子にまでいらぬ心配をかけてしまったが、どうかしたのかと困り顔で尋ねられても、答えられるはずもなかった。
「クラスメートはみんなオトモダチ」だと思っている彼女に、そのクラスメートに犯罪者だと疑われているだなんて、言えるはずがない。
(おおかた俺もマジックをするから目ぇつけたんだろうけど、それにしたって有り得ねえ)
ずっと母一人子一人でやってきたのだ。
善良で優良な息子、とまでは言えないが、それでも母に迷惑をかけるような真似だけは絶対にしなかった。
たとえ学校の授業をさぼっても、万引きのひとつだってしたことはない。
それに、マジックは快斗にとって父が残してくれた宝物なのだ。
それを犯罪の手段などに使って、汚すはずがない。
そんな快斗の思いなどなにも知らないから、あの男は快斗が怪盗キッドだなどと言えるのだ。
警視総監の息子だからといって、所詮はまだ義務教育を抜け出したばかりの青二才を特別扱いするから、調子に乗るのだ。
高校生探偵など、まったくろくなものじゃない。
(……あー、でも俺、その高校生探偵に助けられてるんだっけ……)
名前は確か、工藤新一。
千影の話を聞く限り、警察内部ではかなり有名な探偵らしいのだが、快斗は顔も知らない。
キッドの事件がある度に新聞にでかでかと写真が載る中森警部や白馬とは違い、どうもあまり表に顔を出さない探偵らしいのだ。
その探偵に、轢き逃げ事件に巻き込まれて危うく死にかけた快斗は、命を助けられた。
しかしながら意識不明の時にしか会っていないらしく、未だに礼も言えていない。
一度は礼を言いに行こうと思っていたのだが、とにかく相手が忙しいらしく、それなら、ただ礼を言うためだけにわざわざ時間を割いてもらうのも悪い気がして、結局一度としてその高校生探偵には会えずじまいだった。
しかし今思えば、それでよかったのかも知れない。
もし礼を言いに行って、相手が白馬のような男だったら、逆に喧嘩を売ることになったかも知れない。
それなら、ただの思い出として綺麗なまま記憶していた方がずっといい。
(まあ忙しいっつってんだし、無理矢理押しかけんのも迷惑だもんな。うん)
そしてこのまま、この件は忘れてしまおう。そうしよう。
ひとり納得し、快斗は気分を取り直してショッピングモールへと足を向けた。
特に買いたいものがあるわけではなかったが、気晴らしをしようと思ってのことだ。
しかし、目的地には『立入禁止』の黄色いテープが張り巡らされており、快斗はそれ以上進むことができなかった。
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