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黒い花嫁 4


 キッドは新一を横抱きにしたまま会場を飛び出すと、すぐ側の駐車場に降り立った。続いて飛び出してきたアレスも二人と少し距離を置いて立つ。
 キッドの足が地に着くと、その腕を振り払うように新一はキッドから離れ一睨みし、視線をアレスに据えた。

「この間っから思ってたんだが、おまえら怪盗と探偵のくせにどういう繋がりだ?」
「…繋がりなんてない」
「へぇ。それにしちゃいつもそいつが助けに来るじゃねえか」
「誰も助けなんて頼んでない」

 あくまでキッドを突っぱねる新一に、キッドはひょいと肩をすくめただけだった。

「はは! 振られちまったようだぜ、怪盗キッド?」
「そのようで。ですが、もとより名探偵の意志など私には関係有りません」

 あまりに勝手なその台詞に、キッ、と新一はキッドを睨みつけた。
 新一としては言ってやりたい文句がやまほどあったけれど、残念ながら今はそれどころではない。この男――アレスという危険な殺し屋をどうにか回避しなければならないのだ。

「俺とこいつのことはどうでもいい。なぜあんたは俺を追うんだ? 蒼い瞳の伝説なんてものを、まさか信じてるってのか?」
「そんなものに興味はねえな。…子供だましの下らない夢物語だ。ただ俺は気分屋だから、気の向いたことしかしねえだけさ」

 あんたの気分で俺は殺されなきゃならないのか。自然、瞳の悪に嫌悪が滲み出る。人の命をなんとも思っていないこういう輩が、新一は一番嫌いだった。
 他人の命を奪う権利なんて誰にもない。それを遊び半分、気晴らしでやってしまうような男を、新一が好きになれるはずもないのだ。

「俺と決着をつけたいんだろ? なら、そんな奴の後ろにいつまでもいねぇで、出て来いよ」

 低く笑う相手に挑発されるまま、新一は一歩を踏み出した。
 けれどアレスに近づこうとした新一をキッドの腕が制止する。体の前にすっと伸ばされた腕が、これ以上は進ませないと言っていた。
 新一は柳眉を寄せ、横目でキッドを睨み付ける。

「…なんのつもりだ?」
「貴方こそどういうつもりですか。みすみす死にに行くと?」
「死ぬつもりは、ない」
「でしょうね。だが、確実に死ぬ」

 新一は苛立った。
 そんなことはこの怪盗に言われるまでもなくわかっている。本気を出せば新一だってアレスと渡り合うことはできるだろうが、それも相手が遊び気分のままであればの話だ。本気を出されれば確実に死ぬのは自分の方。そんなことはわかっている。
 けれど。

「他にどうできる? 彼女を渡すわけにはいかない」
「この会場には警視総監殿がいらっしゃるでしょう? それなら、すでに捕獲の手配がされているはずですよ。もう一名、探偵もいることですし」
「…それを待ってくれるほど、易しい相手に見えるか?」
「いいえ」

 即答するキッドにそれならばと言い募ろうとしたけれど、先の言葉はキッドに奪われてしまった。

「小さな姫君と約束しましてね」
「…小さな、姫君?」

 新一にはキッドが誰のことを言っているのかわからなかった。
 小さな姫君。それは、新一と同じようにAPTX4869を飲んで体が縮んだ少女、灰原哀のことだった。新一の秘密、キッドの嘘を許す変わりに、キッドは新一の身の安全を頼まれた。この無鉄砲で命知らずで、けれど決して屈しない探偵を守ってあげてくれ――と。

「ですから彼女の瞳を曇らせないためにも、貴方を死なせるわけにはいきません。どうしてもと言うなら、私が行きましょう」

 ニッ、と口角をつり上げると、キッドはアレスの前に躍り出た。

「よお、話は済んだかい?」
「ええ。私がお相手しましょう」
「はっ、そいつぁいいぜ! おまえを生かしておいて良かった。楽しませてくれそうだ」

 それはどうも、とキッドは悪戯に微笑む。
 この男は質の悪い子供だと思った。
 哀と約束を交わした時、キッドは好奇心のためなら命もかけられると言った。この男もそういう奴なのだ。全ては自分の好奇心のままに、気の向くままやりたいことをただやるだけ。たとえどれほど危険なことでも、たとえ人の道に反したことでも、まさに子供のように本能のまま動く。
 キッドとアレスはよく似ている。それが殺人か、あるいは窃盗であるかの違いでしかなかった。
 アレスはざっと後ろに数メートル飛び退くと、キッドとの間合いをはかりながらライフルを構えた。
 キッドはその場を動かずに、ただライフルの銃口を見据えている。

