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Midnight Carnival 2

 「きゃ――っ、新ちゃああん!」
 「うわ……っ」

  奇声を上げながら抱きついてきた母親に抗う間もなく、新一はバランスを崩してその場にへたり込んだ。
  その豪快な押し倒しっぷりを横で見ていた快斗は思わず怯み、ベルモットは楽しそうに笑みを浮かべた。

 「ちょ……、母さん」

  起きあがろうにも有希子がのし掛かっているためうまくいかない。
  それどころか更にきつく抱きしめられ、肩に傷を負った新一は微かに顔をしかめた。
  しかし、いつまで経っても離れようとしない母にいい加減痺れを切らした新一がうんざりしながら声を掛けると、突然ぬっと現れた影が新一を見下ろしながら言った。

 「少しぐらい我慢してやりなさい。それだけおまえが私たちに心配を掛けていたと言うことなんだから」
 「……父さん」
 「久しぶりだね。元気そうで何よりだ」

  相変わらず何か企んでいそうな笑顔の下に確かな安堵を滲ませた優作。
  さすがに自分の立場を思い起こし、新一はすまなさそうに目を伏せた。

  優作が本気で新一を自分の元へ呼び戻そうとしたなら、きっといくらでもできたはずなのだ。なのにそれをしなかった理由は、新一の気持ちを優先してくれたからに他ならない。
  新一の我侭はきっと自分で思うよりもずっと周りに大きな影響を与えている。
  その最たる例が両親であることぐらい、鈍い新一にだって分かる。

 「心配掛けてごめん、母さん。……父さんも」

  そんな、素直じゃない息子の珍しく素直な反応に、優作と有希子は互いに顔を見合わせると、仕方ないとでも言うように苦笑しながら溜息を吐いた。

 「お帰り、新一。今までよく頑張ったわね」

  そう言って幼い子供にするようにくしゃりと頭を撫でると、有希子は微笑みながら新一の手を引いて立ち上がった。
  急に母親の顔になった有希子に、新一はばつが悪そうに、それでもこくりと頷きを返す。
  それから所在なさげに佇んでいた快斗と静かに見守るベルモットに向き直ると、有希子と優作は真剣な顔で深々と頭を下げた。

 「快斗君。それに……シャロン。新一を助けてくれて有り難う」
 「私たちは君たちを心から歓迎するよ」 



 滞在中はこの部屋を好きに使ってくれ、と宛われた客室を見渡し、快斗は感嘆の溜息を零した。
  仕事柄、「豪邸」と名の付く邸宅には数え切れない程お目に掛かってきた快斗だが、ここ工藤家の別荘は、それらの豪邸に引けを取らない豪奢な造りだった。
  軽く三人は大の字で並んで寝ても問題なさそうなベッドに、皺ひとつなくぴしりと敷かれたシルクのシーツ。その向かいには渋い焦げ茶色の書き物机があり、その脚や抽斗ひとつひとつに細やかな彫刻が施されている。
  ベッドの横には日の光を燦々と取り込む大きな窓があり、そこに掛けられたカーテンにもおそらく名のある名匠が丁寧に描いただろう刺繍が施されていた。窓の向こうにはバルコニーが広がり、月見酒でも洒落込むためなのか、テーブルセットが置かれている。
  壁に掛かる絵画。肌触りのいい絨毯。室内にはトイレやシャワールームまであり、まるで高級ホテルのスウィートルームのようだと快斗は思った。

  夏以降日本の工藤低に居候していた快斗だが、工藤家がたいそうな金持ちであることをつい失念していた。
  と言うのも、ともに暮らしていた新一がそうした芸術品に一切興味を持っていなかったため、俗に言う「金持ちの道楽生活」からはほど遠い生活をしていたからだ。
  いや、確かに、高価な書籍に頭の痛くなるような額を躊躇いなくはたいたり、夏も冬も快適に過ごすために邸内が年がら年中冷暖房完備だったりはしたけれど。
  小腹が空いたと言っては学校帰りにコンビニで買い食いもするし、勿体ないからとバス代をケチっては快斗と二人乗りで警視庁に駆けつけたこともあった。

 (なんか新一って、金持ちのぼんぼんらしくないんだもんなぁ)

  そんな些細なことの全てが、愛しくて愛しくて仕方ないのだけれど。

  と、コンコン、と響いたノックに、快斗は「どうぞ」と声を掛けた。
  すると、現れたのは今し方考えていた新一、その人で。

 「よう。なんか足りないもんとかないか?」
 「うん、ありがと。充分すぎて戸惑うくらいだよ」
 「はは……この別荘は特に無駄なもんが多いからな」

  なんでも贅沢好きな有希子の趣味全開のこの別荘にはやたらと美術品やら骨董品やらが溢れており、旅行だ雲隠れだと年中世界を巡っている工藤夫妻だが、最後は結局この別荘へと帰ってきてしまうのだとか。
  しかしそうして築いたコネクションを、こうして彼のために惜しげもなく活用してくれているのだから、文句は言えないだろう。

