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Peter Pan Crime 5




「――工藤新一だって!」

 誰かが叫ぶ声が耳に入り、快斗は引き寄せられるように振り返った。
 二人組の女子高生だ。
 いや、彼女たちだけではない。
 女も男も――学生からママ友集団、それに営業途中らしきサラリーマンまで――まるで来日したハリウッドスターを見るような夢見る瞳と上気した顔で、テープの向こうを必死に覗こうとしている。
 今まさに件の探偵のことを考えていた、このタイミングのよさに驚いた快斗だったが、異常な野次馬の様子には、戸惑わずにはいられない。
 高校生探偵って、アイドルかなんかだったっけ……? と思わず考えてしまうぐらいには、ここは事件現場とはかけ離れた光景を呈していた。

「工藤新一って、まだ探偵やってたっけ?」

 隣で同じく足を止めたカップルの、彼氏の方が面白くなさそうに彼女に問う声が聞こえてくる。
 いくら有名人相手とは言え、デートの最中に他の男に夢中になる彼女の様子など、見ていて面白くないのだろう。

「バカ! 工藤君が探偵やめるわけないじゃん!」
「だって最近全然見ねーじゃん。死んだって噂もあったし」

 二人の会話を聞くともなく聞いていた快斗は、その瞬間、彼女だけでなく周りの野次馬からも彼氏に向かって殺気が向けられるのをびしびしと感じた。
 どうやらここにいるのは全て工藤新一のファンらしい。
 そのファンの一人である彼女は、可愛らしい顔を怒りにしかめながら言った。

「いつの話してんのよ。工藤君が最近新聞に載らないのは、警察が隠してるからなの。今だって、こんなに近くにいるのに全然姿が見えないし……」

 ――警察が隠す?
 なぜそんな必要があるのか。

「はあ? なんで警察が隠すんだよ」

 快斗の疑問を代弁してくれた彼氏に、いつの間にか興味津々になって、思わず聞き耳を立ててしまう。
 すると、彼女の口からは驚くような真実が語られた。

「だから、工藤君が有名になりすぎて、大きな事件に巻き込まれたからよ。工藤君が死んだって噂も、その時のものなの。一年近く行方不明だったんだから」

 高校生が、一年も行方不明。それはもう、それ事態が大事件ではないのか。
 少なくとも快斗の母なら、一人息子が行方不明にでもなろうものなら、血相を変えて探すだろう。
 それこそ警察に捜索願を出しての騒ぎになる。
 それは快斗の親に限らず、大半の親は似たような行動を取るだろう。
 そして、同じ災厄が降りかからないよう、用心するに違いない。
 だが、工藤新一はその後もこうして事件に関わり続けていると言う。
 いくら露出を避け、隠しているといっても、親は、警察はそれでいいのか。
 ファンの噂などどこまで正確か分かったものではないが、今目の前で、高校生が事件現場に足を踏み入れているという事実は否めない。
 快斗は不意に、腹が立った。
 高校生のくせに刑事の真似事をする探偵に対してか、高校生に頼る不甲斐ない警察に対してか。
 それに便乗して、まるで芸能人かなにかのように彼を追いかけ、無責任に騒ぎ立てる野次馬に対してか。
 なにかが間違っていると思うのに、どう言葉にしていいのか分からない。
 そもそも、どうして自分が怒りを覚えるのかもよく分からない。
 とにかく、気に入らなかった。
 この状況が、なにもかも。

「――あ!」

 と、誰かが上げた鋭い声に意識を引っ張られ見遣った先で、ジャンパーを被せられた犯人らしき人物が、警察に取り囲まれて出てくるのが見えた。
 テープの最前線をキープしていた報道陣の持つカメラのフラッシュが一斉に焚かれる。
 そのままパトカーに乗せられる様子を見届ける気にもなれず、快斗はその場を離れた。



 結局、工藤新一の姿は見られなかった。
 警察が隠しているというのなら、あんなにも大勢の報道陣がいる前に現れるはずもない。
 あの野次馬たちも、工藤新一を見たという噂が流れて集まったのだろう。
 一目だけでも見られるかと思ったが、やはり彼と自分には縁がないのだ。
 それならそれで構わない。
 そう思った快斗が、なんとなく一人になりたくて、人の少ない通りに入った時だった。
 前を歩いていたカップルの、男の方がふらりとよろけた。
 慌てて体を支えた女が、男の顔を覗き込んだかと思うと。

「――ちょっと、ひどい顔色じゃないの、工藤君」

 ドキッと、心臓が跳ねた。
 思わず足を止めてしまう。
 その先で、女に支えられてようやく立っている男が、額を押さえながらも笑いながら顔を上げた。

「佐藤さん……外でその名前は」
「あ、ごめん。新一君って呼ぶ約束よね」

 いまいち慣れなくって、と照れ笑う女の台詞で、確信してしまった。
 野暮ったい黒縁眼鏡とニット帽は、変装かなにかのつもりなのだろう。コートの下から見えている学生服とはあまりにミスマッチだが、だからこそ変装なのだと知れる。
 それに、よくよく見れば、女の方には見覚えがあった。確か快斗が警察病院に厄介になっていたときに、警部と一緒にいた女性刑事だ。
 刑事と連れ立って歩く学生が、ただの高校生であるはずがない。
 この男こそが、工藤新一だ。
 突然の邂逅にどうしていいか分からず突っ立っていると、ようやく人影があることに気づいたらしい工藤新一が、こちらを見遣った。

