隠恋慕
輝石乱舞 3
「白牙!」
小さい体で転がるように飛びついてきた少女に白牙は目を丸くした。
「な、なんだ?」
少女は白牙の胸にぐいぐいと頭を押しつけて離れようとしない。
白牙はわけがわからず、尋ねるように少女を連れてきた快斗を見た。
けれど快斗は信じられないものでも見るような目で少女を見つめたきりで、白牙の視線には気づいてもいないようだった。
「……知り合いか?」
「いいえ」
伍の無難な問いかけに少女は首を振る。
「あたしは白牙のフィアンセよ」
そう言った少女に誰もが一瞬呆気にとられた。
「俺のフィアンセ? まだ五、六歳の子供じゃないか。俺にはフィアンセなんて……」
「違うんだ、白牙」
きっぱりとした快斗の言葉に遮られ白牙は口を閉じる。
快斗は白牙を見もせずに、ただ少女を見つめながら言った。
「その子の目をよく見てみろ」
白牙は訝りながらも抱きついたままの少女の体をそっと引き離した。
まっすぐにその瞳を見つめる。
青い、どこまでも青く澄んだ瞳だった。
どこか新一の目と似ている。
いや、炎のような輝きこそないが、新一の瞳とそっくりなそれは……
「――メイ、ファン?」
無意識に唇が動く。
たとえどれほどの時間が経とうと、守るべき存在ができようと、その人を忘れるはずがなかった。
この目の輝きだけは。
白牙の心ごと奪っていった、この輝きだけは。
「そうよ、白牙。あたしは美煌。
たかが生まれ変わったぐらいで見抜けないなんて、ちょっと愛が足りないんじゃない?」
少女メイはにっこりと愛らしく笑った。
白牙の所属していた末端組織のボスの娘。それが美煌だ。
欲深く狡賢くそのくせ肝の小さな父親と違い、娘の美煌は頭も良く度胸も良かった。
娘と言っても愛妾の連れ子だった美煌は父親の醜い容貌とは似ても似つかない。
加えて男顔負けの剛胆な性格。
下心や野心を抜きに美煌を慕う者は自然多かった。
その中でいつまでも孤立していたのが白牙だ。
殺しの技術だけはずば抜けていた白牙は最年少にして任務の指揮を執ることも珍しくなく、比例するように周囲の不満も溜まっていた。
その上白牙はもともと望んで組織に入ったのではなく、むしろ風を殺した仇のように憎んでいた相手なのだからそんな状況も当然だった。
それを変えたのが当時十七歳だった美煌なのだ。
「白牙ったら五歳も年下のくせにそりゃもう生意気だったのよ」
ベッドの上、白牙の隣に落ち着いたメイが嘆息する様子を三者三様に複雑な表情で見遣る。
白牙は少女が美煌であることに納得はしたものの状況を理解できていなかった。
見た目と中身のギャップにはコナン時代の新一と哀の二人である意味慣れている快斗は、七歳の少女に頭の上がらない白牙の様子を意外そうに見つめている。
伍に至ってはどうして自分がここにいるのかもわからずに呆然と二人の遣り取りを見守るだけだった。
と言うのも、何やら込み入った事情のありそうな雰囲気に辞去しようとした伍をメイが引き留めたのだ。
「あなたにとっても大事な話だから」と言って。
「まぁ、美煌……いや、メイ? ……なんて呼んだらいいんだ?」
「どっちでも良いわよ。どっちも大して変わんないしね」
「それじゃ……美煌。昔の話はそのへんにして、そろそろ詳しい話を聞かせてくれないか。おまえがここに来た理由を」
雑談はほどほどにして本題に入るよう促した白牙にメイはちょっと拗ねたような顔をする。
そんな表情は年相応の少女らしくて、余程白牙に逢いたかったのだろうなと快斗は思った。
なにせ十八年もの時間を経てようやく再会できたのだから。
「そうね……わかってる」
顔を上げたメイの目は確かに新一と似た、真っ直ぐ澄んだ綺麗な蒼をしていた。
「始めに言っとくわ。あたしは貴方たちと同じ〝白き衣〟よ」
「「えっ?」」
声を上げた白牙と快斗にメイは胸元を少し肌蹴させ、くっきりと浮かんだ丸い月を見せた。
「これが証拠。白牙も怪盗さんも同じ月を持ってるでしょ?」
「……ああ」
「確かに〝白き衣〟みたいだね」
白牙の胸にも快斗の胸にもメイと同じ月が刻まれている。
それは確かに新一と繋がっている、月の御子を守る守護者の証だった。
六人いると言われた守護者の新たなひとりが白牙の思い人であった美煌の生まれ変わりだとは。
運命のような繋がりに二人とも声が出ない。
