隠恋慕
笑ってよ
快斗の恋人は寝相が悪い。
そんなこと、一緒に暮らし始めた初日に判明した事実だったけれど。
快斗は殴られた頬を押さえながら、顔をしかめてうんうん唸っている新一をじろりと見遣った。
うっすらと浮かぶ涙は、豪快に殴られた所為だ。
本当なら叩き起こして文句のひとつでも言ってやりたいところだが、今夜が事件明けで、新一がとても疲れていることを考えれば、所詮新一第一主義の快斗がそんなことできるはずもなく。
「…どんな夢見てんだよ」
むしろ、魘されている新一を心配する有様だった。
飛んできた困ったさんな腕を甲斐甲斐しく布団の中におさめ、快斗は新一の顔をじっと見つめる。
新一はしかめっ面してても可愛いなあ、なんて思いながら。ふわりと優しく髪を梳いてやれば、眉間の皺がほんの少し薄まった。
(…お?)
もうひと撫ですれば、更に眉間の皺が薄くなる。
なんだかちょっと楽しくなって、快斗は午前四時過ぎの明け方に、名探偵の髪をひたすら梳き続けていた。
すると、しかめっ面だったはずの新一の額には、やがて皺ひとつなくなった。
(おもしれーv やっぱコイツ、猫だなv)
ふと何かを思いついたように口角を吊り上げる。
快斗は以前、下らない夢を見て思わず寝ながら笑ってしまった自分を、新一に爆笑されたことがある。
笑われたことのある人なら分かるだろうが、あれはあれで結構恥ずかしいのだ。
その時のことを思い出し、快斗はにやりと笑った。
髪を梳いてしかめっ面が戻るなら、もっと彼の好きなことをすれば新一を笑わせることができるかも知れない。
ついでに携帯のカメラか何かに激写しておけば、後で新一をからかうネタにもなる。
すっかり目の覚めてしまった快斗は、いそいそと携帯電話を取りに行った。
とりあえずとばかりに、快斗は新一の身体を抱き寄せてみた。
とは言え、それは普段から寝る時にやっていることなのであまり期待していなかったのだが、抱き寄せられた新一の表情は全くと言っていいほど変わらなかった。
快斗は思わずムッとする。
恋人の腕に抱かれて表情ひとつ変えないとはナニゴトだ!と。
新一に言わせれば、それは習慣となっている言わば当然のことで、今更喜ぶほどのことでもないのだが。
次に快斗は、抱き寄せた新一の首元に顔を埋め、その項をぺろりと舐めてみた。
首から肩にかけてのところは新一の最も敏感なところである。
けれど。
「…っ、…」
軽く体を震わせた新一は、逆に再び眉間に皺を寄せてしまった。
あれ?と快斗は首を傾げる。
だが普通に考えれば、性感帯を刺激されれば顔を強張らせるのが当然だろう。
それに思い当たった快斗は、新一の弱いところを刺激するという手段を断念した。
眠っている新一に悪戯を仕掛けるのもそれはそれで楽しいが、今回の目的はあくまで新一を笑わせることだ。
よくよく考えて、快斗は触覚ではなく聴覚を刺激する作戦に切り替えた。
「大好きだよ、しんいち」
耳元で優しく囁いてみる。
その吐息の温かさに、新一はくすぐったそうに首を竦める。
「しんいち、大好き…愛してるよ…」
快斗は何度も何度も囁き、眠りに就いた彼の深層に沈んだ意識に呼び掛けた。
けれど、微かに唸った新一は快斗に擦り寄ってくるばかりで、その顔が微笑むことはなかった。
快斗はなんだか寂しくなってきた。
眠っているとは言え、こんなに側近くで恋人が睦言を囁いているのに、新一はちっとも笑ってくれない。
よもやこの囁きが快斗のものであることも分かっていないのではないか。
(…駄目だよ。夢の中だって、俺以外の奴を見てたら承知しないからな…)
「快斗、快斗、快斗、快斗…」
快斗は拗ねたように唇を尖らせると、今度は自分の名前を新一の耳元に囁き始めた。
夢だろうと何だろうと、新一は自分だけを見つめていてくれなければならない、と。
途中からすっかり目的が変わってしまった快斗がただひたすらに自分の名を囁き続けていると、背中を向けていた新一がころんと寝返りを打った。
そして――
「…かい、…と…」
「っ、…!」
快斗は思わず口を押さえた。
危うく飛び出そうになった叫びを死に物狂いで呑み込む。
いっそ噴けるものなら噴いてしまいたいと、真っ赤になった顔からは今にも火が出そうな勢いだった。
全く、ほんとに、この男は不意打ちで必殺パンチをお見舞いしてくれる。
自分の名前を呼んだっきり、未だその笑顔のまま無邪気に寝転けている新一に、快斗は真っ赤な顔のまま溜息を吐いた。
快斗の最愛の恋人は、恋人の愛の囁きよりも、恋人の名前ひとつでこんなにも殺人的笑顔を浮かべてくれるのだ。
頬にくらった今夜の一撃もこの笑顔でチャラにしてあげようと、快斗は持っていた携帯のカメラにちゃっかり激写すると、いそいそと新一を抱き直して目を瞑った。
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