「バカ、何やってんだよ、キッド! これは俺の問題だって言っただろ!」

 新一が駆け寄ってくる気配がして、キッドは振り返りざまに新一の足下へとトランプ銃を撃った。
 足下にざっくりと刺さったトランプに動きを止め、新一はキッドを仰ぐ。けれど、キッドの振り返った隙をついてアレスがライフルを打ち、新一は声を失った。
 振り返る反動をそのまま利用して駆けだした怪盗のスレスレのところを銃弾がよぎってゆく。

「名探偵、邪魔ですから来ないで下さいね」
「な…っ、邪魔ってなんだよ! お前の方こそ…!」
「この期に及んでまだ無関係だと言うなら、貴方は馬鹿ですよ」

 新一はぐっと言葉につまった。
 確かにキッドの言うとおりだ。今のアレスの標的はまさに怪盗キッドなのだ。どんなにおまえは無関係だと叫んだところで、アレスがキッドから手を引いてくれるとは思えない。すでに彼の興味はキッドへと向いてしまったのだ。

(――こうなるから、嫌だったのに!)

 それでもアレスの銃撃はやまない。紙一重でひらひらと交わすキッドのマントには、ライフルによっていくつもの穴が開いている。
 彼は相変わらず笑っているけれど、実際はそれほど余裕はないはずだ。

(あ~結構ヤバイなぁ。俺もまだ本気じゃないけど、あちらさんも確実に遊んでるもんなぁ)

 何しろにやにや笑いながら特に狙いを定めるでもなく撃ってくるのだ。それなの弾はにスレスレを通り過ぎる。この男の実力の程が痛いほど知れた。

(さすが、アレスの呼び名を貰うだけのことはあるぜっ)

 残虐非道の戦士。
 彼が自ら名乗ったのか、それとも周りがつけたのか。古の冷酷な戦士の名を持つ殺し屋は、まさに現代に蘇ったアレスのような男だった。

「どうした、怪盗キッド? まだ実力を出しちゃいねえんだろ?」

 お見通しかよと、キッドは小さく息を吐く。反撃とばかりにキッドもトランプ銃を撃つが、アレスは余裕の仕草で避けてくれる。
 いくらトランプと言ってもこれはキッド特製の特殊なトランプだ。鋭利に尖ったトランプは壁にも突き刺さるし人の肌も断つ。当たり所が悪ければ命すら奪える代物だ。けれど本物の殺し屋には所詮玩具でしかなく、キッドの反撃が功を奏することはなさそうだった。
 新一はどうすることもできず、ただ唇を噛みしめながらひとり佇む。
 絶えず動きまわるキッド、それを狙い撃つアレス。
 この光景が見たくなかったから、あの晩、キッドの誘いを断わったというのに。

 ――貴方に助力しましょう。

 …本当は、そう言ってくれたことが嬉しかった。
 彼は組織を追いつめる時も手を貸してくれた。新一が知っているとわかっているくせに、何も言ってこなかった。
 自分たちは仲間でもなんでもないけれど、決して敵でもなかった。
 ただ、彼の実力を認めていた。彼の信条を認めていた。
 窃盗は犯罪だ。たとえ盗んだものを返したところでその事実は消えない。けれど、その向こうに隠れた真実が、その事実をも覆すほど重大なことだと知っていた。何か大事なものを守るため、罪に手を染め闇に身を売って、それでも心だけは決して手放さなかった怪盗。決して表面には出さなかったけど、すごい奴だと、心から賞賛できた。
 だから認めた。だから、拒んだのだ。
 これ以上頼りたくなかった。警察に追われながら、誰よりも自分を犠牲にしてきただろう怪盗に、自分のことで命を危険にさらして欲しくなかった。
 …死なせたくない、から。
 それはまるでスローモーションのようだった。
 赤い血が飛沫となって、白い服を一瞬にして染めていく様。
 だらりと下がる腕。
 撃たれた、肩。
 マジシャンが肩を撃たれてどうするんだ。


「やめろォ――!」


 瞬間、獣のような速さで駆けだし、新一は崩れそうになるキッドの体を支えていた。
 キッドの右肩からは血が溢れ出している。

「ほぉ、良い速さじゃないか、名探偵?」
「煩い。おまえに名探偵なんて呼ばれたくない」

 何が楽しいのか、くつくつと聞こえてくるアレスの含み笑いを、新一は冷えた一瞥で黙らせる。新一はこれ以上ないほど怒っていた。
 キッドが右肩を押さえながら、新一の腕の中から起きあがる。

