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Peter Pan Crime 13




 気がつくと、見知らぬ天上が目に映った。それ自体は、悲しいことに珍しいことでもない。事件を追っているうちに人事不省に陥ることは何度かあったし、特に例の薬で伸び縮みしていた頃は、変化する度に意識を失っていたので、見覚えのない場所で目を覚ますことにもある意味耐性がある新一である。
 ただ思考に霞みがかかったようにぼんやりしていた。体が重く、身動ぐと引き攣ったように脇腹が痛んだ。そうしてすぐに、自分が撃たれたことを思い出した。
 と言っても、今回は弾が掠っただけだ。かつて小学生の姿で少年探偵団を名乗っていた時のように、腹に風穴をあけられたわけではない。しかし弾丸に肉を抉られたのは事実で、疲弊した体ではとても耐えられる傷ではなかったのだろう。

 ちらりと視線を巡らせれば、こんなごく普通の家庭の寝室にあるには不釣合いな医療器具の数々。右腕に繋げられた点滴の管。そして――新一の左手を握りしめたまま、ベッドにうつ伏せて眠っている男。
 すべてを飲み込むように、新一はただ深く瞑目した。

 分かっていたことだ。あの時、組織のやつらに狙撃された時、自分を狙うすべての弾丸を華麗に避け、尚且つ降り注ぐ弾丸の雨から彼を守りきることができなければ、己の秘密は知られてしまうだろう、と。
 分かっていたけれど――体が勝手に動いてしまったのだから仕方ない。自分の秘密やらなにやらを天秤に乗せる前に、彼を守る、ただそのことだけに錘が傾いてしまったのだから。

 彼がここにいるということは、少なくとも今のキッドが新一だとばれてしまったということだろう。それはいい。問題は、彼がどこまで知ったのか――或いは思い出したのか、ということだが、それはきっと彼の第一声を聞けば分かるだろう。

 新一は握りしめられた己の手を見た。まるでいつかの日と逆の光景に苦笑が零れる。あの日、彼の手を握っていたのは新一だった。手術室へと運び込まれた彼が目覚めるまでその手を握っていることはできなかったけれど、もしもその場にいられたなら、きっと自分も彼と同じようにこうしてその手を握り続けていたのだろう。

 友人ではなかった。それでも、唯一無二だった。失うことなど考えられなかった。だから、守った。
 彼も、同じ気持ちでいてくれたのだろうか。

「う、ん……?」

 痛みを訴える体を無視してベッドの上で体を起こせば、新一が目覚めた気配に気づき、彼は微かに唸りながら目を開けた。

「あ――工藤!」

 その目に新一を映した瞬間、飛び起きるように上体を起こした快斗に名を呼ばれ、新一は安堵とも落胆とも分からない感情を覚えた。ただ、彼の記憶はまだ戻っていないのだと理解した。記憶のある彼は新一のことを工藤とは呼ばない。
 それでも、彼に工藤と呼ばれるのも決して嫌いではなかった。キッドとしての記憶のない彼は、まるで真昼の太陽みたいな温かさがあった。きっと以前の彼が、月夜の冷涼さの裏に隠していたものなのだろう。

「良かった……気がついて……」

 余程心配をかけてしまったらしい。心なし窶れた顔で、彼は肺が空っぽになるほど深く息を吐いた。
 それに対して申し訳なく思う気持ちはもちろんあったが、それよりも先に、新一には確認しなければならないことがあった。

「ここは……?」
「キッドの隠れ家のひとつだって。工藤の治療のために、寺井ちゃんが連れてきてくれたんだ」

 新一の恟々たる心中など知らぬとばかりにキッドのことをあっさりと口にされ、しかも寺井のことまで言及され、新一は静かに目を瞑った。予想していたからと言って、衝撃がなくなるわけではない。

「……悪かった」

 それはなにに対する謝罪なのか、自分でも分からない。騙していたことか、巻き込んでしまったことか。それとも、今なお真実を口にすることもできずに黙っていることか。
 けれど快斗は、責めることも怒ることもせずにただ首を振った。

「工藤が謝ることはなにもない」

 そうして――新一が最も恐れていたことを言うのだ。

「キッドは俺だ。その傷は、本当なら俺が負うべきものだったはずだ」

 だから工藤が謝る必要はない、と。
 記憶は戻っていないが、彼はやはりその真実に辿り着いていたのだ。
 それでも、ただの悪足掻きだと分かっていても、新一はそれを否定せずにはいられなかった。

