隠恋慕
蒼い天使 5
「え……? どういうことですか?」
深夜、新一にあてられた私室を訪れた白馬は、怪訝そうに彼を見返した。
浅くベッドに腰掛け、少し前のめりになった姿勢で手を組み合わせている新一の表情は窺うことが出来ない。
ただ、今の話が自分を呼びだした理由なのだろうが……
「研修の間、出来るだけレオナルドの側にいさせて欲しい」
同じ台詞を繰り返して言うだけの新一。
「それは……レオがどうかしたんですか?」
ICPO内で主にレオナルドとペアを組んでいるのは白馬だ。
レオナルドは気に入った相手には愛想も良いが、気に入らない相手には遠慮もなく皮肉や辛辣な言葉をかける。
仕事に支障はないが、彼のそんな性格のために白馬が組まされることになった。
もとより険悪だったふたりだが、今では最も信頼し合っている相棒である。
その彼に、一時のこととは言え“相棒を変わってくれ”とは。
新一からのその申し出が一体何を意味するのか、それが知りたいと白馬は詰め寄った。
新一は小さく溜息を吐くと、顔を上げて真っ直ぐに白馬を見返した。
「レオナルド・ロッシは、アレスの次の標的だ」
白馬がこれ以上ないほどに目を見開いたが、それには構わず、新一は続けた。
「自分で言ったんだ、標的は彼だと。嘘じゃないと、俺は確信してる」
「……なぜです?」
それは当然の質問だった。
白馬がアレスを目の当たりにしたのは、今回を含めても二度だけである。
言葉を交わしたことのない彼には、確かにそれは疑問なのだろうが……
「……あの男に常識は通用しない」
それは、数度にわたり戦い、会話を交わしてきた新一の直感であり、探偵としての推察結果でもある。
「アレスにとって殺しはあくまで遊戯だ。遊びごとなんだよ。遊びは楽しくちゃならない。あいつにとって、状況が過酷になればなる程、相手に手応えがあればある程……それは楽しい遊戯になるんだ。だから、俺にわざわざ標的を教えたんだ」
* * *
ガァン、ガァンと遠慮無く鼓膜を打ち震わせる、音。
イヤホンのようなもので遮断するが、それでも防ぎきれない振動が伝わってくる。
その、慣れ親しんだ音をどこか遠くで聞きながら、両手で構えて正確に撃ち放つレオナルドの後ろ姿を、新一はじっと眺めていた。
またひとつ、ガァンと耳障りな音を響かせながら弾丸が発射される。
続いて薬莢が床へとぶつかる金属音。
と、漸く一段落したらしいレオナルドが新一のもとへと戻ってきた。
『イマイチ、今日は調子が良くねぇ』
そう言ったレオナルドに、それでも大したモノだと新一は思った。
確かに彼の本領発揮とまでは言えないのだろうが、視力の良い新一が見たところ、ほとんど急所を百発百中している。
最後の一発のみが右に2センチほどずれたと言ったところか。
それでも、銃の扱いが巧い部類に入ることに違いはない。
やがてカタカタとレールを伝って戻ってきた的を見て、やはり調子が悪いと言って舌打ちするレオナルド。
額、胸、右肩……
どれを取ってもピンポイントで急所をうまく捉えている。
たった2センチのずれだとしても、レオナルドには納得いかないらしい。
けれど彼が納得していないのは、実はそんなことではなくて。
『……すみません。俺のために、任務から外れてしまって』
『いや……マリーの頼みじゃ断れねーから、新一のせいって訳でもねーよ、うん。気にすんな』
そう言って新一の肩を叩くレオナルドは、上司であるバントン警部の命令で、リヨン滞在中の新一の世話役に抜擢されたのだ。
つまり、任務から一時的とは言え外されてしまった状態である。
