隠恋慕
輝石乱舞 5
――事件発生。
伍のもとにその無線連絡が届いたのは、月下白奪取のため快斗が欠席していた三日目の晩――
つまり、怪盗キッドが犯行予告を出していたその日のことだった。
説明もそこそこに慌ただしくホテルを飛び出し、捕まえたタクシーに無茶を言って警察病院まで向かった。
そこにはすでに報道陣が押し寄せていて、伍は人混みを掻き分けながらある病室へと駆け込んだ。
掛けられているのは、まだ年若い巡査部長の名前。
「――陽!」
ここが病院だということも忘れ、思わず大声を張り上げていた。
「……伍、静かにしろ。彼は今絶対安静だ」
「総監……陽の容態は……」
「命に別状はない。ただ、目が覚めても手足に少し障害が残るかも知れない。――彼は運がよかった」
どこが。
出掛かった言葉を必死に飲み込み、伍は瞬時に警部の皮を被った。
「と言うことは、他の者は皆……」
「死んだ」
下唇を噛み締める。
行き場のない怒りが握った拳を微かに震わせた。
天井からぶら下がった大きな点滴。
口元には人工呼吸器。
ベッドの脇には心拍数や脈拍を計る装置が置かれている。
そして紙のように白い顔をした、擦り傷と包帯と管だらけの痛々しい――陽。
「幸い、彼がメッセージを残してくれた」
メッセージ? と視線で問いかける陽に、総監は擦り切れ焼けこげた警察手帳を開いて見せた。
「今すぐここに白牙を呼べ」
そこにはべっとりと赤い血文字で「白牙」と書かれていた。
* * *
八月六日、深夜未明。
中国警察ばかりを狙った同時多発自爆テロが起きた。
それは制服警官から私服の刑事まで、「警察」に関わる者を見境無しに狙ったもので、狙われた十名のうち九名が死亡。
うち一人は一命を取り留めたものの、意識不明の重体でいつ意識が戻るかもわからない。
犯人は警察に恨みを持つ何らかの組織の連中か。
警察はその真意をまだ発表していない。
表のメディアで流されているのはここまでだ。
ここからは、警察でも一部の上の人間しか知らない極秘情報。
「……間違いなく、万海か黒星が絡んでるな」
「或いはその両方だ」
直前に気付いた陽は何とか爆弾の直撃を免れた。
そして重症を負ったものの、意識の混濁する中で警察手帳に「白牙」の二文字を書き記すことができた。
おそらく自爆した人間が白牙の名前でも滑らせたのだろう。
或いはそれすら――陽だけを殺さなかったことですら、白牙を引きずり出すための計画かも知れないが。
どちらにしろ上から機動要請が出ている以上、白牙は出向かないわけにいかない。
過去の罪を不問にするかわりに、警察組織の手足となることを契約したのだから。
だが今回、刑事でもなければ特殊機動員でもない快斗は、白牙たちとともに行動をとるわけにはいかない。
中国警察の捜査援助をしていたとは言え、あくまでそれは伍しか知らない事実。
怪盗としても一介の高校生としても、今度の件に首を突っ込むことはできなかった。
――メイも同じく。
「快斗、美煌。暫く俺たちとは連絡が取れないから。と言うか、取るな。こっちからも一切接触しない」
「……それはあいつらを警戒して?」
「それもある。それに中国警察を甘く見ない方がいい。なにも特殊機動員は俺だけじゃないからな。盗聴やら何やら、犯人の居場所を割り出す凄腕のハッカーもいる。おまえの存在が警察にばれるのはうまくない」
「――わかった」
常にしては珍しく、快斗はあっさりと頷く。
多少の引っかかりを覚えながらも、どうせ今までの経験上快斗が大人しくしていたためしなどないのだからと、白牙は諦めのこもった溜息を吐いた。
なにせ、盗一の死の真相を知った時、自ら怪盗となって真実を見つける道を真っ先に選んだ子供だ。
新一もそうだが、快斗にもかなり手を焼かされている。
「それじゃあ、もう行く。何かあったら優作のところへ行け」
「こっちの心配はいいからあんたは自分の心配をしろよ、白牙」
これから危険なことをしようというのは白牙の方だというのに。
快斗は呆れ混じりに苦笑して、白牙と伍を扉まで見送った。
「ひとつだけ言っとくけど」
白牙の背中に快斗が声を掛ける。
「無茶はいくらだってしていいけどな。……絶対に、死ぬなよ」
「わかってる。勝手に殺すな」
「これだけは覚えとけよ。あんたが死んだら――新一は何するかわかんねーぞ」