「――違う」
「違わない。工藤は俺の代わりにキッドを演じてくれてただけだ」
「違う、そうじゃない」
「これは俺が始めたことだ。始めたからには、途中で投げ出す気はない。罪も償いも、背負う覚悟はちゃんとある」
「――違うッ」

 馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返して、終いには叫ぶようにして怒鳴っていた。
 いつもはよく回る舌が、いざという時にはまるで役に立たない。まだ記憶の戻っていない彼なら、もしかしたら口先で騙すことができたかも知れないのに。

 けれど、静かに自分を見つめる彼の目を見てしまえば、もうどんな言葉も出てこなかった。彼は理解し、認め、受け入れていた。彼が腹の底に飲み込みきった真実を口先で覆すには、もう遅すぎるのだと、悟らざるを得なかった。
 だけど、それでも、これだけは否定せずにはいられなかった。

「……違う。おまえは、俺が捕まえてきた犯罪者たちとは違う。罪も、償いも。本当ならおまえが背負う必要なんかなかったはずのものだ……ッ」

 愛する家族の死。九つという、まだまだ両親の愛に飢えた子供が、めいっぱい愛情をそそがれて育まれるはずだった子供が、突然それを失って。神がさだめた天命だろうと受け入れるのは難しいというのに、その上、殺人というどうしようもない現実を突きつけられたなら、新一だとて、あらゆる手を尽くして真実を詳らかにするだろう。犯した罪を閻魔の如く並び立て、逃げ道など微塵も残さず、監獄という檻に閉じ込めるだけなど生温いと、一切の望みも抱かせぬよう、心も砕いて。

 だけど、彼は優しいから。罪を犯すにはあまりに優しすぎるから、抱えなくてもいいものまで抱え込んでしまうから。

「だから、俺は……ッ」

 思い出して欲しくなかった。知られたくなかった。寂しさを感じなかったとは言わない。彼に知らないものを見る目で「誰だ」と誰何された時は、言葉にならない衝撃を覚えたほどだ。
 それでも、『快斗』とともに過ごした時間が自分だけのものになったとしても、『黒羽』とともに重ねる時間もまた、得難く尊いものだったから。  だから――それを守りたかったのだ。

「……ありがとな、工藤」

 今にも泣きそうな顔で、けれど決して泣くことなくじっと自分を見つめる工藤の手を取り、快斗は己の額にそれをぎゅっと押しつけた。

 工藤が自分を守るためにキッドを演じてくれていたことを、快斗は理解していた。寺井はなにも教えてくれなかったし、快斗も聞かなかったけれど、聞かなくても分かる。彼は決して自ら罪を犯すような人ではない。たとえば快斗と同じ目的があったとしても、彼ならもっと別の手段でそれを果たすだろう。彼だって間違いを犯すし、決して穢れを知らない清廉潔白な人間でもないけれど、人を知り罪を知るからこそ、誰かを傷つけることの愚かさも知っている。その彼に、誰かを騙すような真似をさせてしまったことが、どうしようもなく悔しかった。

 だけどもう、それも終わりだ。もうなにも知らなかった頃の自分ではない。失くした記憶を思い出したわけではないけれど、真実を知ったからには、これ以上工藤に罪を犯させるわけにはいかない。
 なによりこの優しい探偵に、キッドは――犯罪者は、似合わないから。

「キッドは、俺がやる」

 快斗は顔をあげると、工藤の目を真っ直ぐ見つめながらはっきりと告げた。それを受け、快斗の本気を理解した工藤は、苦々しい表情で唇を噛んだ。

「……記憶のないおまえに、なにができる」
「できるよ。今日だって自力であそこまで辿り着いたんだ。少なくとも今日の工藤と同じことなら、俺にもできる」
「誰が……なにが敵かも分かってないのに?」
「調べるよ。というか、工藤だって分かってないんだろ? 分かってたら、今頃そいつら捕まってるはずだもんな」
「捕まえられないから、危ないんだろうが。記憶が戻ったんならまだしも、そんな中途半端な状態で手を出していいやつらじゃない」