自他共に刑事としての実力を認めるレオナルドだけに、やはり納得いかないものがあるのだ。
苦笑を浮かべるレオナルドに新一も苦笑を返しつつ、内心では不敵に笑う。
そう、これは他でもない新一の策略だ。
新一が白馬に頼み、白馬から警部に進言し、そして警部がレオナルドに命じたのだから。
けれど、それらも全て、ひいては彼のためである。
彼は有能ではあるが、良くも悪くも刑事である彼があのアレスと渡り合えるかと言われれば、答えは“NO”だ。
いくら刑事と言えど、本当に闇の闇まで深く関わる者など限られている。
そうして彼は、その関わらない者の中にいるのだから。
『新一も撃ってみろよ。せっかくここに来てただの見物じゃ、面白くねーだろ?』
そう言って銃を手渡すと、レオナルドは返事を待たずに新一用にと的を用意する。
あれこれとセットをしてくれ、まずはこのぐらいの距離で、と新一にとっては随分と近い距離に的が置かれた。
これには新一も困った。
銃など、ハワイで父親と白牙に嫌と言う程(実際は嫌だとは思わなかったが)撃っていたのだ。
拳銃からライフルまで、あらゆる銃器を正確に撃ち放つことが出来る。
中でも軽い拳銃などは、片手でも楽に目標を撃ち抜くことが出来るのだ。
それこそ、揺れるヘリの中からだろうと的を外さないほどには、新一の腕は正確だった。
けれど、今ここにいるのは引退気味の高校生探偵である。
普通の高校生が、たとえ探偵と自称していたところで銃器の扱いに慣れているのは不自然だ。
つまり、今一度猿芝居をしなくてはならないのかと、新一は溜息を吐きながら的へと向き直った。
『足開いて、肩にしっかり固定しろよ。重心は腰から足まで真っ直ぐにかけるんだ』
『……はい』
親切にもレクチャーしてくれるらしいレオナルドに、新一は苦笑を噛み殺す。
こんなことは、新一が十歳になる前にはすでに身につけていたことだ。
『最初は衝撃がキツイもんがあるけど、慣れてくりゃ片手でもなんてことねーよ』
それだけを言うとレオナルドは数歩退いた。
後は新一が好きな時に打ち込めば良い。
新一は銃を構えながら、ぼんやりと、今ここにはいないふたりのことを考えていた。
昔、まだ幼かった自分に銃器の扱いから体術、果ては馬術に気孔まで(これはさすがに身に付かなかったが)教えてくれた人。
新一が生まれる以前は、裏の世界に決して消えない名前を残しておきながら、今ではただのカメラマンをしていたりする。
殺し屋稼業はやめたと言っていたが、それも定かではない。
未だに白牙は突然原因不明の音信不通状態に陥るし、ふらりと帰ってきたかと思えば理由を決して言わないのだ。
怪しまれても仕方ない。
けれど新一は、殺し屋であるはずの白牙のことをとても信頼していた。
“――生きていくのに必要がない限り、もう絶対に仕事はしないって決めたんだ。”
いつの頃か、幼い自分に白牙がそうもらしたことがある。
なんのことはない日常の、とりとめもない戯言。
けれど、だからこそ、新一はその言葉を白牙の本音だと受け止めていた。
そうして、もうひとり。
(……なんかこれじゃ、寂しがってるみたいじゃねーか、俺)
新一は不機嫌気味に唇を尖らせると、少し朱の差した頬で銃を撃ち放った。
衝撃が体を走り、撃鉄が雷管を強打して弾丸が発射する。
弾は見事に的を撃ち抜いた。
たった一撃で額に当ててみせた新一に、レオナルドは軽く口笛を鳴らす。
『良い腕じゃねぇか!』
『え? ……あっ』
しまった、と短く声を上げる新一。
つい装うことを忘れてしまった自分に内心で舌打ちするが、大した距離でもないから大丈夫だろう。
(あいつのせいだ、あいつの!)