が、ひとり話についていけなかった伍が遠慮がちに口を挟んだ。
「その〝白き衣〟ってのは何のことだ?」
そこでハッとしたように白牙がメイに言い寄った。
「そうだ、伍は関係ねぇだろ! 俺たちの繋がりは簡単に漏らしちゃヤバイのに……っ」
「だって関係なくないんだもん」
「え?」
メイはベッドからぴょんと飛び降りると伍の前まで歩み寄った。
椅子に座っているとは言え七歳の少女の身長では見上げる形になる。
「あたしたちはね、見えないところで繋がってるの。人は誰でも〝縁〟を持って生まれてくる。ただあたしたちの場合特別で、その縁の輪はとても大きいわ」
運命の赤い糸。
それは迷信ではなく本当にある。
だが普通赤い糸が結ぶのは魂のレベルで伴侶となることを誓った者同志だ。
自分たちの場合は特別で、因縁めいた強い引力によって多くの魂がその運命の輪に結ばれてしまったのだ。
「あたしはそれをこう呼んでる。
凄まじい引力で引かれ合う魂の連立――ソウルメイト、と」
言うなれば生まれ変わって尚時代の生をも支配されるようなものだ。
けれどメイはそれを疎んじたりはしなかった。
美煌として白牙の側から離れなければならなくなった時、雨の中薄れていく記憶の中で、絶望に染まる瞳を見たから。
彼にそんな瞳をさせないためなら、この永久に続く輪廻に巻き込まれようともかまわなかった。
むしろこうして再び側にいられることを嬉しく思う。
「貴方たちが月下白を割ってくれてよかった」
何気なく口にした言葉に快斗と白牙は首を傾げた。
「どういうことだ?」
「あ、そっか。二人とも月下白のほんとの価値を知らないんだっけ」
「ほんとの価値?」
「白き衣を見極めるための宝石じゃないのか?」
「いいえ。あれは言わばあたしたちの分身よ」
「分身!?」
瞠目する二人をメイは楽しそうに笑う。
「あたしたち白き衣は死ぬと一度白銀の石になる。魂自体は次の生へと転生するけど、御子を守るために与えられた能力は石に封印されるの。そしてそれは御子にしか開封できない。
だから月下白は世界有数……世界にたった六つしか存在しない稀有な宝石だと言われるのよ。
まぁ、その価値を知らない人間にとってはただ綺麗に光ってる硝子玉でしかないんだけどね」
もし転生した世で御子に出逢えなかったなら、白き衣たちが平穏にその生を過ごせるように。
それは、遙か昔の御子がかけたまじないのようなものだった。
「開封された魂は過去の記憶、そして能力を得る。見たとこ、貴方たち二人の月下白はまだ割られてないみたいね」
もし割られていればメイに聞くまでもなく今話した事実を知っているはずだ。
二人が未だかつての能力を取り戻していないことは一目瞭然だった。
それからメイは改めて伍に言った。
「伍さんは白き衣じゃないみたいだけど、あたしたちと深く関わってしまう運命にあるの」
「……それがキミの言う開封された能力なのか?」
「ええそう、話が早くていいわね。あたしの力はただその人との絆の強さをはかれるだけ。その人が敵となるか味方となるかもわからない」
「だからさっさと口説き落とそうと?」
「いいえ、違う。これは強制じゃないから、貴方には事実を知った上で選ばせてあげる。あたしたちの力となって死ぬのもいいし、敵となって殺されるのも、知らないフリで老いるのもいい。
ただあの人の敵となるなら、あたしたちは誰ひとりとして容赦しないとだけ言っとくわ」
傲然と言い放つ様は生前の美煌を彷彿とさせる剛胆さがあり、白牙は知らず握った拳に力を込めた。
自分より遙かに年下の少女の迫力に圧され、伍はこくりと喉を鳴らす。
「……それは言外に脅しているのか?」
「だから違うってば。事実を話してるだけ。ただ敵には回らない方が身のためよって忠告してるの。白き衣の中には記憶操作のできる者もいるから、今まで通り平穏な生活を送ることもできるわ」
脅しで簡単に屈するような者などむしろ必要ない。
そんな奴ならさっさと記憶を奪ってしまうだけだ。
必要なのは、自らの意志で己の命を賭してでも御子を守りたいと動ける者だけ。
だから〝選択〟は重要なのだ。
「あたしたちはたった七人で世界を敵に回そうとしてるの。はっきり言って勝ち目はないわ。誰かが絶対に命を落とす」
だから何度となく終わりのない闘いを続けてきた。
或いは命を奪われ、或いは自らその命を絶ち。