言うだけ言って快斗は扉を閉める。
閉まる直前、終始無言だったメイと視線だけを交わし、白牙は振り返らず歩いていった。
鍵を掛けチェーンを掛け、ベッドまで戻ってきたメイは漸くそこで口を開いた。
「……もしかしなくても、同じこと考えてる?」
「……だろ?」
ククっ、と快斗が喉の奥で笑う。
メイの口端もニィ、と持ち上がった。
「ま、白牙もそのへんはよくわかってるだろうし?」
「そう簡単に白牙の命はやれないわね」
メイはノートパソコンを取り出し、軽快なタッチでキーを打ち込んでいく。
その隣で同じくパソコンを弄る快斗は、取り出したトランプ銃を解体したり磨いたりと、ひとりで大忙しだ。
相手が黒星や、ましてあの万海だとわかっていながら、みすみす指を銜えて見ているつもりなど二人には毛頭ない。
白牙はメイにとって大事な人だし、快斗にとっても失えない存在だ。
そして、そう思うと同時に強く感じているのは――
新一を哀しませたくない、という思い。
それは、自分が白き衣と呼ばれる守護者だからなのか。
それとも、工藤新一という存在にただ惹かれているからなのか。
その問いに答えはないけれど。
「……彼は、素敵な人?」
メイの問いかけに、快斗は暫し沈黙して。
「あいつをどう表現したらいいのか……うまい言葉が見つからない。
格好良くて、綺麗で、優しいけど頑固で、意地っ張りで、強いくせに弱くて……」
瞼を閉じて思い浮かべる。
どこまでもまっすぐな人。
どんな障害があっても、ぶつかって傷を負っても。
どこまでもどこまでも、まっすぐに突き進んでいける人。
見惚れるほど格好良くて、泣きたくなるほど優しくて。
手を差し伸べずにはいられない。
甘やかすなと、たとえその手を振り払われても。
ただ、ただ。
「――愛しくて仕方ないんだ」
だから、彼を哀しませるものは許さない。
だから、白牙の命だってくれてやらない。
閉じていた瞼を持ち上げると、快斗は不敵な笑みを浮かべた。
* * *
「結論から言うと、間違いなく黒幕は万海だ」
分厚いファイルに綴られた資料を放り投げるように突き出され、白牙は興味もなさそうにファイルを開いた。
亡くなった九名、そして一命を取り留めたものの意識不明の重体である陽の現場に残されていた痕跡が事細かに記されている。
「……どうしてあの男だと?」
「奴以外のマフィアにそんな爆弾を扱える者はいない。狡賢いあの男の尻尾をとうとう掴んだんだ」
自爆テロなどという計画性の薄い強引な手口に出たのが運の尽き。
そう言って意気揚々と、いかに万海という男が凶悪であるかを説く刑事。
白牙はうんざりと眉を寄せ、伍は静かに資料へと目を通していた。
(あの男の尻尾を掴んだだと……? 掴ませてもらった、の間違いだろう、馬鹿男が)
万海がどういう男か。
この中でそれを最もよく知っているのは白牙だ。
あの男の前に跪かされ、死ぬより辛い思いを味わわされ、何もかも全てを奪われた。
狡猾で、非道で、おそらくこの世の誰よりも残酷な男。
そんな男が己のミスで警察に足がつくようなこと、世界が滅んだってあるはずがない。
それでもこうして犯人として万海の名が上がったのは――
(……余程俺を殺したいらしいな)
その理由に他ならない。
万海は不思議な空気を持った男だった。
頭も良く顔も良く、経済力もあり社交性にも優れた、人の上に立つに相応しい男だった。
そんな男が、なぜ、悪事にばかり手を染めるのか。
理由などわからない。
ただ、万海のその絶対的な支配力に心酔し、或いは畏れおののき、彼に付き従う者は後を絶たなかった。
彼の思い通りにならない者、彼を裏切るような者はひとりとしていなかったのだ。
ただひとり――白牙を除いて。
白牙はその天才的な暗殺の技術や飛び抜けた知能から、周りに妬まれながらも万海の跡を継ぐ者として認められてもいた。
その白牙が、組織を飛び出した。
白牙は、万海にとって初めての思い通りにならない存在となったのだ。
思い通りにならない駒はいらない。
壊れた玩具はいらない。
けれど、誰にも渡さない。
気に入ったものは、この手で壊す。
誰か他の者に奪われるぐらいなら、この手で葬り去る。
……そういう男だ。
「伍、あんたは正規のルートを使ってなんとか黒星の足取りを掴んでくれ」