新一は、今ここにはいない快斗へと責任を転嫁した。
いまいち調子が出ないのも、変に回想してしまうのも、……寂しいかも知れないと、思ってしまうのも。
いつもいつもシツコイぐらいに自分にまとわりついてくる快斗がいけないのだ、と。
『どうした、新一?』
『あ……なんでもないですよ』
『ふん? ま、んじゃ次はもうちょっと離してみるか』
そう言って再びセッティングに向かうレオナルドを見送っていると、
「工藤君」
と、不意に声をかけられた。
見れば白馬がひょっこりと顔をのぞかしている。
手招きをされ、新一は促されるままに白馬のもとへと駆け寄った。
「どうかしたか?」
「いえ……ただ様子を見に」
レオナルドの後ろ姿を見つめる白馬の顔には心配の色が浮かんでいる。
新一は彼にアレスのことを話したのは失敗かも知れないと思ったが、すぐに考え直した。
白馬は優秀な探偵であると同時にICPOに籍を置く特例の刑事でもある。
あのアレスを相手にたったひとりで立ち向かえるとは思えない。
レオナルドひとりならどうにかなっても、周りに害が及ぶことを何とも思わない人間を相手にしているのだ。
協力者はひとりでも多い方が良い。
(本当なら、警部やレオナルド本人にもこのことを言うべきなんだろうけど……)
アレスと新一の関係を知られるのはいただけない。
瞳のことがバレなかったとしても、へたに護衛などをつけられては困る。
なんせ、近くには指名手配されている国際的犯罪者がふたりもいるのだから。
「納得してないみたいだけど、受けてはくれるみたいだ」
「そうですか。まあ、君とでしたらレオも大丈夫でしょう。何かあったらすぐに僕にも知らせて下さい」
「解ってる。……まだ何も起きてねぇよ」
「そうですね……」
全てはこれから。
いつ仕掛けてくるか解らない、けれどいつか必ず仕掛けてくるはずだ。
嫌でも事件には巻き込まれるらしい自分の境遇に、新一は嘆息する。
(本当は何事もなく大人しく過ごすはずだったのにな)
けれど、それを悔いたりはしない。
少なくとも、自分が関わることで救える命があるというのなら、巻き込まれたなどと嘆くつもりはない。
今、このタイミングで、このフランスに在れたことを嬉しく思う。
白馬の大事な相棒であるレオナルドをアレスから護ることが出来るのだから。
* * *
あれから数日。
新一達は、何事もない平穏な日々を過ごしていた。
何事もないとは言っても、相変わらず他の刑事たちは事件に忙しいし、必要があれば新一とレオナルドも現場に赴いたりもする。
が、あれきりアレスからの接触のない日々が続いていた。
何もなければそれが一番ではあるが、あのアレスに限って何の音沙汰もないはずはない。
いつ来るかも知れない襲撃にそなえ、一瞬たりとも気の抜けない状態を、けれど新一はそんなことはおくびにも出さずに過ごしていた。
先に疲弊したのは白馬である。
「……彼は、僕らが気を抜く瞬間を狙ってるんでしょうか?」
「さあな。あいつの考えることなんかわかんねーよ」
広いホールの中、敷き詰められたマットレスの上で、数人の刑事達が組み合っている。
ここはトレーニング場で、大きな事件もない今、新一たちはここでトレーニングを行っていた。
と言っても実際に今トレーニングをしているのはレオナルドで、新一と白馬は丁度良いとばかりに話し込んでいる。
新一は今、一日のほとんどをレオナルドと過ごしているため、こうして白馬と会話を交わす機会もなかなかに見つけられない状態だった。
そうした中で、同じ空間にいながら会話を聞かれることのないこういった時間は、彼らにとって貴重な相談時間である。
疲労を隠せない白馬に、けれど新一は不敵に笑って言う。
「でも、俺は一瞬だって気は抜かねぇよ」
あいつの思い通りにはさせない。
そう顔に書いてある気がして、改めて白馬は感服する思いだった。
同じだけ、或いはレオナルドの側に居るため、それ以上に気を配っているはずだというのに。
同じ探偵だというのに、この差はなんなのか。
白馬は未だ知らない……聞くことの出来ない新一の謎めいた部分に、ひどく興味をひかれていた。
『おふたりさん!』
不意にかけられた声に、白馬も新一も振り返る。
声の主は、ランニングにスパッツというラフな格好のロンダと、同じくランニングにハーフパンツ姿の梁だった。
『端っこで喋ってばっかりじゃつまらないでしょ?』
『良かったら手合わせしませんか?』