次の生でこそ幸福になれるよう、そう願い続けてきた。
「さあ選んで。迷いは拒絶、直感こそ本音。貴方はあの人と――月の御子と死を分かつことができる?」
答えを迫られた伍はゆっくりと瞼を閉じる。
すでに答えは出ていた。
「ようやくおまえたちの繋がりが見えた気がするよ……」
溜息とともに目を開き、苦笑を浮かべながら白牙と快斗を見遣る。
「工藤新一なんだな、その御子とやらが」
「……ああ」
間を置いて頷いた白牙に伍も頷きを返し、それからメイへと向き直った。
「俺も彼にどうしようもなく惹かれた者のひとりでな。優作と知り合った時点で何かとんでもないことに巻き込まれた予感はあったんだ。今更犯罪者がどうだと拘るのも馬鹿馬鹿しい。
俺にできることがあるなら、是非力にならせてくれ」
メイは子供のように満面の笑みを浮かべた。
* * *
先日の銃器密売の捕り物にはどうやらまた白牙が関わっているらしい。
たったそれだけのことで精鋭を十人も揃えてみせた万海がどれだけ白牙に執着しているかよくわかる。
黒星のもとに集められた男たちはみなガタイもよく技術もあるのだが、如何せん頭がない。
叩き込まれた殺しのいろはを使いこなせるだけの知能が備わっていないのだ。
だから、力こそなくともその狡猾さと高い知能で生き抜いてきた黒星が頭となって彼らを動かす。
先の捕り物に白牙が関わっている、それは黒星にもわかりきったことだった。
今の警察のレベルで手出しできる相手ではない。
万海の黒い息のかかったグループだと噂されていた彼らにおいそれと手を出せない状況だったのだ。
だが、中国警察の決して表に出ることのない最強の切り札、かつてはその名を知らない者はいないとまで言われた殺し屋白牙がいれば話は別。
組織お抱えの殺し屋だった男はいつの間にか中国警察の特殊機動員として影の中の影で生きるようになった。
白牙は今ここにいるような図体ばかりでかい木偶の坊とは格が違う。
肉体、技術、更には頭脳までが秀でた、言うなれば天性のアサシンだ。
そしてその男に万海は凄まじいまでの執着を見せている。
黒星はその理由を知っていた。
万海は白牙を〝息子〟と呼ぶ。
彼は白牙を自分の跡目として組織の時期頭首にしたかったのだ。
中国マフィアの全てを統括する巨大組織にまで成り上がった万海の組織は、並の人間はおろか、少しばかり秀でた者でも手に負えないだろう。
万海のように酷薄なまでの狡猾さと、何千何万という人間を従えるカリスマ性がなければならない。
その点白牙はかつて殺し屋の頂点としてその卓越した身体能力と研ぎ澄まされた牙のような技能で多くの人間を魅了した。
血に飢えた白い牙、その異名の如く残酷で容赦ない〝仕事〟ぶり。
そして全ての任務を成し遂げた、司令塔としての狡猾さ。
敢えて言うなら特定の人間に執着しすぎるきらいがあるためそこが弱点となるのだが、それさえ〝躾〟してしまえば、これほど万海にとって欲しい人材はいないだろう。
……そこが黒星の気に障るのだが。
初めは単に気に入らなかった。
たかが十年ちょっとしか生きてない子供が生きることの汚さと絶望を全て知り尽くした顔で、それを諦め受け入れているふりをして。
子供は子供らしく泣いていればいいものを、それでも生き抜こうとする意地汚さが同族嫌悪の対象だった。
なのにどうだ。
その男は知らない間に絶望に染まった目に光を取り戻しているではないか。
――自分は未だ暗闇の中で蹲っているというのに。
あれほどの資質と器を持っていながらなぜ放棄するのか。
自分に何の見返りもくれない警察の手足となり、ようやく息をすることができたかのように笑っている。
白牙に対する嫌悪はいつの間にか憎悪に変わっていた。
黒星はどうにかして白牙を万海の目の前に突きだしてやりたかった。
そうして再び絶望に染まる目を嘲笑ってやりたい。
一度闇に堕ちた魂は二度と這い上がることなどできないのだと証明してやりたい。
でなければ今の自分があまりに滑稽すぎて――もう死ぬこともできやしないのだ、と。
「おまえら、しくじるなよ。うまくいけばボスから褒美が貰えるかも知れねぇぜ?」
こちらの煽りに容易くひっかかる男たちに、やはり能なしだと黒星は僅かに唇を歪めた。
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