 工藤の青い目が怒ったように睨みつけてくる。
 他でもない工藤に、記憶がない今の自分を「中途半端」と言われ、快斗は一瞬、言葉に詰まった。
 工藤は事実を言っているだけだ。記憶の揃った万全の快斗でさえ手を焼いていた相手なのだから、危険だと、当然の忠告をしてくれている。
 けれど快斗も、退かなかった。

「――工藤。もう決めたんだ」

 葛藤がなかったわけではない。怪盗と言えば聞こえはいいが、とどのつまりは泥棒だ。自分の父親がなぜそんな犯罪行為をしていたのかも分からないし、自分にとって特別なものであるマジックを犯罪の手段に使うことに抵抗がないわけでもない。
 だが、父の残した道を歩むことで父の死の真実に辿り着けるというなら、快斗はそれを選ぶ。そしてなにより、工藤の優しさにこれ以上甘えるわけにはいかないから。

「工藤が俺を守ってくれたことには感謝してる。だけどこれ以上、工藤の手は借りない。キッドは、俺がやる」

 きっぱりと自分の関与を拒絶する快斗に返す言葉が見つからず、工藤は絞り出すように呟いた。

「なんで……」

 どうしてそこまで、頑なにキッドに拘るのか。キッドだった記憶もないのに、なにも知らないまっさらな心で平穏な幸福を手にすることだってできるのに。どうして彼はまた、キッドになる道を選ぶというのか、と。
 怒ったようにも、泣き出しそうにも見える表情で呟く工藤に、快斗は最早誤魔化すことなく、その言葉を口にした。

「工藤のことが、好きだから」

 気づかないふりをしていた。ずっと見て見ぬふりをしていた。
 口にしてしまえばこの関係が壊れてしまうかも知れない、そんな単純な恐怖ゆえではない。今の自分が以前の自分になんの断りもなしにこの思いを告げてしまうのは、フェアじゃないと思ったからだ。

 青子のことを、ずっと憎からず思っていた。記憶の欠けたこの二年間、自分はずっと彼女に恋していたかも知れない。なのに工藤に出会って、工藤に惹かれて、記憶のない自分が勝手に思いを告げたのでは、文句も言えない以前の自分にあまりにも不公平だ。だからこの思いに蓋をした。

 だけど、もうどうしようもなかった。
 命を救われた。彼の言葉で、心を救われた。この上、黒羽快斗という存在そのものを守られていたと気づかされて、どうして惹かれずにいられるだろうか。
 こんなどうしようもない優しさをもらって――我慢することなんて、到底できなかった。

 快斗の言いたいことを理解しきれなかったのだろう、怪訝そうな顔を浮かべる工藤の手を、快斗は再度引き寄せた。

「工藤に傷ついて欲しくない。誰かを救うための手で、罪を犯して欲しくない。できることなら、俺がおまえを守ってやりたい。
 ――工藤のことが、好きだから」

 その掌へと、快斗はそっと唇を押し当てた。
 自分を見下ろす瞳が大きく見開かれていくのを、快斗はじっと見つめていた。

 愛か、恋か。親愛か、友愛か。そんな曖昧な言葉で誤魔化されないために、快斗は行動で示した。
 掌へのキスは、懇願のキス。求愛のキス。
 ――愛を請い、愛を捧げ、愛を誓うキス。
 かつてのフランスでは求婚の際に行われていたキスであると、驚き瞠目する工藤はその意味を知っていたのだろう。フランスが生んだ彼の大怪盗の二つ名を戴く自分が愛を求めるには、なんとも似つかわしい方法だろう。
 工藤は戸惑ったように快斗を見返した。

「おまえ、ちゃんと意味分かって、」
「もちろん分かってるよ」

 工藤の言葉に被せるように、快斗はその言葉を肯定した。
 男同士だとか、記憶がないとか、それはもう散々悩んできたことなのだ。まだ気づきたくないと目を逸らしてきた時間が、つまりは工藤への気持ちに悩み続けてきた時間である。一日、二日の思いではない。いつからかなんてもう分からない。記憶がないことに悩む快斗を彼が肯定してくれたあの時か、それともあの路地裏で彼と目が合った瞬間か――。
 いずれにしても、もう悩む時は終わったのだ。快斗はもう、自分の気持ちに向き合う覚悟を決めた。工藤に守られていたのだと知ったあの時に。だから一片の迷いもなく言うことができる。