特に断わる理由の見つからなかったふたりは顔を見合わせ、今はこれ以上話すこともないとその申し出を受けることにした。
白馬においては、少し体を動かした方がストレス解消になるかも知れない。
『お手柔らかにお願いしますよ、ロンダ』
『それはこっちの台詞だよ。見かけに寄らず手強いからね、探は』
長身なロンダは同じく長身の白馬と向き合う。
必然的に新一は梁と組むことになったのだが……
『おい、新一、気を付けろよ! 梁はこん中じゃ一番強ぇーからな!』
いつの間にか休憩に入っていたレオナルドがそう声を投げてきた。
『そんな、一番てこともないよ、レオ』
『いや、俺ぁお前だけは相手にしたくねぇからな』
『そう?』
こき、と首を傾げる梁は、はっきり言って背が低い。
一七四センチある新一より低いから、おそらく一六五前後だろう。
が、見かけに騙されてはいけない。
梁はこの中でと言うよりはむしろ、この署内では一番体術に長けているだろう。
中国人の彼は幼い頃から厳しい訓練を重ね、今ではあらゆる体術を身につけている。
それらをブレンドした梁オリジナルの格闘術に敵う者はなかなかいない。
『お願いします』
新一へと向き直りペコリと頭を下げた梁は笑顔だったが、この笑顔が曲者だ。
一見弱そうに見えて、屈強なICPO内でトップと言われる実力は並ではない。
素早い踏み込みで一気に新一の懐へと入り込む。
対する新一は。
(へぇ……かなりやるな)
同じく、幼い頃から、裏世界の頂点に座する殺し屋直伝の格闘術を身につけている。
つまりまた、新一の実力に敵う者もなかなかいないのだ。
腕を掴まれるままに、一〇センチ近くある身長差にも拘わらず梁と体重がさして変わらない新一は、いとも簡単に投げ飛ばされる。
梁の背中を飛び越えて宙を舞い、強かに床に背中を打つ、そう思ったのだが。
綺麗に受け身をとった新一はさしてダメージを受けることなく、投げ飛ばされた反動を利用してすぐに立ち上がった。
これには、周りで観戦を決め込んでいたギャラリーたちも驚かされたのだった。
ここに来てからの新一は、一言で言えば“期待はずれ”であった。
初対面の時にロンダが誇張して伝えたせいもあり、実際に見ていれば、確かに推理力はあるがそれ以外はあくまで“並”だと思ったのだ。
背はそこそこあるが体つきはおせじにも良いとは言えない。
女と見紛うほどの細さに加え、殺人現場を見れば体調を崩してしまうような病弱さ。
自然、体力もなく格闘術など以ての外だろうと思っていた、のだが。
『……綺麗な受け身ですね』
『どうも。痛いのは嫌ですから』
にっこり笑ってそう返した新一に、まんざらでもなさそうに梁も笑みを返す。
たった一度の接触だが、それでもお互いの実力がどれほどのものか、ある程度計ることは出来る。
おそらく新一は梁の中でかなり高いランクに位置づけられたに違いない。
そして再び組み合おうとして……そこで新一は気付いた。
『ちょっ、と、ストップ!』
言って、見回す。
……レオナルドがいない。
『すみません、失礼します!』
のんびりと手合いを受けたりした自分を、新一は激しく罵った。
たとえ何もなかったとしても、これは大失態である。
護らなければならない依頼主から目を離すなど探偵失格だ。
『レオ! レオナルド、どこだ!?』
長い回廊を、新一は駆け抜けながらレオナルドを捜した。
一瞬の、油断。
たった一瞬だが、けれどアレスがこれを見逃すはずがない。
今までは、レオナルドの側には新一がずっとついていたのだ。
ただついていただけでなく、気配を全開にして警戒心を顕わにしてきた。
だからこそアレスも易々と手を出すことが出来なかったのだろうが、今、彼はひとりである。
『レオナルドぉ! どこにいる、レオナルド!』
新一が大声で呼んでいると、やがて捜していた人物の姿が見えてきた。
吃驚眼でこちらを凝視している彼に、変わったところは何もない。
まだ何も起きていないのだと新一は安堵の息を吐いたのだが。
『!?』
彼の額にチラつく、赤い点。
あの光が何を意味するのか、解らないはずもなく。
『レオ――!!!』
まるでデジャビュだ。
いつかの結婚式場での再会のように、新一は駆け出す。
あの時も走っていた。
そして、今一歩というところで標的をアレスから護ったのだが……
『し、新一!!』
あの時と違うのは。
標的を庇って、撃たれたのは自分だった。
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