隠恋慕
Speak low, if you speak love.
Peter Pan Crime 11
相変わらず記憶が戻らない快斗だったが、それ以外のことは順風満帆と言っていい生活を送っていた。もちろん特筆すべきは工藤とのことだったが、それ以外――学校生活でも友人関係においても、実に円満と言えるだろう。
――ただひとつを除いて。
「今朝もまた、君の予告状が新聞の一面を騒がせているようだね」
朝のホームルームが始まる前、いつものように快斗が席に座って新聞を読んでいると、クラスメートの白馬探が白々しく声をかけてきた。
快斗は最早隠す気もなく面倒臭そうに溜息を吐くと、新聞の影から胡乱な目つきで白馬を見上げた。
「だ、れ、の、予告状だって?」
「おっと失礼。怪盗キッドからの予告状だったね」
わざとらしく肩を竦めてみせる白馬を見て、快斗は鼻の頭に皺を寄せた。見るからに機嫌を悪くした快斗だが、それでも怒り出さないのは、既にこのやり取りが日常と化しているからだった。
この男、自称高校生探偵の白馬探は、怪盗キッドの正体が快斗だと信じているらしく、キッドの予告状が出る度にこうしてなにかしら言いがかりをつけてくる。最初は律儀に対応していた快斗も、こう毎度のこととなると、それも適当にならざるを得ないというものだ。
「……ったく。てめーはなにがなんでも俺を犯罪者にしたいらしいな」
見当違いな推理で言いがかりをつけてくる白馬を、いっそ哀れむような目で快斗は見た。白馬になにを言われたところで、当人である快斗には盗みを働いた記憶もなければ、そんなことをしなければならない理由もない。実際、世界的マジシャンだった父親の残した遺産はかなりのもので、度を越した贅沢さえしなければ充分遊んで暮らせるくらいには、黒羽家は裕福だった。キッドの犯行が金目的でなかったとしても、その平穏無事な生活を擲ってまで犯罪に走るなど、余程の酔狂か、ただの馬鹿としか思えなかった。
「その表現には語弊があるな。クラスメートが犯罪者だなんて実に嘆かわしいが、だからこそ、僕が探偵である以上、その現実から目を背けるわけにはいかないんだよ」
まさに、暖簾に腕押し。ぬかに釘。ああ言えばこう言う白馬とまともに話し合っても疲れるだけだと、快斗はぴらぴらとおざなりに手を振った。
「へーへー。だとしても、今の記憶のない俺にはさっぱり分かんねえから、それもこれも俺の記憶が戻ってからにしてくれ」
怪盗キッドの正体は快斗、今の記憶がない快斗の代わりに活動しているのはキッドの共犯者、と言って憚らない男だ。いくら否定しても意味がないなら、話すだけ無駄だと、近頃の快斗は適当に白馬をあしらうことにしていた。
「……はぁ。ほんと、あいつと同じ高校生探偵とは思えねえ」
思わずと零れた呟きを、白馬は耳聡く拾った。
「僕と同じ高校生探偵? ……ああ、工藤某君のことかい?」
白馬の口からその名が出たことに、快斗はついついぴくりと反応を返してしまった。
「そう言えば、事故に遭った君を助けたのは彼だったね。引き逃げ犯を見つけたのも、彼だったな」
「……なんでてめーがそんなことまで知ってんだよ?」
唐突に声のトーンが下がった快斗を、白馬は興味深そうに見遣った。
黒羽快斗という男は、柳のような男だ、というのが白馬の見解である。日本の諺にあるように、まさに柳に風、どれだけ問い詰め追いつめようとも、柳のようにしなやかに、飄々とすべてを受け流してしまう。それに何度煮え湯を飲まされたことか。
そしてその本質は、彼が記憶を失っても変わらなかった。記憶がないことすら彼の狂言ではないか、などとカマをかけたことのある白馬だが、彼が真実記憶を失っていることを疑ってはいなかった。だからこそ、ある意味無防備なこの時になにか尻尾を掴めないものかと、いつも以上に踏み込んでいるのだが、本質が変わらないからこそだろう、記憶がなくとも黒羽快斗という男はなんとも手強い男だった。
その快斗が、初めて反応らしい反応を示した。
――高校生探偵、工藤新一。
その名を、白馬はもちろん知っていた。と言っても、彼が同業者、即ちライバルだから、などというゴシップが好みそうな理由からではなく、彼と白馬が警視庁と懇意にする高校生の探偵という同じ肩書きを持つゆえに、並べたがる者たちの声が嫌でも耳に入ってくるからだ。白馬としては、彼を敵視もライバル視もしたことはない。なぜなら誰と比べるまでもなく、自分自身の探偵としての能力を自負しているからだ。別に功を競うわけでなし、白馬にとって大事なのはどちらがより優秀な探偵かではなく、己自身が優れているかどうかであった。
そのため、工藤新一の名を白馬は知っていたが、それ以上の情報を持っていなかった――快斗が、事故に遭うまでは。
快斗が事故に遭ったと知った瞬間に、そのときの状況、誰が関わったのか、犯人は誰かなど、白馬はあらゆる情報を探った。職権乱用と言われても構わず――そもそもまだ学生である白馬には乱用する職権もなにもないのだが――警視総監という親の立場を利用し、可能な限りの情報を集めた。それほどに、怪盗キッドという犯罪者はなりふりかまっていられない相手だった。