「工藤が、好きだ」

 それは別に、答えを求めての言葉ではなかった。もちろん彼の愛がもらえたなら、これほど嬉しいことはないだろう。けれどたとえ報われなかったとしても、この思いを抱えていく。その覚悟を決めたのだ。

 なのに彼は――他でもない彼が――その覚悟を、否定するのだ。

「……そんなはずねえ。俺とおまえは、敵じゃなかったが、仲間でもなかった。どんなに言葉を飾ったところで、精々ただの共犯者だ。だからそれは……勘違いだ」

 目を伏せながら高説宣う工藤は、気づかない。その言葉が快斗の逆鱗に触れていることに。

「――おまえが、言うのか」

 重く、低く、快斗が呟く。それだけで漂う空気が温度を下げる。すぐに異常に気づいた工藤がハッと顔をあげるが、もう遅い。
 工藤が顔をあげるのと、工藤に覆いかぶさった快斗が彼を組み臥すのは、ほぼ同時だった。
 仰向けになった工藤の両手首を掴み、大腿の上に乗り上げることで足の動きを封じる。とはいえ、銃創を負った腹には包帯を巻かれ、腕には点滴の管を繋がれた工藤に、大した抵抗はできないだろう。
 それでも、快斗に押さえつけられても驚いたように見上げるばかりで死ぬ気で抵抗しようともしない工藤に、沸々と怒りが湧いてくる。それこそが快斗の言葉を本気にしていない証のように思われて、快斗の心は掻き乱された。

 ――勘違い、と。彼が、記憶があろうとなかろうと『快斗』は『快斗』だと肯定してくれたはずの彼が、否定するのか。記憶のある『快斗』こそが正しくて、記憶のない自分は、その感情さえも偽物なのだ、と。そう言われたも同然だ。
 惹かれたのはこちらの勝手だ。拒むも受け入れるも、相手の自由。
 だけど、勘違いだと、偽物だと、否定されるのだけは我慢ならない。

「くろ、ば――」

 戸惑い遠慮がちに名前を呼ぼうとする唇を、無遠慮に塞いだ。零れ落ちそうなほどに見開かれる瞳を間近で睨みつけながら、快斗は油断しているその唇をこじ開けて、中へ奥へと舌をねじ込ませる。ぬるりとした舌と舌とが縺れ合い、それを無理やり絡めて吸い上げたところで、ようやく現実においついたらしい工藤が抵抗を始めた。
 快斗を突き飛ばそうと藻掻く腕を、有無を言わさぬ力で抑え込み、走る痛みに息を詰めながらも蹴り飛ばそうと暴れる足を力尽くで押さえつける。そうしておいて、快斗はより深く、工藤の唇を貪った。
 女のような厚みのない、薄くてやや冷たい唇。けれどその奥は火傷しそうなほど熱かった。逃げ惑う舌を捕まえ吸い上げる度に、どちらのものとも分からない唾液が溢れてくる。その甘さに、頭が痺れる。荒くなっていく呼吸を掠め取り、その苦しさから涙の滲んでいく海のような瞳に愛おしさが込み上げる。

 ――ああ、やっぱり、この人が好きだ。

 優しさの欠片もない荒々しい口付けのあと、ようやく許された呼吸のために懸命に喘ぐ工藤の涙が伝う頬を撫でながら、快斗は痺れた頭のまま、熱に浮かされた声で囁いた。

「この気持ちが偽物かどうか――おまえが、確かめてくれよ」



 湿った水音が響いている。荒く、不規則な呼吸音も。そして時折あがる、みっともなく上擦った声。
 そのなにもかもが煩わしく、しかもそのすべてが自分が出してる音なのかと思うと、あまりの情けなさに新一は死にたくなった。

「く、ぅ……も、離、せ……ッ」

 指先に絡む柔らかい感触を楽しむ余裕などなく、新一は容赦なくぐいぐいとそれを引っ張る。けれど引っ張られた当人は気にするどころか、仕返しとばかりにきつく吸い上げられ、新一はまた彼の髪を引っ張りながら啼くはめになった。