「……黒星の? 万海ではなく?」
「証拠があるにしないにしろ、万海自ら動くことは有り得ない」
「――いつ貴様に指図する権限を与えた?」
自分を差し置いてあれこれと指示を出す白牙に、すかさず総監が釘を差す。
「……お言葉ですが、総監。彼ほど万海を知る者はいないと、」
「おまえは口を挟むな。前にも言ったが、私はまだその男を信用しとらん」
していない、ではなく、しない、の間違いだろうが。
そんな台詞を心中で吐きながら、白牙はあくまで涼しい顔で傍観を決め込んでいる。
「まず、万海を徹底的にマークする。二十四時間尾行に貼り付いて、奴から決して目を離すな。それからじわじわ攻め落とす。どんな些細なことでもいい、どんなことをしてでも逮捕状を取って家宅捜索に踏み切る。そうすれば必ずどこかでボロが出るはずだ」
いいな、と念押しする総監に、刑事たちは同意の頷きを返す。
伍は難しい顔で黙り込み、白牙はふんぞり返って煙草をふかし始めた。
その反抗的な態度にご立腹したらしい総監は、渋面のまま歩み寄り白牙の襟首を掴み上げる。
白牙の座っていた椅子はガタンッ、と転がり、本人は引かれるままに立ち上がらされた。
怒りのため、眉間に何重も皺を寄せながら総監が言った。
「万海が貴様なんぞを欲しがるなら、くれてやりたいところだがな。我々中国警察の威信にかけて犯罪者に屈するわけにはいかん。おかげで命拾いしていることを感謝するんだな」
言うだけ言って、放り出すように突き放す。
そして、向かいの壁に背中を打った白牙が面倒くさそうに椅子を起こすのへ言った。
「今回、貴様を表には出さん。三日以内に万海のここ一週間の行動記録を出せ。それができんなら監獄行きだ」
わかったな、と言い置き、返事も待たずに退室する。
つられるように一人二人と退室していき、最後には伍と白牙の二人だけとなった。
吸いかけの煙草を、ろくろく味わってもいなかったけれど灰皿に押し付けて。
ふーっと煙を吐き出しながら、白牙は微妙な苦笑を浮かべた。
「俺、あの人嫌いじゃないな」
伍が顔を向ける。
彼の表情もまた微妙なものだった。
「……多分、総監は誰より白牙の実力を認めてるよ」
「あんたより?」
「ああ、俺よりだ」
「ひでぇな、おい」
長い付き合いだと言うのに、あっさりそんなことを言ってくれる相手に白牙はもう笑うしかない。
「だが、確かに今回はおまえは表に出ない方がいいと思うぞ」
不意に真剣味を帯びた伍の声に白牙も表情を改める。
「今おまえが万海の手に渡れば、確実に殺される。総監はそれを危惧されている」
「……ああ」
「三日以内ってのは無茶かも知れないが、無茶でもなんでも、それぐらいしないとおまえは平気で敵陣に突っ込んでいきそうだ」
「……わかってる」
「黒星のことは俺に任せろ。俺がそっちを見張っておく。……〝彼〟のこともあるからな。それにあの子たちのことも知られるわけにはいかない。おまえは今回、絶対に表に出てくるな」
きつく念押しされて、白牙は難しい表情になる。
まるでいつも〝彼〟に注意していることを言われているような気分だ。
なるほど、言われる側にまわるとあまり――というか全然、気分の良いものではない。
「……努力は、する」
「白牙……」
「仕方ないだろう? これは俺の問題だ。それにおまえやあのおっさんを巻き込むわけにはいかないだろ」
拗ねた子供のように唇を尖らせながら白牙が言う。
伍は深く溜息を吐いた。
あの時、夏前のあの事件、工藤新一を巡り黒星と対峙した事件の時から、白牙は少しも成長していない。
――俺たちは、危険でさえ共有する。
そう、彼の守るべき人が言ったことを白牙は知らない。
自分たちは運命共同体だ。
運命とは生であり、喜びであり、苦しみであり、死である。
白牙は工藤新一の運命の一部であり、工藤新一もまた白牙の運命の一部である。
白牙の生は新一の生であり、白牙の死は新一の死でもある。
そして、伍もまた白牙や新一の運命の一部なのだ。
関係ないなどとは言わせない。
なぜなら。
自分たちは。
凄まじい引力で引かれ合う魂の連立――ソウルメイトなのだから。
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