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Peter Pan Crime 9




 なかなか動かない時計の針を、快斗は恨めしそうに睨み付けていた。
 今は学校のお昼休憩だ。弁当なり学食なりとそれぞれが束の間の休息を楽しんでいる中、快斗はひとり、ただただ時間が過ぎるのをじっと待っていた。しかし当然ながら、無情な時の流れは快斗のそんな思いになど見向きもしない。
 じりじりする気持ちを落ち着けるために、快斗は溜息をひとつ吐くと、尻ポケットから携帯電話を取り出した。
 よく言われる携帯依存症などとは縁もゆかりもないと思っていた快斗だが、近頃の快斗は、寝るときはもちろん風呂に入るときでさえ、この携帯電話を手放せなくなっている。
 それというのも、全ては彼――名探偵と名高い工藤新一のせいだった。
 快斗が轢き逃げ事件に巻き込まれたのをきっかけに知り合った彼は、噂に違わぬ名探偵だった。なにがどう普通じゃないかと言えば、とにもかくにも事件との遭遇率が半端ではない。事件が彼を呼ぶのか、彼が事件を呼ぶのか。どちらにせよ、犬も歩けばならぬ、工藤新一が歩けば事件と遭遇する、という具合だ。
 要するに、工藤新一は恐ろしく多忙な男だった。そんな多忙な男からいつ連絡がくるとも分からないため、快斗は肌身離さず携帯電話を持ち歩くようになってしまったのだ。

(……いや、違うか)
 別にリアルタイムでレスポンスをしなくてもいいのが携帯電話というものだ。それを、受信するなり数分以内に返信しようとするのは快斗の勝手である。
 つまり、それほどに今の快斗が工藤新一という男に傾倒しているということだった。
 きっかけは、ただ彼が記憶を取り戻す鍵になるかも知れない、というものだったのに――。
 半ば諦めながら、あの日快斗は彼の家のポストにメールアドレスを放り込んだ。ただでさえ喧嘩腰で出てきた手前、そのまま無視されても仕方ないと思っていた。二、三日は様子を見て、それでも反応がないようなら、なにか別の方法を考えなければならない、と。
 そう思いながらまんじりともせずに、自室で一向に鳴り響かない携帯電話を眺め続けていたとき、そのメールは届いた。
 ――XXX-XXXX-XXXX 工藤新一

 必要最低限しか書かれていない、なんとも味気ないメール。それなのに快斗は、思わず三度も確かめたあと、嬉しさのあまりベッドで転げまわってしまったほどだった。
 もう彼は怒っていない、それだけでも嬉しいのに、自分に番号とアドレスを教えてくれた。それはつまり、これからも快斗と関わることを彼が受け入れてくれたということで。
 その日から、快斗は携帯電話を手放せなくなった。彼と自分とを繋ぐ唯一の糸が、この携帯電話だったからだ。
 とは言っても、とかく忙しい男である。メールの返信は恐ろしく遅いし、電話など出てくれた試しがない。快斗がいくら誘いをかけても、五回に一度返事があればいい方だし、それさえ突然の事件に横取りされることがしばしば。
 それでも快斗は満足していた。多忙で、それでなくとも物ぐさで、ひとたび事件ともなれば快斗のことなど頭の中から放り出してしまうくせに、事件の合間や終わったあと、彼は必ず「ごめん」のメールを送ってくれた。どれだけ忙しくても快斗のことを忘れない彼が、嬉しかった。
 その彼にあと数時間で会えるのだと思えば、進まない時計の針を恨めしく思ってしまうのも仕方ないだろう。
 このまま事件に横取りされなければ、実に二週間ぶりの逢瀬だ。待ち遠しくて仕方ない。
 快斗は突っ伏すように机にへばりつきながら、携帯のフォルダを開いて中に入っている写真を起動した。クラスメートと遊びに行ったときの写真やらに混じって、たった一枚だけ、彼の写真がある。あまり撮られるのが好きじゃないのか、カメラを向けた途端にそっぽを向いてしまう彼が、一枚だけ撮らせてくれた写真だ。
 大きな青い目で睨むようにカメラを見つめる工藤。拗ねたように口をへの字に結びながら、照れてもいるのか、ほんのりと赤くなった顔が、男だというのにやたらと可愛くて困る。いつか雑誌で見た、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる彼もかっこいいけれど、その他大勢にはあまり見せないだろうこうした表情を見られることが嬉しい。
 思わずへらりと口元を緩める快斗だが、背後から突然声をかけられてびくりと肩を揺らした。

「あっ、工藤君だ!」
「うわあ!」
 文字通り飛び跳ねるように体を起こし、驚かしてくれた張本人である青子を振り返った。
「あ、青子……驚かすなよ!」
「その写真、工藤君でしょ? へー、工藤君てそんな顔もするんだ」
 なんか可愛いー!