「ひっ、あッ」

 下腹部が熱い。熱すぎて、今にも弾けてしまいそうだ。けれどそれだけは許してなるものかと、新一は奥歯を噛み締めてその感覚を必死にやり過ごそうとする。

「ん……イっていいのに」

 顔をあげた男が、赤く熟れた唇に滴るものを舌で舐め取りながら、そんなことを宣う。それが彼の唾液ばかりでなく、自分の先走りの精液も混じっている事実に、新一の脳は破裂しそうになった。
 信じ難いことに、この男は今、所謂フェラチオと呼ばれる行為を自分に行っているのだ。
 男が、男に。それが決して有り得ない行為だとは言わないけれど、自分が経験するなどとは微塵も考えたことがなかった。普通に考えて、自分にもついているモノを咥えたいなどと、誰が思うだろうか。少なくとも、新一は御免だ。咥えるのも、咥えられるのも。
 けれどこの男は忌避するどころか、躊躇うことなく貪り始めた。スラックスのホックを外され、ファスナーに手がかかったところで、新一の頭は真っ白になった。そうして再び暴れ出した新一を、彼はいとも容易く押さえ込んでしまった。

 新一の右腕は、ベッドの柵に繋がれている。こちらの手には点滴の管が繋がっているから暴れて外れてしまってはいけないという、わけの分からない配慮の結果だ。まったく意味が分からない。それならそもそも点滴をしている人間相手にこんな無体を働かなければいい。
 だが、彼には止める気はないようだった。膝のあたりで蟠ったスラックスの所為で足の自由もなく、されるがままに嬲られている。今の己の姿の、なんと無様なことか。

 勝手なことを言う男を、新一は歯を食い縛りながら睨みつけた。羞恥と堪え難い快楽にのぼせきった顔では迫力の欠片もないが、下手に口を開けばあられもない声をあげるだけだと、既に学習済みである。

「……睨まれたって、やめないから。工藤が俺の思いを認めるまで」

 そう言うと、彼は再び頭を沈めた。そしてまたあのどうしようもない快楽の波へと、新一の思考は攫われていった。

 彼の思いを認める――それはつまり、自分を好きだという彼の言葉を認めろ、ということなのだろう。しかしそれは新一にとって、思いもしないことだった。
 確かに彼は、新一にとっても特別だった。敵でも仲間でもない、けれど決して凡百に紛れる存在などではなかった。その関係をなんと呼べばいいのかは新一にも分からない。しかしだからと言って、愛だの恋だのといった言葉は決して出てこなかった。無上の信頼――それこそが相応しいように思えた。
 それを、こんな形で裏切られるとは思わなかったけれど。

 だが、果たしてこれは裏切りなのだろうか。彼は自分を受け入れろと言っているわけではない。ただ自分の気持ちを否定するなと言っているだけだ。彼が新一を思う心を、勘違いだと、錯覚だと言われたことを怒っている。ただそれを認めるだけで、この行為は終わるのだと言う。それは新一にも分かっている。
 それでも、認めたくなかった。
 彼は彼だと言った言葉に嘘はない。記憶のない彼を偽物だなどと否定するはずもない。それでもそれを認めたくないのは――彼との関係を、壊したくないから。

「う、あ……っ」

 どうしようもなく声が上擦る。限界が近かった。新一だとて人並みに性を知ってはいるが、そんなものに耽っている時間など、生憎とこの二年間、とんとなかった。
 それを、急にこんな快楽に落とされて、しかも抗おうにも相手は最悪な性犯罪者ではなく、新一が無上の信頼を寄せていた男だ。本来なら快楽を凌駕するだろう怒りも嫌悪も、この男相手では沸いてもこない。

「あ、あ もう、む、りぃ……っ」

 抗いようのない波が押し寄せてくる。心臓の鼓動が頭の奥でガンガン鳴り響いている。新一は食い縛った歯の間から唾液を零しながら、必死に首を振った。このまま出すのだけは、彼の口の中に吐き出してしまうことだけは嫌だった。

「も、出ちまう、から…っ はなして――ひアッ」

 懇願する声も虚しく、一際きつく吸い上げられ、その上彼のしなやかな指先で扱かれながら鈴口を舌先で虐められては、経験値の低い新一などひとたまりもなかった。

「あ、やぁッ、 あ ぁ ぁ――…ッ」

 耳鳴りがする。自分の嬌声が遠く響く。
 気づけば、新一は果てていた。自由な左手でぎゅうと彼の髪を掴みながら、自由にならない足の先をきゅうと丸めながら。ドクドクと脈打ちながら吐き出される己の精が、彼の口の中へと飲み込まれていく。
 すべてを出しきり、まるで全力疾走した後のような気だるさの中、新一の頭は真っ白だった。ただ茫然と宙を見つめながら、喘ぐように呼吸を繰り返す。