そうして集められた情報の中に、工藤新一の名前があった。黒羽快斗が交通事故に遭ったとき、いち早く救命処置を取り、混乱する現場を治め、犯人の確保に多大な貢献をした、と。それを知ったとき、彼はなんと強運なのだろうかと思ったものだった。報告書には、快斗は一時、心肺停止にまで陥ったとあった。通常、人間の脳はたった五分、血液が循環しないだけで致命的な障害が残ると言われている。あの場に工藤新一がいなければ、快斗がこうして何事もなく学校に通うことなどできなかっただろう。
つまり、快斗にとって工藤新一は命の恩人だ。いくら記憶がないと言っても、助けてもらった礼くらいは言っているだろう。だから彼らが知り合いだとしてもなんら不思議はない。
けれど快斗の態度を見るに、彼らがただの知り合いとは思えなかった。
「意外だな。工藤君とは親しいのかい?」
「……てめーには関係ねーだろ」
露骨なまでに顔をしかめ、快斗は白馬を威嚇する。繋がりを隠すとは、これまた白馬にとっては意外だった。
怪盗なんてものをしているからか、それとも生来の性質か、快斗と白馬は性格が合わない。別に嫌い合っているわけではないが――少なくとも白馬の方は快斗を嫌っているわけではないが――とにかく考え方が合わないし、理解できない。そもそも、どのような目的があったとしても、窃盗という違法な手段に手を出す時点でその思考回路が白馬には理解できないのだが。
しかしだからこそ、同じ探偵である工藤新一とも、白馬と同じではないにしても似たようなものだろうと思っていたのだ。それが、快斗のこの態度だ。随分と親しくなければ、こうはならないだろう。
「工藤新一と言えば、捜査一課と懇意にしている探偵だろう? 捜査二課の怪盗キッドとはあまり関係ないと思っていたよ」
「まーた怪盗キッドかよ。てめーは本当にキッドが大好きだな」
「まさか。この僕をキッドファンの連中と一緒にしないでくれ」
「皮肉に決まってんだろ」
はあ、と深く溜息を吐いたかと思うと、快斗は鋭く白馬を睨み返した。それまでの気怠げな空気は霧散し、ぴんと緊張が張り詰める。
「百歩譲って、てめーが俺に絡んでくるのはいいけどな。青子や母さん、工藤にまで迷惑かけたら、そん時は本気で相手になってやる」
記憶がない間のことは、快斗にも分からない。だから面倒だと思いながらも白馬の言いがかりにも付き合ってやるが、それが自分以外の誰かにまで及ぶとなれば、黙っていない。まして快斗の命の恩人であり、探偵として忙しい合間を縫って快斗との時間を作ってくれている工藤に迷惑をかけるようなら、その時は徹底的に戦うつもりだった。
快斗は白馬を面倒なやつだとは思っていても、敵だとまでは思っていないが、もしもそのラインを超えてくるというのなら、その認識は容易く変えられるだろう。
その本気を感じ取った白馬は、素直に引き下がった。
そもそもにして白馬はあらゆる可能性を私情や感情で否定しないだけで、根拠もない推論を押し通すつもりはない。彼は誤解しているようだが、快斗と関わりがあるだけでその人を共犯者呼ばわりするつもりは最初からないのだ。自業自得とは言え随分と信用がないなと、白馬は肩を竦めた。
「安心したまえ。本気の君というものは実に興味深いけれど、正直、工藤君には興味がない。彼がキッドの現場に踏み込んでくるというなら話は別だが、聞くところによると、泥棒には興味ないそうだからね。今のところ僕とバッティングする可能性はないだろう」
よもやあの謎に満ちた怪盗に食指を動かさない奇特な探偵がいるとは思わなかったが、現場がかち合わないのはむしろ有り難かった。もしそうなれば、おそらく白馬は真っ向から彼と対立していたに違いない。彼だけでなく、全ての同業者に言えることだが。
そんなことよりも、今気になるのは快斗のことだ。
「それで、君は今回もキッドの現場には来ないのかい?」
「ああん? だーから、なんで俺がわざわざ泥棒なんかに会いに行かなきゃならねーんだよ」
「ケチな泥棒なんかと一緒にしないでくれたまえ。彼は気障で、大胆不敵な、怪盗だよ」
発言の訂正を求められ、快斗は鼻白んだ。犯罪者だなんだと言いながら、白馬はどこかキッドに敬意を持っているように感じる。その矛盾した態度が、快斗には理解できなかった。
「以前の君は、自らをキッドのファンと言って憚らなかった。キッドの現場を見にきたことも何度もあった。だが、今の君はキッドに興味がないと言う。僕にはその真逆の態度がどうにも胡散臭くてならないんだ」
「胡散臭いだぁ?」
「今の君が素の君だとすれば、以前の君の態度は作られたものだということになる。だが、君はまだキッドを見たことがない。だから君がキッドの現場に行き、彼のマジックを見たときに、どういう反応をするのか。それを僕は知りたいんだ」
いつものように適当に白馬の話を聞き流していた快斗だったが、今の話にはなるほどと納得させられるものがあった。
快斗はキッドを見たことがない。新聞やテレビで見かけることは多いが、切り取られ編集された画像や映像と、実際に己の目で見るのとではまるで違うだろう。ただマジックを犯罪の手段に使う泥棒というイメージが先行して、それ以上知りたいとも思わなかった。白馬の言うように実際に見てみれば、ころっと態度を変えてしまうのかも知れない。
けれどこの男に言われるままに従うのも気に入らなくて、快斗は仏頂面で答えた。
「わーったよ。そのうち、気が向いたら行ってやるよ。オメーの大好きなキッド様の現場によ」
快斗の安い挑発に乗って食ってかかってくる白馬を適当にあしらいながら、快斗は今朝の新聞の一面記事を思い出していた。
BACK * TOP * NEXT
PR