「キッド!」
「平気ですよ、このぐらい。ご心配なく」

 平気なはずないだろう!
 そう叫びそうになった新一の口を、キッドの白い手が覆う。
 そして意味ありげににこりと笑うと、アレスに向き直り冷涼な声で言い放った。

「仕留められなくて残念でしたね。ですが、もう時間のようだ。今日はここまでのようです」
「――ああ、面倒くせぇな。お愉しみは次回にお預けか」

 遠くからサイレンの音が響いてきていた。どうやら漸く通報によって警察が到着したらしい。
 別に警察かせ来たからといって捕まる気はなかったが、面倒だ。

「それじゃ、名探偵…おまえともまた遊んでやるよっ」

 最後に軽口を残し、アレスは暗闇の中へと消えていった。相変わらず見事に気配は消えている。
 新一はしばらく無言で眺めたあと、キッドへと向き直った。

「キッド、傷を見せろ」

 けれどキッドは大丈夫だと言ってやんわりと新一の腕を押しのけた。

「警察が到着のようですので、私も退散しなければいけない」
「だけど怪我は…っ」
「大したことありませんよ。それでは失礼します、名探偵」

 言うなりキッドもマントを翻すと、アレスとは反対方向へと消えてしまった。
 残されたのは新一ひとり。茫然とキッドの消えて行った方角に目を遣って、争いの後など少しも見られない駐車場に立ち尽くしていた。
 すると、白馬の声が聞こえてきた。

「工藤君、大丈夫ですか!」
「ああ…白馬。平気だよ」

 実際新一は怪我ひとつしていない。
 変わりに傷を負ったのは、あの気障な怪盗なのだから。

「それであの男はどうしたんですか? 新婦を狙ったあの男は…」
「悪ィ、逃がしちまった」
「いえ、君が無事で何よりです。彼女も無事ですし、あとは警察に保護を頼みましょう」
「そうだな。また狙われる危険もある」

 続いて出てきた総監が怯える彼女を到着したパトカーに乗せた。

「それで工藤君…怪盗キッドはどうしました?」
「…奴も帰ったよ」
「なぜ彼は出てきたのでしょうね」
「さぁ…わかんねぇよ。あいつの考えてることなんて…」

 俺なんかかばって撃たれて、何がしたいんだか。
 新一は心中に毒づいて、けれどそれと反して哀しい目をしていた。
 あの、紅く染まっていく白が痛々しくて、まるで網膜に焼き付けられたかのように忘れられない。

(死ぬんじゃねぇぞ、キッド…)

 一度消えてしまったキッドを探し出すことは新一にも難しい。いつものように予告状があったわけでも逃走経路があるわけでもない。
 と、会場の方からばらばらと出てきた客の中に、新一を呼びかける者がいた。

「おーい、工藤! 大丈夫だったんだ!」
「黒羽君…」
「ああ、心配かけたな、黒羽」
「工藤ってばいきなりキッドと変な男と出てっちゃうんだもん、吃驚した!」

 無事で良かった、と言って人好きのする笑顔を浮かべ、快斗は新一の肩をぽんぽんと叩く。

「こんなことがあった後で、パーティももちろんショーも中止だね。残念だけど工藤に俺のマジック見せんのはまた今度だな」
「ああ、残念だな…」
「まあまた機会があったら見せてやるから!」

 雄介さんとこ行ってくるね、と言って快斗は早々とその場を立ち去る。

「それじゃ工藤君、僕たちも行きましょうか」
「そうだな。事情聴取に行かなきゃ」

 アレスとの事情をどう説明したものか…と思案に耽りかけた時、新一は自分のブレザーにふと視線をおとして目を瞠った。
 肩に血が付いていた。もちろん新一は怪我をしていないので自分のものではない。
 キッドを支えた時についたのだろうか。でも、それなら肩につくのは不自然だ。キッドは怪我を負ったあの時でさえ証拠となるものを残さないよう冷静に対処していた。血のついた肩を現場やまして新一に付着させるなどというミスはしていない。
 そこまで考えて新一はハッと息を呑んだ。

(――黒、羽…?)

 付着した血が乾いていないのだから付いてからそう時間は経っていない。そして今し方肩を触って行ったのは黒羽快斗だ。
 ではなぜ彼に血がついているのだろうか。それは怪我をしたから。
 では、その怪我はどこで負ったものだ?
 自分の中に生まれた疑問にドキリと胸が鳴った。
 そういえば、新一は彼の気配を読むことができなかった。あの時は大したこともない偶然だと思い、特に気にすることなくさらりと流していたけれど……
 もしも彼がキッドだったのなら。その気配を察知することができなくても不思議ではない。

(怪盗キッドは…黒羽快斗、なのか…?)

 まさかな、と否定する。
 彼は同い年の少年だ。怪盗キッドはもう何年も前から存在している。
 まさか、そんなはずは――…

 その疑問は確実に新一の中に残った。



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