 そんな無防備な新一に――彼は一切容赦しなかった。
 するりと、剥き出しの太腿を彼の掌が撫でていく。その手が後ろに回されたかと思うと、信じられない場所を探り始めた。

「な――っ」

 彼の唾液と自分の精液でぬめった指先が、排泄孔を撫でている。男同士の性行為ではそこを使うのだと、もちろん新一も知識としては知っている。けれどそのためには下準備とかそういうものが必要で、当然新一はそんなことはしていない。
 性器を咥えられるのとはわけが違う。新一は今度こそ本気で暴れようとして、けれど腰の砕けた体は思うように動かず、ベッドに繋がれた右手がガタガタと耳障りな音を響かせただけだった。
 それならばと、新一は必死に声を上げた。

「やめろっ、黒羽! これ以上はマジでシャレにならねえぞ!」
「当たり前だろ。最初から俺は本気だ」
「バーロ! おまえが本気なのくらい、分かってる!」

 咄嗟に怒鳴り返せば、彼は驚いたように目を瞬かせた。そして嬉しそうに目を細めて笑った。

「……そっか。良かった」

 噛み締めるように笑うその顔に、そんな場合でもないのに新一の心臓が締めつけられる。
 思えば、この行為を始めてから、彼の笑った顔を見ていなかった。当たり前だ。新一が彼を怒らせたのだから。それなのに、こんな単純な言葉で喜んでくれるのか。この男は。

「だけど工藤は、今ならまだ引き返せるって思ってるんだろ?」

 笑ったまま、柳眉を寄せて責めるように自分を見つめる男に、新一はなにも答えられなかった。

「嫌なら嫌って言えよ。俺が嫌いならそう言えばいい。俺を突き放すこともできないで、俺の気持ちをなかったことにして。今までと同じ関係でいたいなんて、ずるいだろ」

 勝手な男だ、と思った。勝手に好きだなんだと言い出したくせに、新一がなによりも大事にしてきた関係を壊したくせに、そんな言葉で責めてくるなんて。彼がそれを壊したかったように、新一はそれを守りたいと思っているだけなのに。
 勝手な男だ、そう思うのに――笑って、怒って、だけど今、泣きそうな顔を見せる男を、嫌いにもなれなければ、突き放すこともできないのだ。

「そう、思うなら……おまえこそ、俺なんか好きになってんじゃねえよ」
「無理だよ。だってココが、もうずっと煩いんだ」

 そっと左手を取られたかと思うと、彼の胸に押し当てられる。心臓の真上。そこはドクドクと、新一と同じくらい速い鼓動を刻んでいた。

「工藤といると、ココが煩くて苦しいんだ。工藤が好きだって、もうずっと、叫んでる」

 掌から伝わる鼓動。そのすべてが彼の「好き」なら――なんと途方もない数の告白だろうか。

「振ってもいい。でも、なかったことにだけはしないで」

 そうして取り上げた掌に、そっと、今一度唇を落とした。
 新一は――最早なにも言うことができなかった。
 彼の存在が唯一無二だった。彼との関係が無上のものだった。それを失うことが嫌だった。
 けれど、たとえ形は変わっても、失うわけではないのだろうか。

 なにも言えない新一を彼が責めることはなかった。ただ迷う新一を宥めるように、ゆっくりと体を倒し、そっと唇を重ねた。
 触れるだけのキスは、泣きたくなるほどの想いで溢れている気がした。
 頑なだった心が、ほんの少し、解けていく。呼吸のためか、それとも招き入れるためか。自ら解けた唇に彼の舌を受け入れながら、新一は目を閉じた。

 そこから先は――灼熱だった。
 熱くて、痛くて、苦しくて。だけど決して辛いばかりでもなかった。
 ただ、彼の指先が中へと入ってきても、優しく解かれたそこに彼の熱く滾った熱棒を押し入れられても。前も後ろも分からなくなるほどそれで掻き回されても――終に新一が快斗を拒むことはなかった。



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