 そう言ってはしゃいだ声をあげる青子は、人の話などまったく聞いていない。
 快斗は深く息を吐くと、青子から隠すように写真のファイルを閉じた。幼馴染の青子にだって、この写真を見せるのは勿体ない。
「そういえば、快斗を助けてくれたのって工藤君なんだっけ。いつの間に仲良くなったの?」
「……退院した後だよ」
 快斗は渋々答えた。なんとなく、彼とのことは秘密にしておきたかったのだ。
「そっかー。じゃあ今度、青子もお礼言わなくっちゃ」
「お礼って、なんのだよ」
「だって、こーんなおバカさんでも、快斗は青子の幼馴染だもん。だから、快斗を助けてくれたお礼だよ!」
「……馬鹿は余計だっつーの」
 にっこり笑いながらそんなこと言う青子に、照れ隠しで思わず憎まれ口を叩いてしまう。
 記憶が戻らない今でも、青子は大事な幼馴染だ。もし彼女にちょっかいを出す輩がいようものなら、裏でこっそり邪魔をしてしまうくらいには、彼女のことを特別に思っている。
 けれど最近の快斗は、それ以上の進展を自分が望んでいるのかどうか、よく分からなくなっていた。
 青子のことが大事だけれど、最近は彼女よりも優先してしまうことができた。――工藤のことだ。
 忙しい彼が「この日なら都合がつく」と言ってきた日に、青子との先約がかぶってしまったことがあった。悩んだのは一瞬で、快斗はすぐに青子との約束を延ばしてもらった。それは、青子ならまたいつでも都合がつけられると思ったからでもあったけれど、快斗の特別なところにいる彼女を二の次にしてしまったことに、後になった驚いた。つまり工藤は青子と同じか、それ以上の特別なところにいるのだ。たとえ滅多に会えない友人から誘われたとしても、それが工藤ではない他の誰かだったなら、快斗は次の機会を探していただろう。
 そんな風に工藤を優先してしまう自分に自分で戸惑いながら、けれど、と言い訳をする。彼を優先してしまうのは、彼が記憶を取り戻す鍵になるからだ、と。
「明日は土曜だし、工藤君に会えるかな~」
 青子の独り言に、快斗はぎょっとなった。
「青子、おまえ工藤と知り合いだっけっ?」
「うん、そうだよ」
「なんで!」
「なんでって、お父さんに差し入れしに行くと、工藤君もたいてい警視庁にいるんだもん」
 言われてみれば、土日は青子が銀三に差し入れを持っていく日だ。事件漬けで警視庁に入り浸っている工藤と鉢合わせる可能性は確かに高い。
 一瞬、工藤と青子が二人で会っているところを想像して焦った快斗だったが、ただの勘違いだったようだ。二人が会っているなど、もはやどちらに妬けばいいのか分からない。
(――て、いやいやいや。青子に妬くのは流石におかしいだろ。工藤は男だぞ)
 大事な幼馴染を取られて妬くならまだしも、工藤を取られて青子に妬くことは流石にない、と内心で首を振る。
「蘭ちゃんにも会えるかなぁ」
「ランちゃん?」
 初めて聞く名前を鸚鵡返しで聞きなおし――快斗の思考は停止した。
「蘭ちゃんは、工藤君の彼女だよ」
 毛利蘭ちゃんっていってね、あの眠りの小五郎の娘さんなんだよ。工藤君とは同じ学校で、幼馴染なんだって。よくおじさんや工藤君に差し入れ持ってきてるんだよ。
 青子の話がつらつらと耳に届くが、情報処理が追いつかない。
 ――工藤の彼女。
 彼女ってなんだっけ、というところから思考が絡まり、なかなか先に進まない。
 あの工藤新一に、彼女。