 ――心臓が、止まるかと思った。

 吸い込まれるようなスカイブルーの瞳が、驚きに見開かれる。それだけで、彼が快斗のことを覚えていたことが分かる。
 無粋な黒縁眼鏡でも隠しきれない整った顔立ちは、なるほど、まるでアイドルのようにファンが騒ぐのも仕方ないと思わせるほどで。
 けれど快斗を驚かせたのは、そのどれでもなかった。
 彼と目が合った瞬間に、胸中に湧き起こったなにか。
 感情が振り切れるような高揚感。或いは、今にも逃げ出したくなるような恐怖感とでも言えばいいのか。
 とにかく、まるで高層ビルの屋上から身を乗り出して地上を見下ろしたときのように、心臓が縮み上がるほどの衝撃に襲われ、快斗は戸惑った。

「あれ? 君は確か……」

 互いに目を見開いたまま見つめ合っていた二人は、佐藤刑事の声で我に返った。

「黒羽君じゃない? 覚えてないと思うけど、前に、轢き逃げ事件に遭ったときに……」
「あ、はい。確か、お見舞いに来てくれた刑事さんですよね」
「へえ! たった数分しか会ってないのに、よく覚えてたわね」
「俺、記憶力だけはいいんで。……未だに記憶すっ飛ばしたままの俺が言うのもなんですけど」
「そっか……まだ思い出せないんだ」

 途端に申し訳なさそうな顔をする彼女に、苦笑を返す。
 快斗の記憶が戻らないのは彼女のせいではないし、警察のせいでもない。言うなれば事件を起こした犯人のせいだが、だから関係ないと切り捨てることができないくらいには、いい人なのだろう。
 それよりも、快斗が気になるのは工藤新一だった。
 先ほど見せた驚きの表情はすっかり鳴りを潜めたが、どうも快斗同様、この状況に戸惑っているような空気を感じる。
 いや、なにより、彼女が言っていたように、工藤新一の顔色はかなり悪かった。

「あの……大丈夫?」

 思い切って声をかければ、本人がなにかを言う前に、佐藤が「そうよ!」と声を上げた。

「工藤君、そんな状態で一人で帰るなんて無理よ。やっぱり送ってくわ」
「佐藤さん、だから、外ではその名前では……。それに、佐藤さんがいないと困るでしょう。仕事の邪魔をするわけにはいきません」
「新一君を送ってく間ぐらい、高木君がどうにかしてくれるわよ」
「いえ、僕なら大丈夫ですから」
「「――どこが!」」

 思わず佐藤刑事と声をはもらせてしまって、互いに顔を見合わせる。
 そして、そうよね、と念を押す彼女に頷きを返せば、味方を得た彼女は更に勢い良くたたみかけた。
 どうやら工藤新一を自宅まで送るか送らないかの言い合いをしているようだが、仕事を邪魔したくない探偵と、具合の悪い探偵を放り出せない刑事との間で意見が合わないらしい。
 快斗としては、どう見ても「大丈夫」には見えない探偵は刑事に送られて然るべきだと思うのだが、仕事中の刑事を足に使うのが気が引ける気持ちも分からなくはない。
 だからそれは、自然に出た提案だった。

「あの――だったら、俺が送ってこうか?」

 へ? と、今度は佐藤と工藤新一が声をはもらせた。
 きょとんと見返されてから、快斗は自分が奇妙なことを口走ったことに気づいた。
 命を救われた者とその恩人、という関係だが、快斗と工藤新一とは初対面も同様の他人だ。
 その他人から急に家まで送るなどと言われても、普通は困るだろう。
 だが、もう一度考えてみて、この不毛な遣り取りを続けるよりは建設的だろうと、快斗は佐藤を見遣った。

「電車使うのは心配だから、タクシー使います。結構な金額になるかも知れませんけど、俺が出します。つーか、それぐらいしてもいいだろってぐらい、助けてもらったのは俺の方だし。それにこいつ、折れそうにないし。ここで言い合いしてても、結局刑事さんの時間取るだけでしょ?」

 『こいつ』呼ばわりされた探偵の口が、むう、と突き出る。そうすると、随分と幼く見える。

「タクシー使って帰るなら、別におまえがくっついてくる必要はないだろ。一人で平気だ」

 快斗に対して初めて口を開いた探偵は、綺麗な顔に似合わず、案外口も態度も悪い。
 それなら遠慮する必要もないかと、快斗は呆れた顔を隠しもせずに言い返した。

「あんたを一人にするのが心配だって言ってんだよ、刑事さんは。文句があるなら、その死にそうな顔どうにかしろ。それができないなら、刑事さんに送られるか、俺に送られるか、どっちか選べ」

 正論を並べられ、しかも彼にとっては究極の二択を迫られ、工藤新一はさらにむうっと口を突き出した。
 すると、端で見ていた佐藤が、突然声を上げて笑った。
 何事かと二人して彼女を見遣れば、

「凄いわね、黒羽君。工藤君を言い負かすなんて」

 などと言うものだから、工藤新一の顔が情けなく歪んでしまうのも仕方なかった。

「職業柄、ちょっと心配しちゃったけど。うん、黒羽君になら、工藤君を任せても大丈夫よね。あ、でも、タクシー代は警察が持つわよ。お小遣いは大事に使いなさい」

 盛大に子供扱いをされ、しかもよく分からないことを言われ、快斗の顔も情けなく歪む。
 どことなく似た顔つきをした二人が似たような顔を浮かべていることに彼女は更に笑みを深めたが、生憎と快斗も工藤新一もその自覚は無く、ただ首を傾げるだけだった。



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