 「傷、まだ痛むか?」

  快斗は新一の手をそっと取り、負担を掛けないようにゆっくりと引き寄せる。
  まるで壊れ物でも扱うようなそれに新一は軽く顔をしかめるが、同じように快斗が撃たれた時を思い、諦めたように溜息を零して「いや」と首を振った。

  あの時。
  自分を庇って快斗が撃たれた時、自分も銃弾を受けた身でありながら、それ以上の痛みと怒りで新一の心は燃え上がる炎のような蒼色に染まった。
  怒りで我を忘れるほどに、快斗が撃たれたという事実は新一の理性を揺るがした。
  快斗を失うかも知れないという恐怖が、新一の心を打ち崩した。
  あの時の息が詰まるような苦しさは、忘れようと思っても忘れられない。

  それと同じではないにしても、もし今快斗が似たような気持ちでいてくれているとすれば、多少むっとしなくもないが怒る気になどなれなかった。

 「灰原の薬はよく効くからな」
 「そっか……」

  そんな言葉で騙される自分ではないけれど、新一の歯がゆい気持ちも分かってしまい、快斗はそれ以上何も言わず、ただ無言で取ったその手を額に押し当てた。
  言葉に出さなくても、それだけで相手の考えてることが分かる。

 (不思議だ……)

  こんなこと、他の誰かではありえなかった。
  仲のいい友人。幼馴染みの少女。
  唯一の肉親である母だろうと、これほど共鳴したことはなかった。
  それなのに、血の繋がりもなく、時間的な共有もなかった彼の心が、こうして触れているだけで伝わってくる。

  それは、彼が月の御子だからなのか。
  自分が、白き衣だからなのか。
  幾世紀もの時を越え、巡り会うべくして巡り会った相手だからなのか。
  何もかもを差し置いて守りたいと思うのは、そのためか。
  それどころか、彼を愛しく思うこの心さえ、仕組まれたものだとでもいうのか。

  でも。それなら。
  もし自分が白き衣などではなく、新一が月の御子などでなかったなら。
  この想いは、生まれなかったというのだろうか……?

 (――そんなの、嫌だ)

  狂気にも似た、この想い。
  苦しくて苦しくて、ただ己を傷つけるばかりか、時に彼さえも傷つけかねないのに、それでも。
  彼を想わない自分など考えられない。
  彼のいない世界になど、存在できない。

  好きで好きで、どうしようもなく大好きで、愛しくて――…

「……大丈夫だよ」

  不意に頭上からくすりという苦笑が降ってきて、快斗はゆっくりと顔を上げた。
  すると案の定困ったような笑みを浮かべた新一が、仕方ないなとでも言うように柔らかい眼差しで快斗を見下ろしていた。

 「おまえ、心配性だからな。……泣き虫だし。そんなに心配なら、ずっと俺の傍にいたらいい」

  そしたらそんな不安、どっかいっちまうだろ?

  そう言って笑う人に、快斗は泣き笑いのようなものを向けることしかできなかった。
  たとえ自分が何を不安に思っているのか分かっていなくても、自分を案じてくれる彼のその心が嬉しい。
  たとえこの狂気を知らないからだとしても、傍にいることを許してくれた、それだけのことがこんなにも嬉しい。

 「いいの……? 俺、ほんとは一秒だって新一と離れてたくないんだよ?」
 「……俺を置いて中国に行ったくせに?」

  拗ねたように睨む新一に愛しさが際限なく溢れてくる。

 「あれはもう、ほんと馬鹿なことしたと思うよ。なんで新一と離れてられるなんて思ったのか、今じゃ思い出せないくらい」
 「ばーろ……無茶しなかっただろうな?」

  その言葉にドキリとする。
  白牙。伍。メイ。英嶺。黒星。そして――万海。

  新一は知らないけれど、快斗は中国でこれまでの人生を覆すほどの経験をした。
  今まで気付かぬふりをしていた、できることなら一生知ることなく過ごしたかった己の中の信じがたい部分をまざまざと見せつけられ、揺るぎなかった心を粉々に打ち砕かれた。

  それでも、手放すことができなかった。
  それでも、離れることなどできなかった。
  工藤新一という存在から。

 「……新一がいてくれるなら、俺に不可能なことなんて何ひとつないよ」

  そうして強気に笑ってみせる魔術師に、新一はただ呆れたように溜息を吐いた。



 * * *

  カチリ、と。
  カップをソーサーに置く音が、やけに大きく響いた。
  息を呑むようにして口を閉じた彼らによって生み出された沈黙は、同じく唸るように声を漏らした彼らによって破られた。

 「それは確かなんですか……?」

  重苦しく尋ねる優作の表情はこれ以上ないほどに厳しい。
  隣に座る有希子の表情は青ざめ、その瞳にはありありと「信じられない」という感情が浮かんでいる。
  彼らの動揺を予測していたのか、二人の前に腰掛け出された紅茶を飲んでいたベルモットは、容赦なく繰り返した。

 「ええ。これは仮定ではなく、事実です。
  黒羽快斗は〝白き罪人〟ではない。それどころか、〝白き衣〟でさえないわ」

  ――嵐が、訪れようとしていた。



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