 当然、彼女くらいいるだろう。あの工藤新一だ。アイドルかハリウッドスターの如く持て囃されている、あの工藤新一だ。女どもが放っておくはずがない。当然、掃いて捨てるほどすり寄ってくるだろう。いや、いつか見た工藤のファンは、女ばかりではない。下手をすれば男でさえ寄ってくるかも知れない。
 だから、工藤に彼女がいたところで、なにも不思議はないのだ、と。
 ――ドクドクと嫌な音を立てる心臓は、少しも納得などしてくれなかった。
 嫌だ、と思った。工藤に彼女がいるなんて、すごく、嫌だ。
 彼女がいるなら、当然彼女との時間が必要だろう。ただでさえ事件で忙しい工藤が、彼女のために時間を取るなら、快斗と会うための時間など二の次にされてしまうに違いない。いや、そもそも、今まで事件で来られないのだとばかり思っていたけれど、もしも彼女との約束を優先されていたのだとしたら……? 「用事ができて行けなくなった」という、その用事とはなんだったのか?
 ――嫌だ。そんな風に疑ってしまう自分も、すごく嫌だ。
(……落ち着け。落ち着いて考えろ。工藤はそんなヤツじゃないだろ。だっていつも「ごめん」ってメールがくる。それに都合がつかないときは、最初から約束しないだろ。だから少なくとも、俺との約束を蹴って彼女に会いに行ったりはしてないはずだ)
 ――それでも。彼女がいるという事実は変わらない。
 その後も、青子となにか言葉を交わしたかも知れないが、快斗はまったく覚えていなかった。もちろん午後の授業などまったく耳にも入らず、煩悶としながらただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。


「――蘭? あいつなら、俺の幼馴染だけど」
 暗雲を背負うようにして過ごした午後が嘘のように、工藤のその言葉を聞いた途端、どん底だった快斗の気分は浮上した。
 今日、工藤と会う約束をしていた快斗は、終礼が済むなり弾丸の勢いで学校を飛び出した。そしてそのまま彼の家へと一目散に向かった。
 とにかく本人に確認するまでは信じられない。というより、信じたくなかった。
 本当は外で待ち合わせをして夕飯も一緒に食べてしまう予定だったが、下手にあの男を連れ出しては、また事件に横取りされてしまうかも知れない。それならゆっくり話ができるようにと、急遽彼の家に場所を変更した。幸いにも邪魔が入ることなく、無事工藤と会うことが叶った快斗は、出会い頭に思わず口走っていた。「毛利蘭さんって、誰!?」と。
「幼馴染……それだけ?」
「? おう。ああ、それから両親ともに有名人だな。父親は探偵の毛利小五郎で、母親は弁護士の妃英理。一応蘭のやつも、空手じゃ有名らしいし」
 別段興味もない話は右から左へと聞き流す快斗だが、工藤の口からは、危惧していた単語は一向に出てこなかった。
 一通り話し終えた後、それがどうかしたのか? と小首を傾げる工藤に、快斗はやや躊躇った後、意を決して口を開いた。
「その、青子が……俺の幼馴染なんだけど……そいつが、蘭ちゃんって子が工藤の彼女だ、なんて言うから……」
 ぼそぼそと歯切れも悪くそう言えば、工藤は不思議そうに目を瞬いて、それから急に噴き出した。
「バーロ、そんなんじゃねーよ! 蘭には今、歴とした彼氏がいるんだぞ。んなこと冗談でも言おうもんなら、蹴り殺されちまう」
 それに、と続ける工藤は、柔らかな笑みを浮かべて目元を細めた。
 その表情に、鼓動が狂う。
「そんな余裕、俺にはねーよ。俺の最優先事項は常に事件だし――それ以外は、ほとんどオメーに持ってかれてるからな」
 そんなことを、そんな風に笑って言うもんだから、快斗は己の頬が熱くなるのを止めることができなかった。
 こう言ってはなんだが、工藤は男の割りには繊細な顔立ちをしている。いつだったか読んだ雑誌に書いてあったように、女優だった母親の血が濃く表れているのだろう。それでいて女々しく見えないのは、彼本来が持つ探求者としての性質が強く表れているからだ。
 特に、真実を見抜こうと鋭く冴え渡る蒼い双眸は、思わず見惚れてしまうくらいに格好いい。快斗は数えるほどしか見たことがないが、網膜に焼きついたそれを忘れることは、おそらく死ぬまでないだろう。
 その目が、柔らかく自分を見つめている。そのうえ、まさか、そんなことを言ってもらえるなんて。
 赤い顔を隠すようにそっぽを向き、熱い頬を右手の甲で押さえながら、快斗はぼそりと本音をこぼした。
「……俺、工藤が取られちまうと思って、すげー焦った」
「なんだそれ。取るも取られるもねーだろ。つーか、そんなこと気にしてたのかよ」
「そんなこと、じゃないよ。だって工藤に彼女がいるなら、俺なんかがおまえの時間取っちゃ悪いじゃねーか」
 拗ねたように言えば、他所を向いて油断していた頭に、ボカッ、と拳が降ってきた。
「あいて! なにすんだ、」
「俺なんか、とか言ってんじゃねーよ」
 文句を言おうと振り返れば、工藤の怒った顔があった。
「俺がそうしたいからおまえといるんだ。俺が認めた男に文句つけんな」
 ――前言を、撤回しよう。
 青子相手に妬くことはない、と言ったけれど、もしも自分からこの男を取り上げるなら、大事な青子相手にだって快斗は嫉妬する。まして顔も知らない人間相手なら、尚のこと。
 快斗は、この男を、誰にも取られたくないのだ。
 命を助けられた。母を、自分を支えてくれた。心震える言葉をくれた。なにかを、思い出せそうな気がした。
 そうじゃない。それだけじゃないんだ。
 工藤と一緒にいると、自分の中のなにかが疼く。それがなんなのかは、快斗にも分からない。忘れている記憶なのか、それとももっと全然違う別のなにかなのか。ただ、彼という存在に掻き乱される。嵐が、起こる。
 ――誰にも取られたくない。
「……俺、ただの高校生だよ」
「それがどうした」
「工藤みたいに推理もできないし、……記憶だってないし」
 それは、ずっと隠してきた快斗の負い目だ。
 普段は気にもならないけれど、自分でも自覚していないようなどこかで、記憶のない自分が「不完全」だとずっと感じていた。だから失くした記憶を探している。欠けたものを埋めて、「完全」になるために。
 ――だけど。
「たとえおまえが、世界中に名の知れ渡ったマジシャンだとしても――ただの黒羽快斗だとしても。なにも変わらないだろ。体張って子供庇っちまうようなお人好しで、具合の悪い探偵をわざわざ家まで送っちまうお人好しで。どっちも同じ、黒羽快斗だ」
 だけど、もう、「完全」でなくてもいい。微笑いながらそう言ってくれる彼が認めてくれるなら、それでいい。彼が認めてくれた自分を、自分も認めよう。
 ――自分らしくさえあれば、全てがうまくいく。
 彼がくれたその言葉の意味を本当に理解したのは、その瞬間だった。



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